フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

映画を観て

2013-04-25 18:54:15 | 日記
4月25日 木曜日 晴れ時々曇り
今日は、今月末までの映画のチケットがありましたので長女と一緒に消化する事にしました。
長女と相談して「ハピーバスタブ島の少女」を観ることに。
下調べをせずに美しい景色を楽しめる映画と思って居ましたが、かなり重たい内容でした。
終戦後の大変な時代を経験してますわたしも、この作品のような酷い生活は知りません。

それでも、わたしは戦争の空爆の音も、焼夷弾でまっ赤に染まった空も知って居ますし、
夜中に起こされて、大急ぎで身繕いをし防空壕に抱え入れられた事もよく覚えて居ます。
今日の映画の辛さの原因は戦争では無く、自然なのですから尚のこと、見て居て辛かったです。

娘の隣に座って居た男性が泣いているようだったけど、何故悲しいのかが解らないと言います。
平和な時代に育った人達には、食べる物も家も無い状況が理解出来ない事を知りました。
映画を観てから、映画の何処が辛かったのか何故辛かったのかを娘に話しました。

終戦後、焼け野原になったところに建った小さな家、何とか雨露をしのげるだけの家が多かったこと、
雪が降った歳、雪が積もって外に出られなくなり、外で遊ぶ子供たちにSOSを出してきたので、
わたしたちが雪をどかしてあげたことなども話しました。
玄関の前に屋根が無い家はありませんが、当時は廃材で作って家と言うより小屋のようだったことも。

食物や衣類を買いたくても売っている物が無くて買え無かったことも話しました。
そんな経験がありますので、食べ物も棄てないように無駄にしないように努力しますし、
不要の着物もゴミにしないでリホームしようと思って居ることも話しました。

その勢いで、あるじの脱サラで、フォンテーヌの営業を始める事になってからの辛さは、
まるで終戦後の引き揚げ者と同じ思いだったことも話しましたし、
あるじと一緒に過ごす老後を楽しみにしていたから頑張れた事、
それなのに突然独りで逝ってしまった時の辛さなど、洗いざらい話しました。

辛かった時期のいろいろな事を聞いて貰いました。
こんな事まで話すのは初めてでした。涙が出て困りました。
娘には申し訳ない事をしましたが、重たかった物を吐き出せたようで気持ちが軽くなりました。

それから二人で、Tシャツの店やバッグなど、ウインドショッピングを楽しみました。
そして爽やかな気持ちで帰宅しました。良い日になりました。
娘には申し訳ない事をしたと思っています。聞いてくれた彼女に感謝です。
コメント
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