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【アニメ】シンデレラガールズのお話

2015-08-29 | アニメ

[TVアニメ シンデレラガールズ 公式サイト]
http://imas-cinderella.com/


  • まずは、そう、20話の話をしよう

 アニメ『シンデレラガールズ』の20話。つまらなかったなあ。もっと言ってしまうと、なんだかもやもやした。不愉快、まではいかないんだけど、なんていうかこう、20数分間ずっと納得のいかない話を一方的に聞かされ続けているような、すっきりしない気分を味わってしまった。正直、二期はこんな物語ばかりだ。

 20話をザックリまとめると、我らがCPの〝敵役〟である美城常務の立ちあげたプロジェクトが本格的に動きはじめ、なんとそちらのプロジェクトに渋谷凜とアーニャの二人が引き抜きをかけられる、という内容だった。皆さんご存じの通り、凜はNG、アーニャはLLというユニットに所属しているため、彼女たちは〝仲間〟たちを裏切ることはできないと最初は美城常務に反発する。しかし、美城常務は(作中ではサッパリ描写されていないけれど)とても有能なので、凜もアーニャも、美城常務の提案に魅力を感じてしまうのである。すったもんだの末、凜もアーニャも美城常務のプロジェクトに参加することを決意するのだが、その結論に至るまでの流れを描いたのが20話の内容だった。

 まあ、詳しくは実際の映像を見て確認してみてください。

  • 最初に結論を書くのは文章の鉄則

 かどうかは知らないけど、まず最初に結論から書いてしまうことにする。

 ぶっちゃけCP(シンデレラ・プロジェクト)という括りは必要なかったと思う

 これはもう、アニメが始まった時点からぼんやり考えていたことで、一期がそれなりに綺麗にまとまっていたおかげで薄れていたんだけど、二期の内容を見て「ああ、やっぱりCP要らねえわ」と思ってしまったっつー話。

 誤解を恐れずに言うと、CPの14人はアニメのスタッフから押しつけられたメンバーなのだ。この14人の中に推しキャラがいるかいないか、推しキャラがいるのは嬉しいか嬉しくないか、推しキャラが含まれていなくて良かったと思ったか思わないか。観る側の立場によって、色んな意見があると思うけど、大前提としてCPの14人は僕たち視聴者が選んだわけではなく、何らかの思惑をもってアニメのスタッフが決めたメンバーでしかない。

 これはアニメ『シンデレラガールズ』の原作でもあるmobageの『アイドルマスターシンデレラガールズ』、いわゆる『デレマス(モバマス)』の仕組みとは真っ向から対立している。何故なら、ゲームの『デレマス』には決まった主人公なんて存在しない。メインキャラとしての枠組みを与えられたCuの島村卯月、Coの渋谷凜、Paの本田未央という三人はいるけれど、プレイヤーは彼女たちをプロデュースする必要はない。初期からいる押忍にゃんのプロデューサーになる人もいれば、棟方師匠と一緒にお山のてっぺんを目指す人もいる。好きなアイドルのプロデューサーになれるという一点は『デレマス』の最大の利点であり、アニメの『シンデレラガールズ』と一線を画す要素である(つっても大層なゲームシステムがあるわけじゃないですからね)。

 もちろん僕は、だからアニメはダメだ、と言いたいわけではない。
 ゲーム『デレマス』の200人に及ぶキャラクター全てを登場させるなどという暴挙に出たらそのほうが愚かな判断だろうし、限られた尺の中でしっかりとした物語を作るためにはメインキャラクターを絞ったほうが良い。というか、そうするしかない。それはちゃんと理解している。

 じゃあ、何が問題かって、

  • CPの存在意義が分からん

 これに尽きる。

 正直、最初はよかった。
 アイドルになりたいという一途な想いを持った卯月に導かれるようにしてスカウトを受ける凜。その二人がまず未央と出会い、それから他の11人のメンバーと出会い、皆で一緒にアイドルとして成長していく。ゲーム『デレマス』のときは考えられなかった組み合わせで新ユニットが打ち出され、毎週ユニットのCDが発売される。リアルの流れとアニメの流れがリンクして、僕たちファンを巻き込んで『シンデレラガールズ』は新しいステージへと駆けだした。ワクワクした。中にはちょっと強引な展開もあったけど、それもこれも途中経過と思えば大した問題ではなかった。

 そうした物語は、サマーフェスの成功をもって一つの節目を迎える。初ライブでファンが少ないとキレた未央は、きちんとファンが少ないことには理由があると納得し、癇癪を起こしたりはしなくなった。プロデューサーも過去の出来事のせいでアイドルと事務的な関係になっていたという壁を乗り越え、プロジェクト発足のころよりも意思疎通ができるようになった。CPというグループも、一人一人が少なからず成長し、新田さんを中心にしてまとまり、(多少強引ではあったが)「この14人で頑張ろう。頑張っていこう」というモチベーションを打ち出して、綺麗に一期の幕引きをした。

 ところが、である。

 二期になり、暗雲が立ちこめる。たしかに、分かりやすい〝敵役〟として美城常務が登場し、彼女というハードルが現れたことで、物語がシリアス寄りになったという要因はあるにはある。しかし実はそれは大した問題ではないのだ。
 二期はキャラクターを掘り下げるためか、ユニット単位での絡みが増えた。そして、そうしたユニット単位の絡みに、「ゲームのデレマスで人気はあるけど、CPから外れたキャラクター」たちを加えるというのが基本構造になっていた。
 それが面白かったかどうかという話は、ここでは触れないでおく。問題なのは、二期で描かれる展開の中で、「CPという集団でなければならないこと」、「CPというグループである必然性」が思いっきりボヤけてしまったということだ。

 一期の終盤で(半ば無理矢理)リーダーとしてのキャラ付けを施された新田さんは、二期になり、まるでモブキャラのように毎回アーニャと隣り合ってメンバーと二言三言、言葉を交わすだけの存在になった。
 何かとCP内のエピソードに首を突っ込んでいたみくは、出番こそ多いものの、あくまでもそれは本人のキャラクターの掘り下げにしかなっておらず、CP内での立ち位置というのは一期から全く変化がなかった。
 NGは主人公格だったとは思えないほど、19話までの出番は限られていたし、蘭子に至ってはほとんど画面に映ることさえなくなってしまった。
 杏ときらりは物わかりのよさで、みりあと莉嘉は持ち前の無邪気さで視聴者からの好感度アップはできても、一期のころから押し進めたCP内での関係が描写されることはなかった。
 二期におけるCPのメンバーは、一期からさほど進展しない関係を抱えたまま、話数ばかりが積み重なっていくことになる。

 ひょっとして、アニメのスタッフは一期のサマーフェスを経たことで、CPのメンバーたちの結束は揺るぎないものになったと定義できたと思っているのだろうか。
 いや、二期の描写の薄さを見るに、おそらくそうなのだろう。CPというグループに対する描写が少ないのは、手抜きをしているわけでも、ど忘れしたわけでもなく、「これで十分」とスタッフが考えているからなのだと思う。
 それに対して、僕は全力で「そんなわけないだろう」と言わせて頂く。そもそも一期の合宿からサマーフェスに繋がる流れからして強引だと感じたのだ。メンバーの結束を深めるという最重要事項をあんなふうにあっさり描写されたら、これはこの先にも更なる描写があるに違いないと感じるのが当たり前だろう。

 最初に書いたように、CPというのは、元々がアニメスタッフの押しつけにすぎない。言うなれば「このメンバー中心でやっていきますよ」という決意表明でしかない。
 なればこそ、どうしてCPの14人でなければならなかったのかという理由付け、必然性の提示は、そのメンバーを選んだアニメスタッフにやってもらわないとどうしようもないのだ。それを軽視されたら、CPというポッと出のグループを僕ら視聴者はどういうふうに扱っていいのか分からなくなってしまう。
 身も蓋もない例えを挙げさせてもらうと、(アニメで描写される限りにおいて)智絵理やかな子が「アイドルになりたい」と思っているようには見えないんだよ。一期のあれこれを経て成長したということにして進めるのかな、と思った挙げ句の江戸切子でしょう。あのエピソードを見て、「ああ、この子たちはアイドルになりたいんだな」、「アイドルとして活動したいんだな」というふうに感じられる視聴者が果たしてどれだけいるだろうか?

 ぶっちゃけ、アレを見た視聴者に「じゃあアイドル辞めちゃえばいいんじゃない?」と思わせてしまったら、その時点で物語が破綻してしまうのである。
 だって『デレマス』にはめっちゃいっぱいキャラがいるんだもの。もっと強い気持ちでアイドルになりたいって思ってるキャラは沢山いるんだもの。他に適任者はいくらでもいるんだから、その子たちを連れてこいと言いたくなるのはしょうがないことだろう。
 武内PはCPのメンバーたちの「どうして自分をスカウトしたのか?」という問いに対して「笑顔です」と答えていたが、『デレマス』のアイドルは皆笑顔が素晴らしいのだから、あの14人である理由としては弱すぎる。百歩譲って武内Pとしての回答はそれでよくても、アニメスタッフはCPの14人を選んだ理由、あの14人でなければならない理由をキチンと説明してもらいたかった。そこだけは絶対に「大人の事情」という理由に逃げてはいけないはずだ。

 僕はなにもCPのアンチになろうというのではない。CPのメンバーを中心にする、メインキャラクターにするというなら、作り手はキチンとそこに軸を置いた物語を作ってもらいたいというだけだ。自分で選んだんだから自分で責任取ってくださいよ、ということである
 20話までの展開を見る限りでは、また終盤にいきなり仲間の絆を強調されてお茶を濁されるんだろうなあ、というふうにしか思えないのが辛い。

  • アニメスタッフは美城常務をどうしたいんだよw

 そもそもCPのキャラクターたちは「みんなで一丸となって、美城常務に立ち向かおう!」とは言うものの、美城常務のことが僕たち視聴者にはよく分からない。性格や主義主張は、これまでの物語を見て察することはできるにせよ、実際にそれがどういうふうに受け止められているのかというのは、もっと分かりやすく提示すべきだった。

 だってさ、これまで美城常務って〝悪〟だったじゃん。お目当てのアイドルを誘ったはいいけどブっちされてたじゃん。CPのメンバーの元に、反美城常務みたいにして集まってたじゃん。

 これだけが、僕たち、いや、CP目線で分かる美城常務の人となりだ。作中では「美城常務の言うことにも一利ある」みたいな描写は、20話を除いて一切存在しない。会社における偉い人だからデカイプロジェクトを立ちあげる権限があるものの、アイドルの意向を無視した売り方を強要する、というように、権限を持っている以外にはなにもポジティブな要素のない人間として描かれていた。
 なのに、凜とアーニャは提案を受け容れちゃうんだ……悪の手先に成り下がっちゃうんだ……というのは、多くの視聴者が感じるところだと思う。いや、脚本にそういう意図がないのは分かる。理解できる。ただ、理解できるだけに「それ表現できてねーだろ」と感じてしまうんだよね。
 楓さんと美城常務の考えは本当にすり合わせすら不可能なのか? ウサミンはキャラ付けがなければ価値がないのか? なつきちたちだって活動を続けていけば譲歩する余地ができたかもしれないのに頭ごなしに突っぱねたのは、それが〝正しい〟ことだったからじゃないのか?
 そういったこれまでの展開をすべてぶっ飛ばし、ちゃぶ台をひっくり返して、凜はTPの曲を聞いて一緒に歌っただけ、アーニャはメンバーと言葉を交わしただけで、新たな挑戦という〝正しい〟動機を手に入れてしまった。

 こんなのは、いきなりハシゴを外されたに等しい。

  • 自分のケツは自分で拭け

 個人的な感想を言うなら、僕はNGよりTPが好きだし、アーニャはソロで活動しているほうがしっくりくるので、美城常務の提案を受け容れたことに違和感はない。ただし、これは上に書いたように、僕自身が、そもそもCPというものの存在意義を疑問視しているからに他ならない。
 つまり、アニメのスタッフが提示するCPに必然性を感じないがゆえ、アニメのスタッフが提示するCP内部の問題に興味が持てないという、否定により肯定するというちぐはぐな状態になっているのである。

 ていうかさ、CP自体が思いっきりゴリ推しなのに、CPの存続を物語の中心に持ってきちゃうのは愚策だよね

 少なくとも僕は、卯月や凜、未央をはじめとしたCPのメンバーが、CPという括りなんてなくても輝けるのを知っている。杏やきらりは言うまでもなく、智絵理もかな子も、新田さんもアーニャも、みりあも莉嘉も、みくやだりーも、蘭子だって、ユニットなんて組まなくても魅力的なキャラクターなのは変わりないのだ。彼女たちにとっては、むしろCPという括りが足かせになっているんじゃないかという気すらしてしまう。
 そんな残酷な事実があるにも関わらず、一向にCPの存在意義を掘り下げるようなエピソードは描かれない。合宿をやって、ライブをやって、それで全ての問題は解決したかのように見せかける。
 CPとしての活動がどういうものなのかハッキリしないまま、闇雲に美城常務への反発だけを描写したかと思えば、メンバーの一部がそちらのプロジェクトに移動するという結果だけを見せつけられる。
 正直コレ、つまんないッス。

 長くなったのでそろそろまとめるが、言いたいことは一つだけ。
 アニメのスタッフは、時計の針が何時を指してるとか、そういう細かいところに凝るより先に、キャラクターの描写に気を配って欲しかった。
 昨今のサブカルにおいて、あれもこれも説明しすぎる、説明を求めすぎるという風潮が根付いているのは理解した上で言わせてもらう。

 「行間を読ませる」演出のつもりで、「妄想を求める」レベルの描写不足を許容するのはやめてください。

 アニメ『シンデレラガールズ』は、明らかに描写不足です。


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