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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

好ましい戦闘方法2

2013年11月11日 | (FE)創作日記
 さて、以上の結果、どうなの?
 普通に剣をもって肉弾戦をしている戦闘が、一番興味を惹くよな。
 いやいや槍でもいい。
 斧でもいい。
 メイスでもいい。

 馬に乗っているほうがかっこいい。
 しかも重装備だとなおいい。
 だけどプレートメイルみたいな、全身鎧とか、なんだか淡白だ。
 お○ぱいアーマーとか、最近は言うかいな?
 聖剣の刀鍛冶でこのおもしろいネーミングに笑ったものだが。

 まあ、実際文章だけの小説であれば、プレートアーマーだろうがお○ぱいアーマーだろうが、どちらであっても、読者の想像にまかせることができる。そこまで詳しく描写しなければいいわけで、絵として出ない限り、実際のところ見えないわけである。

 ただ、全身鎧はどうにも機敏性がなくて、ランス突撃などのそういった単調な攻撃方法しかないような気がして寂しい。
 実はプレートアーマーもそれなりに間接部は自由で動きにくいわけではない、とかもあるが、まあ、どうでもいい。

 必殺技を言いながら行われる戦闘がいい。
 書いていて自分でも笑う。

 まじくだらない。

 少し話を戻す?
 訓練された集団戦か、対個人的な集団戦か。
 後者はつまるところ、個人の武勇を求めた集団的な行動はしているが、基本は個々人が勝手に戦うという、なんだろう。イメージ的には本宮ひろしの男いっぴきガキ大将みたいな、やんきーどうしの抗争みたいな。

 こうやって書いてくると見えてくる。
 集団戦闘は個々の戦いは書かない。
 見栄えのいい対個人戦闘は、それでいい。

 わかりにくいかな?

 集団戦闘については、実際のところ、具体的な戦闘シーンに興味がない。少なくとも自分は。だから、大きな視点=戦術的視点からの描き方が適切だ。
 それとは別に、個人間の闘争を肉弾戦として書くのがおもしろい。

 というわけであり、云々。
 で、この肉弾戦は、つばぜり合いのつばぺっぺの、顔が擦りあうぐらい近づく戦闘がいいわけで、なんというのか、

 眠くなってきたので終わる。

好ましい戦闘方法

2013年11月11日 | (FE)創作日記
 くだらない。
 くっだらない。
 まじくっだらない。


 さて、自慢とか見栄とかではなく、いやいや、努力してるだろ凄いだろ的な意味合いになるのだろうか。
 どうでもいい。

 図書館で武士と騎士という本を少し前に借りた。フランスと日本との比較研究を行う意図で云々。
 今まで書いてなかったかもしれないが、基本、海外産は嫌いだ。
 たとえば、ファンタジー系-おもにヒロイックファンタジーになるのか?-は外国産が主なのか? 
 読めない。
 七王国物語もまだ読んでいない。

 訳文がどうしても馴染めない。
 大学時に、例えばなんだ? たとえばではないか。
 カミュの異邦人。
 まあ、あまりにも大昔すぎて内容は忘れてしまったが、あるいは罪と罰もそうだっけか。こちらは読んだ事ないが、日本語訳は難しすぎて分かりにくいと。フランスにしろロシアにしろ、なに? 原文で読むと普通に難しくないとか。

 訳文は嫌いだ。
 そのまんまの、日本人が書いていないという意味で、どうにもとっつきにくい。それこそ無駄に文章が長い。というのは少し前に何かで書いたか。
 とにかく、基本的な部分で違う。で、この違う部分が、どうにも自分には合わない。
 国際人にはなれないな、自分。
 と言う意味で、まあ、武士と騎士は、フランス人の論文も入れるというおもしろい趣向だなとは思いつつ、やっぱりあっちの人より日本人のほうが馴染みやすい。
 まあ、しかし日本人でも気持ち悪い作りの人もいるわけだが、
 ああ、無駄に前置きが長いな。
 ほんと、くっだらない。
 ストレス発散でしかないから困ったものだ。

 まだ少ししか読んでいないのでなんだが、騎士と弓矢を書いた堀越宏一の論文は、おもしろかった。大変参考になった。気がした。


 さて本題に入る。
 他の諸要素は省く。

 で、

 どういう戦闘をしてくれたら、おもしろいのか。納得がいくのか。

①日本の戦闘1
 弓馬の道、という表現が納得いかなかった時期があった。
 研究が進んで、実はちゃんばら戦闘が正しくなかったという雰囲気になってきているのですんなりと受け入れられるわけだが、武士における弓馬の道は、すなわち騎乗にて弓を放つ・・・というのも安直だ。馬と弓は別のことなのかもしれないので。

 ま、どうでもいい。

 弓を打ち合い、時期を見計らって近接に移る。
 ただしこの近接に移る時期はほとんど戦闘が終わっている。

 地味だよな。

②日本の戦闘2
 いつの時代だ。
 戦国時代の記録が少ないから、以後、日本の戦闘は近接肉弾戦という幻想を維新後の軍人は思ったとか。
 槍なり刀なりを持った騎兵がどおおおおっっと互いに楔形な陣形がぶつかって。

 天と地と は見ていないが、あれ。
 地味な弓の打ち合いよりはるかに見ごたえがある。

③西欧の戦闘1
 前身鎧ずくめ、馬も鎧をつけて、ランスを構えて突貫。
 本当らしかったらしいが、どうにもなんとも、うーん。
 中途半端な知識ゆえの不満足なのだろうが、馬も疲れやすいんじゃないのかえ。まして突撃するほどのスピードはでるのか? とか。というか、なんらかの拍子で落馬したら、もうどうしようもないだろ。
 いま少し勉強の必要があるが、プレートアーマーは15世紀ぐらいからか。
 もはやまっとうな貴族騎士が戦争にでるのではなく、傭兵が主になってくるような時代で、いまさらここで騎士とか言われても、どうなの? とか思う気持ちもある。
④西欧の戦闘2
 なので少し前にさかのぼろう。
 クロスボウなり弓なりを教会が禁じて云々という話がよくある。弓を嫌う傾向にある。殺戮性が高いため。戦争なのに戦闘をスポーツ的にルールを定めて、身代金を要求するための捕縛を目的にしてとかの説明。
 話に一貫性がないのは酔っているからである。
 で、騎兵は鐙を一番に、各種馬具の発見や伝播などでしっかり把握しておくほうがいい。
 鐙がないのに馬上槍とか、どんだけ、とか。
 いやいや、だからそもそも、槍を振り回すだけでも大変なのに、そんなことを背中でされたら、馬だって大変だろう。地球には重力がある。

 なんにせよ、弓攻撃が日本ほど主流にならなかったこの時代は、まだ勉強不足。さらにその前のカールマルテルのころとか、どんなん
④西欧の戦闘3
 100年戦争でイギリス軍の長弓が勝利を得たのは、重い騎兵が突進してくる前に、長距離をえられる長弓だから範囲外から云々。
 以後火薬の時代になっていくが、普通、やっぱり遠距離攻撃がやりやすいのではないだろうか。
 なのに近接直接攻撃を求めた重装備西欧騎兵は、やっぱりできるだけ殺戮を回避した競技的な戦争を求めていたからではないのだろうか。同じ宗教内で殺し合いをするとか、ヒどす。みたいな。

 と、まあ、重そうな装備、というか重い装備でとろとろ馬突撃する戦闘も、スピード感がなくて地味じゃない?

⑤もう少し書いておこう 西欧の戦闘4
 鉄砲の命中率が悪かったからこそ、陣形をとって人間盾で銃弾の中を前進するという、いや、これほんとなの?的な戦闘がナポレオンの時代にも、されていたというのが一般的な事実なのか。まあどうでもいい。納得いかないのは、プレートアーマーでも銃弾には対応できず逆に俊敏さが失われるから、逆に軽装にして、というのは納得がいくが、はては鎧もつけず、いちおうもっこりしたような軍服を着て、陣形をとって、銃が撃たれる中を前身していく・・・
 これがどうにも納得いかない。

 なお、火器の性能が高まって陣形とか人間の肉壁ではもはや対処しきれなくなったころ、塹壕やら土を掘ったり、みたいな、いわゆる現代イメージになってくるが。
 地味、とまでは言わないが、なんというか。地味だよな。

イメージ世界の中世2

2013年11月06日 | (FE)創作日記
 もう少し時間があるので続ける。
 ただ、前回と違って、本当に言いたかったことを書いていく。

 イメージは人それぞれ。
 これは、良くも悪くも、困ったものだと思う。

 さて。
 薄汚い都市は嫌だ。
 見栄えの悪い不潔なヒロインも嫌だ。
 服がダサいとか。ぷ。
 フロがないとか、ありえない。
 ましておといれをや。
 戦いは剣だよ、兄貴。
 全員髪の色が同じとか、地味だな。いやいや全員金髪ならそこまで地味ではないが。
 必殺技名はいらないけど、必殺技っぽいのがいい。

 ぐは。

 そういった意味で、ベルセルクには衝撃を受けたものだ。
 本当の、リアルっぽい中世世界観を表現してくれていた。本当に黄金時代が懐かしい。

 しかしなんだかんだ。
 つまるところ少年漫画的な剣と魔法のファンタジーでしか、楽しめないんだと思う。自分は。

 たしかに、歴史人物を主人公にした小説もおもしろい。
 いやいや、これは作者の腕というものか。おもしろいものはおもしろい。おもしろくないものはおもしろくない。

 ちょいとみつからないが、「ジャガーになった○○」傭兵だったか、男だったか。
 大昔よんでそれほどおもしろくなかった。最近読んで(ここ数年来だったか)やっぱりおもしろくなかった。まあ、読める程度には読めるのだが、いま少しぱっとしない。

 個人的な興味、趣味趣向の問題なだけなのだろうが。
 うーん。思考の時間的経緯をだらだら書いているだけになってしまった。

 ともかく、
 現実とイメージの中世観を両方考えていきたいと思った。とはいえどちらかというとイメージの世界観のほうに大きくぶれるのだろうが。


イメージ世界の中世

2013年11月06日 | (FE)創作日記
 ちょいと時間が空いてしまったので、酔っていないが、ぐだぐだと記録しておきたい。
 結局昨日の夜も、がんばろうとしたが、飲んで寝てしまった。

 同じ前置きをするかもしれないが、ぐだぐだと思いついたことを記録して、後日まとめなおすのが自分に合った方法だと思う。


 剣と魔法の中世イメージは、おもにゲームから来ている。
 FE、FF、ドラクエがメインか。なんだかんだドラクエ、FFはプレイしていたんだな。
 とはいえFFは近代化が早かった。

 文章物では、ロードス島、アルスラーン。
 漫画・アニメでは、ウィザードリー。

 ぱっと思いついたものをあげた。
 なんだかんだ、数が少ない。最近思い返すに、量的にはこの分野を大好きといえるほどこなしていないのではないか、と。
 まあ、いい。

 さて、いわゆる中世ヨーロッパを考えるに、イメージとのズレは大きい。
 まだまだ勉強不足だが、大きな出来事で分類するなら
1 西ローマ帝国の滅亡(4??)
2 カール戴冠(800)
3 カペー朝(987)(目安)
4 ノルマン征服(1066)
5 カノッサの屈辱(1077)
6 十字軍開始(1096)
・・・
7 マグナカルタ(1215)
8 100年戦争(1339~
9 東ローマ帝国の滅亡(1453)
10ばら戦争(1455~

 適当に挙げた。
 それでも5世紀に始まるとしてもおよそ1000年間を中世とできる。もちろん細分化はできるのだろう。日本では大和飛鳥奈良平安鎌倉室町と分類される時期だ。

 一番の難しさは、発展のスピードではないだろうか。
 18世紀以後、とくに20世紀に入ってからの科学文明の発展は凄い。・・・凄いとか小学生並みの表現だな。

 この感覚で歴史を見るに、どうして何百年も同じことができたんだろうねぇ、頭悪いなぁといったことを思ってしまう。
 ちょっと表現が違うか。少なくとも表現が悪いな。

 上手く説明ができない。
 たしかに昔は、発展速度が遅かったのかもしれない。が、それは社会システムの規制によって新しいことができなかったりした部分もあると思う。
 人のクローンを作るのはどうなのか、という問題がなければ、クローン技術はもっと発展していたのでは? という「イメージ」の意見と同じこととして。

 逆に言えば、自分みたいな一般人は、現代の発展速度に対して、本当に、この流れの中に入っているのかどうか。
 1000年後の人間が過去を振り返るに、20世紀~21世紀の科学的な発展も、初期段階だったので「遅い」発展速度だと定義されるかもしれない。
 現代に生きている自分としては、めまぐるしく世の中が変わっているような気もしている。携帯電話やパソコンやら。
 しかし基本のシステムやら加工技術等が発見されれば、以後の発展はある意味約束されたものである。
 そういった意味では、技術的な問題を書いているのかもしれない。話がずれているか。

 ともかく、1000年という期間がそうとう長いのに、おなじ一つの中世という名称でくくっているところに、些かの問題があるのだろう。
 1000年もたっているので、初期と後期ではいろいろと違っているのに。

 で。
 剣と魔法のファンタジーで思い浮かべる中世ヨーロッパのイメージとして、王様が支配している国があって、軍隊があって、魔王がいて・・・魔王はいないか。

 初期のドラクエ程度なら、緩やかなイメージとして、とりとめてズレは少ないと思う。
 ただ、このイメージをより具体化していったもの・・・具体例が思いつかないが、それこそFE聖戦を考えると、軍隊の部分で、中世の域を出ているにもかかわらず、というところがある。

 それこそ、王様が最高権力者として王国全土にわたって権限をもちえるような世界観は、中世ではない。と思う。もちろん剣と魔法のファンタジーにおけるイメージとしての中世世界観として、十分にアリなわけだが。

 少々話がごちゃごちゃしてきたので一旦切る。

○小説の書けない理由のまとめ

2013年11月04日 | 創作日記(まとめ)
 文章を読むことは時間のかかる行為である。
 内容を理解するのは、さらに時間のかかる行為である。
 ゆえに、可能な限り短くまとめてみる。各項目の詳細は、いずれ同じようにまとめていく。


 つまるところ「自分が」小説を書けない理由は「話がつくれないこと」であって、「おもしろいとは何かがわからない」と悩むことは、単なる逃げ口上でしかない。


 なお、おもしろいとは何かを考えるに、センゴクを喩えにとって、「自分は」少年漫画的展開を好んでいるとした。現実ではありえない人物、展開、都合がいいこと等。

 12国記で取り上げたのは、主人公には主人公的特質が必要なことである。
 主人公らしい主人公だとしたら、幻想的世界設定における現実的な物語展開であっても気にはならない。
 ただし主人公的特質については、まだまだ検証が必要であり、また、前述の少年漫画的展開と同じ話をしているだけかもしれない。

 最終的には、現実的にありえない嘘っぱちな話だと思ってしまうため、テンションがあがらない。

 なお、白河夜船の話は、なんだかんだ、一番なれしたしんだアニメが好きという話になる。そういえばまだ最後まで読んでいない。


 ほかに、萌えキャラ・テンプレートキャラについての慣れ・説明。
 慣れてしまうと、結局のところテンプレートキャラのほうがおもしろい。さらにつまるところ、立場的な意味合いでの「王」やら「亡国の王子」も、キャラ付けのステータスにしかならない等。これらも改めて考えていきたい。

11月8日 修正

2013年11月3日における全てについて。其の2

2013年11月04日 | (FE)創作日記
 本来、前回分を書くつもりはまったくなかった。
 小説を考えるに、あるいは「騎士」とはなにか「戦争」とは何か。
 考えようとすると、まったくもって現実逃避を始めた挙句、何もしなくなる。

 困ったものだ。
 結果、例えば・・・例えばではないか。
 俺妹の録画しているのを見たり、いやいや、そのあとに見始めたガンダムUCが、やはり、くどいかもしれないが、ものすごくおもしろいので、どうしても書きたくなった。

 どうしても書きたくなった前提として、無関係にも思えるが、前回の話がある。
 さて、そういう意味で、俺妹とUCについて書いていく。

 俺妹は、1期はかなりおもしろい。なので2期はないものとして、今は語る。
 というほど語ることもないか。
 単に可愛い女の子がおたくであること、おたく談義をしていること、これがおもしろい「だけ」である。(自分にとっては)
 それ以上でもそれ以下でもない。
 ただ単に、可愛い女の子がおたくであること。

 7月開始だったか、喪女の話があったか。
 よくわからないが、なぜか見てしまったが、ワタモテというのか。

 こちらは、はっきりいって嫌いである。
 一度見る程度なら楽しめるが、二度目は見る気が全くしない。
 
 という意味では、(可愛い)女の子がオタクである物語は全部OKというわけでもないのだろうが。
 なお、げんしけん2は余裕だった。ただし、「2」だからこそ見られたのかもしれない。
 いきなりの新作として、たとえばマダラ目とか、前作のキャラがいっさいでてこないつくりであったとしたら、やはり見なかっただろう。

 ああ。
 現在こうやって書いている主目的は、たんなるストレスハッサンである。

 俺妹を見て楽しくなる気持ち、これをもっと書くほうがいいが、リアルタイムでちょうどミネバが出ているのでこちらに移る。

 少し前?に書いた気もするが、ミネバは好きだ。
 大変好きだ。
 ラクス以上に好きだ。

 ただ、1人の人間としては、ラクスのほうが好きだと思う。
 ミネバが好きなのは、とにかく彼女のおかれた立場にある。単純な亡国の王女、だけではない。ああ、しかしこれはあくまでも、自分のイメージである。

 一言でまとめると、亡国の王女である。というか、亡国の王女でしかない。
 その意味では、亡国の王女で、毅然とした少女、というキャラ設定が壷にはまったのだろう、か。
 というか、はまったのだろう。
 ラクスは亡国の王女ではないが、似たようなものがあったと思う。

 ああ。酔いすぎている。
 内面をさらけ出すというよりもなんだろう、たんなる愚痴をはいているだけと言う意味で、今回は申し訳ない気がする。

 なのでその3までいかず、ここでおわらせておいたほうがいいだろう。

 UCはおもしろい。前回どのように書いたか忘れたが、歴史を好きな自分としては、それこそ30年以上の長い歴史をもつアニメとしてのガンダムは、それだけでトリコにされる。
 そんなに長い間一線を張るアニメがあるだろうか。

 さざえさん?
 ?

 単純にかっちょいい動くロボットアニメ。だとしたら、いや、たしかにだからこそおもしろいのかもしれないが、それだけではここまで好きでいられなかったと思う。
 なんだかんだ、マクロスはどうでもいいと思う。

 ガンダムで一番惹かれるのは、ニュータイプ論だと思う。
 トミノ嫌いだが、彼の中では、ガンダムにおけるニュータイプという、いわゆる人類の確信がものすごく重要な意味合いを込めているんだろうなとおもう。

 トミノのほかの作品は知らない。ガンダム以外で知っているのはブレンパワードだけか。
 ブレンパワードも、そういった話だ。

 まあ、まともにガンダムに触れたのは、ガンダムXが最初なのかもしれない。同時期か以後かにZやZZをレンタルしていったと思う。高校生時代ではなかったと思う。

 なんだろう。
 2013年当時の今、こういったニュータイプ的な発想はあるのだろうか。

 世紀末を終えて収束していったような気もする。
 ガンダムSEEDのコーディネーターも、ニュータイプの系譜のようでいて、地味にそうではない。結果的には同じになるのかもしれないが、存在的には、人類の革新からは外れている。いや、たしかに人類の革新の結果なのかもしれないが、「人間の創造の範囲内における、人類の革新を具体的な形にした結果」しょせんその程度の発想力しかなかったね、というような。
 うーん。

 そろそろ疲れた。愚痴を吐きつかれた。
 どうでもよくなってきた。
 
 ああ。
 無駄な。
 

2013年11月3日における全てについて。

2013年11月04日 | (FE)創作日記
 ああ。今の時点ですでに4日だったりするか。
 仮にこのまま、朝の6時とかをむかえるのだとしたら、4日ということになるのだろうが、3時ぐらいに就寝するとしたら、今はまだ3日になる。

 ものごとはすべて主観的である。

 なまなましくおぼえているので、いまのうちに記録しておく。
 いやいや、珍しく覚えている、といえるのかもしれない。あるいは、そのとき酒を飲んでいなかったからかもしれない。
 知人Fと会うときは、たいてい酔っている。というか、酔っていないときはないとも言える。


 キルラキルの一話を見せた。
 2年甲組という字面を見て口げんかになった。

 結果的には、いやいや、別に自分を貶めて楽しみたい訳ではないが、単なるこちら側のつっかかりになるわけでもあるが、云々。

 F曰く、甲乙丙の分け方は順序づけだから、2年甲組は2年生のクラス分けの中で一番優秀な生徒がいるところなんだよね。

 と。

 これについて、反論の仕方をいろいろ間違えたわけだが、まあしょうがない。
 実際問題、知人Fのほうが、少なくとも自分よりは頭が良い。
 アルコール中毒とかそういう問題をさしおいて、小学生の頃から、むこうのほうがはるかに頭がいい。
 これはゆるがせない事実である。

 というか酔いすぎている。
 具体的には、いつも多くても3杯なのに、すでに5杯目をついできてしまっている。
 
 まあいい。
 いやよくない。

 まあいい。

 自分がつっかかっていった問題としては、つまるところ、キルラキル及びアニメをバカにされた感じがしたので、なんとかして言い負かそうとしただけである。
 単にそれだけの話である。

 最終的に落ち着いた話としては、
「学園ドラマで甲乙丙というクラスわけがされているとしたら、どう思う?」
 である。

 知人Fにとっては、甲乙丙という分け方は、甲を一番優秀な順位として使用される分類方法である。仮にクラスわけを2年1組、2組もしくは、2年い組、ろ組もしくは2年A組、B組といった、普通のわけかたとは違って、クラス分けに優劣をつけるために使用されているのではないか、と。少なくとも、甲乙丙という分類わけは「一般的なイメージ」として、優劣をつけている、と。

 ああ。
 自分は知人Fではないので彼の立場で上手く説明することができない。

 ともかく、クラス名に甲(乙丙)を使うことは、クラス分けに順位をつける意図があるんじゃないの? という「一般的なイメージ」について。云々。

 ああ。
 うまく説明できない。申し訳ない。


 ものごとに順位をつけるとして、いや違う。単純に2年1組、2組でいい。こういった「分け方」をするのに、云々。

 まあいいか。
 自分が気にいらなかったのは、つまるところ、アニメをバカにされたような気がしたからだが、このバカにされた気持ちと言うのは、まとめ的にいうと、あくまで「イメージ」としての結果として、クラス分けのしかたを1組2組やらA組やら他ではなく、「甲乙丙」の「甲」にした、ただそれだけのことだと思った。

 イメージである。

 「甲乙丙」の一般的なイメージとかは「どうでもいい」
 単に、普通な1組2組とかA組とか、普通なわけ方ではなく、なんかちょいと違う「甲」。
 其の程度の意味しかないのではないか?

 其の程度の、アル意味どうでもいいこと。
 これについて、現実的なイメージをもってきて云々。

 それこそ、北斗の拳は暴力的で子供に見せるのはよくない、云々。

 あああああああああ。

 上手く説明できない。
 ま、時間を経て、改めてまとめなおしたい。

 結局のところ、自分がいかにアニメ脳になっているかということだ。