TRAD HOUSE FUKIYAのTea Time

トラッドショップ店長の気ままなブログhttp://www.fukiya-aizu.com/

>変転する消費者物価の認識(小峰隆夫氏)

2007年10月13日 04時01分20秒 | 社会
インフレが良いかデフレが良いか、色んな意見があります。

>以下抜粋

>変転する消費者物価の認識(小峰隆夫氏)

小峰隆夫・法政大学大学院政策科学研究科教授
 言うまでもなく「物価の安定」は経済政策の最も重要な政策目標の1つである。その指標となるのが消費者物価の上昇率である。この消費者物価に代表される物価をどう認識し、どう位置づけるかという点は、物価政策、経済政策との関係で、いくつかの変転を繰り返してきた。ざっと振り返ってみよう。


狂乱物価から内外価格差是正へ


 第1段階は、1980年代前半までの、「インフレ抑制の指標として消費者物価を考える」という時期である。特に有名なのは、73年10月の第1次石油危機後のいわゆる「狂乱物価」の時期である。石油価格の上昇を契機として消費者物価は大幅に上昇し、その上昇率は、73年11.4%(生鮮食品を除く総合、以下同じ)、74年22.5%、75年11.9%に達した。当時の首相、田中角栄氏に請われて経済政策のかじ取り役となったのが、今回首相となった福田康夫氏の父親、福田赳夫氏であった。福田赳夫氏は「全治3年」という有名な言葉を残して、インフレの沈静化に努めた。これによって、インフレの恐ろしさは国民全体の共通認識となり、以後、インフレ抑制が物価政策の大目標として位置づけられることになる。


 第2段階は、80年代後半以降の内外格差の是正を中心とする時期である。80年代後半(86~89年)の消費者物価上昇率は平均1.3%という安定ぶりだった。これは、85年のプラザ合意以降の円レート急騰に伴い、輸入物価が低下したことによる。その半面で円高は、相対的に海外の物価水準を低下させ、内外価格差が拡大した。宮沢喜一内閣が「国民生活大国構想」を掲げていたこともあり、当時は「日本の物価が割高であることが、生活水準を低くしている」「物流、電力などの日本の高コスト体質が企業の競争力を低下させている」という議論が支配的であり、これを是正することが物価政策の目標となった。つまり物価の上昇を抑えるだけでなく、さらに「物価を下げること」が良いことだという認識となっていったのである。


 この「内外価格差是正論」は怪しい議論だというのが私の考えである。例えば、近年では円安の進行で内外価格差はかなり解消しているのだが、だからといって国民生活が豊かになったとは言えない。もともと内外価格差と生活水準は別の話なのである。この点は本論の本題ではないので、これ以上は繰り返さないが、この考え方があったため、「物価が下がること(デフレ)もまた問題である」という意識が生まれにくかったことだけを指摘しておこう。


 その後、物価にはデフレの萌芽(ほうが)とも言える状態が現れてくる。当時の議論として私自身が記憶するのは94年の経済白書である。当時物価の上昇率は次第に低下しつつあり、93年の消費者物価上昇率は0.8%、94年はついにゼロとなった。私自身が執筆責任課長だったこの時の白書ではこれを「ディスインフレーション」ととらえて、それが経済的にも問題をもたらしている可能性を指摘しようとした。結果的には関係部局の強い反対もあって、「物価は経済を移す鏡」という中途半端な表現にとどまった。


デフレ論とその後


 そして2000年頃を境に、物価認識は第3段階に入る。この時期には、経済の停滞が長引く中で、物価が下落するというデフレこそが停滞の真犯人だと認識されるようになった。消費者物価は「下落することが問題」という観点から大きな注目を浴びるようになった。

続きはこちら
http://bizplus.nikkei.co.jp/keiki/body.cfm?i=20071005kk000kk&p=1