バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

追伸~仲間であること…2012

2012-06-07 05:06:06 | やっぱりミニバス!
平成24年6月7日 木曜日
 
「追伸~仲間であること…2012」



チーム一丸になる…ということは難しいことだと思います。

チームが勝つ喜び、負ける悔しさはメンバーとして共有することは出来ますが…

個人としては、誰もがコートに立ちたいのは当たり前の気持ちです。

そのために、まず頑張るのでしょう。

そして、そのひとつの区切りとして、ベンチメンバーが選ばれ、ユニフォームが渡される瞬間がある。

選ばれた者と、選ばれなかった者…それを優越感と劣等感という感情ではなく、

選ばれた安堵感、選ばれなかった悔しさという思いに出来る心を作ることが、指導する者の務めだと思います。

優越感と劣等感は、自分と仲間を比べる心から生まれます。

それはチーム一丸にはなれない感情です。

安堵感と悔しさは、自分に対する思いです。

頑張ったから選ばれた…

頑張ったけれど選ばれなかった…

選ばれた者と選ばれなかった者が、チームの目的を共有し、

それぞれに相手を尊重して、チームの目的に向かって頑張るという気持ちを持てること、

互いの気持ちをひとつにして…仲間のために頑張る心が、チームを一丸にする。

そんなチームであって欲しいと願い、

そんなチームにすることが、指導する者の務めだと思います。

仲間であること…2012

2012-06-07 02:17:27 | やっぱりミニバス!
平成24年6月7日 木曜日
 
「仲間であること…2012」


「仲間」と「仲良し」は違うものです。

「仲間」とは、ともに事にあたる人達の集まり、

同じ目的を持って行動する人達の集まり…を言うと思います。


「仲良し」とは、仲がよいこと。そのような間柄の人。その程度によって友人から親友までの間柄があります。

スポーツにおける、チームを構成する人達は、明らかに「仲間」です。

仲間は、目的を共有します。仲間が馴れ合いになると、それは仲間ではないでしょう。

目的を目指すための行動は楽なものではないはずです。

苦しく、辛いものだから、仲間と一緒ならば、その山のような障害も乗り越えられるのです。

私は、ミニバスの子供達に語ったことがあります。

「君達が水泳ができるとして…

ひとりで広い海原を、10km・8時間を泳ぐことができるでしょうか?」

「この間、休憩も、食事(ニギリメシ)も、汚い話しですが、トイレもしますが、

すべて海に漂いながら行います。」

「これが昔から日本で行われている、遠泳と言われるものです。」

子供達は異口同音に…「無理!、絶対に無理!」と言います。

私は言います。
「そうだね。ひとりでは無理だろうね。」

「でも、それが仲間と一緒ならやれるんだよ。」

「コーチも若いときに仲間と一緒に、10km遠泳をやりきったからね。」


「出来ないと思っていたことが、同じ目的を持つ仲間となら出来たんだよ。」

「これはすごい感動なんだよ。」


この仲間は、同じ目的を共有し、それに向かって、同じ程度の強い想いを持っていなければなりません。

そこが、仲間であり続けることの難しさなのでしょう。

仲間も、同じ目的を達成したいと想う…「個」の集まりなのです。

その「個」の想いが、集まった者達ですから、一枚岩になれるかというと…必ずしもそうではないのです。

「仲間」は、「仲良し」グループではありませんから…

「仲間」の間で、競争があるのです。

チームの仲間としては、チームの目的を達成したい、

それは「個」だけでは達成できないから、「仲間」で達成する。

しかし、その目的を達成するために、チームの代表としてプレーできるのは、

チームの全力が発揮できる、仲間の中から選ばれた者なのです。

ここに、仲間の間で嫉妬や、羨望や、諦めが生まれ、

ややもすると、人としての醜い面…、

仲間を陥れたり、騙したりする事をやってしまう場合があるのです。

それは人が人として持つ、消すことのできない性(サガ)なのだと思うのです。

逆に、そのような性を…ひとかけらも想うことがない者などいないと思うのです。

それを行動にするか、しないかの差であって、

誰でも一瞬ですが、心の中に頭をもたげる想いなのでしょう。

私が間違っているかもしれません。

しかし、人は選ばれたことによる優越感…

人は選ばれなかったことによる劣等感を感情として発露するはずです。

それを抑えて、チームのことを考え、仲間の想いに心を重ねることが出来る「個」であることは、とても難しいことだと思います。

選ばれるための努力、選ばれた者の責任、チームを支える仲間への思いやり、選ばれた者に委ねる心、

だから、「仲間」は「仲良し」ではないのです。

同じ辛さ、苦しさを共に乗り越えてきた仲間でありながらも、

「個」としての葛藤を思い知るのです。

自分が選ばれるために行う努力は、克己です。

自分が選ばれるために行う、仲間を陥れたり、騙したりすることは、独善です。


「仲間と自分を比べるから、独善たろうとする醜い心が生まれるのです。

昨日の自分と今日の自分を比べて、明日の自分を成長させようとする心が…克己なのです。」

克己の心を持った、「個」の集まりの、「仲間」であることが、チーム力を最大にしてくれます。

そして、「仲間」として歩んだ日々が…、一生のものとして心に刻まれ、

その「仲間」が…一生の財産になるのです。

そういう「仲間」の心を育むのも、指導者たる者の責任だと思っています。