玉川上水 花マップ

玉川上水沿いの主な野草の生育地図を作ります

観察会の報告 2023年12月

2023-12-17 20:28:49 | 観察会
12月17日に観察会をおこないました。最近、「大樹しらべ」が完了しましたが、その時に玉川上水全体で最大の木は「牟礼の大ケヤキ」だということがわかりました。この木は直径が137センチもあります。これに次ぐのが一番橋のすぐ上流側にあるケヤキで、直径が135センチあります。これを見に行こうということになりました。
 武蔵砂川で待ち合わせました。駅のホームからは西側の山々がくっきり見え、目を左にずらすとハッとするほど大きな富士山が見えました。時間があったので雑談をしました。
 小川の駅で電車に乗ったら市川さんと一緒になり、座っていたら小さな子がベビーカーに乗っていました。「あいた」とか「でんしゃ」とか単語を発していましたが、市川さんが話しかけたら「ドア」「とまった」とつづけていました。2歳くらいと思ったので聞くと、お父さんが
「昨日2歳になったんです」と笑いながら答えました。
「このくらいの頃は単語を言うだけだけど、頭の中ではそれがつながっていて、もうすぐ二語文を話すようになるんですよね」と私が言うと
「そう、言えないけどわかってるのよ」と柴山さん
「お母さんはわかるんですよね」
など話が弾みました。
 言葉に関連して、市川さんが最近、複数の言葉で演じる演劇か何かを見た話をしてくださいました。ヒヨドリの話がインドネシアでは別の鳥になるなど、言葉が違うだけでなく、出てくるものも考え方なども違うという話になった時、丸山さんが合流しました。私が
「ウクライナ人が話す言葉はロシア語とそっくりだと思います」
と言うと(学生の頃、一通り読めるようになり、基本会話くらいを勉強しただけですが)、丸山さんがロシア語がわかるとのことで、
「少しだけ違うだけです」
と言って小平のグリーンロードにあるウクライナ人支援のレストランの話をされました。
「イタリア語を聞くと明るい気持ちになります」と丸山さん
「そうそう、音楽的ですよね」と私。続けて
「最近、おもしろいコンサートに行ったんですよ。バイオリンを修理する職人さんとバイオリニストが対話するコンサートで、その職人さんによると、バイオリンはイタリア人にしかできないが、イタリア人には弓はできないんだそうです」
「へえ、誰ができるんですか」と関口さん
「フランス人だそうで、フランス人にはバイオリンはできないそうです」「おもしろいね」
 などと話しているうちに時間になって歩き始めました。

 植物はあまりないのでスタスタと歩きましたが、大きなコブシがあって花芽ができていました。ススキの枯れたのがあったので、
「ススキの穂はタンポポのような羽毛で飛んでいくと言いますが、実はタンポポは上に毛があるので冠毛、ススキは付け根に毛があるので基毛と言います」
と説明しました。


つづけて
「ススキのような植物は小さい種を風で飛ばします。小さいから大量の種子が作れますが、ドングリのような大きい種子を作るのは大きな投資になりますから、生産が大変で翌年は休まないといけないほどです。しかし大きい種子は発芽率が高く、大きい実生が生まれますが、小さい種子は適地に飛んでいったものだけが発芽定着するだけで、死亡率が甚だ高いのです。これは動物でも同じで、マンボウは一度に億単位の卵を産んで産みっぱなしですが、哺乳類は大きい子を少数産んで大切に育てます。そういう生き方の多様さが地球上に多様な生物が生きることを可能にしているわけです」

 しばらく歩くと残堀川と交差するところにつきました。川が十字に交差するということはあり得ません。川とは枝のように合流はしますが、交差はしません。玉川上水は人が堀った水路ですから、ここまで掘って残堀川にぶち当たりました。そのまま堀ったので水量の多い玉川上水の水の勢いで下流に流れ、残堀川の水は一度飲み込まれた後、適量の水が下流に流れたものと思われます。現地の看板によると、明治時代になっ残堀川の水が汚れたために、玉川上水の水も汚れるようになったために、上下に交差させることになったそうです。そしてサイホンの原理で玉川上水を残堀川の下に潜らせ、同じ高さに戻して流す工事をしたとありました。これを「ふせこし」と呼ぶのだそうで、ということはそのことを江戸の職人が知っていたということです。しかし重機もない明治時代に、残堀川の「底」はどうしたのでしょう。私の想像力ではわかりませんでした。



さて、一番橋につきました。

一番橋の上流

上の写真に左下に石碑が見えます。この石碑の正面には次のように書いてあります。

玉水分派 邈護公居
厲掲無苦 渡馬渡驢

私はこれを次のように解釈しました。

玉川上水の分水は多くの人の暮らしを守ってくれた
馬やロバが苦しまないで渡れますように

その左側には寛政四年のものと書いてあり、右側には読めない字が書いてありましたが、丸山さんが調べてくださいました。それによると次のように書かれているそうです。

夫這渡頭者玉川□□万人所来往也
連日雨則洪水蕩□□涌山□□□浪
波渺々漾□□□為不得渡
異僧□□波況於行路凡民哉
故僅架略彴以 渡往来
漸積歳月及廃此
有道者直入者 愁之久牟
憤志化十方檀那
十余年不避風雨負栲栳
一二同志従後以□□□
天明三仲春日石橋終
成 未修供養而逝去同志之輩
尋其志願
請山谷将修供養三宝 可謂願
主之功於是全矣 銘日

□は専門家も読めない文字だそうです。そうでなくてもわからないことが多いのですが、私は想像を膨らませて、大胆に次のように読み取りました。
わからないところは??、解釈に自信がないところに?をつけました。

玉川上水はたくさんの人が行き来すると渡しの頭がいう
あるとき、連日、雨が洪水となり山からも溢れるようだった
波も凄くて渡ることができなかった
そこに知らない僧がきて波の様子を見て人々が渡れるように❔
簡単な丸木橋*1をかけてくれたので渡ることができた
しかし長い年月が経って廃れてしまった
有道の者*2も直入(じきにゅう)の者*3も長い間悲しんだ
悔しい思いがあちこちに広がった?
十年以上雨風を避けることができず籠*4の世話になった
そこで十二人の同志が??に従った
そうしてついに天明三年の春に石橋ができた
同志たちが亡くなったが、いまだに供養ができていない
それを願う気持ちは甚だ強い
山谷(いろいろな場所ということか?)の優れた人?が三法を持ってどうか供養してください
その大きな功績は素晴らしいものでした

*1 彴は丸木橋
*2正しい道を行う者
*3直接仏の心に入る人
*4 「栲栳(こうろう)」は竹や柳の枝を編んで作った入れもの。

 わからないことが多いとはいえ、この石碑を建てるにあたり、これまで悲劇があったことしたこと、それを乗り越えようとした人がいたこと、その人を供養するためにこの石碑を建てたのだということは伝わってきます。

其石碑の少し上流に大ケヤキがありました。確かに太い木でした。

大ケヤキの前で

「ケヤキは漢字で欅と書きますが、これは両手を上げると言うことで、ケヤキは確かに枝を空に広げたように伸ばします。ところで背の高いケヤキのことをこう書きます」と言って「槻」を書いたら「先生の槻じゃない」「そうなんです、でも槻はすでに高いケヤキという意味だから*、高槻は<馬から落ちて落馬した>みたいでおかしいんです」(笑)

*私は槻をそう思っていましたが、怪しいみたいです。

「学名ではZelkova serrataと言いますが、ロシアのゼルコフと言う人が記載したからで、serrataはノコギリの歯と言う意味です。ギザギザになることを英語でセレーションserrationと言いますが、フクロウは翼にセレーション構造を持っていてこれで音を消すそうです。これを応用したのが新幹線のパンタグラフです。そのセレーションとケヤキのセルラータは同じ言葉から出ています」
「小平にゼルコバという喫茶店があるわよ」と辻さん。

この先を歩いていくと樹林幅が広く、自動車は通らない気持ちのいい場所があります。小さくてかわいい家があり、玄関のドアにリースがあってよく似合っていました。そこを歩いていると逆方向から豊口さんが来て合流しました。



その道の脇には水路があり、見ると砂川用水と書いてありました。



 空気の澄んだ気持ちの良い日でした。最後に西武立川の前で暗渠になっている公園で、今日のことを振り返って締めくくり、「良い年を」と言って解散しました。
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