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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

天地人 総集編を見る。

2013年09月30日 | もののあはれ
 酔っていない時間である。

 さて、他のこと、というか、だらだらとネットサーフィンをしながら見ていたのでいまいち内容が頭に入っていない。
 どちらかというと、ドラマの内容よりも、歴史自体に興味が向かってしまう。

 今、丁度、関ヶ原前の話であるが、義を掲げた景勝は、家康を追撃しなかった云々は、やっぱり違和感ありまくりな言い訳だなぁと。

 なお、天地人を見るまでの上杉景勝は、謙信の跡継ぎぐらいしかの知識がなかった。というか、信長の野望的に言えば、謙信さえ死んでしまえば上杉も終わりという実体験しかなく。景勝もそれなりの能力だが、どうにもぱっとしない。
 これはゲームの話だが。

 しかし実際、寡黙で兼続まかせだったらしいとか。

 うーん。
 というか、どうして羽柴秀吉は関白になれたのか。
 よくわからない。
 うん。
 何がどうわからないのか。それが整理できれば、いいのだろうが、これがなかなか。

 単純に、身分の低い出身の者が、家臣として主家を牛耳ったとしても、主家を差し置いて朝廷での地位を上げるとか、外聞が悪すぎるんじゃないのか? と思う。

 まあ、ググれということか。
 と、ググっても、すぐに知りたい情報が得られるほど、簡単な疑問でないから困る訳で。

 話を戻す。

 総集編の作り具合が悪いのだろう。リアルタイムで見ていたときほど、おもしろいとは思えない。
 が、そういえばこういう話だったなぁと思い出すのが総集編なのだから、それでいいとも思うわけだが。
 概略さえわかればそれでいい、というわけではなく、楽しい時間を過ごすのが意味あることだと思うわけで。ぐだぐだ。

 ありゃ、兼続が千姫助けるとか、大笑いだな。忘れていた。
 どこかの誰かがブログで書いていたが、兼続が信長と会うとかおかしい、とか。
 まあ、おかしいだろう。
 というところが、難しい問題である。

 さて、くどいが、総集編は物語として見てはだめだな。今更ながら。
 時間内におさめるためのつぎはぎだらけなのだから、物語の起承転結が支離滅裂になる。おもしろいと心が動くような作りではないわけだ。印象深いシーンを繋げても、大味にしかならず。
 まあ、本編をしっかり覚えていれば、ああ、こういう話だったよな、感動。とかあるが、忘れているのでなんともかんとも。と、ぐだぐだになってきたので終わる。

お金がない(総集編)を見た。

2013年09月29日 | もののあはれ
 友達はよく言っていた。
 あのころの夕方は、こればっかり再放送していた。
 あんまり覚えはないが、たしかに、再放送を何度も見かけた。

 財前直美はあまり好みでもなんでもないが、東幹久はこれで覚えた。
 教師びんびん物語で野村某に好感をもったのと同じような意味で。

 一応調べておこうか。
 94年7月から9月。
 てか、あれ、田口浩正に梶原善とか。ちょっと前に見た王様のレストランというか、のちの三谷コウキの云々。って、最初のOPで思ったが、音楽の服部孝之も。
 まあ、そういったことはあまり興味がないとも言えるのでこのへんで。

 ただ、これ、ほとんどパクリだった覚えがある。
 バックトーフューチャーで一躍?有名になったマイケルJフォックス主演の「摩天楼はばら色に」。
 お金がないの直前に上記映画を見たような気がする。だからものすごいパクリ物だと思った覚えがある。
 が、実際のところは覚えていない。もう20年近く前の話なのだから。

 さて、内容については、とくに書くつもりがない。
 物語的な問題より、当時の世相を思い返す貴重な資料といった感覚である。

 ま、サラリーマンとか、そういった部分は今も変わらないのだろうが、自分もよく知らないバブル崩壊頃の雰囲気が少し、見えた。ほんと、今も変わらないが当時も世の中に興味がなくて・・・といった話は止めておこう。

 そういえば全然関係ないことかもしれないが、ISORAという映画があったんだなぁと評判を見てみると、いわゆるクソらしいが、コメントの一つにこんなことが書いてあった。

 「阪神大震災を最初に扱った映画」

 そういった意味からすれば、どんなクソな内容でも評価に値する。
 といったような意味で資料的と言ったわけだが、まあ、しかし一応、再放送もよくされたし(ただし、東海地方限定なのかもしれないが)それなりにおもしろいとは思う。

 が、

 と、しかしやはり、どうしても逆説詞をつけたくなるのは、悪い癖なのかもしれないが。
 この「が」以下の部分、まだ整理しきれていないが、物語を作るうえで、自分にはどうしてもできない部分のことである。
 簡単にいえばリアリティーの問題だ。最近さらに一段と考えているだけに。

 
 というか多分。
 サクセスストーリーを受け入れがたい体質になっているのだろう。
 見ていてこんなことありえないと思ってしまう自分の現実がよほど酷いのだろうか。
 成功にしろ失敗にしろ。
 失敗したら怒られるだけだし、成功しても、ふーん程度の話でしかない。という程度のことしかしていないというわけだ。

 まあ、これこそ暗くなる。

 
 なんにしても、結局のところ、大味なのだろうか。まあ、総集編だからというのもあるが。
 

ヨッパのたわごと。SBJを見た。

2013年09月23日 | もののあはれ
 大変申し訳ない。
 真に申し訳ない。
 心から申し訳ない。

 てか、なんで3回なんだろう。337拍子とか、なんやら。

 最近ますます、帰宅⇒メシ⇒飲酒⇒寝るの繰り返しで、まじ何もできないでいる。
 二連休だったのに、あれ、もう21時とか。なにしていたんだろう。

 愚痴がてら書く。
 いつものことだよね?


 セイバーマリオネットJの1,2,4話を見た。3話を間違って4話をみたわけだ。

 テラ子安
 当時は知らなかったが、いや、エヴァのあの男の声、誰だっけ、長髪のヤツね、今で言うモブキャラなのに存在感あったよね、みたいな感覚で、テラ子安。
 
 以下、どちらかというとセイバーマリオネットに対しては大してなにも書かない。そもそも3話分しか視ていないのだし。

 調べた。
 1996年10月1日(火曜日)が初回である。
 まあ、以前も書いたので気にせずに書くが、大学に入った年で、テレビ東京系が映るのでものすごく嬉しかった。アニメ番組がリアルで見られる。
 前年のエヴァから期待していたわけだ。
 テレビ東京系・・・

 4月にガンダムXが放映されていた。これはそれなりに見ていた。ただしこれは打ち切り番組だったと、2年ほど前に知ったわけだが。
 10月開始にナデシコがあった。これが火曜の18時30分。その前がSBJなわけだった。
 どちらもそれほど見なかった。それこそ、数年後カウボーイビバップは毎回しっかり録画したが、これらはそれほど熱心ではなかった。多分半分ぐらいしか見ていなかったのだろう。
 当時は、今で言う(ようは当時この単語はなかったはずである)萌え系が嫌いだった。

 まあ、定義難しいが、ハーレム系として、天地無用があった。単純に、嫌いだった。特におもしろいと思わなかったのである。女の子が沢山でてくるアニメは、まあ、嫌いだった。毛嫌いしていた。だからなんだかんだ、ナデシコやこのSBJはそこまで熱心ではなかったのだろう。とりあえず始めてのテレビ東京系の映る場所に来て、せっかくだから放映されているアニメを見よう、程度の気持ちだったのだと思う。

 おっと、書き忘れたが、この年はドラゴンボールGTの開始年であり、またるろうに剣心、および名探偵コナンが開始されている。
 
 まあ、ふとおもったわけだ、基本的に当時のゴールデンタイムはジャンプ系で固められていた。
 気がする。
 コナンや金田一が異色に思えた、気がする。
 まあ、ジャンプ系しか読まなかった自分の意見なので、たとえばジャンプを読まずにサンデーしか読んでいなかった人にしてみれば・・・なわけであるが。

 数日前、なんとなく鬼面組を調べたところ、アニメの視聴率がかなりよかったと書いてあった。
 今現在、鬼面組とか、正直そこまでおもしろいわけではない、と思う。
 
 鬼ではない奇である。

 さてSBJについて少しだけ書く。
 ああいった、現代的には多分銀魂とかなのかもしれないが、江戸時代的舞台は、当時としても古臭かった。
 そもそも、あの時代当時でさえ、時代劇が古臭さをぬぐえなかった気がする。
 水戸黄門が終わってしまったのが、(見ていない者が言うのもなんだが)悲しいが、時代的に普通の時代劇は流行らないのだろうか。
 とにかく、あの96年当時、江戸時代的背景には、ものすごく違和感があった。
 うむ。違和感と流行は関係していないな。誤謬がある。

 後々のことを考えて(のちのち、今、ここで言いたかったことを忘れるだろうという意味で)。
 ここでいう誤謬とは、江戸時代的を舞台にするアニメ、物語は、自分にとってはほとんど初めてだったのだろう。だから、「アニメ」として違和感があったわけだ。
 すくなくとも、普通のいわゆる時代劇は好きではなかった。大河ドラマは許せても。

 というような意味で、時代劇の流行の問題は関係ない、ということである。

 まあ、そろそろグダグダしてきたのでここで切る。
 なおSBJについてもう少しだけ書いておくと、だらだら視るにはそれほど不都合もなく、それなりにおもしろい。
 絵が古い気もするが、まあ、それほど気にしない。気にならないというのではなく気にしない。
 これはこれで良い。

 あと、林原めぐみは、ちょっと昔から嫌いである。
 そうか、
 だからスレイヤーズが見れなかったのか。
 
 

はたらく魔王 を見た。

2013年09月12日 | もののあはれ
 まあ、一応リアルタイムだったっけ? 最初はもしからしたら無視していたかもしれないが。
 まあ、かなり好みである。

 以前も書いたかもしれないが、剣と魔法のファンタジーが大好きなので、もうどうしようもない。

 さて、酔っている。

 さて。
 煮詰まったときに見ると、かなり気分が高揚するアニメだと思う。

 連想されるのは、近いところで、魔王と勇者になるが、根本的に違う。
 まおゆうは、由来を知らないのでアニメを見た感覚での話だが、それとは関係なく、詳しく知らないのだが、誰だっけ、戦国武将の仙石なんたらを主人公にした漫画があるらしい。
 また、最近は、むかしふうの、戦国時代の戦闘は馬に乗って槍をふるって・・・みたいな戦闘はありえなかった、みたいな話になっているラシイ。

 まあ、詳しいところは知らないので深くはつっこまないが、そういった意味でまおゆうが成立している。
 なので、まおゆうとはたらく魔王はまったく比較対象にはならない。

 ようは、勝手なイメージでどんどんイメージを膨らませた結果の最近の剣と魔法のファンタジーに対して、いやいやちゃんと冷静にリアリティーを考えてくれよ、というのがまおゆうで、はたらく魔王はそういった話ではない、ということだ。


 うん。
 まおゆうは、どちらかというと嫌いだ。

 
 中略。
 
 しかし、はたらく魔王のおもしろさは、魔王が人間になる、という一点に尽きる。
 この場合の、魔王。
 これが問題な訳で、ドラクエを、それこそ1から知っている人間だからこそ、魔王とはなんなのか、を時系列を追って感じられている訳であり

 中略。

 絶対的な悪として存在していた魔王は、しかし、各種さまざまな思いの中で、絶対悪としての存在性を疑われていく。
 これは自分の勝手な思い込みだが、物語として勧善懲悪を貫くには、悪は悪でなければならず、これが仮に人間であるならば、云々。
 まあ、別段今更自分が言う事もないわけだがと思ってしまった。
 人間ではない存在を絶対悪におく場合、そこに良心の呵責はない。

 そういった配慮で、かつてのアニメは、敵が宇宙人であったりなんだったり。
 前にもどこかで書いたが、この構図を崩したのがガンダムなわけで。というのは先輩の受け売りである。


 魔王は絶対的な悪である。という刷り込みの下、ゲームをプレイしてきた自分としては、もちろん、絶対悪とは何か?という疑問を持ちながら、人間ではない魔族のことだから、絶対悪だろうが、絶対悪ではないかもしれない、とか。どうでもいいわけで。
 という魔王観。
 この魔王を人間に貶めて、さらに、正義の味方的扱いにするとか。

 なんかすごい、と思ってしまうわけだ。
 コロンブスの卵、とまでは言わないが、ともかく、魔王を人間にして、さらに正義の味方にする・・・重複してしまったが、そういった考え方を自分はできなかった。
 そういった意味で、ものすごく評価している。

 むむ、ちょっと微妙に言いたかったこととはずれている気がするな。

 もちろん、しょせん2流の作品である。他人の作った作品に対して、自分はそうじゃないよ、こうだよ、という二次作品でしかないのだから。
 

 さて、しかし。
 うむ。ちょいと悪い方向に酔っているようだが。

 まおゆうでもあったが、いやいやそれに限らないが、剣と魔法のファンタジーでよくでてくるお偉いさん同士の利権のやりとり等、アニメで見るとかなりリアリティーが薄い。
 これは何故なのか。

 それこそ、ちゅうに病という言葉を聞いて、はっと、ほんの少し自分のことを見つめなおせたからでもないが、利権に関わる問題に歴史の違いはない。こいつに従っておくとあとあと楽だろう。こいつはどうにもダメそうなので他の誰かについておこう。こいつ、実力はぜんぜんないけど、どうにもゴマすりが上手いみたいでお偉いさんに気に入られてるみたいだし、ついていこうかな。みたいな話。
 古今東西、あたりまえの話だと思えるようになった。

 リアリティーではなく現実の話である。
 が、これをアニメにするとものすごくうそっぽく見えるのは何故なのか。

 なぜなのだろう。

 やはり、現実的ではない幻想の話を作っている中で、現実的な部分は浮いてしまうのか、とか。


ブギーポップは笑わない を読んだ。

2013年09月11日 | もののあはれ
 まだ酔っていない。
 ふむ。
 酔っていない状態でこれを書くのは、かなり久しぶりではないか。
 どうでもいいことだが、唐突に思った。


 さて、初版が1998年2月で、所持しているのは17版、2000年2月である。
 確認するのがめんどうなので適当になるが、たしか3番目か4番目までシリーズをもっている。
 なお、アニメは2000年1月から3月まで放映されている。

 てか、年齢がばれてしまうが、ちょうど卒論の時期ではないか。

 まあいい。


 ブギーポップのアニメを頭の中に浮かべると、がんばって連想されるタイトルのなかでしっくりきたものがある。
 lain。1998年3月の作品のようだ。

 まあ、それもどうでもいいか。

 
 どうして買ったのか、詳しくは覚えていない。ただ、アニメを見て素直におもしろいと思ったから原作を買った、ということは絶対にない。そもそも、ブギーポップのアニメは見たのかどうかも怪しいぐらいだ。なんとなく覚えがあるので1回ぐらいは見たかもしれない。
 酔っていないのでいわゆる吐露ができない。
 
 アニメ化するようなライトノベル作品に目を通しておくのは必要な事だ。
 みたいな義務感で1作目を購入し、とりあえず、おもしろかったわけではないが、その後のシリーズも読んでみた。

 ただそれだけである。


 今回、なんとなく読み直したら、結構おもしろかった。
 まあ、多少あざとい感じの構成とは思うが、一つの事件を多角的に描写するのは、いやいや、しかし、しっかり作りこまれている感があるから、読後感はいい。
 問題があるとしたら、基本的な設定部分と言うのか、現実にはありえないモノゴトが起こっていることで、しかしこれは口に出してはだめだろう。そういうのが嫌いなら読むなよ、という次元の話である。
 ただ、どうにも青臭い。この青臭さは、多少つらい。
 多少つらいが、こういう雰囲気がやっぱりいいわけである。

 しかし、それこそ2000年当時の自分はこの雰囲気を素直に受け入れがたかった。
 対抗心やらなんやら、そういった気持ちが強かったのだろう。
 そういった気持ちをなくせば、普通におもしろい。

 だがしかし、
 と、ついてしまうのが、しかし何かあるわけなのだが。

 自分自身、煮え切らない物言いをしていると思っているのだが。

 うーむ。
 酔っていないが、まあ、今の気持ちを残しておくという意味で記録しておこう。

 やっぱり、普通の高校生が世界的事件(たとえ実際の舞台が狭かろうが)に積極的立場で関わっているのが、なんともいえないわけである。これを例えば、自分が高校生ぐらいに読めば、けっこうはまったのかもしれないが、初見がすでに年上である。
 ターゲットの読者層にはいないのに、関わろうとしているみたいな自分の気持ち、というものになんらかの嫌悪もあるのだろう。
 あと、ものすごく淡々としている。良い意味、ではなく悪い意味で淡々としすぎている気がする。まあ、これは当時の雰囲気が関係しているのかもしれないが、しかし、当時でも同じような事を思ったので時代性は関係しないか。
 こんなことを言うのは大変おこがましいのだが、やっぱりまだまだ書き慣れていないからだろう。
 が、先日『風の歌を聞け』を読んだわけだが、個人的な好みの問題なのかもしれないが、後者のほうは前者で気になるような問題があまり感じられなかったのは事実である。この違いはなんなのか。

 と、ぐだぐだぶつぶつと書き連ねたが、この『ブギーポップは笑わない』は、自分の中で、読める作品である。
 売らずに残しておこう。

SEEDディスティニーを見た。

2013年09月08日 | もののあはれ
 とはいえ、まだ11話までだが。

 とりあえずいつものセリフだが、酔っている。が、どちらかというと悪酔いのようだ。

 さて、ディスティニーはクソだ。
 という思いが強い。
 シードはDVDで見たが、ディスティニーはリアルタイムだった。
 かなり期待していただけに、・・・という記憶が残っている。
 何年経っている? 

 2004年か・・・

 まあ、詳しいことはまた後日にして。

 多分、序盤のつまらなさと、後半のディスティニー計画というトンデモ展開がものすごく悪かったのだろう。
 11話時点だが、ユニウスセブン落下事件からは、まあ、言うほど悪い話ではない。(リアルタイムでも中盤はそれなりに楽しかった気がする)
 ただ、どうやら戦争をかなり意識しているようで、なんというか、ようは戦争のリアリティーを表現しようとして、いわゆる少年漫画的爽快感が押し込まれてしまっている、という気がする。
 難しい問題だ。

 てか、2004年か・・・
 ちょっとショックを覚えるなぁ(笑)

 まあしかし、しょせんは子供だましなのだろう。
 子供な自分だから、だまされてしまっているのだが。

 とはいえ、思ったよりおもしろいとは思う。見直してよかったのかもしれない。

酔いにまかせて。

2013年09月01日 | 雑文日記
(前書き。以下は8月23日の酔いにまかせて書いたものである。UPしなかったのは後日の説明にあるとおり、恥ずかしいと思ったからである。ただしこの恥ずかしいとは、最後の一文、あれこんなこと書いたっけ? と思う、というか、書いたことを忘れてしまうほど酔っていたことについてである。読み返した今、まあ、内面をさらけ出しすぎたというわけでもなく、問題ないだろうと思ったので挙げる。なお誤字を少し直した程度で原文のままである。)



 当ブログの6割以上をしめる書き出しではないだろうか。

 酔っている。

 ともかく、以下、読むに耐えないと思う。最初に注意しておく。

 さて、そもそもこんなに腹が出てしまったのは禁煙にはじめるわけで、今日、ひさしぶりに、やっぱりタバコ吸いたいなあとか思った。だけどそれで吸わないのが、ケチの証である。

 一箱440円、1日880円、一ヶ月で26400円、一年で・・・

 おお、30万近く浮いたわけだ。
 こんなにお金浮いたのにふーぞくとか行かないとか、めっちゃケチだ。と思っている。

 つまるところ、どうやらストレスがたまっているのだろう。無理して今日、ここにおける文面を書くようなつもりはなかった。普通に酔って寝るつもりだったが、いかんせん? どうしようも、とめどもなくあふれ出てくる、こともない、なんとなく。

 先日、まさに先日、やはりオレの青春ラブコメ以下略の話を書いたが、やっぱりおもしろいと思った。
 もちろんその程度ではわざわざ書かない。

 ようは、この今、このとき、すっげぇ、おもしろいと思ったとして、しかし、では1年後まだおもしろいとおもうのかどうか。
 
 おおむかし、友人がもってきて見たエヴァンゲリオンは当時、ものすごくおもしろかった。大学に入って、わざわざ映画館に行ったりもしたし、内容について、カテキョーの子に熱く?語った気もする。
 ふむ。懐かしい。相手は女の子だった、気がする。
 男に女の子を斡旋するのは、別に珍しいことではないのだろうが、まあ、それなりに楽しいことだった。

 ともかく、当時はエヴァにはまっていたが、2,3年ほどしたら、ものすごく嫌いになった。もちろん普通に嫌いというのとは違って、微妙な心の加減、微妙な気持ち。好きだからこそちょっかい出すみたいな、雰囲気での嫌いなわけで。
 無視するということは意識しているみたいな。

 新がスタートして以前も書いたようにおもしろいといえるわけだが、自分の体験から言えば、かくのごとく。
 当時はおもしろいと思っても以後、自分の想いをくつがえすような事案は多々ある。
 これを実証するには、実際数年を経なければならない。
 単純に時間の問題であり、実際時間が経過しないとわからない。くどいか。

 ただ、それでも、やはりオレの青春ラブコメ以下略は、数年たっても、自分にとってものすごくおもしろいと思わせる作品ではないのか? と今思っている。

 ながーい、微妙な言い回しだったが、意図はくんでほしい。酔っているから適当な説明になっている・・・。この・・・の部分に、涙がちょちょぎれているわけだが、この涙の理由も察して欲しい。(笑。書いたときは・・・の部分の意味を理解していたが、中途で書いたところまで読み直している今、・・・の意図がわからない(笑) どうしょう(笑))

 この2ヶ月ほど、とにかくリアリティーの問題が、ときどき身をつきさす。いま、てきとうに表現した。

 酔っているからはっきり言ってしまおう。
 何を?

 今日の昼に、略。
 NHKタイガドラマの八重のサクラ

 多分おもしろいと思う。仕事の休憩で土曜の昼にときどき見ることがあるが、なんとなく悔しい気持ちがするが、おもしろいんじゃないかと思っていた。
 まあ、そのことはいい。

 で、この作品、今日の昼の宣伝を見ている限り、東北に元気を! みたいな趣旨があるらしい。

 それを言われると、正当な評価はできないよな、と思った。
 ひねくれた思考で赤面の至りだが、苦難に満ちた東北に気力をあたえるためにも、福島・・・アイズって福島だっけ?

 を舞台にした以下略。

 調べるのめんどうなので調べないが、女が主人公の作品は基本きらいで、女が描いた作品はもっと嫌いだ。
 男と女をきっかりとわけているのが、自分の何か、みたいな。
 
 好みの問題だ。
 というかリアリティーの問題で、いやはや難しい。

 ほんとうに難しい。
 この10年ちょい、とにかく真面目に考える事をしなかった。考えれば考えるほど、自分の能力のなさ、および気分が暗くなるという生理的現象の前に、何も考えないバカ丸出しで生活せざるをえなかった。
 ほんとうに考えられない。
 いや、これは確実にいいわけか。

 結局のところ、突き詰めて考えるほどの能力がないというのが事実である。

 いや、そういう問題ではなく。

 

 あまりに無駄にすぎる。たんに愚痴を口にするのではなく、文章にしているだけだ。
 愚痴は嫌いだ。生産性がない。

 うむ。
 たぶんいま、めちゃくちゃ酔っているから、酔っていることを理由に、こんな上述、くっだらないことかいてもゆるされるよなみたいな、酔っている主観で言えば、

 ライトノベル的展開は、ライトノベル的展開、ひいては少年向けアニメ・漫画等の内容を他のジャンル(映画や演劇、小説等)以上に見なけれている対象=読者にむけられたものである。
 というあたりまえのはなし。


 アニメや漫画をいっぱい見、親しんだ不特定誰かに対して、むけられたもの。
 逆に言えば、アニメや漫画をみたことのない人には、大層、無意味なメディア。

 
 同じように逆に言えば、アイドルが好きで、そのアイドルがでているからドラマを見る。おなじように好きな俳優がいるからドラマを見る。
 俳優やアイドルをとくに好きでなければドラマを見ない。


 なんというか。
 
 別に見る人は物語展開やシナリオを第一義に見ているわけじゃないんだよな、
 好きな人が出ているから見る。それとは関係なく、おもしろい物語・展開であって欲しい。(でも、かりに話がおもしろくなくても、好きな俳優がでているから見る」 それがドラマの見方ではないのか。

 とか。
 まあ、適当におもったことを、酔いにまかせて(いい訳だな)書き連ねる。

 書き連ねた結果、死んでも有名なyosidakennkouとか、うらやましい。