最近のことはいちいち言い出すとキリがないし、酔っているなど言い出してもきりがない。
いつものことだ。
最近シロバコを見直した。
改めて思った
「おもしろい」
何がおもしろいのか。
現実でありつつファンタジーであること。
それに尽きる。
リアリティーがある。
と言うのとは少し違う。
言うとしたらリアルである。
それでいて、ファンタジーなのは、うまくいくところにある。
ハッピーエンドを迎える。もしくは、ハッピーエンドなるナニモノカを思うところがフィクションなのである。
ああ、こういうことを言うのが嫌だ。夢がない。
ぬいぐるみが夜中に喋っていいじゃないか。小人が夜中に演奏し始めていいじゃないか。
それがファンタジーだろ。
さて。劇場版について。
2年前か。知らなかった。情弱だなぁとつくづく思うが。
思った以上にがっかりした。のが本心だ。
そもそも、現実的なワーキングマン的な話題をどのように劇場させるのか。
続きものとしての劇場版として単なる2時間アニメとして見るならば、別段それはそれでいいのかもしれないが、なんというか。いわゆるジャンル的に、これ劇場版にする必要性というか、無理じゃね? という気が、そもそも最初から思うところではあった。
(たとえば「けいおん」とかは、劇場版でもありだと思うという意味で)
夕飯を食ってきた。
その時に、書こうとしたことを忘れた。さらには、飯中にこれも書こうと思ったことも、食べ終わって忘れた。まじ記憶力やばい。日常生活がすべて夢みたいだ。気づいたら忘れている。
ただ、上に書いたことまでを読み返してなんとか踏みとどまれるか・・・
リアルとファンタジーの問題である。
例えば、この映画を誰が楽しむのだろうか。
①映画を見る=余裕のある人。⇒なんでもそこそこ楽しめる。
②映画を見る余裕がないけど、好きな作品だから見に来る。
自分がどちらかというと②に入るだろうが、しかし、①の場合だとしても、設定・展開的に「?」である。
忘れないうちに書いておくならば、シロバコのおもしろさは、夢を負った可愛い女の子たちが、現実になかなかうまくいかない、そういう中で、それでもがんばって、5人が一緒の仕事ができて、夢に一歩近づいたねと夢想し合う物語である。
かなり歪曲しているかもしれないが。
その点からいうと、劇場版は、ほんとに?である。
5人が一緒に仕事をするという点では、確かにそうであるが、そこに至る躓きがない。2時間だから、しょうがないというのもあるが、そもそも2時間で5人分の背景を出すこと自体無理なことであろう。
困難が必要である。ファンタジーでいうなら強敵か。なんともわかりやすい。
現実問題では難題、上司との軋轢等。
アニメではたとえば納期における人間関係。とくに原作者(との間の変な話、人間関係)。
劇場版では何か。
最近頭悪くなって酔った感じでまったく何も頭に入ってこない状態だが、所見、どういう軋轢なのかわからなかった。利権問題なのだろうが、「ん~」という思いである。まあ、この点は自分が悪いのかもしれないが、「展開躓き」としては、薄いと思った。
なにより、くたびれた生活を見たいのか? である。
ここまで書いて思い出した。1990年以前、果たしてこんな設定はありえたのだろうか。
くたびれた現実に嫌気が指して。
みたいな。
いや、あったのだろう。バブル云々言われようとも好景気云々いわれようとも一般市民には、関係ないところには関係ない。貧乏は貧乏。金持ちは金持ち。
でも、自分が子供のころを思って1980年代。
悲しい話はあった。
だけど、こういう、なんというか、社会的に暗い話というのは、あったのだろうか。
変革を求める対象としての腐った世の中はあったかもしれない。しかし、変革改革とは無縁のただただ現実的な未来の見えない設定は、果たして。
あったのかもしれないが、
あるいは自分の説明がもう少し足りないのかもしれないが。
もしくは単なる記憶違いなのかもしれないが。
記憶にない。
最近の気持ちがダウナーだから、があるのかもしれないが、存外明るい話ではないから、見終えて気持ちのいいものではなかった。
それが素直な感想だ。
なに文句言ってんの。ならおまえならどうすんの? どうすればよかったの?
言われてもこまる。わからない。
どうやれば2時間作品で、5人が一緒に仕事ができる幸せを、いかなる困難をもって表現して、かつ、ふしあわせ感をただよわせないか。
わからない。
しかし、それでもやっぱり、むさしのあにめーしょんが死に体、かつアニメ業界が云々という出だしは、ありえないと思う。その基本設定で、自分はどうしても、「これダメでしょ」と言いたくなる。
うむ。上にも書いたかもしれないが、辛口なのは最近ダウナーだからだろう。
このダウナーな気持ちを吹き飛ばしてくれるならば。
という気持ちで見始めただけに、なんというか。
なんというか。
いつものことだ。
最近シロバコを見直した。
改めて思った
「おもしろい」
何がおもしろいのか。
現実でありつつファンタジーであること。
それに尽きる。
リアリティーがある。
と言うのとは少し違う。
言うとしたらリアルである。
それでいて、ファンタジーなのは、うまくいくところにある。
ハッピーエンドを迎える。もしくは、ハッピーエンドなるナニモノカを思うところがフィクションなのである。
ああ、こういうことを言うのが嫌だ。夢がない。
ぬいぐるみが夜中に喋っていいじゃないか。小人が夜中に演奏し始めていいじゃないか。
それがファンタジーだろ。
さて。劇場版について。
2年前か。知らなかった。情弱だなぁとつくづく思うが。
思った以上にがっかりした。のが本心だ。
そもそも、現実的なワーキングマン的な話題をどのように劇場させるのか。
続きものとしての劇場版として単なる2時間アニメとして見るならば、別段それはそれでいいのかもしれないが、なんというか。いわゆるジャンル的に、これ劇場版にする必要性というか、無理じゃね? という気が、そもそも最初から思うところではあった。
(たとえば「けいおん」とかは、劇場版でもありだと思うという意味で)
夕飯を食ってきた。
その時に、書こうとしたことを忘れた。さらには、飯中にこれも書こうと思ったことも、食べ終わって忘れた。まじ記憶力やばい。日常生活がすべて夢みたいだ。気づいたら忘れている。
ただ、上に書いたことまでを読み返してなんとか踏みとどまれるか・・・
リアルとファンタジーの問題である。
例えば、この映画を誰が楽しむのだろうか。
①映画を見る=余裕のある人。⇒なんでもそこそこ楽しめる。
②映画を見る余裕がないけど、好きな作品だから見に来る。
自分がどちらかというと②に入るだろうが、しかし、①の場合だとしても、設定・展開的に「?」である。
忘れないうちに書いておくならば、シロバコのおもしろさは、夢を負った可愛い女の子たちが、現実になかなかうまくいかない、そういう中で、それでもがんばって、5人が一緒の仕事ができて、夢に一歩近づいたねと夢想し合う物語である。
かなり歪曲しているかもしれないが。
その点からいうと、劇場版は、ほんとに?である。
5人が一緒に仕事をするという点では、確かにそうであるが、そこに至る躓きがない。2時間だから、しょうがないというのもあるが、そもそも2時間で5人分の背景を出すこと自体無理なことであろう。
困難が必要である。ファンタジーでいうなら強敵か。なんともわかりやすい。
現実問題では難題、上司との軋轢等。
アニメではたとえば納期における人間関係。とくに原作者(との間の変な話、人間関係)。
劇場版では何か。
最近頭悪くなって酔った感じでまったく何も頭に入ってこない状態だが、所見、どういう軋轢なのかわからなかった。利権問題なのだろうが、「ん~」という思いである。まあ、この点は自分が悪いのかもしれないが、「展開躓き」としては、薄いと思った。
なにより、くたびれた生活を見たいのか? である。
ここまで書いて思い出した。1990年以前、果たしてこんな設定はありえたのだろうか。
くたびれた現実に嫌気が指して。
みたいな。
いや、あったのだろう。バブル云々言われようとも好景気云々いわれようとも一般市民には、関係ないところには関係ない。貧乏は貧乏。金持ちは金持ち。
でも、自分が子供のころを思って1980年代。
悲しい話はあった。
だけど、こういう、なんというか、社会的に暗い話というのは、あったのだろうか。
変革を求める対象としての腐った世の中はあったかもしれない。しかし、変革改革とは無縁のただただ現実的な未来の見えない設定は、果たして。
あったのかもしれないが、
あるいは自分の説明がもう少し足りないのかもしれないが。
もしくは単なる記憶違いなのかもしれないが。
記憶にない。
最近の気持ちがダウナーだから、があるのかもしれないが、存外明るい話ではないから、見終えて気持ちのいいものではなかった。
それが素直な感想だ。
なに文句言ってんの。ならおまえならどうすんの? どうすればよかったの?
言われてもこまる。わからない。
どうやれば2時間作品で、5人が一緒に仕事ができる幸せを、いかなる困難をもって表現して、かつ、ふしあわせ感をただよわせないか。
わからない。
しかし、それでもやっぱり、むさしのあにめーしょんが死に体、かつアニメ業界が云々という出だしは、ありえないと思う。その基本設定で、自分はどうしても、「これダメでしょ」と言いたくなる。
うむ。上にも書いたかもしれないが、辛口なのは最近ダウナーだからだろう。
このダウナーな気持ちを吹き飛ばしてくれるならば。
という気持ちで見始めただけに、なんというか。
なんというか。