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サブカルとサッカーの話題っぽい

【SS】ユメジャナイセカイ

2013-01-04 | 二次創作・その他SS

「――学校に幽霊が出る、だあ?」

 呆れの成分が色濃く含まれた口調でクラインが言った。
 予想できた反応を目の当たりにし、無言で肩をすくめてみせる。
 クラインは赤みがかった茶髪に派手なバンダナ、そのうえしょぼくれた無精髭という、いかにも軽薄そうな外見だが、これでいて俺なんかよりよっぽどリアリストなのだ。腐っても社会人の端くれ、ということなのだろう。
「おいキリトよ。おめえ今、失礼なこと考えなかったか」
 そして、これでいて意外とカンが鋭い。
 しかしながら、同性の友人に見透かされたことを言われるのは冗談抜きでキモイので無視しておく。ホモホモしいのはノーサンキューだ。
「幽霊……か」
 カウンターを挟んで反対側にいたエギルがぽつりと呟く。他に客がいないこともあってか、エギルは俺たちにつきっきりになっていた。
 俺たちにとってリアルのたまり場になって久しい《ダイシー・カフェ》には、俺こと桐ヶ谷和人と、クライン、エギルという男臭いメンバーが集結している。
「なんだなんだ、やけに深刻そうな口ぶりじゃねえか。夢見がちなキリトならともかく、まさかエギルまで幽霊話を真に受けたんじゃないだろうな?」
「おい、誰が夢見がちだ。さりげなく人をディスるな」
 軽く肩を小突くと、クラインは「さっきの仕返しだっつーの」とにやけた顔で返してきた。そしてカウンターに乗ったグラスを傾け、中身のエールを喉に流し込みながら一言。
「VR技術の技術革新が起こってる時代に幽霊なんて非科学的なものが存在するとは思えねーけどな」
「……ま、たしかにそれは一理ある」
「だろ?」
「……だが」重々しい口調でエギルが合いの手を入れた。「だからこそ、と考えてるんじゃないのか、キリトは」
 どうやらエギルは俺の言いたいことを察してくれたらしい。グラスを拭く手を止めて、理解の光を宿した眼差しをこちらに向けている。
「どういうことだよ?」
「技術が発達したからこそ、幽霊騒ぎが起こる……いや、起こすことも容易になったってことさ。今なら手のひらサイズのガジェットを使うだけで、驚くほど精巧なホログラフを見せることだってできるからな。だからまあ、人為的に幽霊を演出することのハードルはむしろ下がってる。だからもし本当に幽霊を見たやつがいたとしても、誰かが意図したことならあまり不思議じゃない」
 ひと息。
「……問題なのはこの先なんだ」
 俺の雰囲気が変わったことを感じ取った二人は、黙って話の続きを促している。
「学校を徘徊する幽霊は。〝未帰還者〟の亡霊じゃないかって噂されてる」
「っ!? おま……それって……!」
「…………」
 驚きをあらわにするクラインと、俺が口にする台詞をある程度予測していたであろうエギルの反応は対照的だった。
 しかし、その内心に抱く想いは、おそらく大きく異なるものではないはずだ。
 なにせ俺が通う学校は、〝帰還者〟たちが集められた場所なのである。そんな場所で〝未帰還者〟絡みの噂が流れるなんていうのは、もはやそれ自体が悪夢のようなものだ。
 曰く、志半ばで息絶えた魂がうろついているとか。
 曰く、PKした相手に取り憑いて祟り殺そうとしているとか。
 悪い冗談としか思えない噂が一人歩きすることで、学校を休む生徒も増え始めている。
「ふざけやがって……!」
「悪趣味、だな」
 クラインとエギルが剣呑な雰囲気を放つ。
 同じ〝未帰還者〟だった者として。
 デスゲームを生き延びた者として。
 一人のプログラマーの暴走による犠牲者たちを面白おかしく噂話の種にするなんていうのは、あまりにも悪趣味だと俺も思う。
 ただ――
「……愉快犯の仕業かっていうと、そういうふうにも言い切れないんだよなァ」
 俺が頭を悩ませている理由がこれだった。
 悪意ある人間が、〝未帰還者〟の亡霊を騙って騒動を起こすというのであれば、話は簡単だ。特定の心ないやつが巻き起こす事件というのを、俺はリアルでもゲームでも嫌と言うほど目にしてきた。
 が、同じ学舎に通うやつらの中に、そこまで腐った人間がいるとは考えたくないというのもまた本音。何故なら、やつらも俺たちと同じデスゲームを生き延びた仲間なのだから。
 こんなもの単なる感傷と言われればそれまでだが、少なくとも学校の雰囲気を肌で感じる限り、悪ふざけをする〝犯人〟がいるようには思えない。そもそも、男も女も生徒たちはひとり残らず本気で亡霊の噂に脅えているように見える。
 ……ああ、いや。
 ひとり残らずってのは嘘だな。
「それで?」
 エギルが精悍な目つきで俺を見据えた。
「それで、って?」
「お前のことだ。俺らにわざわざ話したんだから、なにか考えてることがあるんだろう?」
「……なにか手伝いが必要なら遠慮なく言えよ。ただでさえお前は水くさいんだからよ」
「……ははっ」
 まったく。
 エギルといい、クラインといい、本当に頼りになるやつらすぎて困るぜ。
 最初からそのつもりで話を持ちかけた俺が言うのもアレだが、ありがたく頼らせてもらうことにしよう。
「実は」俺は二人を順番に見渡してから少しばかりおどけた口調で言った。「……うちのお姫様の意向で、幽霊退治をすることになりそうなんだな、これが」
 そう。
 驚くべきことに、誰もが心ない噂に身震いしている中にあって、場合によってはトラウマすら刺激されかねない亡霊騒ぎをものともせず、憤然と立ち上がった騎士姫がいたのである。
 俺はもちろんのこと、クラインとエギルもよく知る人物だ。
 というかアスナだった。
 はい、俺の彼女様です。
 今回の事件が人為的なものにせよ、そうでないにせよ、心ない噂が広がっているのが我慢できないから、自分が収束させると意気込んでいた。
 このへん、いかにも正義感があり、行動力も兼ね備えたアスナらしいと言えるのだが、自分から率先して危険に首を突っ込む勇ましさは、もうちょっと控え目でもいいんじゃなかろうか。
 苦笑混じりに話はじめた俺を見て、クラインとエギルは妙に納得した表情を浮かべながら、互いに顔を見合わせて肩をすくめてみせるのだった。


<ユメジャナイセカイ>



「というわけで、夜の学校にやってきたわけだが」
「……いきなりなにを言ってるの、キリトくん」
「いや、俺なりの決意表明というか」
 アスナが深刻そうにしているからリラックスさせるためにふざけてみた、なんてバラしてしまうわけにもいかず、ぽりぽりと頬を掻く。
 そんな俺を見てなにを考えたのか、アスナは腰に手を当てて大袈裟にため息をついてみせた。
 少しだけではあるが和らいだ表情を見て、俺も内心で胸を撫で下ろす。生真面目なのはアスナの美点だが、気負いすぎて良いことなんてひとつもないからな。
「もう、ホントにキリトくんはどんなときもキリトくんなんだから」
「……俺は褒められてるのか、それとも貶されてるのか、どっちなんだ?」
「ふふ。さて、どっちで――」
「――褒めてるのでも貶してるのでもなくただ単にノロケてるだけだと思う人ー」
「はい」「はい」
「賛成多数によりアスナ選手にはペナルティとしてイエローカード一枚目でーす」
「…………」
「…………」
 思わずアスナと顔を見合わせてから、シンクロした動きでギギギ、と音がしそうなくらいぎこちなく後ろを振り返る。
 するとそこには、揃ってジト目を向ける三人の女子たちの姿があった。
 初めは俺とアスナだけで〝調査〟するつもりだったのだが、リズとシリカも「自分たちにとっても他人事ではない」と協力を申し出てくれたのである。
 どうしてスグまでいるかというと、家を抜け出そうとしたところを見つかって無理矢理同行を認めさせられたという実に情けない理由による。
 晩飯のときの俺のちょっとした態度の違いで目星をつけたらしいが……家族の慧眼恐るべし、といったところだ。
「ふふん。やっぱりついてきて正解だったみたいね。キリトと二人きりにしてたらどうなってたことやら」
「……ちょっと、リズ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「べぇーつぅーにぃー。あたしは誰かさんたちが二人だけの世界に入らないように釘を刺しただけですうー」
 そのとき俺は、照明の落とされた学校の廊下に、まばゆい火花が散ったのを幻視する。
「リズさんって……その……すごいよね。あたしにはちょっと真似できないかも……」
「はい。自ら地雷原に飛び込んで、進んで致命傷を負おうとするなんて私にも無理です」
「……たまに思うけど、シリカちゃんってわりと毒舌家だよねー……」
 スグとシリカの二人は言い争いを始めたアスナとリズを尻目に、早々と傍観モードに移行していた。
 ちなみに俺たちは全員制服姿だったりする。夜間の学校への立ち入り許可をもらいに行ったときに出された条件のひとつが「制服を着用のこと」だったからだ。
 今の時代、ほんの少しでもセキュリティに気を遣ってる場所に忍び込むのは至難の業だというのは言うまでもない。ましてやこんな曰く付きの教育施設に無許可で立ち入るなんてのはもってのほかである。
 もし俺たちが軽い肝試し気分で、学校側に許可を取らずにここにいたら、数秒で警備員が飛んできてソッコで補導されることになるだろう。隠蔽系スキルを使えるゲームの中なら話はべつなのだが……リアルというのはかくも世知辛いものなのだ。
「……ちょっとお兄ちゃん。訳知り顔で他人事みたいにしてないで、アスナさんたちを止めてよ。あんなことになってるのはお兄ちゃんが原因なんだからね」
 気づけば脇にスグがやってきて、ひそひそと耳打ちをしてきた。出がけにシャワーを浴びたせいか、石鹸の良い匂いが鼻先をくすぐった。
 たしかにアスナとリズの口げんかは「ちょっと前からアバターの胸を三センチ盛ってるでしょ!」「ばばばばばか言わないでよあれが正式なサイズなのよ成長したのよ!」みたいなしょうもない領域に突入しはじめている。
 思わずリズの胸のあたりに視線が動きそうになったが、肋骨にキツめの肘打ちをされて我に返った。
 違うんだ妹よ……。べつにリズのサイズが気になったわけではなく、反射的に見比べそうになっただけなんだ……。だからそんな目で見ないでくれ……。
「……まあ、許可はもらってるから追い出されたりはしないだろうけどさ。こんな時間なんだから、あまりうるさくするなよ」
「うぬぬ」
「ぐぬぬ」
 軽く諫めてはみたものの、二人は角を突き合わせてにらみ合ったままだ。
 もっとも、本気で喧嘩しているわけではないので、なにも言わなくてもすぐに収まるのはわかっている。なんだかんだで仲の良い二人なので、あの程度は軽くじゃれあっているようなものなのだろう。たぶん。
「でも……暗くてちょっと怖いので、黙って静かにしているよりこっちのほうがいいかもしれないです」
「はは、そっか」
 スグとは反対側に、シリカが身体を寄り添わせてくる。きっと周囲が暗くて不安なんだろう。
「キリトさんはいつも優しいですね」
「そんなことないよ」
 シリカにきゅっと制服の肘のあたりを掴まれて、なんとなくスグの小さなころを思い出した。そういえば昔は、こんなふうに兄妹寄り添って歩いたことがあったかもしれない。
 当のスグは「やっぱりシリカちゃんって抜け目ない……!」とか言っているが意味はよくわからなかった。
 ふと奥に目を向けると、緑の誘導灯のみが照らすほの暗い夜の廊下が、どこまでも続く深い穴のように見える。
 俺たちの足音も、アスナたちの姦しい声も、まとめて闇の中に飲み込まれていくような、そんな錯覚を覚えた。

*****

「……で、なにかアテはあるの? お兄ちゃん」
 スグのやつは、普段よりいくらか神妙な声音で訊ねてくる。言外に「まさか本当に幽霊がいるわけないよね?」とでも言いたげな様子がある。基本的に勝ち気な妹なのだが、夜の校舎に充満する得も言われぬ不気味さに緊張しているのかもしれない。
 ちなみに、いつの間にやら俺はシリカとスグに両脇から挟まれ、両腕をがっちりホールドされている。ついでに言わせてもらえば、先ほどから背中に二組の刺さるような視線を感じる――のだが、幽霊よりよっぽど恐ろしいから気のせいということにしておこう。同様の理由により、制服越しに伝わる感触と体温に関してもノーコメントということで。
「アテっていうか……まあ、そのへんは言い出しっぺに聞いたほうがいいと思うぞ」
 言いながらおそるおそる後ろを振り返ると、リズと肩を並べて歩くアスナと目が合う。
 睨みつけられているのだから、こっちが顔を向ければ目が合うのは道理というやつなのですよ。ハイ。
「実は具体的な噂の出所はわからないのよね」律儀なアスナはそのまま質問を受け取って答えてくれた。「最近になって、夜の校舎で恨めしそうなうめき声が聞こえるっていう話をあちこちで耳にするようになった、って感じかしら」
「その話ならあたしも知ってる。なんか講堂で楽しそうにはしゃぐ声が聞こえたって言われてたわ」
「私が聞いたのは、誰もいない食堂から物音が聞こえたっていう話ですね……」
 バトンを引き継ぐように、アスナに続けてリズとシリカが自分の知っている情報を口にした。
「うわあ……」
 スグは実に嫌そうな顔をして肩を落とす。
「いやー、なんていうか『ザ・学校の怪談!』って感じだよなー」
「たしかにねー。そのうちトイレの花子さんが出てきそうだわ」
 意外にも俺の軽口に乗っかってきたのはリズだけだった。
 いや、意外……でもないか。
「リズは幽霊とか信じてないのか?」
「まあね。今のこの時代に、そんな非科学的なものが存在するわけないでしょ」
「そういえば、クラインも同じようなこと言ってたな」
「えー……」
 そこで何故イヤそうな顔をする。
 クラインが泣くぞ。
「じゃあ、その……アスナさんは信じているんですか? 幽霊」
 スグが躊躇いがちに問いかける。
「ん。そうね――」
 アスナは即答せず、ふっと足下に視線を落とした。どうやら思索を巡らせているようだ。
 この流れで〝幽霊退治〟の発案者であるアスナに「幽霊の存在を信じているか」と訊ねるのは、ようするに「この騒動はオカルト的な要素によって引き起こされていると思っているのか」という質問を投げかけたということである。
 しばしの黙考の末、アスナは言葉を選びながら語り始める。
「幽霊自体は『いてもおかしくない』とは思ってるかな。存在しないことを証明できない以上、存在する可能性を否定はできないから」
「さすがKoBの元副団長様は玉虫色の返答がお上手ですな」
 リズが茶化すと、アスナは小さく舌を出してあかんべーをした。
 なんという可愛さ。これが俺の彼女です。
「それなら、アスナさんは……」
「でも」アスナはやや強めの語調でスグの言葉を打ち切る。「今回の件は間違いなく人為的なものだと思ってるわ。だからこそ、……〝未帰還者〟の亡霊が校舎内を彷徨っているなんていう心ない噂が流れているのが許せないの」
 真剣味を帯びたアスナの両目が、薄暗闇の中で煌めく。内に秘めた激情が、瞳を通して炎のように揺らめいているのだ。
 さすがに今度ばかりはリズも茶化すことはせず、静まり返った廊下にかすかに息を呑んだ音が聞こえた。ひょっとすると息を呑んだのはスグだったかもしれないし、シリカだったのかもしれない。
 うむ。
 可愛くて、凛々しくて、勇ましい。
 皆さん、どうですか。
 これが俺の彼女――
「……それで、ね。キリトくん?」
 人知れず悦に入っていたら、突然こちらに水を向けられる。
「ん? どうした、アス……ナ……」
 彼女の呼びかけに応えてやらねばなるまいと思った俺のことを、アスナはまっすぐに見つめていた。
 これ以上ないというくらい素晴らしい笑顔で。
「あのさ、わたしずっと気になってたんだよね」
 先ほどのピンと張り詰めた雰囲気とは真逆の穏やかな口ぶり。
 しかし、そこに込められた圧力は先ほどの比ではないくらい凄まじいものだ。
「な……なにが気になってたんだ?」
 まずい。
 やめろ。
 すぐに話を打ち切れ、と俺の本能が警鐘を鳴らしている。
 にも関わらず、アスナが発するプレッシャーの激しさにより、俺は彼女の思い通りの受け答えをしてしまっていた。
 アスナの尋常ではない雰囲気を感じ取ったのか、リズはいち早く俺たちから距離を取っている。両脇にいたはずのスグとシリカも同様で、すでに俺の両腕から柔らかな温もりは離れてしまった。
「キリトくん、今回の幽霊騒動の話に対しては、妙に反応が悪いっていうか、いつもと感じが違うよね。どうして?」
「ど、どうしてって言われても……べつにおかしなところなんてなかっただろ?」
「そうかな? 普段のキリトくんだったらこういう厄介事にはもっと積極的に関わろうとするんじゃないかな?」
「そんな、人をトラブルジャンキーみたいに……って、こら! リズたちも『わかるわかる』みたいに頷くなよ!?」
「だって……ねえ?」
「キリトさんはとても面倒見がいいですよね」
「物は言い様ってのも含めて、あたしもリズさんとシリカちゃんと同感」
 くそう、女子はこれが怖いんだ。
 敵味方に分かれていたかと思うと、一転して手を結んで襲いかかってくる。
 孤立無援となった男=俺の行き着く先はすなわち――
「隠していることがあるなら、すぐに白状なさい」
「はい」
 即降参。
 日和見野郎と笑わば笑え。
 恥ずかしくなんかないさ。二年に及ぶデスゲームを乗り越えた俺が得た教訓の一つは、「勝てない勝負は最初から挑まない」というものなのだから。
 ……本当に恥ずかしくなんてないんだからね!
「あたしが言うのもなんだけど、お兄ちゃん情けなさすぎ……」
「だからこそ、ちゃんとしてるときのギャップがいいっていう話もあるけど……」
「それフォローになってるようで微妙にフォローになってないですよね……」
 もうやめて!
 俺のヒットポイントはゼロよ!

*****

「最初から違和感はあったんだけど、確信に変わったのはクラインの名前を聞いたからよ」
 というのはアスナの言である。
 俺がクラインとエギルに会いに行ったタイミング的に、幽霊騒動の相談をしたのは確実なのに、そのときの話を自分たちに一切しなかったことで察したとか。
 鋭すぎるだろ。
 そして女性陣によって精神的になぶられた俺は、ジャケットのポケットから携帯端末を取り出したのだった。
「……ユイー、パパだよー。可哀想なパパを慰めておくれー」
 しおらしく画面に呼びかけてみるが、精神を病んでしまったわけではなく、この携帯端末を通じて自宅のメインPCにアクセスをしているのだ。
『……パパ? なんだか随分と憔悴しているみたいですけどだいじょうぶですか?』
 端末のスピーカーからユイの声が聞こえてくる。まあ、小型も小型だから、あまり音質はよくないんだが。
「ユイちゃんなの?」
『あ、ママもいるんですね。こんばんは』
「あ、はい、こんばんは」
 意表を突かれたアスナが、戸惑いながらも挨拶を返す。
 なにはともあれまず挨拶、というできた娘ぶりに驚いたわけではなく、単純にユイがいることが不思議なだけだろう。
「これ、マイクで声は届いてるけど、カメラを使わないとユイにはこっちが見えないんだよ。だからまあ、音声チャットみたいな感じだと思ってくれ」
 俺の周りに輪になっている皆に、携帯端末を掲げてみせる。これだけ薄暗いとカメラの感度も期待できないので、ユイに視覚を与えようと思ったらべつの方法をとらなければならない。
 ま、今は必要ないので、その話は置いておこう。
「……なるほど。そういうことだったのね」
 どうして俺が携帯端末を持ち出してユイを呼び出したのか。
 リズたちには見当も付かないようだったが、アスナは理解したらしい。
「ど、どういうことですか?」
 うろたえるシリカにアスナはお姉さん然とした笑みを向けて答えた。
「結論から言うと、幽霊騒ぎはキリトくんの仕業だったっていうこと」
 よね? と念を押すように、アスナがこちらにジト目を向ける。
 完全に降参モードに入った俺は、携帯端末を持ったまま両手を上にあげた。

 俺が今、この学校で専攻しているのはメカトロニクス・コースという分野だ。
 ざっくり説明すると、ハードウェアとソフトウェアの両面からVR技術を掘り下げていく学問なのだが、その中で特に力を入れて開発しているのが《視聴覚双方向通信プローブ》システムというもので――ぶっちゃけユイが仮想世界と同様に現実世界を認識するための仕組みである。
 正直なところ実用化にはほど遠く、主にコスト面で実現が厳しいシステムではあるが、開発段階でユイと話をしているときにぽつりともらしたことがあった。

「わたしたちの学校が見てみたい……か」
『はい……パパとママの話を聞いているとすごく楽しそうだったので気になってしまって……』
 そう。
 俺が「こっちの世界が認識できるようになったら最初にどこに行ってみたいか」と訊ねたらユイは言ったのである。「パパたちの学校を見てみたいです」と。
「それでまあ、ちょっとフライングっていうか、開発機材のある部屋だったら見せられるかもしれないと思って少し試してみたんだよ」
 実際にはなかなか上手くいかず、何故か校内のスピーカーにユイの声が乗ってしまったりして、それがあたかも〝幽霊〟のように聞こえてしまったりもしたらしい、というのが事の顛末だったというわけだ。
 当然ながら、アスナは俺の研究テーマを知っているわけで、すぐにピンときたのはそれが理由のはずだ。
『ごめんなさい……私が無理を言ったせいで皆さんに……パパとママにも迷惑をかけてしまいました……』
 ユイのしょげかえった声がスピーカーから響く。もしもこれを夜中の校舎で聞いたやつがいたら、それこそ未練を残した怨霊のうめき声と勘違いするに違いない。
「ユイちゃんが謝る必要ないよ」
「あたしもそう思う」
 我が妹とリズが、重苦しくなった空気を吹き飛ばすように威勢よく言った。放っておいたらそのままスクラムを組みそうな団結力を感じる。
「今回の件は、原因がどうこうっていうより、完全にお兄ちゃんの判断ミスだよね」
「ユイちゃんのために実験してたのと、事の詳細をあたしたちにナイショにしてたのは関係ないよね」
 まったくもってそのとおりすぎる。
 ぐうの音も出ないとは、まさにこのこと。
 常日頃から娘に甘々なアスナは言うまでもなく、控え目に糾弾の視線を送ってくるシリカも、口には出していないが二人と同意見なのだろう。
「いや、俺が全面的に悪かった。ユイも嫌な思いさせちゃってごめんな」
『パパ……! そんなことないです!』
 うう、こんな状況でも俺を庇ってくれるなんて、ユイは俺にはできすぎた娘だ。絶対に嫁になんてやるもんか。
「というか、キリトくんはどうしてわたしたちに内緒にしていたの?」
 袖口に顔を埋め、健気な娘に感動する父親の小芝居をする俺を無視して、アスナがついに核心を突いた。
 ……まあ、なあ。
 この流れでそれを話さないわけには、いかないよな。
 少しばかり小っ恥ずかしい思いをすることになるが、仕方がない。ここまで騒ぎを大きくするつもりはなかったとはいえ、アスナたちを巻き込んでしまったのは事実なのだし、きちんと説明するのが誠意のある対応というものだ。
「……なんかさ、こういうのって、めちゃくちゃ〝学校〟っぽいじゃん」
「こういうの?」
「夜中の他の誰もいない校舎に、友達と一緒に立ち入る、とか。ちょっと漫画みたいでワクワクしないか?」
 幼いころに夢見たような血湧き肉躍る冒険は、ゲームの中で体験できるようになった。というか、体験している。現在進行形で。
 だからこそ、などと言うつもりはない。
 ないのだが。
 つまるところ、もっと日常的な――こういう、いかにも学校に通っている学生的なイベントというやつが恋しくなってしまったのだ。俺は。
 今でこそ彼女がいて、娘がいて、信頼できる友達まで沢山できた桐ヶ谷和人は、少し前まで半ば引き籠もりのネットゲーマーだったのである。
 そういうわけで、こうやって思わぬ形で転がり込んできた好機に、少しばかりイタズラ心がくすぐられてしまった――というのも、まあ、言い訳にすぎないんだが。
 ぶっちゃけ、暗闇を怖がるスグやシリカの反応を楽しんでしまったというのも事実だしな。悪趣味というなら、これほど悪趣味なこともないだろう。
「だからまあ……ヘンなことに付き合わせてゴメン!」
 皆に対して、勢いよく頭を下げる。
「……で、キリトくんは夜の校舎探検を堪能できたわけ?」
「おう! バッチリだぜ!」
 頭を下げたまま、降ってきた声に応えると、間を置かずにため息まで降ってきた。
「はあ……ホントにしょうがない人なんだから」
 そんな心から楽しそうに返事をされたらこれ以上怒れない、とアスナは小さく呟いた。
「怖がる妹を見て楽しむヘンタイー」
「ヘンタイー」
「女の子に囲まれてでれでれするスケコマシー」
「スケコマシー」
「ふふっ、男の人がいくつになっても子供っぽいっていう実例を見た気がします」
 ねちねちと俺を責め立てるスグとリズに比べて、シリカの台詞はなんだか少し怖かった。
「ま、反省してるなら、できるだけ早くシステムを実用化まで持っていってよね。わたしもユイちゃんに色々と見てもらいたいものがあるんだから」
「もちろん。全力を尽くすさ」
『ママ……パパ……ありがとうございますっ』

 ――と、まあ、事の次第はそんな感じで。
 後日、お詫びのしるしとして、アスナたち全員にデザート食べ放題を奢るハメになったところまで説明を終えた俺に、クラインは見事に言い放ったのだ。

「りあじゅう、ばくはつしろ」




おしまい


1 コメント

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後書き (FSM)
2013-01-04 22:41:06
つーわけで、冬コミ用に書き下ろした『SAO』SSでした。
細かく見ていくと〝キャラクターらしさ〟を出すためにアレコレ試行錯誤をしていたりするんですけど、説明してしまうのも興ざめなので読んでくださった方に伝わっていればいいなと。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
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