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玉川上水 花マップ

玉川上水沿いの主な野草の生育地図を作ります

資料 林の草と草原の草

2020-03-20 06:27:47 | その他

たまゆら草

 「たまゆら草」は基本的に林に生える草で、春に開花、結実して夏までに葉を枯らせて地下部で休眠するという生活環をとる。これはニッチの多様化の結果である。

 ニッチとは生態学的地位のことで、森林という生態系の中での役割のようなもので、例えば高木は樹冠を形成して直射日光を受けて大きな生産をし、その結果、林の下は暗くなる。そこには暗い環境に適した光合成をする低木や草本が生える。異なる性質を持つ生物が生態系の中でそれにふさわしい位置を占めて全体の一部を担うわけだが、その位置のことをニッチという。人間社会でも職業には様々なニッチがあり、社会が変化すればネット関係とか介護関係など新しいニッチが生まれることがある。

 温帯の落葉広葉樹では樹冠が葉で覆われる夏と、寒くて光合成ができない冬の間に、明るくてある程度暖かいという微妙な時期が生じる。そのニッチに入り込んだのが「たまゆら草」である。そのためには光合成の補償点が低く、それほど明るくなくても光合成ができるという生理学的な性質を持つ必要がある。初夏になれば林は暗くなるし、多くの低木類、草本類が伸びてきて競争が厳しくなるから、その時にはすでに生育を終え、光合成産物は地下部に転流して蓄えておく。これが「たまゆら草」の得意なニッチに適応した性質である。

 光合成の性質の違いで陽性植物と陰生植物に分けられるが、たまゆら草のような植物は陰生植物であり、ススキやタンポポのような植物は陽性植物である。

陽性植物と陰生植物の光-光合成速度曲線。陰生植物は補償点が低く、暗い環境でも光合成ができるが、最大値は低い。

 

 陰生植物は暗くても光合成できるから、林では有利だが、直射日光が当たるような環境では全く無力である。したがって林が伐採されれば消滅してゆく。現実に戦後の日本は雑木林を伐採してきたから「たまゆら草」は壊滅的なダメージを受けてきた。カタクリやアズマイチゲ、ニリンソウなどは武蔵野にありふれた春の花だったが、今はめったに見ることはできなくなってしまった。そして玉川上水がそのレヒュージアになっているのである。

 

林の草と草原の草の光合成

 一般に植物は明るいほど光合成が活発になるが、その程度は種によって違い、陰生植物は暗くても光合成ができるが、明るくなってもさほど光合成量が増えない。これに対して陽性植物は暗いと光合成ができないが、明るい場所では陰生植物の何倍も光合成ができる。林に生える「たまゆら草」が小さく、草原に生えるススキやシラヤマギクなどが大きいのはそのためである。これらが同時に生えることはないが、実験的に一緒に栽培して暗い環境におけば補償点の低い陽性植物は枯れてしまうから結果的には陰生植物が生き残ることになるはずである。逆に明るい場所で栽培すれば陽性植物が繁茂して陰生植物を枯らせてしまうはずである。

シラヤマギク

 

林の草と草原の草の種子生産

 林の草と草原の草は光合成能力が違うだけでなく、種子生産でも対照的である。林の草は限られた光合成産物を使って少量の種子を作り、種子は特別の散布方法を持たないで、地面に落ちる。もっともカタクリやスミレは種子にエライオソームという栄養価のある付属物を持っているので、アリが好み、種子を巣の中に持ち込むことが知られてはいる。しかし種子の数は少なく、移動距離も狭い。林の中ではそれで十分なのである。これに対して、例えばススキは小さい種子を大量に生産し、種子の基部に基毛という風で飛ぶための装置を持っている。タンポポの綿毛と同じ働きである。1株のススキが生み出す何万という数の種子は風で遠くに運ばれる。そして河原でもビルの上でも飛んでいき、発芽する。ただし、ススキの種子は暗いところでは発芽率が低いから、林に運ばれた場合は枯れてしまう。

 ヒメジョオン、セイタカアワダチソウなどの外来種も概ねそういう性質を持っている。明るい場所を好み、光合成が活発であり、明るい場所では急速に成長し、多数の種子を生産しては散布する。シナダレスズメガヤという外来牧草は1株で数十万粒の種子を生産するため、多摩川の河川敷に繁茂し、在来のカワラノギクを駆逐してしまった。こういう外来種はたくましく、人が開発する明るい場所では傍若無人ともいえる旺盛な生育をしている。

 人の活動は林を伐ったり土地を耕したりしたから、林の草にはマイナスであり、草原の草にはプラスになった。特にチェーンソーを使っての皆伐は地球の歴史の中で植物が経験しないほどの壊滅的なダメージを与える。森林伐採とはそのような意味があることを忘れてはいけない。小金井で行なっている桜並木の保護はサクラの木を残すから皆伐ではないかもしれないが、林の草にとっては皆伐と同じ意味を持つ。


玉川上水の野草と桜並木

2020-03-08 10:30:55 | その他

2020.3.8

玉川上水の野草と桜並木 - たまゆら草のこと -

高 槻 成 紀

 玉川上水は羽村から杉並までの30kmもの長さがあり、その表情も様々だが、私が小平に住んでいるため、どうしても小平周辺を歩くことが多い。その代表的な景観はコナラやクヌギの木があって武蔵野の雑木林を思わせる。

 

玉川上水の小平の景観

 

 ただ何と言っても上水沿いであるから細長く、雑木林というよりは細長い緑のベルトという印象である。そうではあるが、下に生えている植物は雑木林と共通で、低木ではウグイスカグラ、ムラサキシキブ、アオキなどが多い。草本ではヒメカンスゲ、タチツボスミレ、ヤブランなどをよく見るが、少し明るいところにはノカンゾウ、アキカラマツ、シラヤマギクなどもよくある。植物好きの私たちを喜ばせてくれるのは、そうした中にキンラン、シュンラン、フデリンドウ、アマナ、ヒトリシズカなど、本来山のコナラ林などにある野草だ。

 アマナやキクザキイチゲ、カタクリなどは林を覆う落葉樹が芽生える頃かそれより早いくらいの早春に芽を出しては花を咲かせ、上の木が葉を伸ばして林の屋根を閉じる頃にはもう光合成による生産物を地下部に蓄えて結実し、あとは来春まで休眠してしまう。その短命さから「spring ephemeral」というが、ephemeral(はかないこと)はeternal(永遠であること)の対語である。私は日本語としては「たまゆら」がふさわしいと思う。「たまゆら」とはもともとは勾玉が揺れた時に発する音のことで、漢字では「玉響」と書くが、私は「玉揺」の方がふさわしいと思う。そこからすぐに消えてゆくものという意味になったようだ。spring ephemeralの大和言葉は「春のたまゆら草」とするのはどうだろうか。

 

玉川上水に見られる「春のたまゆら草」

 

 枯葉色の地面から顔を出してはたまゆらに消えてゆくこれらの野草こそ雑木林の構成要素の中の構成要素で、人の攪乱があるとたくましい雑草類にその場を譲る形で消滅してきた。今、私たちの目の前に花を咲かせてくれているのは、そうして消えてきた仲間のうちの、数少ない生き残りである。

 光合成は水と光と二酸化炭素があれば有機物を合成する化学反応だから、適温、十分な光があれば植物は育つ。ただ最適な明るさは植物ごとに違う。また鉢栽培と違って野外では他の植物との競争がある。雑草類はこの点で圧倒的な強みを持つ。栄養の乏しい土壌でも、明るければ明るいほど成長し、開花期間が長く、種子を多産する。アマナのような植物はもともと競争を避け、他の競争相手が出てくる前に「前座」を務めては消えてゆくという生き方を採用した一群である。だから人による攪乱があれば勝敗は明らかである。

 そのことを思えば、アマナのような野草が自動車がビュンビュン走る道路のすぐ脇に生き延びているというのは奇跡のようなことといえる。この野草たちは、人が大陸から渡ってきたよりはるかに昔から毎春こうして芽を出し花を咲かせてきた。ひと春も休むことはなかった。私は「たまゆら草」に出会う時、この出会いはそういう奇跡の一つだと思い、「やあ、今年もありがとう」という気持ちで接している。

 

小金井の桜

 小平市の住民である私はそういう雑木林のような玉川上水に馴染んでんでいるのだが、時々他の場所まで足を伸ばしてみることがある。最近、小平の東に接する小金井に行ってみた。小金井は江戸時代から桜の名所として知られている。江戸の人は玉川上水を小金井の桜で知っていたといってよい。広重にいくつかの作品があり、桜並木が描かれている。

 

安藤広重 「小金井夕照」

 

 その伝統を引き継ぐ小金井市は玉川上水を桜並木と位置付けている、その結果、桜以外の樹木は伐採される。2018年に台風24号が暴風をもたらしたが、その時私は花マップの仲間に声をかけて玉川上水全体の倒木を調べた(こちら)。それでわかったことは倒木全体の3分の1が桜であり、小金井の桜の被害率が高かったということである。同じ強風でも樹木同士が接していれば、お互いが風を弱めることになるため被害が起きにくい。現に明治神宮では被害がなかった。玉川上水でも樹木の多い小平は被害率が低かった。これに対して小金井は倒木率が全体の7倍も高かった。

 小金井の桜は植栽し、並木に仕立てたものであり、人の管理下にある。したがって倒れれば植えればよいという考えはありうるかもしれない。その考えに立てば桜か雑木のどちらが大切かという議論になり、イチョウ並木やプラタナスの並木にコナラが生えてきたら、人が手をかけて植えた木は勝手に生えてきた木よりも価値が高いのだから雑木は伐ればよいということになる。花壇に植えた花と雑草の関係と同じである。小金井では玉川上水をそのように位置付けているということなのであろう。

 だが玉川上水の桜並木は街路樹とは違う。木の下に野草が生えていることを忘れてはならない。小金井の桜並木では他の樹種を伐採するために木はまばらであり、直射日光が当たる部分が多い。そうなれば雑木林の下に生える多くの野草は生き続けることはできず、特にアマナなどの「たまゆら草」は確実に消えてゆく。

 

小金井で見た無残な伐採

 私は小金井の玉川上水を見て驚かないではいられなかった。前から小金井の玉川上水は明るく桜が多いとは思っていたのだが、今回(2020年3月)訪れたとき、ケヤキの大きな木が軒並み伐採されていたのを見て私は心が痛んだ。根元を見ると玉川上水の壁に根を張り、特有の生え方をしている。切り株の直径は50cmほどはあったから、樹齢は優に100年を超えているはずだ。これらの木は私たちより早く生まれ、太平洋戦争も見てきたのだ。あるいは明治維新をも見ているかもしれない。それが21世紀になって無残にも伐り尽くされた。

 

小金井で見たケヤキの伐採痕(2020.3.5)

 

 こうした伐採は小金井の広い範囲に及んでいた。次の写真を見てもらおう。右岸の地表を見てもらいたい。ほとんど裸地になっている。こういうところには雑草でさえ入りにくい。風で種子散布をするタンポポやススキなどの種子が飛来し、一部のものがかろうじて発芽する程度であろう。玉川上水に多い、草原生の野草であるアキカラマツ、シラヤマギク、ツリガネニンジン、オカトラノオなども生育は絶望的である。ましてや雑木林の下に生えるナイーブな「たまゆら草」はこの直射日光の当たる環境では全く生育することはできない。

 

伐採された玉川上水の岸(2020.3.12)

桜の花見と野草

 伐痕(伐採された樹木の痕)をみると、切り口は新しく、多くの木は数カ月以内に伐採されたようだ。伐採はまさに今進められているのだ。

 私は伝統的な花見はよいことだと思う。人々が春の到来を喜び、桜を見ながら野外で集って楽しむのは素晴らしい伝統と言えるだろう。その自然を愛でるという精神からして、100歳以上の樹木を伐りつくすことは相反することにならないだろうか。

 玉川上水は、もともとの目的は江戸市民の生活水の確保であり、紛れもない生活に必要であった人工的な構造物である。小金井では花見を楽しんだが、そのほかのほとんどは水質管理のために草刈りをして維持された。しかし、戦後はむしろ緑地としての機能を持つようになり、木々が育ち、特に高度成長期に急速に失われていった武蔵野の雑木林のレヒュージアとして野草を保全する空間としての価値が高い。桜の花見という年に一度の行楽とは違い、四季折々の自然に接する喜びを楽しむ人の方がはるかにが多い。

 ただ、それでも私は小金井に桜並木があることは尊重したいと思う。というのは、部分的に上木を伐採することは草原的な野草の復活に有効であり、異なる樹木管理がなされていることが、全体として玉川上水に森林と草原の野草が生きる多様な環境を創成していると考えるからである。

 いずれにしても重要なのは「桜か雑木か」といった粗雑な議論ではなく、人も野草も小さな生き物も全て地球に共に生きる仲間であるという価値観にたち、そのような視点で玉川上水をいかに管理するかを考え、計画を立て、市民とともに実行してゆくことである。

 

玉川上水にとっての伐採

 私が懸念するのはこの桜優先型の「小金井方式」の管理が小金井の外側にまで拡大されはしないかということである。繰り返すが、もしそのようなことになれば、少なくとも数万年という長い時間を世代を引き継いできた森林生の野草の息の根をとめることになるのだ。著名な生物学者にして保全生物学者であるE.O.ウィルソンはアメリカによるアマゾンの熱帯林伐採を次のように表現した。

この行ないは、経済的な見地からすれば正当化されるのかもしれない。しかし、料理を作るための焚き付けとして、ルネサンス時代の絵画を使うのに似た行為であることにかわりはないのだ。

 小金井の玉川上水を桜の花見の場所にすることは構わない。それによって観光を盛んにするのも良いだろう。だが花は桜だけではないし、玉川上水はそのためにあるのではない。多様な植物が生育し、多様な楽しみ方をする人がたくさんいる。長い年月を生き伸びてきた野草を、桜の花見を目的に消滅させるという愚を他地域にまで拡大することは、私たちに続く世代に対してしてはならないことだと思う。


最近の動き

2019-02-25 08:10:26 | その他
2019.1.16
編集中の秋の号と冬の号が最終段階になりました。表紙と内容の例を紹介します。冬の号は少しスタイルが違います。


秋の号の表紙


見開きの左ページには解説を書きました。


右ページには歩いて記録した「花マップ」を乗せ、それにスケッチとエッセーを添えました。


冬の号の表紙


ジャノヒゲ とヒヨドリジョウゴ


カラスウリとツルウメモドキ

2018.12.10
小平市中央公民館で以下の4点について話し合いをしました。
1)冊子の進捗(松岡)
2)冊子の配布(松山)
3)シンポジウム関連
  広報、当日の役割など
4) 助成金(松山)
5)今後のこと(高槻)


2018.10.14
小平市中央公民館で以下の4点について話し合いをしました。
1)来年のシンポジウムの内容と役割分担
2)花マップ冊子の「秋の号」と「冬の号」の進捗報告
3)助成金の計画変更と、来年度の申請について
4)台風24号による倒木の緊急調査について



2018.10.2
台風24号はまれに見る強い風を吹かせたので、玉川上水の木も倒れました。そこで花マップでも実態を記録することにしました。


2018.8.10
 花マップ「秋の号」を作る過程で、「玉川上水のオリジナル秋の七草」を選びました。こちら

2018.8.10
 今年の4月から7月までの記録をまとめてみました。こちら

2018.6.24
 花マップの調査が始まり、3ヶ月近くが経ちました。新しく参加して不慣れだった人も徐々に慣れてきました。この辺りで一度集まって話し合いをすることにしました。昨年の会計報告、今年の計画、冊子「秋の花」の編集、調査の現状、質問、シンポジウムなどを相談しました。こちら



2018.5.28
 新しいメンバーが増えたので、活動が広がりましたが、初めてのことなので撮影、集計、報告などに不慣れな人もあり、取りまとめが遅れましたが、4月の結果が出ました。その一部を紹介しますが、この表の見方は次の通りです。



上には橋の番号、名前が上流から下流に並んでおり、これが99区画あります(ただし、この表は全体の3分の2くらいで下流は切れています)。その下に調査をしたという報告を受けて完了の確認をしたことがわかるようにしています。その下にあいうえお順で花の名前があり、4月の花は31種ですが、実際にはそれ以外でも記録報告があり、100種を超えています。つまり縦横それぞれ100の1万のセルがある膨大な表ができたわけです。これを見ながら頻度が高いものの名前に赤い色をつけ、高頻度ほど濃い赤にしています。タンポポやヒメオドリコソウのような明るい場所に生える外来種や畑地雑草が高頻度でした。

2018.4.5
4月5日、2回目のレクチャーをし、鷹野橋から上流のいこい橋まで歩きました。


2018.4.1
4月1日 春の花が咲き始めました。シンポジウムの時に「私も参加したい」と行ってくださった方があったので、実際の記録の仕方を体験してもらうために集まりました。鷹野橋から東へ2区画、鎌倉橋までを実習しながら歩くことにしました。「4月の花」で見つかったのはタチツボスミレ、ウグイスカグラ、クサボケ、シュンラン、アマナ、ヒメウズといったところでしょうか。思いがけなかったのはムサシアブミ。それと去年も確認してはいましたが、チゴユリがもう咲いていました。初めての人も撮影係、記録係などを引き受けて忙しげに、でも楽しげに作業をしていました。この後も4回ほど予定しています。


鎌倉橋で


新緑の平右衛門橋


玉川上水花マップを作る - 冊子に込めた想い -

2019-02-01 18:10:55 | その他



<科学的姿勢>
 玉川上水にはとくに珍しい動植物がいるわけではない。だが、周囲が市街地であることを考えると、「野草がなかなかある」ということになるし、三鷹駅やそれよりも下流の人口密度を考えると「よく残っているなあ」ということになる。見方によれば「風前のともしび」のようでもあり「絶滅は時間の問題」のようにも思える。
 私はその玉川上水を20年くらい眺めてきたが、3年ほど前からは、観察会を始め、じっくり調べたりしてきた。その過程で一人ではできないことが多人数ならできることを体感した。都市の緑地は常に変動しており、管理の仕方や破壊の程度によって大きく変化する。そうであれば、人数をかけて「玉川上水の今を記録する」ことは意味があると考えた。
 そこで関心のありそうな人に声をかけて「玉川上水の野草の今」を記録することにした。植物に詳しい人もいたが、ビギナーのほうが多かった。玉川上水は長さが30kmもあり、橋がほぼ100本あるので、橋と橋の間を区画として、分担して調べることにした。その時「確かにあった」という報告はデータとして利用しなかった。その人の人柄を信用しないわけではないが、人には思い違いもあるし、間違いもある。このことは厳密にしたかったので、花を撮影してもらったのだが、現に撮影された写真を見ると、多くはないが間違っていることがあった。だから「物的証拠」を残すことにしたのである。こうした記録は毎月私のところに送られてくる。人によっては100枚を大きく上回る写真を送ってくる。その整理はかなり大変であった。
 このことを4月から11月までの8カ月おこなった。分担区画が多い人はかなり大変だったはずだが、このことについては私は情け容赦をしなかった。「こんなはずじゃなかった」と感じた人もおられたに違いない。だが、1カ所でも欠損があれば、全体のデータに穴が空く。野草な好きの人の集まりではあるが、なんとなく花を見て楽しむのが目的ではなく、玉川上水の今を正確に記録することが目的であれば、それ以外にはやり方がないからだ。
 それにより、膨大な貴重なデータが取れたことは誇らしいことである。このデータは自然保護シーンでも高く評価されるに違いない。
 ここまでは、私の生物学研究者としての貌(かお)が出た面だと思う。科学的姿勢からすれば、事実の正確な記述には容赦してはいけない。それは私の30年の研究生活から学んだことだ。

ニリンソウ


<冊子作り>
 このデータは一覧表にして表で表現することもできる。だが、私はそうはしなかった。この貴重なデータを通じて、玉川上水の意味、価値を広く知ってもらいたいと思い、その表現方法はどうしようかと考え、小さな冊子にすることにした。その内容の最重要なのは「花マップ」つまり、その花が玉川上水のどこにあるかを表現した地図である。だが、私はそれだけにしなかった。そして、一つには写真を主体とした花の解説をした。これはよくある「どこどこの野草」という類の出版物にある表現だが、この種の本類にはどれも同じような記述がある。それは図鑑類を引用し、自分の言葉で書かれていないからだ。そこで、私たちの冊子では野草の解説だけでなく、玉川上水での生育の状況などを記述することでオリジナルなものにした。また実際に調査に参加したメンバーに短いエッセーを書いてもらうことにした。それも花の解説のようなものではなく、その花についての思い出とか、感想などを書いてもらった。それから私が花のスケッチを描いてマップに添えた。花のスケッチは生物学的に正確なものとした。こうしたことにより、この冊子はどこにもないユニークなものになった。できあがった冊子を手にした時、私は多くの人の努力が小さな冊子に注ぎ込まれているように感じ、ゆっくりとページをくった。
 私たちは玉川上水30kmの南岸と北岸を毎月歩いた。ただしゴルフ場などがあって歩けないところもあるから1カ月で歩いたのは50kmほどと思われる。これを8回おこなったから400kmということになる。これは東京から北は盛岡、西は神戸に相当する。これを2年だからその倍の800kmとなる。これは北は札幌の手前、西は北九州に達する距離である。とても一人ではできっこない「グレートジャーニー」である。


ホタルブクロ


 さて、この冊子を作るのは花の記録調査とは違う厳しさがあった。この冊子作りは松岡さんという優れたデザイナーによるところが大きい。できあがったものを見れば、できるまでに何事もなかったように自然に見えるが、水面下では文章の量と写真の種類や枚数などを細かく計算されている。「マップ」も私の勝手な要求に応えて一見、素朴で楽しげなものにしてもらった。見開きページの中央には螺旋(らせん)のリングをつけて、あたかもリングファイルの冊子を開くような感じがするという演出もある。冊子の後ろにある「ミニ図鑑」を見やすくするために、植物を単子葉植物、双子葉植物などに類型して、それがひと目でわかるように、丸に色をつけるようにしたが、私の指定とは違う色の校正が戻ってきた。その色が原色っぽくて良くないと思ったので、そのことを伝えると、松岡さんからは、「その色では色覚障害のある人には識別がむずかしいのでこの色にした」という返事が来た。私はこれは職人の仕事だと思い、深く納得した。
 よい冊子にしようという気持ちから、私はたくさんの要求をしたが、松岡さんが私に求めるものもなかなかの厳しいものだった。そのやりとりを見て「あの二人は仲が悪くなったんじゃないか」と心配する人もいたほどだった。
 膨大なデータの整理も冊子作りも大変ではあったが、それでも全体の感想を言えば、この作業は楽しいものだった。私は絵を描くことは好きだが、それは野帳などに鉛筆で描くものが大半で、丁寧に描いて色をつけることはほとんどしたことがないように思う。大学の現役研究者の時にはとてもそういう時間をとることができなかったから、野草の花を無心に描く時間は実に至福のときであった。複雑な花の重なりや、葉の陰影の表現などは実際に描いてみて初めてそのむずかしさがわかった。それだけにうまく描けた時はうれしかった。
 そう考えれば、冊子作りの多くの部分は科学者としての私の要素は小さく、自然の美しさを表現することを楽しむ私の貌(かお)が出たといえそうな気がする。


ノコンギク


<玉川上水の保全>
 昨年花マップ冊子の夏の号を作ったとき、メンバーで議論をしたことがある。それはオカトラノオとヤマユリがある場所をマップで表現するかどうかということだった。私は初めその意味がわからなかったが、一部の人から「その情報が盗掘に使われるのではないか」という声があったのだ。そう言われれば、そうでないとは言えない。貴重な野草を採集して販売するプロがいるから、危険があるというわけだ。だが、玉川上水は歩道に柵があり、中には基本的には入れないようになっている。また玉川上水は人通りが多く、ヤマユリのような大きな野草を掘って採る人などいるとは思えない。私にはこの冊子を手にして、玉川上水の野草の豊かさを再評価する人はたくさんいるだろうが、これを手にして盗掘する人というのは想像ができない。しかしそれは私の考えなので、夏の号ではある種の妥協をして情報を伏せた。
 私はこの議論はことの軽重のバランスを欠いていると思う。玉川上水を歩くとパンジーやチューリップが植えてあるのをよく見る。また調査で歩くとあっと驚かされることがある。野草が徹底的に刈り取られているのだ。こういう強い野草へのマイナス行為を取り上げないで、極めて稀な(ほとんどありえない)盗掘者のことを心配するのはいかにもことの本質を見誤っている。それどころか、大きな道路によって、野草を採る、採らないどころではない、無残にも永遠に失うということが現実に進行しているし、今後も予定されている。
 この冊子作りではそうしたことを考える機会にもなった。私が信じるのは、この記録性と独創性と芸術性で一定のレベルに達した冊子を手にした人が、改めて玉川上水の素晴らしさや価値に気づいてくれるに違いないということだ。それがこの活動のもともとの目的だ。この冊子はその力を持つ内容になったと自負している。それを実現したのが、植物の専門家でも、自然保護活動のプロでもなく、こう言っては失礼だが、ごく普通のおじさん、おばさんだったのだ。実に痛快な事だ。


ジャノヒゲ