『金スマ』の新年第1回目は、2時間SPでした。
TV欄を見たら、紅白での「涙」の真相と書いてあったので、念のために観ることにしました。『紅白』ではチラッ見ただけなので、ちゃんとした判断だったと言えないからです。
その日は別の番組を録画していたので、『金スマ』は録画しないでTVの前に座り込みました。もう日が経っているので、記憶も曖昧になっていますが、やっぱり観てよかったと思いました。
この日の『金スマ』で初めて知ったことが「2つ」ありました。
1つ目は、例の「おふくろさん騒動」の原因となった歌の前の「セリフ」は、彼が勝手に付け加えたのではなくて、発売当時の所属プロダクションから指示されていたということでした。
当時のことをよく知る「鳥越俊太郎」も、30年以上も昔から芸能関係者はみんな承知していたことで、それが最近になって「騒動」になったのはおかしいと語っていました。
この騒動のもう一方の当事者である作詞家の「川内康範」が既に故人となっているので、今となっては彼の胸のうちは永遠の謎のままですが、私には思い当たる仮説があります。
それは、「川内」氏が「老人」であったということです。
「老人」というと「長老」という言葉があるように、人生経験豊富な「賢者」というイメージもある一方、他人(ひと)の言うことを聞かない「ガンコ者」という「負」のイメージもあります。
物分りがよいどころか、普通では考えられないような酷いことをしてしまう「老人」が増えているように思います。
それは、「老人」になって周囲とのコミュニケーションがうまく取れなくなると、「独りよがり」な考えに凝り固まってしまう傾向が強くなるからなのだそうです。
たとえば、孫を含む一家全員を惨殺したり、重機で玄関を壊したり、家の境界争いから殺人事件になったりなど、“なんで?”と思う悲惨な事件の主役が「老人」であることが増えています。
また、あちこちで話題になる「ゴミ屋敷」の住人が「老人」であり、身勝手な「聞く耳持たぬ」態度も共通しています。
そういうわけで、「老人」の言うことが正しいという保障などどこにも無いのです。過去にどんな功績があっても、「老害」でないとは言い切れないのです。
「泰葉」さんに面と向かって“あなたは、病んでいる!”と言える人がいなかったように、「大家」に“あなたの言うことは間違っている!”と言える「第三者」が芸能界にはいないのです。
だから、(あくまでも私の「仮説」ですが)「川内」氏がどこかでボタンの掛け違いをしてしまったのでしょう・・・。
もちろん、それ以前の彼の業績は見事なものであることには、変わりは有りません。
「2つ目」は、あるひとりの熱狂的な女性ファンによる「妄想騒動」があったということも全く知りませんでした。
しかも、ただひとりの「歌手」の身の上だけでなく、その「母親(=おふくろさん)」をも巻き込んでしまった、それも「最悪」の結果を招いてしまったということを・・・。
それにしても、彼の生い立ちの悲劇も半端なものではありませんでした。酒飲みで働かない上に、愛人を家に住まわせるというとんでもない「父親」に愛想をつかし、そんな父親を捨て幼い妹・弟と共に母子4人での「生活保護」を受けながらの少年時代。
長男として、朝4時に起きて新聞配達などをしたりして、中卒で「集団就職」をしました。
1円でも多く稼ぎたい(家に仕送りしたい)と職を転々とするうちに、やがて「歌手」になるための修行をしてもすぐに結果が出るわけではありません。芽が出なかった時に、小学生の妹が夏休みに働いて稼いだ「2,000円」という「大金」を手に雨の中、当時の「師」に直訴したことなど、くぅの「下積み時代」の何百倍もの苦労を重ねた末の「成功」なのでした。
(それにしても、当時の「2,000円」は今なら「2万円」くらいはするでしょう。小学生がそんな大金を稼ぐのはとても、大変なことです。彼は、まだその「2,000円」を妹に返していないのだそうです・・・。)
そんな彼を天国から地獄に突き落とした「女性ファンの妄想」でボロボロになりながらも、けっしてそれを恨まないどころか、「ジャガイモの会」などの「社会貢献」にも熱心に活動していたことは、本当に頭が下がる思いです。
TV欄を見たら、紅白での「涙」の真相と書いてあったので、念のために観ることにしました。『紅白』ではチラッ見ただけなので、ちゃんとした判断だったと言えないからです。
その日は別の番組を録画していたので、『金スマ』は録画しないでTVの前に座り込みました。もう日が経っているので、記憶も曖昧になっていますが、やっぱり観てよかったと思いました。
この日の『金スマ』で初めて知ったことが「2つ」ありました。
1つ目は、例の「おふくろさん騒動」の原因となった歌の前の「セリフ」は、彼が勝手に付け加えたのではなくて、発売当時の所属プロダクションから指示されていたということでした。
当時のことをよく知る「鳥越俊太郎」も、30年以上も昔から芸能関係者はみんな承知していたことで、それが最近になって「騒動」になったのはおかしいと語っていました。
この騒動のもう一方の当事者である作詞家の「川内康範」が既に故人となっているので、今となっては彼の胸のうちは永遠の謎のままですが、私には思い当たる仮説があります。
それは、「川内」氏が「老人」であったということです。
「老人」というと「長老」という言葉があるように、人生経験豊富な「賢者」というイメージもある一方、他人(ひと)の言うことを聞かない「ガンコ者」という「負」のイメージもあります。
物分りがよいどころか、普通では考えられないような酷いことをしてしまう「老人」が増えているように思います。
それは、「老人」になって周囲とのコミュニケーションがうまく取れなくなると、「独りよがり」な考えに凝り固まってしまう傾向が強くなるからなのだそうです。
たとえば、孫を含む一家全員を惨殺したり、重機で玄関を壊したり、家の境界争いから殺人事件になったりなど、“なんで?”と思う悲惨な事件の主役が「老人」であることが増えています。
また、あちこちで話題になる「ゴミ屋敷」の住人が「老人」であり、身勝手な「聞く耳持たぬ」態度も共通しています。
そういうわけで、「老人」の言うことが正しいという保障などどこにも無いのです。過去にどんな功績があっても、「老害」でないとは言い切れないのです。
「泰葉」さんに面と向かって“あなたは、病んでいる!”と言える人がいなかったように、「大家」に“あなたの言うことは間違っている!”と言える「第三者」が芸能界にはいないのです。
だから、(あくまでも私の「仮説」ですが)「川内」氏がどこかでボタンの掛け違いをしてしまったのでしょう・・・。
もちろん、それ以前の彼の業績は見事なものであることには、変わりは有りません。
「2つ目」は、あるひとりの熱狂的な女性ファンによる「妄想騒動」があったということも全く知りませんでした。
しかも、ただひとりの「歌手」の身の上だけでなく、その「母親(=おふくろさん)」をも巻き込んでしまった、それも「最悪」の結果を招いてしまったということを・・・。
それにしても、彼の生い立ちの悲劇も半端なものではありませんでした。酒飲みで働かない上に、愛人を家に住まわせるというとんでもない「父親」に愛想をつかし、そんな父親を捨て幼い妹・弟と共に母子4人での「生活保護」を受けながらの少年時代。
長男として、朝4時に起きて新聞配達などをしたりして、中卒で「集団就職」をしました。
1円でも多く稼ぎたい(家に仕送りしたい)と職を転々とするうちに、やがて「歌手」になるための修行をしてもすぐに結果が出るわけではありません。芽が出なかった時に、小学生の妹が夏休みに働いて稼いだ「2,000円」という「大金」を手に雨の中、当時の「師」に直訴したことなど、くぅの「下積み時代」の何百倍もの苦労を重ねた末の「成功」なのでした。
(それにしても、当時の「2,000円」は今なら「2万円」くらいはするでしょう。小学生がそんな大金を稼ぐのはとても、大変なことです。彼は、まだその「2,000円」を妹に返していないのだそうです・・・。)
そんな彼を天国から地獄に突き落とした「女性ファンの妄想」でボロボロになりながらも、けっしてそれを恨まないどころか、「ジャガイモの会」などの「社会貢献」にも熱心に活動していたことは、本当に頭が下がる思いです。