ずっと以前に書いたことがありますが、私は「運命」とは「結果」だと思っています。
起きたことは、全て「運命」なのです。“あの時、もし…”と思っても、「結果」は変わらないのです。ひとつ、ひとつの積み重ねが、全て「結果」につながっているのです。起きてしまったことは、もう変えられないのです。
それを「運命」と呼ぶのです。
従って、まだ起こっていない「未来」には「運命」はありません。
起きて初めて、“そうなる「運命」だったのか…”と思うだけです。
よく、運命の「赤い糸」ということがあります。生まれた時から、結ばれる相手が決まっている(「赤い糸」でつながっている)とか言います。「数奇な」巡り合わせによって結ばれたりすると、まるで生まれた時から決まっているように感じることがあるかもしれません。
でも、それは違うと思います。
結ばれたからこそ、そこから過去をたどっていけたのです。「結果」があったからこそ、はじまりにも辿り着けたのです。
決して、生まれた時から決まっていたのではありません。
ひとが“この人が私の「運命の人」だったのか…”と思うのは、結ばれてからです。そして、それは本人だけにしか感じることができないんじゃないでしょうか?
結果も出ていないうちから“この人が「運命の人」なのかしら…?”と思っても、別れてしまえば無意味です。そんな風に思って探しても、見つからないものじゃないのかな?
それは、あとからゆっくり“そうなんだ…”とか“そうだったのかなぁ…”とか、ふと何かのついでに思えばいいんじゃないのかな・・・?
起きたことは、全て「運命」なのです。“あの時、もし…”と思っても、「結果」は変わらないのです。ひとつ、ひとつの積み重ねが、全て「結果」につながっているのです。起きてしまったことは、もう変えられないのです。
それを「運命」と呼ぶのです。
従って、まだ起こっていない「未来」には「運命」はありません。
起きて初めて、“そうなる「運命」だったのか…”と思うだけです。
よく、運命の「赤い糸」ということがあります。生まれた時から、結ばれる相手が決まっている(「赤い糸」でつながっている)とか言います。「数奇な」巡り合わせによって結ばれたりすると、まるで生まれた時から決まっているように感じることがあるかもしれません。
でも、それは違うと思います。
結ばれたからこそ、そこから過去をたどっていけたのです。「結果」があったからこそ、はじまりにも辿り着けたのです。
決して、生まれた時から決まっていたのではありません。
ひとが“この人が私の「運命の人」だったのか…”と思うのは、結ばれてからです。そして、それは本人だけにしか感じることができないんじゃないでしょうか?
結果も出ていないうちから“この人が「運命の人」なのかしら…?”と思っても、別れてしまえば無意味です。そんな風に思って探しても、見つからないものじゃないのかな?
それは、あとからゆっくり“そうなんだ…”とか“そうだったのかなぁ…”とか、ふと何かのついでに思えばいいんじゃないのかな・・・?
「魂のつながり」・・・私もそれが一番究極の「愛」だと思っています。
お互いを「ひととして」認め合うことが、本当の「幸福」をもたらしてくれる。そういう「パートナー」が「運命の人」なのでしょう。