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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

ならやまぶしこうを読んだ。

2014年07月14日 | もののあはれ
 いかなる前知識も排除する。

 なんとなく、どんな内容だったかうろ覚えのまま、とりあえず、タイミングが合って手に取った。
 表紙を開くまま、ページをめくって、読むのを止めようとした。

 である。が気になった。

 しょうがないので表題まで進む。
 どうして最初に持ってこないのか。まあいい。
 
 上述、何を言っているのか、未来の自分はわかるだろうか。


 さて。
 自分にとっておもしろいものとは何か、と頭を悩ませている現状で、この作品は、いい対象だと思った。

 「今の自分」にとって「おもしろい」とおもえる「何か」、で考えると、この作品はおもしろくもなんともない。それどころか、読むのも苦痛だ。興味をまったく惹かないのだから。
 が、4,50ページ。40分ほど(流し読みだったので。ゆっくり読めば1時間かかっていたかもしれない)。
 短編だから最後までがんばろうとした。
 結果、ここでこうやって書いている。

 なんというか、まあ、なんというか。

 先ほどウィキで見たところ、あくまでも体験談ではなく、伝承と聞いた話のミックスでしかなく、読んでいても、そういった、ほんとらしいうその雰囲気が読み取れてしまう。どこが? と具体的には答えられないが、なんとなく。

 が、それいがいでは、そうでもなく。
 短編という短い分量の中で、うまいぐあいに人間を描いている気がした。
 これが素直な感想だ。


 おそらく、大学の読書会で購入したのだと思われる。平成3年版なので、古本屋経由かもしれないが、手書きの値段もないし、税込み価格の記入もあるし、いやしかし、どこで買ったのかはわからない。
 少し読んで、たしか姨捨山の話だよな、と思い出した。ただ、話の流れや終わり方をまったく覚えていなかったので、本当に読んだことがあるのか? と疑問に思っている。

 アニメの日本昔話にも姨捨山はあったのだろうか。
 ただ、姨捨山、という言葉を復唱するに、その話題をしているゼミ室のイメージが沸くので、たぶん、この作品をゼミでやったのだと思う。
 で、アニメの日本昔話でもあったのだろうか。
 可能性は高いと思う。
 調べた。

 うばすて山

 ありましたな。

 これ、絶対見ている。見ていないはずがない。と思う。
 これ以外で、マイナス情報としての姨捨山関連の話題を、自分が知ろうとするはずはない、のではないかという・・・

 さて。

 まあ、調べた結果、YouTubeにあったので見ているが、アニメだと普通に見る。
 なんとなくおもしろい。

 という、ことなのだろう。
 一言で表すなら、アニメが好き、なのだろうが、
「おもしろさ」を考えて作った結果としての、まんが日本昔話のほうが、見ていてわかりやすく、いろいろ、おもしろいと思う要素が詰まっているのだろう。
 
 と。

 というか、最後までマンガ日本昔話のうばすて山を見たのだが、これ、100%見たことある。はっきりと覚えがある。
 100%

 いや、99%なのかもしれないが、しかし、それでも100%だと断言できる程度に、見覚えがある、というのは、ちょっと気持ちのいいことだ。
 覚えていない、のではなく、忘れていた、だけ。

 ただ、姨捨山の慣習が、覚えていないことになり、忘れ去られたことになり、ほんとうにあったのかどうか、わからなくなったことは、いいことなのか、わるいことなのか、わからない。

昨今のファンタジーについて。

2014年07月08日 | もののあはれ
 ついでなので、ほんと。酔ったついでに書いておく。

 オンラインゲームが始まってどれぐらい経つのか。
 初めてリネージュをしたのが2001年だったか。
 当時、ほかに聞いたのはウルティマオンラインぐらいだったか。

 まあ、適当な意見だが、まともなオンラインゲームはそのころが黎明期だ。
 これは確実に言える。

 ハリーポッターが流行ったのはいつだろうか。まあ省く。
 自分の中でのファンタジーは、いつまでたってもロードス島戦記だ。
 で、このロードス島は指輪物語をパクっている。

 タイトルに言うファンタジーは剣と魔法の、だ。
 が、
 ドラクエ的ファンタジーを王道とするなら、FF的ファンタジーは、国産ではないだろうか。

 剣と銃。魔法と科学。

 これらの両立は・・・海外のSFを知らない自分だから言えるのかもしれないが、FFだ。

 イメージと懐古、誇大妄想になるが、FF8のOPを未だに覚えている。主人公と誰だかが戦っているムービーシーンだ。

 それから何年、十何年経つのだろうか。
 変わっていないと思う。

 派手なアクションシーン。派手な魔法シーン。
 科学的であろうが、非科学的であろうが、論理的ではない見栄えの整う印を行っていわゆる魔法が繰り出される。
 バスタードでは悪魔なりの自然の行動を人間ががんばって魔法という大業な云々。

 という時代を超えて、説明も必要なく、見た目それなりのことをしたら、すごい技がでる。出せる。
 確かに左・左下・下・Aボタンでしょうりゅうけんとか。(コマンド違う。調べるのめんどい)

 そういった感覚でつくられた必殺技が、ふつうに絵でまかりとおる。

 まあ省く。
 べつに愚痴がいいたいわけではない。いいたいだけなのかもしれないが。

 今の時代をしらない、というのは本当に言い訳だ。知ろうとしていない罪が自分にある。
 が、ネットでさらっと見る限りでは、以下の結論に至る。

 いわゆる剣と魔法のファンタジーは、漫画、小説等よりもネトゲー方面で消化されている。
 
 はやいはなし、にほんじんのもとめるけんとまほうのファンタジーは、ゲーム的感覚でしかうけいれられないのではないか。
 剣と魔法のファンタジーは、それこそ、イメージの世界である。
 イメージは、映像によってもっとも入りやすい。
 いやいや、文章からのそれこそイメージ=想像が過去であるが、現在は映像になってしまっている。

 いやいや。

 イメージを植えつけるのに最適なのがゲームだ。
 漫画やアニメや小説やら、そういった「物語性」をどうしても必要とする媒体は、どうしても作りづらいし、上手くいかないと浸透しない。それに変わってゲームは、はじめから欠陥部分があっても、なんとなく許される分野として、今でもまかり通っているという雰囲気がある、のではないか。

 アニメ、小説、漫画等に比べて、ゲームは表現できる情報量が少ないから、説明できない部分があって、その部分はプレイヤーにまかせる、という雰囲気である。

 そもそも、ファンタジーは受け取り側の想像力に委ねる部分が大きい。
 しかし昨今。リアリティー等の問題から、各メディアでディテールにもこだわらざるを得ず、しかし、そういったところは、たしかに、なんというのか、むかしとはちがう、と言う事ではあるが、しかし、根本的なファンタジーのおもしろさとは無関係である。

 くどいが、ファンタジーは受け取り側の想像力にゆだねる部分が大きい。
 現実ではなく、想像するしかない。だからこそのファンタジーなのである。

 想像させる余地を残し、しかし土台はいろいろと設定しておくというゲーム設定、しかもそれがオンラインの大多数・・・話が違ってくるか。
 ともかく。

 想像の余地を狭めて、各タイトルごとにいろんなところを切り取って分類し、自らの立場を狭めるかのような方法でしか受け入れられないファンタジーの物語化は、どうにも世界が狭いのではないだろうか。

 とかふと思った適当な意見だ。
 しょせん、言ったことのないアメリカを断じる日本人といったところか。
 だとしても、少しは通じるところがあろうか。どうだろう。

 酔いすぎた。

むだい2

2014年07月08日 | もののあはれ
 最近ここで書いてないから久しぶりに書こうかな、とか思ったが、実は4日前に書いていた。

 この一文。
 ものすごく、なんというのか、かわいそうな話に思える。かなしい。

 早い話、小説を考えているが、書けない自分を悲しくおもえている。

 まあいい。

 さて。
 無駄に時間を費やすのもなんだから、と言って、読む本は、田中芳樹のガクヒ伝だが、続けて呼んでいるとどうしても飽きがくる。
 英雄物語はそんなもんだ。

 冷めた目で見ると、そんな人間いるわけがない。
 だ。
 いるわけのない人間をいくら出されても、それはしょせん薄っぺらい線でしかなくなる。

 語弊のないようにしたいが一応配慮しておく。
 田中芳樹の題材にする英雄譚自体が、そもそもノンリアルなのだ。
 たしかに、おもしろい。
 おもしろいが、現実ではない。

 まあ、これは前々から思う、個々人のリアリティーの問題の話なのだが。

 まあいい。

 楽しいアニメを見ようと思った。楽しい気分になれるように。

 俺ガイルを見た。
 再度思う。よほど好きなんだな。と。
 
 13話しかみ続けられないのが悲しい。
 似たものを思って氷菓を見ている。まだ途中だが、こちらも、思ったよりおもしろい。見るのは2度目で、初見もおもしろいと思ったのをおぼえている。ただ、2回目を見ることはなかった。
 どちらかというとミステリ風なので、トリックを覚えているとおもしろさが半減する。
 が、そういうものでもない。
 いやいや、話を覚えていなかったので、初見の感覚でおもしろく見れている、とは確かにいえる。
 氷菓がアイスクリームというのは覚えていたが、ほかはとくに。
 えっと、その次のエピソードは、それ自体、2回目見たのにすでにわすれちまった。今日のことなのに。
 今しがた見た文化祭の映画も、オチをおぼえていなかったので楽しく見れた。

 と、そういうことじゃなくて。
 まあ、実際比較しないとわからない。
 具体的には、ぼくはともだちがすくない、だ。あれと比較検討する必要はある。こういった放課後部活系しかもぼっち系の最初は左記になる。はず。だ。多分。
 ただ、ぼくともは、どうにも。まあ、2も見たが、なんというのか。それ以後の同類のものを見た後だと、どうしても見直そうとは思わない。

 自分的に喩えるなら、らぶひなは今見たらおもしろくないというのと一緒か。あれはほんとうに、つまらないと思える。当初はおもしろいと思ったのに。なぜだろう。
 
 まあ、前にもどこかで書いたが、共感できるリアリティーになるのだろう。
 俺がいるについては以前も書いたと思うので省く。
 氷菓については。
 俺がいるほどのリアリティーを感じる部分は、ない。というか、似て非なる、哉。

 氷菓は、どちらかというと英雄物語だ。英雄の武勲譚だ。
 英雄が活躍し、それについて周囲がどう思うか、本人がどう感じるか。
 そういった話がおもしろい。
 のだと思う。

 ふむ。当初書こうと思っていたオチとは違う方向に進んだことに驚いた。
 氷菓も俺がいると同じく、リアリティがある、と書こうとしていた。最初は。というか、そのつもりでこれを書きはじめた。
 てかね、さっきから書くが欠くを最初の変換候補に入れるので腹が立ってしょうがない。
 一度書くを候補にしたらそれになれや、なにこれ、不便だわ。
 てか、変換が返還といつまでも出続けるのも原が経つ。←ほんと、原が経つ。

 ÷よいしているみたいだ。漢字変換程度ではらをたてるとか。しかし、いつもつかっているへんかんが、いきなりちがうへんかんをするとか、よくあるとおもうが、これ、ほんとうにはらがたつ。
 学習機能ついてるんじゃないの?
 なに? おれをいらだたせる学習をしているのか????

 ともかく。
 なるほど。氷菓のおもしろさは、結局のところ主人公のスーパーパワーによる水戸黄門的解決のカタルシスでないのか、と理解した。
 まあ、俺がいるも、自己犠牲による水戸黄門的解決のカタルシスでしかないのかもしれないが。意味不明。

 なんにせよ、おもしろいこと、だけを目的にせず、何か、言いたい事があるのだろうなという話は、興味を惹く。
 作品は、なんにせよ、何かを言いたいために作られているのだ。
 



 ・・・

むだい

2014年07月04日 | もののあはれ
 1989年の新春時代劇織田信長を、昼に見た。
 それについて何か書こうとしたが、まあ、まあ。

 そのあと、ペルソナ4の放送前SPを見て、これについて何かを書こうとしたが、まあ、まあ。

 もののけ姫を見ている。

 見ていると、ほんとうに悲しくなってくる。

 初見時、たぶん、それはオンエアから数年経っていたと思う。当時すでに、ジブリ・・・というかみやざき某が嫌いになっていた。
 なってはいたが、雰囲気的にナウシカなりに似て良そうだったから、一応見る気になった。

 まあまあだった。気がする。
 
 覚えていないが。

 今回見ていて、確かに、この作品を、なんというのか。
 なんというのか。

 みやざき某らしい作品だとは当時も思った。
 思ったが、好きにはなれなかった。

 しかし、それが今はとくに何も思うところもなく、おもしろいと思う、どころか、いろいろと自分に考えさせてくれる良作だとさえ思ってしまう。

 なんというのか。
 なんというのか。

 むかしは、こんなものを見なくても、いろいろと考える事ができた。はずだ。
 覚えていない。
 しかし、この作品を見て、今思うような気持ちにはならなかったという意味で、比較できる。

 むかしはもっと、なにもなくても、いろいろなことを考える事ができた。

 しかし今は、何かなければ、何も考えられなくなった。
 これがとても悲しい。

 前に書いたかどうか忘れたが、考えることが苦痛をもたらした時期があったその後遺症が現在に繋がる訳だが、なまじ、考えることができたということをなんとなく覚えているだけに、考えられなくなったという今の自分は、あるいは幻想なのかもしれないが、悲しい事だ。

 さらに、

 日本には神がいた。
 こういった考えを、いやいや、これについては、当時の自分もそんなに何もわかってはいなかった。
 が、
 わかってはいないが、神がいた日本、という何かを、なんとなく考えることができた。
 だけど、今はできない。

 ふーん。あっそう。

 だ。

 こう思う今の自分が、一番悲しく、そしてまた、