今年最後の月、そして残された一枚のカレンダーは電話近くの壁に吊るされている。今月のカレンダーがには、今のところほとんど記入が無いのが嬉しい。
今年の最後の月、その残された日々をどう過ごすか、そのことが何時も頭から離れない。昨年まで普段着にしていた大島を対丈に直したいし、次女に頼んで解いてもらっている大島紬で、洋服用のコートを作りたいし、刺繍の仕掛品や洋裁の仕掛品を片づけないと・・・。
来年になると流石に一括りで”老人”の仲間入り。10年前からその境地に入っている人もいたが、来年はわたしも”老人”の域。
体調が悪くても「年ね」、肩や足首に水が溜まっても「年ね」の一言でお終い。
体調が最悪だった40歳前後の頃は、「自律神経失調症」の一言。薬を飲む為に、ジョッキー一杯の水が無いと飲みきれない。その薬を飲む水の分、胃を開けて無いと苦しくなる。幾つかの病名を言われていたが、その病名すべてに”慢性”という言葉が付くのだ。医師は”病気の問屋さん”と言う。辛い日々。
娘たちの事を思い、早く退院したくてもなかなか許可が出ない。最終的に担当医が開業し退職。わたしも退院。そして開業した医院で治療を継続・・・。
この頃テレビで、病院を渡り歩いても痛みが取れない患者を、名医が直すと言う番組を見るたび、羨ましいと思う。痛みが酷くて横になっていられず、一晩中浴室のタイル磨きをしていた。とっても辛かった時期。
どんな病名でも良い、病名が分からないのに山盛りの薬を飲む。病名が分からず薬を飲んでも効果が無いのは当たり前のこと。でも従うしかない、その辛さ。痛く無ければどうでも良いけど、凄い痛みに突然襲われていたので、薬は必須だった。
あるじが亡くなって満13年。先日次女の件で友人に報告に行きひと段落出来た・・・。それでもなにか落ち着かず、キーボードを触ってしまう。寝るが一番。明日は元気にならないと。
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