タイムトラベル系が好きなのは前からよく書いていた通りである。
さて。
タイトル作についてだが、
たいへん面白かった。
まあ、言い出したらいろいろキリがないわけだが、楽しむ楽しめないという区別でいえば、断然楽しめた。うーん。
なんというのか。
逆説的に言えば、自分が無条件でおもしろいと思うジャンルであるタイムトラベル系の作品として、それでもおもしろくないだろこれは、と言うところが一切なく、普通におもいしろいと、普通に純粋に思えた作品である。
まあ、どういうオチにするのかな、という点では、タイムパラドックスを抱えるのでまじめにその部分を突き詰めるのは酷な話で、そこは、勢いで終わらせるという、なんというのか、暗黙の了解みたいな部分としていいわけで。
忘れないうちに書いておく。
タクシー止めるのに、ほんとに札束ちらつかせていたのか。バブルの時代を知らない。90年当時中学生だ。なお、当時高校生、大学生だったねえちゃんに(帰省中)聞いても、少し年代上の人の話ではそうらしいよ、という返答で。
広末涼子。
2015年当時、どのような評価を受けているのか、知らない。2007年当時も。
阿部寛は、テルマエロマエもおもしろいし、たぶん15年現在でも活躍しているのだろう。
ラモスはともかく。亡くなった方もいました。
なお、当時中学生当時、両親公務員だった田舎すなわち鳥取だが、うちはびんぼーびんぼーと言い聞かされて育ってきたわけだが、バブル的な雰囲気をどのように、自分は受け取っていたのか。
これについては、そもそも自分がいかなる存在だったかというところから始めなければならないが、この年齢になって、いかに自分が普通ではないものであったか。それは今でも現在進行形だが、たとえば、アニメで例えるのも変な話だが、ボッチ系が妙にしっくりくるような、つまるところは、そういう、団体行動の苦手な存在として、そういったものとして、とりあえず、他に関心がないような本質として、当時何を思っていたのか。
世の中のはぶりがよかった、というような、そんな気は全くしない。子供にとっては、そこまで世の中の雰囲気が浸透していなかったのだろうか。それとも。別の要因なのか。
結局は世の中のことに触れないような、そういう世界の中でしか生活していなかった、ということになるのだろう。
世の中のことを知らず、ただだらだら、あほうな子供が生活している中で、せいぜい思うのは、もー見なくなった、ベジータ編が終わったあとのドラゴンボール、フリーザ編は、なかなか話が進まないし、もーアニメ見るのもあほらしいと思うような。
まあ、フリーザ編は高校のときだが。
と、話が変わってくるかな。
バブルがはじけた、と言われていたのは知っていたが、そこで特段、それまでの生活と変わったとは思わなかったのは、両親しょせん公務員だったからなのだろうかな、と思った。
そういう、境遇が、今の自分の人間形成に、やっぱりかかわりがあるのだろうな、とは思う。
他人のせいにするのは、よくないのだが。
ともかく。
好景気を知らない。ただ、好景気を知っているもしくは、好景気を知らないまでも体感している世代の子供であり、しかもそれは、景気で上下するようなものではない公務員の子供としての、自分である。
なお、もはやタイトルとは離れてしまうが、30日?31日だっけ、9条関係・・・直に9条の話ではなく、ああ情けない。わからない。ともかく。
デモがあったらしい。
らしい、とか。
鳥取でも宣伝カーではないが、何かがしゃべっているのを仕事中に聞いた。全国的に●●日。それが30日か31日だったか忘れたが、すでに。で、デモすると言っていた。数週間前に。
新聞に書いてあったが、前の安保闘争は、戦前の体感も含めて、だったが、今の抗議は、若者の、平和維持を基に。
説明不足なのは知識アンド理解不足による。
憲法改正の問題と、9条の問題と、軍隊保持の問題と、いろいろ、本来的には別個のものとして考えるべきだとは思うが、それをごちゃまぜにしている感があるとは自分も思うが、まあ、それはなんというのか。知識人が知識をひけらかすような、そういった優越感的な発言になるので、不要だと思う。問題は簡単でいいわけで。
という話をしだすと、もはやタイトルとは無関係になるのでそろそろやめる。
とにかく。素直に。タイトル作はおもしろかった。
いずれもう一度見直して、爆酔していたらから錯覚していた、というわけではなかったというのを実証したい。
さて。
タイトル作についてだが、
たいへん面白かった。
まあ、言い出したらいろいろキリがないわけだが、楽しむ楽しめないという区別でいえば、断然楽しめた。うーん。
なんというのか。
逆説的に言えば、自分が無条件でおもしろいと思うジャンルであるタイムトラベル系の作品として、それでもおもしろくないだろこれは、と言うところが一切なく、普通におもいしろいと、普通に純粋に思えた作品である。
まあ、どういうオチにするのかな、という点では、タイムパラドックスを抱えるのでまじめにその部分を突き詰めるのは酷な話で、そこは、勢いで終わらせるという、なんというのか、暗黙の了解みたいな部分としていいわけで。
忘れないうちに書いておく。
タクシー止めるのに、ほんとに札束ちらつかせていたのか。バブルの時代を知らない。90年当時中学生だ。なお、当時高校生、大学生だったねえちゃんに(帰省中)聞いても、少し年代上の人の話ではそうらしいよ、という返答で。
広末涼子。
2015年当時、どのような評価を受けているのか、知らない。2007年当時も。
阿部寛は、テルマエロマエもおもしろいし、たぶん15年現在でも活躍しているのだろう。
ラモスはともかく。亡くなった方もいました。
なお、当時中学生当時、両親公務員だった田舎すなわち鳥取だが、うちはびんぼーびんぼーと言い聞かされて育ってきたわけだが、バブル的な雰囲気をどのように、自分は受け取っていたのか。
これについては、そもそも自分がいかなる存在だったかというところから始めなければならないが、この年齢になって、いかに自分が普通ではないものであったか。それは今でも現在進行形だが、たとえば、アニメで例えるのも変な話だが、ボッチ系が妙にしっくりくるような、つまるところは、そういう、団体行動の苦手な存在として、そういったものとして、とりあえず、他に関心がないような本質として、当時何を思っていたのか。
世の中のはぶりがよかった、というような、そんな気は全くしない。子供にとっては、そこまで世の中の雰囲気が浸透していなかったのだろうか。それとも。別の要因なのか。
結局は世の中のことに触れないような、そういう世界の中でしか生活していなかった、ということになるのだろう。
世の中のことを知らず、ただだらだら、あほうな子供が生活している中で、せいぜい思うのは、もー見なくなった、ベジータ編が終わったあとのドラゴンボール、フリーザ編は、なかなか話が進まないし、もーアニメ見るのもあほらしいと思うような。
まあ、フリーザ編は高校のときだが。
と、話が変わってくるかな。
バブルがはじけた、と言われていたのは知っていたが、そこで特段、それまでの生活と変わったとは思わなかったのは、両親しょせん公務員だったからなのだろうかな、と思った。
そういう、境遇が、今の自分の人間形成に、やっぱりかかわりがあるのだろうな、とは思う。
他人のせいにするのは、よくないのだが。
ともかく。
好景気を知らない。ただ、好景気を知っているもしくは、好景気を知らないまでも体感している世代の子供であり、しかもそれは、景気で上下するようなものではない公務員の子供としての、自分である。
なお、もはやタイトルとは離れてしまうが、30日?31日だっけ、9条関係・・・直に9条の話ではなく、ああ情けない。わからない。ともかく。
デモがあったらしい。
らしい、とか。
鳥取でも宣伝カーではないが、何かがしゃべっているのを仕事中に聞いた。全国的に●●日。それが30日か31日だったか忘れたが、すでに。で、デモすると言っていた。数週間前に。
新聞に書いてあったが、前の安保闘争は、戦前の体感も含めて、だったが、今の抗議は、若者の、平和維持を基に。
説明不足なのは知識アンド理解不足による。
憲法改正の問題と、9条の問題と、軍隊保持の問題と、いろいろ、本来的には別個のものとして考えるべきだとは思うが、それをごちゃまぜにしている感があるとは自分も思うが、まあ、それはなんというのか。知識人が知識をひけらかすような、そういった優越感的な発言になるので、不要だと思う。問題は簡単でいいわけで。
という話をしだすと、もはやタイトルとは無関係になるのでそろそろやめる。
とにかく。素直に。タイトル作はおもしろかった。
いずれもう一度見直して、爆酔していたらから錯覚していた、というわけではなかったというのを実証したい。