![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/03/e9da5428ff9b7a06372807b5343de611.jpg)
ここ静岡では、『スーパーチャンプル』に続いて『歌スタ!!』が放送されます。ごくたまに見ることがあるくらいです。どっちにしろ『channel-a』の「裏です・・・w
『歌スタ!!』と言えば、『紅白』にも出場した「木山裕策」がデビューしたことで有名ですが、「パパ」の次は今度は「ママ」さんシンガーがデビューしたそうです。
・・・・・・・・・
2週間ほど前に、久しぶりに「遅番」のシフトをやりました。午後からの出勤なので、8時ぐらいに起きてきます。ぼんやり芸能ニュースを見ながら、朝食を取ります。たいてい『スッキリ!!』を見ることが多いです。
そんなある日、ふと優しい歌声が聞こえてきました。「特集」のようなものをやっていました。小さな女の子のママさんでした。ちょっと気になって、途中から録画しました。
それが、「初田悦子」さんでした。
その前に、『歌スタ!!』の仕組みを簡単に説明します。
☆カラオケ(DAM?)のオーディションに合格すると「日テレ」の「回る舞台」で歌うことができる。
☆最初は「30秒」あって、「ハンター」と呼ばれる「審査員(作曲家など)」がボタンを押すと「15秒」延長される。
☆持ち時間が「0」になれば「不合格」だが、「ワンコーラス」歌い切ると「合格」となり、改めて「曲」を書くかどうかの判定を「よろしく」と「ゴメンネ」の札で行う。
☆「よろしく」の札が上がった「歌い人」は、ハンターと共に「トレーニング」をしてハンターの書いたオリジナル曲で「運命のファイナルジャッジ」を受ける。
☆この時の「審査員」は「レコード会社」の幹部で、そこで「よろしく」の札が上がれば、晴れて「メジャーデビュー」つまり「プロ」になれるのである。
「初田」さんは、「ジャーニー」?の『Open Arms』という曲を歌い切ったが、「ゴメンネ」の札でデビューへの道は断たれたかに見えたが、「視聴者」からの反響が大きく、「リベンジ大会」出場の機会を与えられたのだそうです。
2007年7月のことです。
「リベンジ大会」で「荒井由実」の『翳りゆく部屋』を歌い上げ、ある作曲家が「よろしく」の札を上げたのでした。それが、「hitomi」「岸谷香」などをプロヂュースする「鎌田雅人」でした。
“内面にとつとつと伝えることができる人なんだな、と見れたんですよね・・・”(鎌田雅人)
そして、彼が「初田」さんに『mother』という曲を書き下ろしてくれたのです。
その曲で、「運命のファイナルジャッジ」に臨み、見事「SMEレコーズ」からのメジャーデビューが決まったのでした。2008年9月のことでした。
その喜びを真っ先に伝えたのが、愛娘(まなむすめ)の「あのん」ちゃん(4)でした。
その時、「よろしく」の札を上げた「山中幸夫プロデューサー」は、メジャーデビューの条件として彼女にひとつのことを要求しました。
“ほんとの、なんか「お母さんの顔」で歌えるような、もっともっと身近な(歌で)…。で、初田さんには、是非それを完成させるためには、やっぱり「歌詞」を一緒になって書いて欲しいな思います。”(山中幸夫)
彼女が「ママ」として“絶対入れたかった歌詞”が次の言葉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/18/0ef14ed2d195c1c223fa8418cccb3836.jpg)
“「しわくちゃで小さな手のひらキュっとつぼんだだけで…」ていうところだったんですけど、本当にあのちっちゃいしゅわっしゅわの手がキュっとなっただけで、また、指を1本ピッて置いたら、反射なんですけどキュって握ってくれたんですよ…。
それだけで、私は、まぁ「泣き虫」というのもあるんですけど、ボロボロに、幸せを感じて泣いて「う~ん、幸せ」ってつぶやいてた・・・”
母から子への感謝の気持ちや、子どもに伝えたいことを言葉につむいだのだそうです。
そんなある日、思いもよらない不幸が彼女を襲ったのでした。
それは、中国へ出張中だった「父」が突然倒れ、そのまま「帰らぬ人」となってしまったのでした・・・。
“すっごい「ケッタイ」なおっちゃんで、すっごい楽しい人だったし、本当に、何て言うんでしょう…。自分勝手な「背中」を、本当におっきい自分勝手な背中、スキなことをやり切った背中を、いつも見せてくれてた・・・”
そんな、いつでも彼女を応援してくれた最愛の父との「別れ」から、新たな「フレーズ」が生まれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/59/8e4fafca5950d986aecd92ff764fd4d9.jpg)
“「ママがいるよ、大丈夫だよ」じゃなくて、ママがいなくなるかもしれないし…”
「父の死」という現実を通して、娘へのメッセージを伝えたかったのだという。
大切なのは、「悲しみ」「痛み」を“乗り越えること”。
こうして、デビュー曲『きみのママより』が完成しました。
この曲を愛娘の「まのん」ちゃんが初めて聴いたのは、車の中だったのだそうです。
「初田」さんが、後ろの席の「チャイルドシート」の「まのん」ちゃんを振り返ってみると・・・
“「ヒック」って泣いてて、「ママ、ありがとう」って言ってくれて・・・
いい機会、与えてもらったなぁと思います。”
・・・・・・・・・
正直言って、彼女が歌った最初の「3曲」を聴いた時には、そんなにいいとは思えませんでした。(番組では、「触り」の部分しか映らなかったし)
どの曲も、「歌い上げる(熱唱する)」ものばかりで、ちょっと「違和感」を感じました。オペラとか外国のミュージカルみたいな・・・。
ところが、「山中幸夫プロデューサー」の作った『きみのママより』という曲は、全く違う「印象」のものです。
彼が言った「お母さんの顔」であり、「お母さんの言葉」であり、「お母さんの声」で歌われている曲になりました。
さすが、「プロ」の目は違うと思いました。正に、「原石」の中にあった「宝石」が見えていたのですね!
しかも、彼女のアーティスト(作詞)としての「才能」まで見抜いていたのすから、ビックリです。
ほんとに、素敵な詞です。心に響くというか、心に突き刺さって涙が溢れる詞です。特に、「雪の日」のエピソードは「深イイ」です・・・。
全てのママへ、そして全てのママのきみへ・・・
「ようつべ」から、『歌スタ!!』での「初披露」の動画です。他にもありますから、見てください。
初田悦子 きみのママより 歌スタからデビュー!
蛇足ですが、やっぱり女性は「美しくなれる」んだと改めて感じました。
最初の頃の彼女
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/16/4f2dad98d04abfd2286c24348e683d65.jpg)
今の彼女
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2c/6b47323df6d78e5699ff1dc49056c320.jpg)
化粧するしないとかだけでなく、「夢を叶えた人(夢を掴んだ人)」は誰でも「輝いて」見えるということなんでしょうか!?
『歌スタ!!』と言えば、『紅白』にも出場した「木山裕策」がデビューしたことで有名ですが、「パパ」の次は今度は「ママ」さんシンガーがデビューしたそうです。
・・・・・・・・・
2週間ほど前に、久しぶりに「遅番」のシフトをやりました。午後からの出勤なので、8時ぐらいに起きてきます。ぼんやり芸能ニュースを見ながら、朝食を取ります。たいてい『スッキリ!!』を見ることが多いです。
そんなある日、ふと優しい歌声が聞こえてきました。「特集」のようなものをやっていました。小さな女の子のママさんでした。ちょっと気になって、途中から録画しました。
それが、「初田悦子」さんでした。
その前に、『歌スタ!!』の仕組みを簡単に説明します。
☆カラオケ(DAM?)のオーディションに合格すると「日テレ」の「回る舞台」で歌うことができる。
☆最初は「30秒」あって、「ハンター」と呼ばれる「審査員(作曲家など)」がボタンを押すと「15秒」延長される。
☆持ち時間が「0」になれば「不合格」だが、「ワンコーラス」歌い切ると「合格」となり、改めて「曲」を書くかどうかの判定を「よろしく」と「ゴメンネ」の札で行う。
☆「よろしく」の札が上がった「歌い人」は、ハンターと共に「トレーニング」をしてハンターの書いたオリジナル曲で「運命のファイナルジャッジ」を受ける。
☆この時の「審査員」は「レコード会社」の幹部で、そこで「よろしく」の札が上がれば、晴れて「メジャーデビュー」つまり「プロ」になれるのである。
「初田」さんは、「ジャーニー」?の『Open Arms』という曲を歌い切ったが、「ゴメンネ」の札でデビューへの道は断たれたかに見えたが、「視聴者」からの反響が大きく、「リベンジ大会」出場の機会を与えられたのだそうです。
2007年7月のことです。
「リベンジ大会」で「荒井由実」の『翳りゆく部屋』を歌い上げ、ある作曲家が「よろしく」の札を上げたのでした。それが、「hitomi」「岸谷香」などをプロヂュースする「鎌田雅人」でした。
“内面にとつとつと伝えることができる人なんだな、と見れたんですよね・・・”(鎌田雅人)
そして、彼が「初田」さんに『mother』という曲を書き下ろしてくれたのです。
その曲で、「運命のファイナルジャッジ」に臨み、見事「SMEレコーズ」からのメジャーデビューが決まったのでした。2008年9月のことでした。
その喜びを真っ先に伝えたのが、愛娘(まなむすめ)の「あのん」ちゃん(4)でした。
その時、「よろしく」の札を上げた「山中幸夫プロデューサー」は、メジャーデビューの条件として彼女にひとつのことを要求しました。
“ほんとの、なんか「お母さんの顔」で歌えるような、もっともっと身近な(歌で)…。で、初田さんには、是非それを完成させるためには、やっぱり「歌詞」を一緒になって書いて欲しいな思います。”(山中幸夫)
彼女が「ママ」として“絶対入れたかった歌詞”が次の言葉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/18/0ef14ed2d195c1c223fa8418cccb3836.jpg)
“「しわくちゃで小さな手のひらキュっとつぼんだだけで…」ていうところだったんですけど、本当にあのちっちゃいしゅわっしゅわの手がキュっとなっただけで、また、指を1本ピッて置いたら、反射なんですけどキュって握ってくれたんですよ…。
それだけで、私は、まぁ「泣き虫」というのもあるんですけど、ボロボロに、幸せを感じて泣いて「う~ん、幸せ」ってつぶやいてた・・・”
母から子への感謝の気持ちや、子どもに伝えたいことを言葉につむいだのだそうです。
そんなある日、思いもよらない不幸が彼女を襲ったのでした。
それは、中国へ出張中だった「父」が突然倒れ、そのまま「帰らぬ人」となってしまったのでした・・・。
“すっごい「ケッタイ」なおっちゃんで、すっごい楽しい人だったし、本当に、何て言うんでしょう…。自分勝手な「背中」を、本当におっきい自分勝手な背中、スキなことをやり切った背中を、いつも見せてくれてた・・・”
そんな、いつでも彼女を応援してくれた最愛の父との「別れ」から、新たな「フレーズ」が生まれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/59/8e4fafca5950d986aecd92ff764fd4d9.jpg)
“「ママがいるよ、大丈夫だよ」じゃなくて、ママがいなくなるかもしれないし…”
「父の死」という現実を通して、娘へのメッセージを伝えたかったのだという。
大切なのは、「悲しみ」「痛み」を“乗り越えること”。
こうして、デビュー曲『きみのママより』が完成しました。
この曲を愛娘の「まのん」ちゃんが初めて聴いたのは、車の中だったのだそうです。
「初田」さんが、後ろの席の「チャイルドシート」の「まのん」ちゃんを振り返ってみると・・・
“「ヒック」って泣いてて、「ママ、ありがとう」って言ってくれて・・・
いい機会、与えてもらったなぁと思います。”
・・・・・・・・・
正直言って、彼女が歌った最初の「3曲」を聴いた時には、そんなにいいとは思えませんでした。(番組では、「触り」の部分しか映らなかったし)
どの曲も、「歌い上げる(熱唱する)」ものばかりで、ちょっと「違和感」を感じました。オペラとか外国のミュージカルみたいな・・・。
ところが、「山中幸夫プロデューサー」の作った『きみのママより』という曲は、全く違う「印象」のものです。
彼が言った「お母さんの顔」であり、「お母さんの言葉」であり、「お母さんの声」で歌われている曲になりました。
さすが、「プロ」の目は違うと思いました。正に、「原石」の中にあった「宝石」が見えていたのですね!
しかも、彼女のアーティスト(作詞)としての「才能」まで見抜いていたのすから、ビックリです。
ほんとに、素敵な詞です。心に響くというか、心に突き刺さって涙が溢れる詞です。特に、「雪の日」のエピソードは「深イイ」です・・・。
全てのママへ、そして全てのママのきみへ・・・
「ようつべ」から、『歌スタ!!』での「初披露」の動画です。他にもありますから、見てください。
初田悦子 きみのママより 歌スタからデビュー!
蛇足ですが、やっぱり女性は「美しくなれる」んだと改めて感じました。
最初の頃の彼女
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/16/4f2dad98d04abfd2286c24348e683d65.jpg)
今の彼女
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2c/6b47323df6d78e5699ff1dc49056c320.jpg)
化粧するしないとかだけでなく、「夢を叶えた人(夢を掴んだ人)」は誰でも「輝いて」見えるということなんでしょうか!?
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