バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

礼に始まり礼に終わる~礼節…2 012

2012-06-11 06:04:29 | やっぱりミニバス!
平成24年6月11日 月曜日
 
「礼に始まり礼に終わる~礼節…2012」


『とかく近頃の若い衆は礼儀を知らん!』とは…まさに

いつの時代においても年配者のセリフでしょう。


ところで、その礼の根っこにあるのが『礼節(レイセツ)』だと思うのですが、

この礼節とは、何なのでしょうか?


「礼」と「礼節」…何が違うのでしょうか?
日本人はみんな、所作(ショサ)としての「おじぎ」をします。

漢字では「お辞儀」と書きます。

これは、頭を下げて「礼」をすることです。

ここでいう「礼」とは、相手を認め、自分を謙遜する…という心を形にしたものです。

この「礼」を相手と出会った時に、

そのちょうど良い時期(時宜:ジギ)に、場所と場合に応じた所作を行えるように、

いつも、わきまえておく事が「節」だと言います。

人は、相手を敬い、自分を謙遜する「礼」と、

その礼を行う時期、場所、所作という「節」を知り、

礼節を行えることで、一人前の大人になると思います。


みなさん、子供の頃に思いませんでしたか?

まわりの大人達が、正月やお盆などの時にそれぞれ出会ったときに、

お辞儀をして挨拶している姿を見て、何か…いつもの父や母とは違う偉さを感じたことを、

この大人達の所作を見て、子供達は、それを真似て、学び、「礼節」を身につけていくものでした。

「お辞儀」が、この「礼節」の形です。

日本人はみんな、「おじぎ」をします。

その有りようは、心を澄まし、姿を正し、静かに腰を曲げ、頭を下げます。

その形に込めた心は、相手を敬い、相手の状態に配慮し、相手を気遣い、相手を心配し…

その状況と場所に気を配り、それに応じた「礼」という行動ができること。

そして「礼」という行動には、必ず言葉が伴います。

その状況と場所に応じた言葉です。

それは発するものもあれば、「黙礼」といって、

神仏などに対して、心に念じるものもありますが…、

人に対して行う「礼」は、必ず、その心を表す言葉を発することが大事だと思います。

これが「礼節」を知るということでしょう。

そして今の世の中…というと、また説教をたれるオヤジみたいですが、

あのQちゃんこと、高橋尚子選手を育てた小出義雄さんが、

「挨拶といっても、黙礼だけの挨拶では意味がない。ちゃんと顔を上げて、頭を下げて声を出すことが肝心なのだ。」…と言われています。


黙礼は神仏などに対して畏怖の念をもって、敬い、頭を下げて心に念じて祈願することです。

もうひとつ「目礼」というのがあります。

これは、目で簡単なあいさつや、会釈(エシャク)をすることです。

会釈はかるく頭を下げることです。

これは「礼節」に則(ノット)れば、「礼」ではないでしょう。


さて、今の世の中、人に対する礼が、誤った意味の「黙礼」であったり、「目礼」であったりすることが多すぎると思うのですが、

「礼」にはじまり、「礼」に終わる。


日本という、精神性を重んじる文化では、それは、当然の美徳でした。

この「礼節」によって…日本という社会が欧米とは違う、人間関係を節度あるものにしていると思うのです。