かなり酔っているので、適当であると最初に言っておく。
別に弁明とか逃げではなく、たんなる事実である。
ただ、あえて付け加えるなら、酔っていなくてもまともに書けない。
それだけ衰えたと実感している。
さて。
最後に出てきたペルソナは、サタナエルと言ったのか?
ルシファーなのか、サタンなのか、メタトロンなのか、ヴィシュヌ(だったっけ)が出た後、
最後誰になるのか、予想してみた。
この今と、神や悪魔を楽しんでいたあの頃と、そもそも神や悪魔についてまったくわからなかった頃と。
少なくとも、自分の中で、神や悪魔と言われる存在が、単なる人の上位種としてしか考えられないというオチに陥ってしまっては、このペルソナも素直に楽しめないな、という話である。
むかしは、もっと、神や悪魔に、神秘性なり、可能性なりを感じていた。
しかし、悲しいかな、そのレベルを超えてしまったと思われる今、それこそP5アニメのラスボスなり、あるいは印象深い、少なくとも自分にとっては印象深い新メガ3のラスボス。
もはや人の形も取っていない姿は、今、まさに自分が思う神そのものと言えるのだろう。
ペルソナシリーズはなんだかんだで好きだ。
アニメでしか見ていないP5は、前にも書いたかな。怪盗団なんちゃらと、なんとも現代的なチャラそうな設定だな、とか思って、ゲーム購入さえまったく眼中になかったわけだが、こうやってアニメを見終えて思うのは、あぁ、こういうのが好きなんだよなぁと思う心である。
神を神として見られない。
それこそ昔から思っていることであるが、キリスト教者が神を信じると言うことが、わからない。
神と断定できない、なんらかの人には理解しえないナニモノカを信じるのか、と言われた時、信じるかもしれないとは言う。しかしそれを神とは思わない。
ペルソナ、ひいてはメガテンシリーズの悪魔合体について、これは日本だからこそ生み出されたものなのかどうか、正直面白いテーマだと思う。
他の国で、こういうことがありえたのだろうか。
これについては、別段今の日本を指してはいない。一時期の上からの弾圧的教え、というか、一時期ではないか。
しかし、むかしの日本でもありえた考え方なのかなぁと思っただけである。
また、別の国でも、こういうことを考えるかもしれない国、文化はあるのかもとは思っている。
ふむ。かなり酔った状態で、ここまで適当に書き続けてしまったか。それだけの意欲を、P5は与えてくれたのだろう。
何かを見て、何かを言いたくなる力。
イゴールでそういう物語展開か! というのが、一番斜め上でおもしろかったと言っておく。
ともかく、「神」という単語、概念が、今の日本でどのような扱いをされているのか、けっこう真面目に考える必要があるのではないかと思った。
それこそ今年は、神の血統である天皇の代替わりでもあるのだから。
しかも、近代憲法で、神から人にされてしまったことにたいして、それを普通と考える世情の中で行われることについて。
誤解を与えないならば、神なんていない。
基本的にはそういう考えである。
別に弁明とか逃げではなく、たんなる事実である。
ただ、あえて付け加えるなら、酔っていなくてもまともに書けない。
それだけ衰えたと実感している。
さて。
最後に出てきたペルソナは、サタナエルと言ったのか?
ルシファーなのか、サタンなのか、メタトロンなのか、ヴィシュヌ(だったっけ)が出た後、
最後誰になるのか、予想してみた。
この今と、神や悪魔を楽しんでいたあの頃と、そもそも神や悪魔についてまったくわからなかった頃と。
少なくとも、自分の中で、神や悪魔と言われる存在が、単なる人の上位種としてしか考えられないというオチに陥ってしまっては、このペルソナも素直に楽しめないな、という話である。
むかしは、もっと、神や悪魔に、神秘性なり、可能性なりを感じていた。
しかし、悲しいかな、そのレベルを超えてしまったと思われる今、それこそP5アニメのラスボスなり、あるいは印象深い、少なくとも自分にとっては印象深い新メガ3のラスボス。
もはや人の形も取っていない姿は、今、まさに自分が思う神そのものと言えるのだろう。
ペルソナシリーズはなんだかんだで好きだ。
アニメでしか見ていないP5は、前にも書いたかな。怪盗団なんちゃらと、なんとも現代的なチャラそうな設定だな、とか思って、ゲーム購入さえまったく眼中になかったわけだが、こうやってアニメを見終えて思うのは、あぁ、こういうのが好きなんだよなぁと思う心である。
神を神として見られない。
それこそ昔から思っていることであるが、キリスト教者が神を信じると言うことが、わからない。
神と断定できない、なんらかの人には理解しえないナニモノカを信じるのか、と言われた時、信じるかもしれないとは言う。しかしそれを神とは思わない。
ペルソナ、ひいてはメガテンシリーズの悪魔合体について、これは日本だからこそ生み出されたものなのかどうか、正直面白いテーマだと思う。
他の国で、こういうことがありえたのだろうか。
これについては、別段今の日本を指してはいない。一時期の上からの弾圧的教え、というか、一時期ではないか。
しかし、むかしの日本でもありえた考え方なのかなぁと思っただけである。
また、別の国でも、こういうことを考えるかもしれない国、文化はあるのかもとは思っている。
ふむ。かなり酔った状態で、ここまで適当に書き続けてしまったか。それだけの意欲を、P5は与えてくれたのだろう。
何かを見て、何かを言いたくなる力。
イゴールでそういう物語展開か! というのが、一番斜め上でおもしろかったと言っておく。
ともかく、「神」という単語、概念が、今の日本でどのような扱いをされているのか、けっこう真面目に考える必要があるのではないかと思った。
それこそ今年は、神の血統である天皇の代替わりでもあるのだから。
しかも、近代憲法で、神から人にされてしまったことにたいして、それを普通と考える世情の中で行われることについて。
誤解を与えないならば、神なんていない。
基本的にはそういう考えである。