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ジェイ・マルエーの思い出。

2021-05-14 22:48:30 | 商売・お店・商工業・買い物
久々にスーパーマーケット思い出シリーズ。
今回は「ジェイ・マルエー」ネタをかける。
略称は「マルエー」や「ジェイマル」などさまざまだが、今回は基本ジェイマル(秋田弁でズエイマル)とよばせて欲しい。

1976年に出来たジェイマルの発足地は雄和町新波
どんな店だったかといえば、町の個人商店という感じの小さなスーパーで、現在研究中の秋田県道9号の旧道に位置。
めずらしくてみたことがあるが、たしかにコンビニクラスのかわいいスーパーで、玄関に昭和50年代の食品衛生施設のシールが残るのがまたポイントが高いというまさに昭和の店。
企業名・商号は「マルエーうちや」、店名商号は「マルエー」。つまり、マルエー呼びは昔の名前。商号もマルエーうちやだった。
そのマルエーが土崎に進出した1985年、本部を土崎に移転させている。
さまざまな資料や証言から場所は港中央1丁目の白帆付近にあったようだ。

そのマルエーが自分に身近になったのは1995年。
仁井田に本部ごと「ジェイ・マルエー」として国道13号沿いのト一屋の隣の石材屋跡地にやってきた。
当時のジェイマルは生鮮品や日配(惣菜など)がなく、日用品、保存加工食品、医薬品というドラッグストア的な感じ。
とにかくカップ麺と文具が安かったイメージ。
このタイプはマルエーから切り替えた土崎店(土崎駅近く)、泉馬場店(如斯亭近く)にも展開していた。
余談だが、自分は仁井田店の駐車場で高校のとき頭から自転車で転び、顔を怪我したことがり、クラスで話題にされてしまった。
土崎店は高校文化祭の買い出しで行ったことがある。

雄和に個人商店型マルエー、秋田市内にドラッグストア型ジェイマルで並列展開していたが2000年代からは本格的なスーパー進出をする。
広面、泉、旭南、御所野とどんどん増やしていく。
このファサードですぐわかるように!
ちなみにドラッグストア型は黒い看板だった。
2000年代前半はこんな感じ。
・マルエー大正寺店
・ジェイマルエー仁井田店
・ジェイマルエー土崎店
・ジェイマルエー泉馬場店
・ジェイマルエー広面店(明田通り)
・ジェイマルエー旭南店(新国道旭南交差点、旧マルダイ→キノシタ)

さらに広げまくり、秋田市内のスーパー、なかよしが潰れたあとのうち長崎屋と広面をうけいれたり、大曲に進出するが…
だんだん壁にぶち当たってきて経営のやばさを痛感したのか、今度は閉店ラッシュに。
時期がリーマンショックだったから、それもあったのかも。

ドラッグストアタイプの店はすでに仁井田以外閉めていたが仁井田店も本部ごと撤退。
このあたりでト一屋いとくも閉店して仁井田は短期に3つスーパーを失う。
なかよしから受け入れた店も閉店。
長崎屋のある中央交通ビルに関してはドン・キホーテになったので、1986年のビル完成以来皮肉にもはじめて核店展開に。

そして極めつけがコレ。

コレは土崎の穀保町という港まつりの曳山があつまる場所にできる予定だったまぼろしの土崎店。【追記】場所は御蔵町。
土崎はマルエータイプ、ドラッグストアタイプ
につぎスーパータイプもやる予定で建てているが断念。
令和のいままで廃墟になっており、秋田市商業史の黒歴史のひとつかも。
旧北前船の御蔵をぶっつぶしてまで建設した新築廃墟はそうとう批判されたし、当時はいろいろ悪いはなしもでていたようだ。
【追記】コメントによれば、いまは物流倉庫らしい。

そっからしばらくは堅実な路線に戻り、再びリベンジが始まっている。
2015年には庄内に参入。
ト一屋とはぎゃくのパターン。
その後は由利本荘市にも参入し、ついに2021年、秋田市に10数年ぶりに新店舗の話がでた。
茨島6丁目である。

一方で、創業地のマルエー大正寺店は河川開発の都合で閉店、解体された。

こう調べると時代に応じて本部や店や業態をうまく合わせていたのかもしれないが、失敗も多かったんだなと。
ドラッグストアタイプの店は市内に他県資本のが増えたが、もし残っていたらどうだったのかと思ったりもする。
事実潰れた3店の近くにはツルハや薬王堂が建っていたりするから、悪い話ではなかったかもしれない。
マルエーは趣き深いがこの業態ではたぶん令和まで来れなかった。

今後どんな動きするのか、みていきたい。
だけど土崎の廃墟、あれはなんとかならないかなあ。