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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

T2

2019年02月10日 | もののあはれ
 前回は1月7日か。
 新年になって一回書いていたのか。忘れていた。
 酔っている。
 とことん酔っている。
 ただ、最近は休日が絡まないとここまで飲まないようにしているつもりだが、さてどうだろう。

 ターミネーター2を録画して見ようかなと見ている。
 さっきまで将棋していたのでほとんどみていないが、今しゅわと水銀のやつがたたかっている。単語忘れた。

 で、水銀のやろうが警官の姿をしているが、人々に少年の行方を聞いている。
 さて、2019年現在、こういうことをするであろうか。
 もちろん、2019年当時に生きている人間が人を探すなら、そういう足を使った聞き込みをするかもしれない。しかしこれ以降の未来から来た最新鋭の機械がそんなことをするだろうかと、考えるか?
 AIが予想以上に発達してきているこの2019年当時。

 そういうところが時代性ということなのだろう。たとえば自分の生まれる前にあった作品を見たときに時代性を感じたりするという意味で、しかし自分が生きていて知ってしまった経緯の中で、いかに時代性を感じるか。

 さすがにT2は古いと言えるのだろう。
 いやいや、これは一面的に過ぎる。そもそも、近未来的作品=SFとして、T2はともかく、あんまり見たことないがターミネーター初代は、正直SFとは思えなかった。もちろんSFとして作られたとは言えないのだろうが、あの時代、たとえばスターウォーズにしても、SFというのにうは何か違うなと思っていた。
 その当時みたことがないが、スタートレックはSF的だったのかもしれないが。

 つまり、未来が関係する設定なのに、やっていることは殴るだけ、って、こんなこと、前にも書いたなw
 とにかく、やっていること、目に見えることは基本的に現代=その当時の現代である。
 だけどやっぱりT2は面白いと思う。
 これは今でも当たり前のように通じる「おもしろさ」が、少なくとも自分にとってのおもしろさがあるからだろうと改めて確信できる。

 こういうのって、たとえば大昔?で言うなら、じゅーるべるくだっけかなのか。海底二万マイル? 読んだことないが。
 そういう意味で、当時の人間が未来を描いた作品ってのは、面白いのかもと思った=興味があるという意味で。

 悲しいかな、しかし浅学にしてそういった作品を知らない。
 浦島太郎は未来に行く話であるが、それはメインの事件ではない。
 
 ああ。
 SF的でないというのはおかしいか。と読み返して思った。
 だって舞台は現代なのだから。そこに未来的要素はなくていい。しゅわと水銀やろうのみで構わないのだから。
 なのでSF的な意味でT2に文句をつけるのは、ややおかしいわけだ。
 タイムパラドックスについても、この作品単体にはかかわらないし。
 ということを付け足しておく。

 まだまだ中途だが、この辺で今回は終わろう。
 最近はとことんひどくなっている。これ以上醜態をさらすのも悪いだろう。