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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

サダコ3Dを見た

2013年08月30日 | もののあはれ
 ほお、2が上映されるから、金曜ロードショーなのか。

 いつもどおりだが、酔っている。
 さらに右目が痛い。
 さあ、なんでだろう。困ったものだ。

 さて、
 素直に言えば、おもしろくない、とういか、最低、ふざけるな、みたいな感想である。

 くっだらない、つまらないものなのに、では、どうしてこうやってわざわざ文章を浪費するのか。
 それはそれ、思うところはあったわけだ。

「いまどきの若者は」
 という言葉は古代エジプトの壁画にさえ残されているとか、むかし何かで見た。
 前にも書いたかもしれないが、前置きを新たに出しながら、もう一度言おうか。

 かつて、とりあえずすごいと思った先輩が、いまさら、何を見ても同じに見えてしまう、とか言っていた。
 当時はわからなかったが、30も越えた頃にようやく理解してきた。
 
 いまさら、
 新しく出来た作品を見ても、どこかで見たことがあると思ってしまう。

 まあ、おそらく当たり前の話である。
 作者は、何か、自分がおもしろいとおもったものを書いているのだろうが、そのおもしろいと思ったものは、もしかしたら自分も見ているかもしれない。

 酔っているせいにして、めんどくさいから詳しい説明はしない。というか、実際「できない」のだろうが。

 新たに酒をついできたら、思いっきりこぼした。
 はぁ・・・

 リングについて少し。
 映画と原作とどちらを最初にみたのか覚えていない。多分映画なのだろうとは思う。ただ、確実に原作は読んだ。
 らせんも原作は読んだだろうか。ループを読んでいないのは確実だ。
 忘れているので適当だが、DNAに影響するウイルスみたいな話だったっけ? 
 なんというか、
 正直くっだらないと思った。
 常識では理解できない、不条理、不可思議なことだから、ホラーとして怖いのではないだろうか。
 と、単純に思う。

 もちろんいわゆるアメリカンのなんとかの金曜日とか、バタリアンとか? ああいうホラーもホラーなのだろうから、今回のさだこ3Dの、なんかバイオハザード2的なホラーも、ホラーなのだろうが、
 ジャパニーズホラーではないだろう。

 まあ、人それぞれかもしれない、か。

 あの、障子がかすかに動いて、わずかな隙間に見える・・・

 が、ジャパニーズホラーだと思っている。
 なんだろう、とにかく、むかしふうの。

 おくゆかしさ。


 さて、あえて調べないが、当時はパラサイトイブという作品もあった。あれもジャンルはホラーだったと思う。
 どちらが最初だったのだろうか。あえて調べない。

 パラサイトイブは、まあ、あれは科学的な話として、ホラーといわれても納得のいく世界観であるが、リングのあの、ウイルス的な話は、世界観としておかしいと思う。
 が、まあ、それ以外のところでおもしろいと思うところがあったから、リングはそこそこおもしろかったという記憶を残しているのだろう。

 てか、めっちゃニコニコ動画とか言っているし、スポンサーとしてお金入ったのかな? もうけるなぁとか思ったが。
 どうしても、話が軽く見えてしまう。

 以下は、あくまでも個人的名、超個人的な意見である。
 おおえけんざぶろうとか、個人的な体験とかいうが、それ以上に超個人的にいう。

 最近のものは、おもにアニメになってしまうが、だってアニメしか見ていないし。
 軽い。
 ノリが軽い。
 対人関係が軽い。
 世界観が軽い。
 おちゃらけている。
 ふざけている。
 真面目さが、あるようで、ちゃかしている。

 という思いが強い。
 まあ、なんだかんだ、ハマってしまった昔風に言う萌え系ばかり見ているから、そうではない作品を知らないだけかもしれないが。


 そうそう、タイトルとどんどん離れていくが、職場の、年齢的には後輩の人と少しドラゴンボールの話をしたが、彼がジャンプで詠み始めたころはすでに界王拳の時代だったとか。自分は、そもそもアラレちゃんさえジャンプで見ていたわけで。

 自分は、ドラゴンボールは冒険ファンタジーと考えている。
 後輩にしたら、格闘物と。

 もちろん後半は格闘物としてしか思えないが、そもそもドラゴンボールは冒険物として始まっていた。なんでも願いをかなえてくれるドラゴンボールを探す冒険の物語である。それが、冒険の途中でおこる格闘で人気がでてしまうから? 天下一ブトウカイとかしてしまって、格闘でやっていったほうが人気が出るからと・・・
 もちろん前半の冒険物よりもおもしろいとは自分もおもう。しかし、単純に格闘物だけではなかった、冒険物としてのイメージがあるから、いまどきの人間よりかは、ドラゴンボールを冒険物としておもしろいものとして判断できる。

 まあ、言いたかった事は、今日見たやつよりも、リングのほうがはるかにマシである。
 が、リングを見たことのない人が今日のを見たら、直接的な比較がないだけに、こういうものもあるのかみたいな、おもしろいと思う人もいるのだろう。しかし、リングを知っている人にとっては、多分、リングのほうがはるかにおもしろいと言うのではないか。(ジャパニーズホラーを強調した場合になる。パニックホラー的なものとしてみれば、今日のほうがマシと言う人もいるのかもしれないことは否定できない)

 しかし、リングを知らない世代は、今回のを見て、ふーんおもしろいね、おもしろかったよ、でも、べつに「おおむかしの」リングとかいう作品とか、わざわざ見ないよ。
 ここで、「おおむかしの」リングを見る人がいたとしたら、それはそれで、多分自分は満足する。
 しかし、みない人が大半だろう。
 そして、懐古厨がぁ みたいな言われようになると。

 まあ、昔を振り返っている時点で回顧厨ではあるわけだが、むかしのほうがおもしろいのだから。
 そのむかしのほうが、というのが、だから難しい。

 同じような作品を見たことがあるから(今回にかぎれば直接的におなじものでもあるし)、見たことがあると。

 しかしそれでも、何度も何度も同じような展開を多くの差k品で見せられた挙句のガンダムUCを、背筋がぞくっとするほどおもしろく思ったことがある体験からすれば、今回のサダコ3Dは、やっぱり単純につまらないものなんだろう。
 
 酔いにまかせて2700字も書いてしまった。
 無駄な。


 追記
 パラサイトイブの話題で言いたかったのは、科学的な根拠によってリアリティーを出す風潮が、パラサイトイブにはじまった気が、自分はしている、というだけである。
 

 よく酔っているから追記しておく。
 まあ、他のブログでもよく見るようなことではあるが、
 ほんと、
 ここ見ている人いるの?

風の歌を聴け、を、

2013年08月29日 | もののあはれ
 まだ最後まで読んでいない。
 相変わらずの酔っていますシリーズなのかもしれないが。

 なにこのやろう。
 ブログ書こうとして日本語変換になかなかならなかった。
 ほんとに不思議だ。
 0と1で出来たシステムのくせに、同じインプットに対して、ときおり違ったアウトプットを返してくる。
 機械のくせに。生意気な。

 酔っている間に投稿しないと、次の日、恥ずかしくて永遠にお蔵入りになるのだろう。
 先日もそんなことがあった。


 さて、基本的には文章だけで、まあ、ときおり挿絵の入る場合もあるが、基本的に文章だけで作られたいわゆる小説というもののなかで、読み返した回数が多いのは、たぶんロードス島戦記、アルスラーン戦記、銀河英雄伝説あたりだろうか。子供のころに漫画感覚でなんども読んだと思う。その次はどうだろうか。
 たぶん、風の歌を聴け、もしくは、1979年のピンボール・・・後者はそれでも5回は読んでいないか。

 だとすると、10回は読んでいないが、5回は確実に読んでいる風の歌を聴け、が、ランクインされるだろう。
 その次に12国記になるのだろうか。
 あくまで小説に限っての話である。


 久しぶりと言うほどではなく、たぶん2年ほどぶりに読み返したわけだが、やはりどうしても、

 おもしろい、と思ってしまう。
 
 酔っているせいで、最後まで読んでいないのに、高揚した気持ちをおさえられず、フライングしているわけだが、

 おもしろい。

 が、具体的に言うなら、20代前半になんとなくおもしろいと思った『風の歌を聴け』だが、こうやって読み返すと、なんというのだろうか、むかしはこれを読むことでいろいろイメージ、想像力がわいたのだが、今はまったくもってイメージや想像力がわかない。いやいやむかしからイメージはわかなかったかもしれない。人物や風景の描写をされても、イメージしない。できない、どうだろう。

 少々濁った思考のままに書いてしまったが。

 こういう意味では説明し辛い。
 
 たとえば『風の歌を聴け』より少しあとに読んだ、先日書いた『夏の庭』だが、おもしろさの意味は違う。
 
 物語として単純に、起承転結のある、ストーリーのある、エンターテイメントのある、そういったものとは違う部分での、おもしろさを、『風の歌を聴け』に感じるわけだ。
 もちろん、『風の歌を聴け』にも起承転結があって、物語があって、ストーリーがあるわけなんだろうが、そういったところをおもしろいと思っているのではなく、雰囲気を味わえる、そのこと。
『夏の庭』あるいは、たとえば『山月記』とか、それこそ銀英伝やロードス島でもいいが、これらはしょせん物語的な部分を楽しむだけのものでしかない(ちょっと言いすぎか、銀英伝の楽しさとして腐敗した民主制と最良の君主独裁制はどちらがいいのか、という問題提起があったりするし(まあ、最良の独裁政治は現実にありえないのだろうが))。それと比較して、そうではない部分。それこそ雰囲気としか言えない自分のテイノウさが情けないが、とにかく違う。

 まあ、よっぱらいのグダグダになりつつあるが。

 とにかく村上春樹にはあっというまにはまった。
 はまった。
 はまったはずだった。

 絶賛されているらしいのるえーの森も、一応読んだ。

 ようは、鼠の秘密を知りたかっただけなのかもしれないが。
 どのタイトルも同じような話ばかりで、次第に嫌気がさしてきた。
 スプートニクあたりで以後は見ていない。スプートニク自体も、うん、村上春樹らしい雰囲気を楽しめる、という作品だが、それまでの作品を見てきている自分としては、なんだかんだ「おなじもの」としてしか評価できない。

 おなじものばかり書いている。
 作品としては、初期の数冊だけ読めば十分である。
 (最近の作品で、初期のこういった悩みやなんやらが解決されているような話があるのだとしたら、ぜひ読んでみたいが)
 という評価しか下せない。なのにめっちゃ有名でめっちゃ売れているよね。

 別に、僻みや妬みとして捉えてもらって構わないが。

 村上春樹の作品のおもしろさを、本当に理解して、楽しんで読んでいるのか? とつい思ってしまう。
 逆に言えば、村上春樹の作品を本当におもしろいと思う人間は、まともな現実世界に対応していけないのではないか、と。

 こんなこと書いている自分を客観的に見ると、よほど村上春樹が好きなんだろうなぁって思った。
 うん。
 好きだよ。

 やっぱりなんというのか、なんというのか・・・
 ほんと、言葉で上手く説明できないのが悲しい。

 読んでいて「これだ!」という気になれるものとしては、最近読んだ本、というか、他にはありえないわけである。こういった気持ちになれる作品は、自分の知りえる限り(少ない情報しかもっていないのかもしれないが)ほかにないわけである。
 
 それこそ作品中で歳をとった自分が読んだときに云々みたいなくだりがあるが、・・・以前同じようなことをどこかで書いているのだが・・・『風の歌を聴け』における未来の作者を救うかどうか知らないが、20代前半の自分と、そしてそれから10年以上、下手をするともう少しで20年経ってしまう今の自分を、あるいみ救ってくれる作品である。 


 

ニュースの女 を見た。1

2013年08月24日 | もののあはれ
 昨夜、酔いにまかせてブログを書いた。
 ただ、投稿ボタンを押す前に寝落ちしてしまったので、ああ、よかった、恥をさらすことがなくて助かった。(今気づいた。って今っていつよ。あれ、投稿していたwwww。どうやら、草稿と自動改行のチェックを間違えていたようだ。まあ、詳しいことは省く。下書き状態に戻しておいた。恥ずかしい。)

 というぐらい、酔っ払いのたわごとを書きなぐっていた。
 まあ、今も酔っているので大して変わらないが。

 ともかく、題名どおり。
 其の1である。
 くわしい内容は後日にして、今はとにかく、ニュースの女が大変おもしろかったということだけを書いて、別の話をする。
 酔っているからだろう。昨晩と特にかわらない。

 さて、
 リアルタイムで見ていた作品であり、おもしろかったという記憶がある。エンディングでジュディマリの散歩道が流れていたので、毎週エンディングまで楽しみにしていた覚えがある。
 しかし、
 まあ、ブログをみていてわかるとおり、基本的にアニメや漫画が好きで、ほんとうにドラマは、大河ドラマ・・・さえもほとんど見ていない。

 とにかく3Dがあまり好きじゃない。
 
 これがどうしてドラマを、あの一時期ではあったが、見ていたのか。
 あまり覚えていない。

 どうしてだったのだろう。

 たぶん「一つ屋根の下」が、はじめてまともに見たドラマであるが、これはまだまだ高校時代だったか。

 ともかく、ちょいと調べてみた。
 1998年1月ー3月放映。
 これとは別の話だが、以前書いたか、書いていないか、一番印象に残っている民放のドラマの一つ、
 それが答えだ
 が、
 1997年7月ー9月放映

 深田恭子つながりか。
 さらに調べたところ、ストロベリーオンザショートケーキは2001年になっていた。
 同時期だとおもったのだが、そうでもないのか。

 これは深田恭子と滝沢君の繋がりで覚えている。 

 とにかく詳しい話はおいておく。また後日。

 
 ドラマとして、起承転結のある物語を考えるうえで、かなり勉強になると思った。
 かなり上手い具合に作られている。

 いやいや、当たり前の話ではなる。まともなものではなければ放映できないだろうし、みんなプロだろうし。

 以下、愚痴になりそうなのでここで止めておこう。
 なんだかんだ、ドラマもおもしろい。
 ちょっと、最後、自分的に冷めてしまった。悲しい。



 しかしなんだかんだ、やっぱり3Dは役者だなぁ。

 あと、ものすごく久しぶりに、本当に久しぶりに、いろいろと考えさせられた。

 本当に久しぶりだ。

 久しぶりに見た、それこそ、それが答えだ、も、
 新になったエヴァンゲリオンや、
 久しぶりに背筋がぞくっとするほど感動したガンダムUCも。
 ここまでいろいろ考えさせることはなかった気がする。
 たまたま、なんだろうが。
 
 たまたま。
 いろいろなことを考えさせられた。

 だからこうやって書いてしまった。
 あるいは酔っているからなのか。

やはり以下略(1)

2013年08月20日 | もののあはれ
 もちろん酔っている。あぁ。昨日「今日も酔っている」とか書いた瞬間、いやいや、ここんところ酔ってない状態ないし、みたいなことを思った。
 19時以降、肝臓の休まる日はここ一年、たしか1日しかなかった。
 まじで。

 ニコチン中毒がアルコール中毒にかわっただけだと素直に思う。これによる悪弊は眠くなりやすいことだろう。
 今日は久しぶりに、平日なのに12時までおきている。仕事を終えた平日の平均的な就寝時刻は21時30分である。

 眠いのに今日はがんばった。


 さて、「やはりオレの青春ラブコメは間違っている」について少し書いておく。

 おもしろい。

 初見時(リアルタイム)は、最初の3分でやめた。また同じようなこんなんか、みたいな気がしたからだ。
 たとえばコメント等で、「最初はつらいけどあとですっごくおもしろくなる」とか、「ほかのと違うから」とか、まあ、アテにならない言葉だ。そもそも価値観が違ってしまえば、どうしようもない。いやいや、この作品については他人のコメントを参照にはしていないが。なんだかが異世界から着ましたみたいなタイトルの作品はそういったコメントに騙されて3話ほどみたが、やっぱりやめたというわけで、そういう意味では最後までみていないのだが。
 ・・・

 なんにしろ、二度と見ることはないだろうと思いつつ、どうして見てしまったのか。魔がさしたのだろう。
 今日、「たまたま」、「なんとなく」、一話を見直して、酔っているのも手伝って、少しだけ感想を残そうと思った。
 酔っているから。


 さて、実際すこしまえにちょっとした感想を残してある。それによると、
「はがないに似ているが、より人間関係がぶつかっている。主人公が氷菓にかぶって見えるが、Wikiでは残念ラブコメとある。原作者は男のようだが、どうにも女が作ったように思える。こういった人間関係の見方は、どちらかというと少女マンガ風だと思った。あと、原作者とは一回りほど年齢が違うが、彼らの世代の学校生活がどのような雰囲気だったのか、やはり自分たちの世代とは何か違っているのか、考えさせられる」

 といったメモ。

 これはひとまずおいといて、久しぶりに見直した1話はおもしろかった。
 この場合、おもしろいと思う理由としては、すでに一度見たことがあって、しかもある程度おもしろいと思った覚えがあるので、「安心しておもしろいと思って見ていられる」わけである。

 最近、物覚えが悪いのでなんだが、あの金髪のほうの女の、クッキーをわたすあたりの動きが可愛かった。
 それこそ、手作りクッキーの努力が男を落とすみたいな法則だとすれば、あの動きは確実にイチコロ法則だろう。ではないか。

 たとえば、先生の口調は、あまりよろしくない。
 いわゆるライトノベル的雰囲気としてそもそも染まった状態で見るのだとしたら、とくに気にはならないのだが、そうではない場合、明らかに口調にリアリティーがない。それはヒロインも同じだが。
 いやいや、そんなこと言ったら、さっき書いた金髪娘のあの動きが可愛いとか、現実にありえない動きだろ、というか、カットの問題でそもそも動いてばかりいたわけではないし、云々。

 しかし、ぼーっと初見では、やっぱり2話目を見るかどうか悩む内容だな、とも思った。とくにインパクトがあるわけではなく、たまたま暇?だったから2話目以降も見た結果、おもしろかったと思ったんだよなぁ、と回顧する。
 以後の基本的な雰囲気が、正直1割程度しか表現されていない1話だったのではないか。
 
 だとしたら、ちょっともったいない気もするが、いわゆる人間関係の問題を基本軸にするとしたら、それを1話で上手く現そうとか、まあ、それも無理な話し出し、いきなりそんな話をしてしまっても、なんというかなんというか。

 醜い心は嫌いだけど、結果的に、結論としてはしっかり昇華されていくので、いい作品だと思う。
 同じ事ばかり書いているか?

 おもしろいと思った作品で一話を見て、やっぱりおもしろいと思ったのでこれを書こうと思ったが、冷静に考えると、この作品のおもしろさは1話ではあまり表現しきれていないなと。いうのが、導き出された今の気持ちである。 
 
 
 

愚痴る

2013年08月18日 | 雑文日記
 今しがた、夏の庭の話を書き終えたが、少々不満なので、思い切って、節度を保って愚痴る。

 節度を保つというところが、自分の情けないところかもしれない。

 さて。

 ファイアーエムブレム聖戦の系譜をネタに小説を書こうと言ったのはいつだろう。調べればわかるが、あまり調べたくない。
 以後、書けないことで頭を悩ませている。

 とにかく書けない。
 自分にはそういった才能がないのだな、と正直に思う。
 でも、書きたい。

 それこそ「難しい」問題である。

 少しまえにアマゾンで本を買った。ブログにも書いてあると思うが、七王国物語と、六花の勇者(だったかな)、あと騙王。
 七王国のは前編を100頁ほどよんだまま止まっている。他2作については、まじで、ちょろっと頁をめくって一行ぐらい目を通してパタン、である。

 さっきもおもいきって本音を書いたばかりだが、

 ライトノベルは読めない。

 ものすごく暇だったからだろう。大学時に小説を書こうとして未完成ながら書いたいくつかの雰囲気を見るに、あきらかにライトノベル的な、ライトな内容だ。ライトな内容がどういうものか定義しにくいが、というか、ライトノベル未満の、下手な内容ではあるが、なんというか、ライトノベル的だ。

 2007年ごろからいわゆる深夜アニメ系をよくみている。なんだかんだハマっているわけだ(それ以前については、ネトゲーをしていたからアニメをみる余裕はなかった)。
 で、これらのほとんどがライトノベルを原作にしているわけで、アニメが普通に見られるのなら、原作も普通に読めるんじゃねえ? 的な感覚だが、まあ、実際、最近のこれらの原作を手に取ったわけではないので、読めるか読めないか判断できないが、「灼眼のシャナ」について言えば、かなり辛かった。一応手元にあるが、読もうとするとかなり拒否反応が出る。
 アニメは(一期の、しかも序盤に限るのかもしれないが)とくに普通に見れるのだが。

 そういえば、知人Fが、ファンタジー系とか、漫画やアニメ好きな人で年収○円以上の割合って少ないって統計あるってさ。

 まあ、5分の1程度は嫌味で言ってきたのだろうが、得心のいく話である。
 アニメ・漫画業界で成功している人以外、アニメ漫画好きで収入の高い人は少ないだろう。そんなものに時間をとられている暇があったら別の、有意義なことをする、と。
 アニメや漫画を見ていたからといって収入が増えるわけではないのだから。

 しかしそれでも、アニメ漫画好きのまま年をとってしまった自分としては、いまさらどうしようもないわけで・・・
 そのくせ、ライトノベルは読めない。
 ついさっき書いた夏の庭についていえば、正直、作者のリアリティーがある部分以外、どうにも、主人公の子供の設定とかに嘘っぽさを感じて吐き気がする。いや、そういう子もいるとは思う現実に。だけど、この作品の中でそういった人物を登場させるにしては、背景が薄すぎる、みたいな。そぐわない、みたいな、突拍子もない、みたいな。浮いている。現実感がない、と自分に思わせてくれるので、気持ちが悪いわけだ。
 ただ、そういった特異な設定の人物が出ていても、とある部分で、そういった特異性とは関係のない会話のやりとりや、出来事やらの場合、気にならない。
 だからそういった意味で、登場人物、というか、はっきりいえば、河合だったっけ、彼の存在性がどうにも嘘っぽく見えたわけだが、あるいはデブのやつもそうか、唯一主人公は、いわゆる旧ドラクエ主人公みたいな空気に近く、云々。

 でも、主人公の子供の酒を飲む母親の設定でリアリティーを感じ始められた、と言う意味では、この主人公の子供も、結局のところいそうでいないリアリティーのない設定になるのだろう、が。

 アニメでは絵が先行してしまうので、人物の存在性がはっきりと意識される。が、文章だけだと、どうしても、突飛な設定は受け付けがたい、のではないか? と今思ったがどうなんだろう。どうなんだろう。
 いや、やっぱり構成と描写なのだろうか。

 最近、わざわざ図書館の書庫にあるようなアルスラーン戦記を借りて読んだ。アマゾンで買おうか悩んだが、ケチった。

 4~7巻。3巻までは以前に買いなおしてもっていた。

 銀英伝以上にキャラ化、テンプレート化したようなナルサス以下、あまりにも登場人物多くて絶世の美形も登場が少ない(名前忘れたw 思い出した)ファランギースとか、しかし読んで気持ち悪いということはなかった。

 まあ、今、一番気になっているのは、ようは、夏の庭を読んで、序盤、およびところどころで気持ち悪いと思うような文章表現・構成があったのはどういうことなのか、である。現時点では、とりあえず安直に思ったまま、リアリティーがないから、としているのだが。

 酒をついで来よう

 ・・・

 発狂しかけた。一応救われた。
 戻ってくるなりキーボードをうまくつかめず転がり落とした結果、この編集ページのタブが閉じられた。
 運よくプレビュー画面あったのでコピペで澄んだが、しかし、実は編集ページを再度開きなおしたとき、復元しますか選択がでたが、しませんを選択した。
 酔いすぎか?

 酒をついで来ようより上はとりあえずコピペだ。
 ああ、この時点で2200字も書いている。無駄な。


 アルスラーン戦記、ロードス島戦記は読める。が、多分あれ、あれ、名前が出てこない、スレイヤーズは読めないと思う。
 アニメを数話見たことはあるが、一度も原作を、読んでみようかなと思ったことはあるが読んだことはない。

 しかしそのくせ、大学時(および卒業後に完成させるため)に書いたファンタジー小説は、いわゆるライトノベルである。
 もちろん、今読み返すと、かなりつらいものがアル。単に自分の書いたもの、ということもあるが、それ以上の何かがやっぱりあるのだろう。これは当時も思ったわけだから。

 話を戻す。逸れていたこともわからなかったかもしれないが。

 ファイアーエムブレムの小説を書こうとして書けない。
 つまるところ、おもしろい展開を考えられないからである。
 ゲーム自体のシナリオを終えば、それはけっこうおもしろい話なので、それで書けばいいじゃん、みたいな感覚で当初思っていたわけだが、上述、どうにも自分の中のリアリティーが、各種の矛盾を許せないわけである。
 
 例えばわかりやすく、イメージ世界でいえば、ドラゴンナイトは強いわけである。が、現実的に考えて、まず、かりにものすごく強いとしたら、ではドラゴンナイトの軍団をもつ国が帝国に叶わないとか、それどういうこと? になるわけであり、そのことを抜いても、強すぎるドラゴンナイトの存在は、戦争のバランスを大きく狂わせるわけで、ではどの程度の強さでなければならないのか。そもそも、ゲーム的な、空中から槍をもって飛行してくるとか、曲芸か? いやいや、そもそも矢に射抜かれるだろ、とか。まあ、いろいろ悩んだり。

 話はまたそれるが、ちょっと縁があって暁の女神をしている。
 蒼炎のことはあまり覚えてないが、ゲームシステムというかバランス的に気に入らなかったので、1回しかプレイしていない。これにくらべて暁は、けっこうそれなりにおもしろい。ゲーム性がね。

 シナリオについては、いろいろ悩む。まあ、まだ2章入ったばかりなのだが。

 聖戦の二次創作のことで、それなりに勉強しようとがんばっているつもりだが、一番のネックは、中世の騎士バリバリの雰囲気だが、それなりの軍団がいる聖戦の系譜の世界観がつかめないわけで、というのも、勉強不足なのでまだまだ自分の勝手な思い込みなのかもしれないが、封建主義における国王の集める軍隊が、封建領主の領主=騎士およびその従者=騎士の身の回りの世話をする者や、戦場において騎士を直接的にまもる兵卒、の集団と考えた場合、また、現実的な中世の騎士のよくある話で、軍事行動は40日以内とかの契約等、とても集団行動の訓練を共同でしているとは思えず、たとえば近代、あるいは古代の隊列を組んだ戦争をしたとは思えないこと。しかし100年戦争のころ、1400年前とかは、ある程度集団していたみたいだが、実際どう繋がるのか。

 いわゆる傭兵を雇って集団戦闘になるのは構わないが、傭兵を雇う時代性が、聖戦の系譜の時代にあうのかどうか。たしかに聖戦の系譜にも傭兵がいるが、おなじように○○リッターとか、あるいはそれこそアルヴィスが近衛であったりと。

 封建主義だと常備軍は作りずらいだろう。では常備軍のつくれる絶対王政的であればどうなのか。シアルフィとか、公国の存在意義を問われるのではないか、とか。

 無駄に悩む
 まじ、無駄に悩む。
 3700字を越えたか。 

 暁の女神も、一応最後までプレイしてから感想すべきなのだろうが、マズ単純に、普通にゲームができない。
 こんなことしてる暇あるのか? とか思ってしまうと心のゆとりがなくなっている。
 いや、たしかに実際暇だらけなわけなのだが。

 むかしはトラキア776とか、リセットの嵐でもまったく気にせず? イライラはしていただろうが、今ほど時間的な問題を気にはしなかった。当然か、大学時はとにかく時間に余裕があった。最悪授業はサボればいい。しかし仕事はサボれない。

 で、単純に。
 いわゆるジャンヌダルクって好きじゃない。
 挙句に魔女扱いにして助けないのだし。

 とは、少々話がずれるが、いや、べつになんかたまたますごそうな女の子が解放軍として旗頭にされるのはかまわないが、兵士が普通に、疑念ももたずに、なんとかばんざーいとか、あんたらまったく能無しのどこかの専制国家の人民ですか、みたいな雰囲気が気に食わない。
 いやいや、もちろん、たとえば細かく描写すればリアリティがあるのかもしれないが、この細かい大事な部分をぬいているから、自分みたいな大人が生まれてしまうわけで、とか思ってしまう。

 ほかにはたとえば、さっきクリアした2章でチャップが、おれら人殺しじゃけん、みたいな、先の戦争を終わらせた王女を王位につけた国で、臣下が不満におもって人民を煽動しようとして、彼らは、よっしゃ革命や、とかテンションをあげるが、前の戦いで王女と一緒に戦って戦後は村にもどったチャップが、革命云々ぬかす若者に斧をかざしていうわけだが、なんというか。

 自分がもう少しわかければ、リアリティーを見たのかもしれないが、この歳になると、なんだが、製作者側の意図が丸見えで嫌になる。
 いや、もう少し若くても製作者側の意図がわかって気持ち悪いのかもしれないが。

 いやいや、うむ。

 たぶんもう少し若くても製作者側の意図がわかって気持ち悪いが、そもそもゲームとかこういう話の設定としては、そういうもんだよな、っていう暗黙の了解があって、そうだよな、良い事言うよな、みたいな思いになるのだろう。

 そういう意味で、暗黙の了解を忘れてしまったということになるのだろうか。

 つまり、なんとなく気分転換?で、暁の女神の評価を知ろうとしてグぐるわけだが、その中で、ここのチャップの言葉に染み入ったとかいうブログがあって、なんだかなぁ、と思ったわけだ。

 ほんと「難しい」。

 ゲームを作った人間は、当然戦争なんか経験したことがない。では戦争を経験したことのある人間がゲームを作ったとして、それはおもしろいのか? 
 おもしろいとは思えない気がする。
 逆に、おもしろくあってはダメな気がする。

 で、戦争しているこの暁の女神のゲームはおもしろいわけだ。

 とかいったことを考えはじめると、もう駄目なわけだ。
 封建主義も中央集権も、もはやどうでもよくなってしまう。

 これが、たぶん愚痴の本音なんだろう。
 ああ、無駄に5000字も書いている。
 

夏の庭を読んだ。

2013年08月18日 | もののあはれ
 酔っていることを言い訳にして、いつもいつも同じようなことを書いている気がする。
 まあ、それはいい。
 どうでもいい。
 いや、よくない。

 せいぜいゲームかアニメか、何もしない毎日を少しでも変えようとしてがんばっているつもりだが、その一環として本を読むようにしている。だからといって、つまらないものは読みたくない。
 
 別の話になってしまうので省略するが、座椅子の後ろにある本棚に並ぶこれらは、9割以上が大学時代の名残である。人生の中で一番頭の働いた・・・というよりも、今思う、もっとも自分らしい時代の糧となった本たちである。たしか以前書いたが、場所をとって邪魔だからという理由で数十冊は売り払った。いや、もしかしたら書いていないか。まあ、どうでもいい話だ。

 歳をとると冒険ができない、というのは言い訳なのだろう。
 いまさら知らない本に手を出して失敗するよりかは、以前見知った「心動かされた」本を、もう一度読み直すのが、最初だろうと思った。
 まあ、銀の匙のような、買ったはいいが、すぐ飽きたものもあるわけだが、これに関しては、売らなくてよかったと思っている。こういうのを僥倖というのだろうが。

 ああ。酔っている。

 さて、夏の庭について、以前書いたと思うが、読書会なる場で、同期の子か、あるいは一個下の後輩の誰かが選んだタイトルだったと思う。かなりおもしろかったという覚えがある。
 結論を先にだすと、かなりおもしろい。

 が、中身をほとんど忘れた状態だったので、序盤・・・というよりも部分部分を抜いたほとんどの場所で、なんとなく、稚拙感をぬぐえなかった。とはいえ、この感覚についてはいろいろと問題があるのかもしれない。
 難しい。
 この場合の「難しい」という表現はできるだけ使いたくない。よく使ってしまうが、しょせん逃げの表現でしかない。

 自分の好みについて、文章表現が異なっているから、稚拙だと思うのか。
 文章表現ではなく、リアリティーの問題から稚拙だと思ってしまうのか。
 この場合のリアリティーは、作者の側か、それとも、自身では現実的だと思うようなことが、実は他人からすると現実的ではないという、言われなければ知ることのできない現実を自分が知らないだけなのか。

 無意味な前置きはともかく、おもしろいという記憶があるからこそ、序盤の、なんというか、読んでいて気持ち悪くなるような何か、文章表現なのか、リアリティーなのか、とにかく読むのを止めたくなるような気持ちを我慢できた。
 しばらくすると、主人公のこどもたちの、自分の思う、リアリティーが見えてきて、上記のことは気にならなくなった。ただ、ラスト付近では再度気持ち悪くなったことは記しておく。

 今回再読して疑問におもったのはかくのごとくである。
 読んでいて、ところどころ気持ち悪くなる部分。内容ではなく、構成、文章表現の面について。
 まあ、まわりくどいのもなんなのではっきりと言えば、「どうにも、アニメは気にせず見られるのに、どうしてもライトノベルは読めない」という雰囲気を味わっているということだ。

 それでも、読み終わって「おもしろかった」と素直に言える作品であることは確かだ。

 先日「裏庭」を読み終えた。これは「銀の匙」と同時期に読み始めたもので、一ヶ月半近くかけて読み終えた。
 直接的に比較すると、夏の庭のほうがはるかにおもしろいと思う。単純に。
 ただ、気持ち悪くなるという意味では、裏庭では一切思わなかった。多少、童話的構成で、なんとなく子どもむけみたいな雰囲気があってとっつきにくいなという気持ちはあったとしても、気持ち悪いとまでは思わなかった。
 その意味では、夏の庭の文章表現は稚拙なのかもしれない。

 が、中身に関しては、一見ではまったくわかりにくい裏庭より、わかりやすく、素直に心に入ってくる夏の庭のほうがおもしろい。

 ああ、おもしろいおもしろい、ばかり。まったく自分の気持ちを表現できていない気もする。

 直接的に比較するが、裏庭と夏の庭はともに子供が主人公で、子供の視点で物事が見られている。
 裏庭については、たかだか小学生のくせに、ちょっと大人的な雰囲気があって、ふとすると思春期以上の年齢を思ってしまったりするので(それこそ自分の勝手なリアリティーなのだが)もう少し主人公の年齢設定に合わせた思考にしてほしかったと思っているが。

 銀の匙も基本は子供視点か。

 意図せずたまたま、同じような視点の作品を同時期に読んだものだ。

 という結論はいささか卑怯かもしれない。
 無意識下なのかもしれないが、意図的に選んだ、ともいえる気がする。

 まったくもってオチのないことではあるが、終わる。


銀の匙を読んだ。

2013年08月02日 | もののあはれ
 先日、同名のアニメタイトルを見て、何か関係があるのかなと思った。くわしく調べていないのでわからないが、関係がないのだとしたら、タイトルについて配慮が足りないのではないかと思ってしまう。別に著作権の話ではなく。
 というのも、同じく先日、久しぶりに本屋にいったところ、いわゆる夏休み名作シリーズみたいな棚がつくられていた。
 『銀の匙』 中勘助
 坊ちゃんとか太宰とか・・・そういったところにおかれている。
 それこそ、夏目漱石の作品とはまったく無関係で「我輩は猫である」というアニメにしろ漫画にしろ、タイトルをつけるだろうか、という疑問である。まあ、人間失格というタイトルでダメ人間っぷりの日常とか書いてみたいが。

 なお昭和後期~平成期の作品群にはまったく目がいかなかったが、それでも大学時の以前も記した読書会で読んだいくつか、たとえば僕は勉強ができないとかいうタイトル。・・・しょっぱなから話がどんどんそれてしまうが、そういえば僕は○ができないというタイトルのアニメがあったな。アニメはおもしろくなかったが、そのウェブラジオがおもしろくて。
 閑話休題
 閑話休題とか。ぷっw
 むかし風というか、むかしの作品を読んで気分がそういった方向にあるのだろう。普通に閑話休題という表現が出てきてしまった。

 さて、
 いわゆる名作シリーズ的な気持ちで大学時に買った。たぶんほんの少しぐらいは読んだと思う。まったく覚えていないが、ただ、読み続けるのがめんどくさい、おもしろくない感じ、という記憶だけはある。
 まして作者のことなんて知るよしもない。

 読後に解説を見たが、小説家よりも詩人と表現していた。否定はしない。とか書くと含みのある表現になってしまうが、別段嫌味とか言っているわけではない。あしからず。

 単純な感想は、子供時代の、子供としての自分、それこそ子供心を思い出させてくれる素晴らしい本だと思う。本書の時代が100年ぐらい前の日本を舞台にしているため、自分の育った子供の頃とは時代性が幾分かかけ離れている。と、自分でさえ思うのに、まして今の子にとってはどうなのだろう。
 ただ、それでも自分の年代でも懐かしい日本としてまだまだ通じるところがあるわけで、その意味で共感を受けて自分の子供心を思い出したのか。それとも、そういったこととは無関係に、たとえば日本のことを全く知らないドイツ人がこれを読んで自分のように懐かしい子供のころ、子供のこころを思い出すのだろうか。
 どうなんだろう。
 
 ? 別に否定的な感想ではない。素晴らしいと思っている。

 序盤は少々話がくどい。今風の娯楽性の高いものしか見なくなった自分としては、一つ一つのエピソードは大変おもしろいが、これがどういう意図か知らないが、延々と続くのは正直ダレル。なので実際、かなりの日数をかけて読んでいる。読み始めたのは何時だったか。記録してあった7月1日なので、丸一ヶ月かけて読んでいる。1日10分とかそれぐらいで。
 そういう読み方だとダレない。結果的に良かったと思う。一気に読むのは、たぶん大学時にそれをしようとしたのだと思うが、絶対すぐに嫌になる。あるいみ同じような話なのだ。ただ、女の子関係の話になると、なんとなくおもしろいのは何故だろうかと思う。富公ざまあ、とか思う。
 しかし、序盤は生じき、今風にライトに表現すれば「痛い子」の話である。
 難しい。正直どういえばいいのか難しい。

 人間失格の内容は、不倫やらなんやら、仕舞いには自殺とか。
 夏目漱石のK君も遺書を残しているし。
 金閣寺とか、美しいのかもしれないが、なんというか、なんというか。

 子供の詠む内容じゃないだろと思う。
 難しい。

 解説を書いていた人は子供に読ませたい本みたいに言っていたが、子供ごころを思い出すような話は、子供が詠んでも意味がわからないだろ、と言いたい。それこそ、富公の話とか、恵ちゃんだっけか。親に言われて云々となっている。子供心のまま描かれているからこそ素晴らしい内容なわけだが、実際の問題としては、子供の交友関係に親がケチをつけている、という表現では正確ではないか。あんな子とつきあっては駄目ですよというのは、どういう問題をはらんでいるのか。
 難しい問題である。子供が詠んでも理解できないと思う。大人の社会の話なのだから。
 とか思った。
 ま、適当な意見でしかないが。

 ラピュタが始まったので終わる。
 なんにせよ、しょうしょう無駄に長いが、エッセイ的な感覚でひとつひとつの逸話を少しずつ読む方式であれば、ものすごくおもしろい時間を得られると思う。

 おばさんの話はものすごく切ない。


 読むが詠むなど誤変換が多いが、そのうち直すかもしれない。なんだかんだ酔っている。