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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

TMNについて

2015年10月23日 | 同時代性の問題
 YoutubeでGetWild(89年5.3)の動画をみた。
 
 よ、よ、よ、よこはまありーな

 当時はまだNetworkなのかな。
 ともかく、いつからTMNを聞き始めたのだろうか。あんま覚えてないが、88年のぼくらの七日間戦争でのセブンでいずズォーはリアルタイムで聞いて曲を好きになったのは覚えている。逆襲のシャアも88年だが、こちらは映画を見に行ってはいない。

 TMNのカセットテープもいくつかある。捨てたかどうかは覚えていないが、CDレンタルした覚えがある。中学生の頃だろう。たぶん。
 ただ、自分の中の印象では、シンセ音楽は嫌いだった。
 やっぱり音楽は生バンド。みたいな。これは高校入ってバンドをしはじめたからである。

 さて。
 89年の宇都宮の姿を見て、ああ、89年って、まだこういう時期なのかと思ったことだ。
 田原俊彦の教師びんびん物語が、自分の中のイメージだが、そうか、左記は87年~か。だとしたら宇都宮の髪形もトシちゃんカットとしてリアルタイムになる。(田原俊彦のブレイクが80年代前半かと勘違いして話をしようとしていたので)

 というのも、この。髪形をメインにその他全体的な雰囲気を見て、いわゆる昭和後期の時期だが、このまま95年あたりまで、こういう雰囲気が引き継がれた、というかひきづっていたのかな、と思ったわけだ。
 この唐突な95年だが、これはまたイメージなので適当に言っている。

 2015年現在と1989年では確実に時代性の断絶があると思う。当時を生きていた自分がそう思っている。おそらくは科学技術的な意味で違いがあるだけ、だとは思うのだが。

 それにしても、音楽的に古さを感じないのは、時代を先取りしていたコムロのすばらしさなのだろうか。それとも、コムロ音楽を今でもひきづっているからなのか。
 さて。