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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

P5を見て。神について

2019年03月27日 | もののあはれ
 かなり酔っているので、適当であると最初に言っておく。
 別に弁明とか逃げではなく、たんなる事実である。
 ただ、あえて付け加えるなら、酔っていなくてもまともに書けない。
 それだけ衰えたと実感している。

 さて。
 最後に出てきたペルソナは、サタナエルと言ったのか?

 ルシファーなのか、サタンなのか、メタトロンなのか、ヴィシュヌ(だったっけ)が出た後、
最後誰になるのか、予想してみた。

 この今と、神や悪魔を楽しんでいたあの頃と、そもそも神や悪魔についてまったくわからなかった頃と。
 少なくとも、自分の中で、神や悪魔と言われる存在が、単なる人の上位種としてしか考えられないというオチに陥ってしまっては、このペルソナも素直に楽しめないな、という話である。

 むかしは、もっと、神や悪魔に、神秘性なり、可能性なりを感じていた。
 しかし、悲しいかな、そのレベルを超えてしまったと思われる今、それこそP5アニメのラスボスなり、あるいは印象深い、少なくとも自分にとっては印象深い新メガ3のラスボス。 
 もはや人の形も取っていない姿は、今、まさに自分が思う神そのものと言えるのだろう。

 ペルソナシリーズはなんだかんだで好きだ。
 アニメでしか見ていないP5は、前にも書いたかな。怪盗団なんちゃらと、なんとも現代的なチャラそうな設定だな、とか思って、ゲーム購入さえまったく眼中になかったわけだが、こうやってアニメを見終えて思うのは、あぁ、こういうのが好きなんだよなぁと思う心である。

 神を神として見られない。
 それこそ昔から思っていることであるが、キリスト教者が神を信じると言うことが、わからない。
 神と断定できない、なんらかの人には理解しえないナニモノカを信じるのか、と言われた時、信じるかもしれないとは言う。しかしそれを神とは思わない。

 ペルソナ、ひいてはメガテンシリーズの悪魔合体について、これは日本だからこそ生み出されたものなのかどうか、正直面白いテーマだと思う。
 他の国で、こういうことがありえたのだろうか。
 これについては、別段今の日本を指してはいない。一時期の上からの弾圧的教え、というか、一時期ではないか。
 しかし、むかしの日本でもありえた考え方なのかなぁと思っただけである。
 また、別の国でも、こういうことを考えるかもしれない国、文化はあるのかもとは思っている。

 ふむ。かなり酔った状態で、ここまで適当に書き続けてしまったか。それだけの意欲を、P5は与えてくれたのだろう。
 何かを見て、何かを言いたくなる力。

 イゴールでそういう物語展開か! というのが、一番斜め上でおもしろかったと言っておく。

 ともかく、「神」という単語、概念が、今の日本でどのような扱いをされているのか、けっこう真面目に考える必要があるのではないかと思った。
 それこそ今年は、神の血統である天皇の代替わりでもあるのだから。
 しかも、近代憲法で、神から人にされてしまったことにたいして、それを普通と考える世情の中で行われることについて。
 誤解を与えないならば、神なんていない。
 基本的にはそういう考えである。



どろろ

2019年03月27日 | もののあはれ
 書いてないか。

 今回見て、さすがに何か書きたくなるほどおもしろいと思ったのでかく。
 その前に。

 まじで書いてなかったっけ。なんか書いた気がするんだけどなぁと思いつつ、

 むかし好きだったマダラがどろろのぱくりだっていうのは、よくわからないが知っていた。
 よくわからないというのは、どろろを知らなかったからである。そして知っていた理由は、海賊版とか読んでいたからである。(当時はネットなんてないから、ほんと、情報弱者にはまったく何もわからないわけである)
 手塚治虫は知っていた。火の鳥、ブラックジャック、鉄腕アトム。
 ただ、マダラを見ただけでは、そのパクリ元となる作品の、作風が想像できなかった。
 そもそもリアルタイム当時は、そもそも手塚治虫がなんだ? 織田信長とどっちが先に生きたの? レベルである。というのは言い過ぎだが、作者が云々は、今でもそうだが、作品にしか興味がないから作者のことなんかなんとも考えていなかった。
 だから、どろろがどうのこうの言われても、マダラがおもしろければそれでいいと思っていたわけである。

 で、どろろを、初めて見て、
「ああ、これ、もろパクリじゃん」
 と思ったわけである。
 そして同時に思った。
「どろろがおもしろいから、マダラがおもしろいのか」

 ともかく。
 古い作品なので、いろいろ思うところはあるが、しかし、そういう意味では、脚色のないすっきりしたスマートな作りなので、やっぱり、そういう時代に影響を受けた自分としては、今のものよりもよほど面白いと思う。
 
 で、本題に戻るが、今回面白いと思ったのは、
「わたしには救えません」発言である。

 やっぱりすごいと思った。
 ただ、これは作品のみで判断しているわけではないから、上述の自分の考えとは矛盾することになるかもしれないが、

 戦争と我が子。
 という比較の仕方は説明が悪いか。
 戦争を避けるために我が子を犠牲にする。

 この設問に対して、手塚治虫は、百鬼丸の母にYESと言わせたのである。
 もちろん、手塚治虫がどう考えているかは、これだけではわからない。
 しかし、戦争のあの時代、国のために我が子を犠牲にする。戦争ではない時代であっても、我が子を云々と考えるのは、いつの時代であっても、親と子というテーマであるが、云々。

 国のために我が子を犠牲にするということに、YESと言わせた。

 とても悲しい話である
 皮肉屋なら、そうやって皮肉るのかもしれないが、やっぱりこれは悲痛の叫びであり、許しを請う、いわゆる贖罪の気持ち。

 なのかなぁって勝手に自分が思っただけの話かもしれないが。
 
 
 

フックを見た

2019年03月16日 | もののあはれ
 こういう偶然の出会いがあるから、スカパーも悪くないと思う。
 冒頭は、とくだん何も思わなかったが、フック船長が出てきて一発で思い出した。
 これ、見たことある。というか、当時はCMでよく見ていた覚えまでも。
 フック船長の容姿がハマリ役だみたいな、そういう話題もあったと思う。

 見終わってから調べると1991年。
 けっこう昔だ。

 その当時、見たのはおそらく金曜ロードショーあたりだろう。
 おもしろかったかおもしろくなかったか。
 覚えはないが、おそらくそれほどおもしろくなかったと思う。

 中学生~高校生あたりには、さすがにネバーランドは子供すぎると思う。
 ちょうど比較できると思うが、たとえばぼくらの七日間戦争2とか、おそらく同時期だと思うが、
 そういった大人を相手にしての、子どもの夢みたいな戦い方、つまるところ、戦うシーン自体はさほど面白いと思わなかった。
 これが例えば現代的なSFX(笑)。現代的な作り方をしていたら、迫力のある戦闘シーンだから、面白かったと思うかもしれないが。

 しかし、逆に見ていて悲しくもなるのが、歳をとった証拠なのだろう。
 今となっては子供の気持ちでみることができないから、そういう意味での判断はできないが、じゃあ、だからといって年経た大人の感想としてはどうなのか。
 
 んー、しかし記憶は曖昧だ。本当に当時に見たのか。
 もしかしたら、大学時代のビデオレンタル時期に見たのかもしれないし。
 何とも言えない。
 ただ、フック船長の話題は、リアルタイムで見ているのは確かだ。

MAMAを見た

2019年03月13日 | もののあはれ
 ホラーは嫌いだ。
 怖くなくても怖いから。
 零はホラーゲームだと思うが、バイオハザードは、ホラーなのは1だけだと思っている。

 さて。
 幽霊にしろなんにしろ、見えてしまったら終わりだと思う。
 見えないからこそ、怖いわけだから。

 で、見えてしまったらだめな怖いやつの動きが、それこそ零に思えたわけだ。もしくはさだこっぽかったり。
 リングに影響を受けているのは確かだと思うが、しかし思うに、リングは何に影響を受けたのか。
 ホラーは怖いからみない。
 13日の金曜日とか、スプラッタはまったくみれないにしても、シャイニングとかも、見たことないな。
 あと、エクソシストとか。
 映画のホラーの元は、どこになるのか。エクソシストとかなのかなぁとも思ったわけだ。確認したいが、怖いから見たくないわけだが。

 とにかくとことん何度も言う。
 姿を見せたら負け。
 だからこの作品は、ホラーではないのである。