絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

経験主義

2007年04月29日 08時58分43秒 | Weblog
自分をも含め、人は何によって学ぶか?
ということを考えるときがある。

長く生きてくると、ある程度凝り固まってくるので
自分の思考パタンをなかなか変えることができなくなる。

では、それ以前の人、
まだ経験浅く、凝り固まっていない人
これからどんどん吸収していくキャパに余裕のある人
そういう人はどうだろうか?
そういう人は、経験によってかわっていくのだろうか?


最近自分にあったことから思うことは
経験をどんなにつんでも、自分の根底にある何ものかに
響くできごとが起こらない限り
経験はいきてこないのではないか?
ということだ。
自分の精神の基底となるものを
覆すような捉え方を自分自身がしない限り
経験がいきる、ということはないように思える。
いかな経験をたくさん積んでも
ものごとに「慣れる」ということと
ものごとを理解するということは違うと思うのだ。

年をとると(自分はまだ若輩者だが)
「わたしの経験からすると…」ということを
とかく言いがちだが
それはものごとの本質を知っているということではなく
ものごとに「慣れている」に
過ぎないのではないかと思う。

どんなに経験を積んでも
自らの本質を省みるくらいの真摯さがなければ
その経験は「対処法」の羅列に過ぎないだろう。
また、若くてもその場しのぎのごまかしで
過ぎようとすれば、相手にただ稚拙な印象だけを
与えることになるだろう。

いろいろコミュニケーションの手段が複雑に
なってきた時代だが
人は人のなかで生きるのであって
自分ひとりで自分を鍛錬しようと思っても
無理なのである。
人の中で自分を磨いていくということが
どんなに大切なことなのかに
いまさらながら思い至る今日この頃だ。