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【SS】秋の目覚め

2010-02-02 | インポート

 暖かい。

 降下し始めた気温は留まるところを知らず、ここのところはすっきり冬の色合いが濃くなっていた。
 たとえ日中が過ごしやすい気候であっても、朝夕の冷え込みは厳しい。 晴れた次の日の朝は特に寒くて、このときばかりは地球温暖化なんて言葉が空々しく聞こえたりする。
 長い夏が終わり、秋をあっという間に飛び越えて冬がやってくるとばかり思っていたのに。つい先日引っ張り出してきた毛布にくるまって、「布団の恋しい季節になったなあ」なんて思っていたのに。 
 今朝の目覚めは、暖かくて、穏やかで、柔らかかった。

 ――――柔らかいって何だ?

 跳ね起きる。
「あ、おはよう。たかあき」
 恋しい毛布の下から、しれっとした顔で現れたのは、
「み、み、み、」
「? どうしたの、そんな顔して」
 赤茶色の長髪を無造作にかきあげて、こちらを見つめているのは、
「ミルファ!?」
 見間違えるはずもない日常の象徴が、あられもない姿で俺の隣――ベッドの上に横たわっている。
 一瞬で頭の中が沸騰した。
「ど、ど」
 どうしたの、というのは俺の台詞のはず。
 俺の台詞のはずだが、舌が上手く回らない。
 何を言うべきなのか分からない。
 ミルファは目を丸くして固まる俺を見て、おかしそうに目を細めると、
「メンテナンスが終わったから、昨夜のうちに戻ってきたんだよ?」
 そうだ。
 ミルファは少し前からうちを空けていた。
 季節の変わり目に大がかりなメンテナンスをするとかで、今回は一週間くらいかかると話していた気がする。
 ほんの少しの開放感と引きかえに、口に出したら耐えられなくなりそうな寂しさを胸に抱えた数日間。
 それが終わったから、ミルファは戻ってきたのか。
 だったら、
「……お、おかえり」
 何はともあれ、これを言わなければ始まらない。
 戸惑いを必死に抑え込んで、お決まりの台詞を口にした。
「ただいま」
 花の咲いたような笑顔を浮かべ、ミルファが応えてくれる。
 ミルファの笑みは、相手を安心させる笑みだ。
 だが、今日ばかりはそれで鼓動が落ち着くことはなく、俺の心臓は激しく暴れ続けている。
「ここ、俺の、部屋、ですよね」
「うん」
 カタコトで話す俺とは裏腹に、ミルファの返事は明快だ。
「どうして、ミルファさんは、ここに、いるんでしょうか」
「どうして敬語なの? たかあきちょっとヘン」
 ヘン?
 ヘンなのは俺ではない。
 ここは俺の部屋で、これは俺のベッドなんだから、そこに俺がいるのはヘンではない、はずだ。
「早くたかあきに会いたかったのに、帰ってきたら寝ちゃってるし……」
 だからむしろおかしいのは、こんなところにいるミルファであり、
「寝顔を見にきたら、布団から脱ぎ出てたよ?」
 上半身にワイシャツ一枚だけを羽織り、ボタンを全開にしている格好は明らかに不自然であり、
「身体が冷えてたから、あっためてあげようと思ったの」
 そんな風に上目遣いでにじり寄ってこられたらどうしようもないのであって、
「どう? あったかかった?」
 ――それだけじゃなくて柔らかかった。
「ち、ちょ、ちょっと待った!」
 茹で上がった頭を冷やす時間が必要だ。
 本能が告げるのだ。
 このまま状況に流されたら不幸な結末が待っている、と。
 ガチガチになった全身を死に物狂いで捻り、とりあえずベッドの上から逃げ出
「逃がしませ……じゃなくて、逃がさないわよ、たかあき」
「うひゃあ」
 情けない声が出たのを、どこか遠くで聞いたような気がした。
 それが自分の口から漏れたものだと理解したときにはもう遅い。
 ベッドにうつ伏せに押し倒された俺の上に、ミルファが密着したまま乗っかっている。
 背中に何だかものすごい感触が押し当てられていて、もはや正常な思考など働きそうにない。
「あの、たの、頼むから、離れて、」
「せっかく久しぶりに会えたのに、たかあき冷たい……」
 離れるどころか、ますます強い力で背中から抱きしめられる。
 それでも距離はゼロ以上に縮まらないのであって、余剰分は柔らかさに変換されて伝わるのだ。
 抗い難い布団の魔力を、そのまま人肌に置き換えたような凶悪な攻撃だった。
「が、学校、学校いかないと、」
「ふふ、今日は日曜日だよ?」
「あ、あさ、朝は早く起きて顔を洗わな、」
「あとでいいよ、そんなの」
 説得を試みるが逆効果にしかならない。
 ミルファが答えるたびに、耳元に熱っぽい吐息が当たるせいで、何がなんだか分からない。
「どうして逃げるの?」
 徐々に頭がぼうっとしてくる。
「たかあきは……イヤ?」
 嫌なのだろうか。嫌ではない。
 ――じゃあ、どうして俺は逃げようとしているんだろう。
「……もうっ」
 ミルファの身体が離れたと思ったのも束の間。
 うつ伏せだった俺は、あっという間にひっくり返されて、今度はあお向けにされてしまう。
「ね、たかあき?」
 ちょこんと首を傾げながら、ミルファが腹の上にまたがった。
 膝立ちで、ふとももで俺のわき腹を押さえて、
「……これ、たかあきのために増やしてもらったんだよ?」
 両手でワイシャツを観音開きにして、ミルファは妖艶な笑みを浮かべ、
「見て」
 見た。
 脱衣所で誤って見てしまったことはある。
 それでも、こんな至近距離で見たことは一度もなかった。
 それなのに、俺は見てしまった。
 初めて見た。
 もうワケが分からない。
「どうして、こんなこと」
 こんなことを、するのか。
 ミルファは一体どうしてしまったのか。
 何もかもが分からない中で、ゆっくりと近づいてくるミルファの唇から目をそむけることができない。
「――たかあきが、好きだからだよ」
 甘ったるいジュースを直接動脈に流し込んだような声。
 ああ、それならいいのかなあ、なんて諦めにも似たことを考えて、すべてを委ねようとしたとき、
 ずしん、と地響きがした。
 目前にあったミルファの瞳が驚きで丸くなる。
「じ、地震!?」
 一気に酔いが醒めた。
 最近はよく地震がある。それと比べてもこれは結構大きい。だが、
「……意外と早かったですね」
 俺にまたがったままのミルファは、そう呟いて顔を離すと、腕組みをしてため息を漏らす。
「み、ミルファ。揺れがおさまるまで、危ないから」
「大丈夫ですよ」
「……だ、だいじょうぶって……、ミルファ……?」
 見下ろすミルファからは、先ほどまでの妖艶さが消え失せていた。
 爽やかさすら感じさせる笑みには、しかしそこはかとない策謀の色が見える。
 というか、喋り方が、おかしい、ような。
「あれは地震ではありませんから」
「地震じゃない……?」
 ミルファの言葉を示すかのように、地響きが速やかにこちらに移動してくる――移動って何だ!?
 家の前までやってきた地響きは、間隔をおかずに玄関から入り込み、そのまま階段を駆け上がってきたかと思うと、
「姉さん……!!」
 怨嗟の篭った唸り声をあげながら、恐ろしい形相をしたイルファさんが部屋に飛び込んできた。
「――――――」
 イルファさんがドアを開けた体勢のまま固まる。
 俺と、俺の上でマウントポジションを取ったミルファを視界に収め、
「……なに、してるの?」
 発射が一秒後に迫った拳銃に指を突っ込んだ雰囲気がひしひしと伝わってくる。つまり暴発寸前。
 だというのに、
「貴明さんに迫ってました」
 ミルファがあっさりと引き金を引く。
 引いてしまう。
 ――って。
「たかあき、さん?」
 呆けた声が出た。
 ミルファはいつも俺を「貴明」と呼ぶはずで、だけどまたがっているミルファは「貴明さん」と呼んだ。
 ミルファはわざとらしく肩をすくめ、
「再起動まで、あと一時間はかかると思ったんですけどね。やっぱり来栖川の技術者様たちは優秀です」
 ますますワケの分からないことを口にする。
 再起動? 一時間? 来栖川?
 まったく理解の追いつかない俺を置き去りにして、イルファさんが歩み寄ってくる。
 一歩ずつ。
 威圧感のある足取りで。
 行き過ぎた感情というのは、そうそう表に表れないものであって、
「……一時間あったら、なにをしてたの?」
 もはや怒りを通り越した無表情のイルファさんに向かってミルファは、
「そうですね。貴明さんとの既成事実を作っていたのではないかと」
 本当に妹思いの姉ですね、とうそぶきながら笑みを浮かべた。
「ひっ、」
 イルファさんは思い切り息を吸い込むと、
「人の身体で勝手なことするな――――――――――――――――――!!!!!」
 家を揺るがす大音量の叫びをあげる。
 屋根が吹き飛んでもおかしくないくらいの、とんでもない声だった。
 感情の爆発というのは、きっとこういうことを言うのだろう。
 というか、これはひょっとして――
 閃くものがあった。
 性格が変わったかのようなミルファと、やけに威勢のいいイルファさん。
 この二人を見比べれば、答えは自ずと明らかになる。
「は、早く服を着てよ姉さん! た、貴明の前でそんなかっこ、」
 俺が内心で頷くのを知ってか知らずか、『イルファさん』は、慌てた素振りで『ミルファ』のワイシャツに手を伸ばし、
いそいそとボタンを付け始めた。
 トリックが分かってしまえばこっちのものと、見上げた先には『ミルファ』の顔がある。
 嫌な予感がした。
 視線の先の『ミルファ』は、にやりと形容するにはあまりにも優雅な笑みを見せて、
「もう隠しても手遅れだと思いますよ」
 あっさりと、最後の言葉を口にする。
 ボタンをとめていた『イルファさん』の手が止まる。『イルファさん』がギチギチと俺の方に顔を向け、
「……貴明」
 唾を呑み込む。
「……見た?」
 短く問うた『イルファさん』は、真剣な眼差しで俺を見つめている。
 真剣な問いには、真剣に答えるべきだと思った。
 だから俺は、真剣に、
「見た」
 頷いた。
 『イルファさん』は俺の答えを噛み締めるように、ふっと目を伏せ、
「貴明のえっち――――――――――――――――――!!!!!」
 一瞬の後、『ミルファ』のワイシャツから外した右手を振り下ろした。
 景気のいい音が響いて、色鮮やかな花が咲く。
 俺の左頬に咲いたのは秋の代表花。
 モミジだった。

 その後、珊瑚ちゃんからの電話で、メンテナンス中のトラブルでボディを間違えたという話を聞いて。
 絶対に研究室の誰かが面白がってわざとやったに違いないと。
 そんなことを、顔を真っ赤にしたミルファと話したりするのであるが――
 それは、また別の話である。


END


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