●実在している方(実在した方)
大山康晴(十五世名人など)、米長邦雄(永世棋聖)、羽生善治 (9段)
●マンガ等の登場人物
桐山零[3月のライオン]
囲碁だと
●実在している方
趙治勲(二十五世本因坊)、石倉昇(9段)
●マンガ等の登場人物
新藤ヒカル[ヒカルの碁]
ここからはおふざけ
岸だったら
「岸信介」と「岸恵子」
騎士だったら
「サファイア姫」[リボンの騎士]と「谷風 長道(たにかぜ ながて)」[シドニアの騎士]
キッシーだったら
キッシンジャー大統領補佐官
本日、150回目(献血カード上)の献血をしてきました。
17歳の時に学校で行った献血が第1回目・・・それから約35年【注】かかってやっと到達です。
【注】検査結果が悪くって、平成10年1月から平成25年6月までは中断している。
最初は200mlしかなかった。
毎月、第4土曜日に某駅まで出かけ(高校の時は学校の近くだった)、駅前ロータリーに停まっている献血バスで楽しい献血。
医師や看護師から「(高校生の時)育ち盛りだから、そんなに献血してはダメだよ」と注意されたのは1回や2回では無かったです。
勤め出した頃は、第4土曜日が必ずしも休みではないから、献血の結果通知書などの裏に書かれている「定期的に献血バスが来る場所」を確認して、せっせと献血。
→この頃は未だインターネットどころか、パソコン通信も普及していないよ。
その後、400mlが行えるようになって、選択制。
開始から数年間は400mlを行うと献血手帳に2回分のハンコが押されていた。
そういえば・・・初めて400mlをやったのも某駅前の献血バス。血液パックを揺らしておく機械に400mlのパックが収まりきらず、200mlを越えた辺りで看護師の方が機械から取り出して手でゆすっていたましね。そうそう、初めての400mlを終えたら、軽い貧血を起こしたのもいい思い出です。
その後、通勤経路上の幾つかの駅近くに献血ルームが出来たので、主な献血場所は献血ルームへと変わっていきました。
今では主流(?)となった「成分献血(血漿、血小板)」を初めてしたのも献血ルームでした【注】
【注】成分血は献血バスでもできるようですね。平成元年に勤務地が変わり、道路を挟んだ向かい側の会社が毎年1月に献血バスを呼ぶのだけど、そこでも成分献血を1回だけ行いましたよ。
そうそう、初めの頃は両手に針を刺すタイプがありましたね。その機械にぶち当たると腕を動かせなかったので、鼻の頭がかゆくなった時に看護師に頼んでしまいました(笑
それと、今では献血者に見せませんが、採血が終わった後のキットを見せてくれて・・・私の血液が通ったキットには薄いクリーム色の綺麗な物質(コレステロールかな?)が残っており、看護師の方から毎回「綺麗な血液ですよ。人によっては濃い黄色なんです。これからも協力してくださいね」と言われて、嬉しかったですね。
良いことばかり書いていると不公平なので、150回の中であった嫌な事も。
・いつも採血は「右」でやっているのですが、献血バスで献血を行っていた頃に、機械の位置の関係で「左」で採血されたことが有ります。その時、左に慣れていないせいなのか?肩や腕に余計な力が入ってしまって血液の出が悪く、看護師には怒られるし・・・とても時間を要して疲れてしまいました。それからは絶対「右」を通しております。
・既に献血事故の事はブログで書いていますが、平成27年5月に献血中に意識を失いました。これは疲労状態(あるいは脱水状態)で献血を強行したせいなので、今は献血をする前日の晩にはいつも以上に食事に気を付け、当日は余計な事は極力せず、水分も事前に補給するようにしています。
・私の腕の血管は両親に似てしまい「細い」(見つけ難い)ようです。その為、献血バスの頃は薄暗いので、刺した針で血管を探られ、ショック症状(大量の冷や汗)になりかけました。
予備採血の時にも似たことが何度かあり(ここ数年はそんな事ありませんが)、その時には「真ん中は止めて、脇で採ってくれませんか」と言いましたよ。ここ数年は「ここですかね?」と看護師が真ん中にしようか迷っている時は、自主的に腕をひねって「ジンクスなんで、脇からとって。時間がかかっても良いからお願い」と頼んでいます。
・ある献血ルームでは相性の悪い看護師さんが居て、最初に遭遇した時は「2度刺し」、2回目は看護師の方から「自主的チェンジ」、3回目は周りの看護師に見守られながらトライしたら「痛点注射」でこっちは指先まで激痛! その後は、双方の為にもその献血ルームは使わないことにいたしました[自宅から一番近いので、何れは復活しますが]。
実際には400mlや『血小板』もやっていますが、成分献血『血漿』だけで押し通せば年24回できるのもうれしいです。
別に回数を競いたくって言っているのではなく、無くなった母の命を一時的に救ってくれたのは善意の献血のおかげ[その血液で血栓を生じ、脳幹梗塞を起こして死亡したのは皮肉な結果だけど]。この恩を返すためには献血しかないですよね。
段々と病気や体調不良を起こしていくと思いますので、あと何年献血が出来るのかは判りませんが、150回は単なる通過点なんです。
でも、つい嬉しくって書いてしまいました。
最後に余計なことかもしれませんが・・・
「献血可能だけどまだ献血をした事が無い」と言う方、一度だけでいいから献血してみてください。
「献血可能だけど、もうやめた」と言う方、もう1回だけ献血をやってください。
先ほど書きましたように母は善意の献血によって助かりました。
だから
あなたの善意が、一つの命を救える。
と言うのを痛切に感じてしまうのです。
本日、145回目の献血をしてきました。
いつもは渡されたパンフレットはさっと読み流しているのですが、ある箇所で目が止まり、『あぁ~そういう事だったのか』と納得することが有りました。
☆☆回想☆☆
あれは・・・昨年の5月下旬の事です。
ハイキングの帰りに成分献血をしたら、残り1サイクルとなった時に胃の辺りに違和感を覚えたのですが、『あと10分程度だから大丈夫かな?』と考えて我慢していたら・・・いつに無く気分が悪くなりました。
看護師を呼ぼうと、空いている方の手(腕)を挙げようしたら、感覚はあるのに反応しない・・・私の前を通り過ぎようとした看護師が異変に気づき『大丈夫ですか』と声を掛けた途端、意識を喪失。
数秒後に私の名前を呼ぶ声が聞こえたので目を開けると・・・採血用ベットは倒され、看護師3名と医師1名が私を見下ろしており、管が多いと思ったら輸液パックが見えます。
怠いので目を閉じようとすると、医師から「眠いと思いますが、目を閉じると副交感神経が活発になり、血圧が下がって又意識を失います。目を開けていて下さい」と注意。
輸液を2パック行いながらも献血は続行され、数名の監視の下いつもよりも長めの休憩してから帰宅しました。
☆☆回想終了☆☆
で、先ほど目が止まった箇所には次のような事が書かれておりました
『•万一、採血中や採血後に気分不良やめまい、皮下出血などが起こった場合は、我慢をせず、すぐに看護師や医師らにお知らせください。
•献血後の副作用発生率は気分不良、吐き気、めまい、失神などが0.9%、失神に伴う転倒が0.008%、皮下出血が約0.2%、神経損傷(しびれ、運動障害など)が約0.01%です(平成22年度)。』【日本赤十字社HPよりコピペ】
あの日、既に献血回数は120回を超えており、あの時が初めての献血事故。
実際の所、疲労と軽度の脱水症状が原因で意識を失ったのでしょうが、0.9%(111回に1回)の確率に当たっていたのですね。
その後は事故が起きないように「腹部を圧迫しないようにベルトを緩める」「献血前には、看護師や職員が言うように水分(温かい飲み物)を多くとる」等をおこない気を付けております。
この木ですが、大分枝葉が茂ってきており、様子が変わりましたが、まだ存在しております。
持ち主さんがまた剪定をしたらどんなふうに見えるのかが楽しみ。
[2021年 追記]この後、周辺の樹も含めて手前に見えている小屋の屋根程の高さに剪定されました。また伸びてきていますが、「何かに見える」という感じにはなっておりません。