絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

『二泉映月』を聴く

2013年03月27日 00時26分18秒 | Weblog
二胡名曲集
クリエーター情報なし
EMOTIONALPLANET


先生、ちょっと難しい顔をしておられますが・・・
教室ではいつもにこにこしていらっしゃいます。
練習不足で上手く弾けなかった時も、ぜんぜん怒られたりしません。
(イラッという感じもありません)
自分に厳しく、他者には優しく。。。

そんな先生が演奏される『二泉映月』をもう何回、いや何十回と聞いてしまいました。
なぜか、いつも同じところで「ううっ」ってなってしまいます。
始まりは普通に聞き始めるんですが、途中、二胡がトレモロになるところで、
伴奏のピアノがすごく歌うんですよ。
そうすると、それが二胡の悲しい語りと相まって、自分の中に押し込められていた感情があふれ出てしまうというか・・・
作者アービンが、自分の苛酷な運命に憤り、落胆し、血の涙を流す。そのさまを二胡が泣くように歌うんです。

この曲を見いだし、今のように素晴らしいものに育て上げたのは中国の音楽界。
わたしが、この苦悩に満ち満ちた、慟哭といってもいいくらいの『二泉映月』を
どうして何十回も聞いてしまうかというと、それは、この曲の後半部分が好きだからです。

美しい泉のほとりに、一人黒い影を落とす男。。。
人生に疲れ果てたその男は、泉に映る月明かりをもうはっきりと見ることはできない。
男は語り出す、自分の人生がいかに苛酷なものであったかを。
生きていくのがどれほど苦しいか、神はなぜこんな苦悩を自分に与えるのか、
救いはないのかと、声を振り絞り訴える。。。そこに答えはないとわかってはいても。
語り続けるうちに、荒れ狂う男の魂に、徐々に静けさが降りてくる。
やがて、夜明けを告げる一条の光が、浄化された魂を明日へのかすかな希望へと導くのだった。。。

以上はわたしの勝手な妄想ですが、胸をかきむしるような中盤の苦悩とは打って変わって
後半部分はすごくはかなくも美しい情感に溢れています。
これはアービンが最後に到達したかった境地(本当にそれを得られたかは別として)を
表現しているのではないでしょうか。
どんなに苦しくとも、最後は救いの光が差してくる・・・それは天に召される、ということだったかもしれない。
どのような苦悩にも、最後は静かな終焉がもたらされる、そういうことかも。

魂の浄化、ともいえる後半部分、一度聞いてみてください。

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