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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

スカパーオンデマンド

2016年04月19日 | 雑文日記
 腹が立つので書く。

 単語が出てこないが、キャンペーンサービスみたいなやつで、○円分のチャンネルサービスがあって、スターチャンネルを選んだ。ちょうど七王国のドラマしているので見られたら、と思ったわけだ。
 中略。
 オンデマンドなら忙しくても好きなタイミングで見られるので大変便利だ。

 が、

 これがよく止まる。
「よく」の定義があまりに主観的すぎるので客観的に直せば、平均1話で1回は止まる感じか。止まらない時も1シーズン10話構成で1,2回あったと思うが(今第三シーズンの8話目だが)、1話で2,3回止まるのも、1シーズン10話構成で6,7回あった(偏見や言いがかりではなく事実として)。で、この「止まる」については「落ちた」というのが正しいのかもしれないが、専用のプレイヤーソフトをわざわざ閉じ直して、再度最初から付け直さざるをえず、早送りの操作性は不便極まりないなので、落ちた場所から再開させるのが面倒。
 で、落ちるだけならともかく、オンデマンドへのログイン状態も不都合になっていて、ログアウトからログインし直さないと再開できないときも、1シーズン略で3,4回はある。

 ヘルプでは各自の環境によるとあるが、まあ、そうかもしれないが、それなら専用プレイヤーにすんなよ、と思ってしまったり。

 ついでに。どうせならPC環境ではなくしっかりTVで見たほうがいいと思う。それができないからPCで見ざるを得ずに、真っ暗すぎて何も見えない場面とかよくあったりと。

 なんというのか。
 ネット胎動期なら許せるが、今どきこんな不快な。云々。

 久しぶりにここに何か書いておかねばなぁ、とか思っていたわけだが、こんなことを書くのも、なんだかな、と思ってしまうが。
 かなり不便で困ったものだと思ったもので。つい。

将棋について

2015年10月19日 | 雑文日記
 しこたま酔ってる。
 さて、最近将棋ウォーズにはまっている。
 困ったものだ。
 はまりすぎて普通にシミュレーションゲーム並みの時間を無駄にしている。
 時間は計画的に使いたい。
 そうは思うのだが。

 さて。
 小学生のころ、Tか岸君という友達がとても強かった。一度も勝てたことがなかった。
 いまではPちんk産業の本社にいるようだが、って、個人情報漏洩だな。

 強かった。

 実際自分は将棋は弱いと思っていた。で、以前、ひかるの碁に影響されて囲碁を覚えた。
 9×9の将棋より19×19の盤のほうが広いし、碁のほうが奥が深そうだ、と思っていた。
 囲碁はとりあえず5級程度まで上達したが・・・

 Youtubeでなんとなく将棋の話題を見ていたら、つい遊びたくなった。
 これが時間を浪費する原因になったわけだが、自分の中ではよくある話だ。

 しかしなんにしても、
 将棋も地味に奥が深い。
 というか、普通に面白い。

 というのは、ようは、コンピューターを相手にしてもおもしろくないというわけだ。将棋にしても囲碁にしても。

 ともかく、
 現在は将棋ウォーズで遊んでいる。コロンブスの卵的だったが、地味な将棋のはずなのに、派手な演出があったりして、動画を見ていてもおもしろかった。
 演出だけでアドレナリンが上昇する。

 なお、無課金では1日3プレイまでだが、ノーパソでもアカウントを作ったので6プレイできる。、
 で、最初は正直プレイするのが怖かった。自分弱いし、下手だし、それこそ王手飛車の筋を見落としたりとか、そんな負け方したら恥ずかしい、みたいな。

 とはいえ、むかしは囲碁もネット対戦していたわけだし、慣れるだろう、と気合いを入れて。
 時間が略。

 級位者同士だと結構おもしろい。良い勝負をする。
 たしかに大ミス、アホミスしたりするが、相手も同じようなものなので、心くじけず最後まで粘ったら意外と勝てたりする。
 が、自分にとって大切なのは勝敗ではなく、強くなることである。もしくは、あほらしいミスをしないことである。

 しかし、どうなんだろうとも思う。
 勝つことを大切にするのか。云々。まあいい。
 別の話になりそうだ。

 思ったのは、意外と、思ったよりも、自分は弱くなかった。
 なんだかんだ、ぼけーっとにしても、ときおりNHK将棋とか、見て、解説を聞いたりしていたからだろうか。
 最近はまったく見ていないのだが。

 なんにしろ、将棋と囲碁と比べてみて。
 将棋のほうがおもしろいかな、と思った。

 囲碁も確かにおもしろいが、級位者の立場からすれば、将棋のほうが気楽にプレイ出来てさくっと遊べておもしろいと思う。
 個人によるだろうが。

 

当たった

2015年09月26日 | 雑文日記
 今日は書くつもりなかったが、バイトの子と飲んで帰ったら、階段に荷物が置いてあった。アマゾン頼んでないしなんだろう、と思っていたが、JTBの名称が見えて、お、これ、もしかたしたら、だった。

 8月に、ヤクルトの、仕事場にある自販機に応募のはがきがあったので、数日かけてジュースをかって、応募したわけだ。
 まさか当たるとは思わなかったが、A賞あたった。
 いや、それよりはサマージャンボが当たってほしかったが。

 にしても、こうやって、いわゆる一等賞が当たるとか、人生初で、ちょっとはうれしい。
 ただ、応募の時点では旅行券だと思っていたのに、実は日帰り券でしかなかったという、微妙な気持ちはある。
 にしても、まあ、普通にうれしい。

 なお、仮に宝くじがあたったら、普通に仕事をやめる。それから専門学校入りなおして、別の仕事につく。
 いやしかし、本気でそうする気があるなら、今の時点で仕事をやめて専門学校に入っても、十分やっていける資金はあるのだから、本気でやるなら、できるわけだ。
 それをしないのが、結局はチキンなわけだ。

もう一つだけ書いておこう

2015年09月25日 | 雑文日記
 フィンガー5の話題をしたのでついでに動画を見てみた。
 それで思った。

 大昔は、写真すらない時代。
 まあ、絵はあったのでいろいろと。
 なので写真はいい。

 問題は動画だ。

 本来。動画のない時代。人々の過去は記憶と想起でしかなかった。客観的な根拠は一つとしてない。
 それこそ公証人が殴り合って、その強烈なインパクトのまま記憶を残すとか、そんな笑える話もあるぐらいだ。

 それが、今は動画として、すくなとも今、自分は40年前の動画を見たわけだ。

 仮に動画のないそういった時代だったとしたら、40年前の記憶はどのように残っているのだろうか。
 文書や絵はあるかもしれないが、それはすでにして作者の主観が介在する。それでも多くの主観が関わったのだとしたら=多くの書き手がいるのであれば、それらから見出される普遍性もしくは客観性を取り出していろいろと断じることはできる。が、第一資料としての意味合いは、云々。さて。

 これが動画の場合。
 たしかにそれによって確実なる客観的な第一資料かと言われれば、厳密にはそうではなくなるだろう。動画として、映像としてとらえられたものがすでにして虚構を映しただけなのかもしれないと。しかしそれはまた別の話であって、少なくとも、へーいへいへいへーいと歌っているフィンガー5の、動く姿を当時、テレビの前で見た人たちと同じ意味合いで見ることはできる。

 そして、それを参考にして、今、各々、意見することができる。

 もちろん何が正しいのかはわからない。
 が、
 映像は、取った人による主観的な映し方、というものが介在しているのかもしれないが、だとして、かなり高い鮮度での客観的な判断材料となりえるという、主観的な心意が働くものと思われる。
 
 少々微妙な物言いにしてしまったが。

 ま、早い話、ローマ皇帝ネロのとある一月みたいな映像記録が残っていたなら、そこに映し出されるのが皇帝側の宣伝としてのフィルターがかけられているにしても、少なくとも、当時の服飾については、はっきりとわかるのではないだろうか。例えば。

 というような意味で、映像の素晴らしさと陥穽を記しておく。簡略ながら。
 あ、服飾なら写真で済むか。

2015年9月25日に思ったこと

2015年09月25日 | 雑文日記
 いい感じで酔っているのでついでにいろいろと最近思ったことを独白していこうか。と、独白の使い方が唐突だな。
 なお、酔っているせいで内容がめちゃくちゃなわけではなく、そもそも整理がしっかりできないから内容がばらばらなのである。酔っているせいではないと最初に記しておく。

 さて。
 昔を思い出すこと自体は、自分にとっては大切なことである。もちろん、よくある哀愁?懐古?みたいな、よくある気持ちではあるが、あの当時だから考えられた何か、少なくとも、あの何かを、今でも、今の自分が持っている何かよりもはるかに、自分にとっては善きこと、だと思っている。
 昔がよかった、ということではなく、具体的に、言葉忘れた。調べてくる。ああ、モラトリアムか。

 働きだした今となっては、正直、働きたくないといっていた当時の自分はクソである。が、今でも、そのクソのままでいたいと思っている。
 その意味で、あの当時の自分の考えていたことは、働いている今、まったくの無益であるが、あれを有益と思える雰囲気の中では、有益なことであって、今ではとても思いつけるものではないという意味で、むかしのことが、自分にとっては貴重なのである。

 あきらかに、今とあの当時の自分は、思想的につながらない。
 というのは、少々言い過ぎか。
 ともかく、しかし早い話、20代に考えていた、その世代における悩みは、30代にはもうわからないということだ。
 30代になったことのない20代に、30代の気持ちは論理的にもわかることはできない。しかし、20代を経験したことのある30代であれば、20代のことが考えられるのではないか、という論理的な提示に対して、しかし、それはやはり答えることができないことになる。20代ではないのだから。
 が、30代の身として20代をいうことはできる。

 が、自分のしたいのは、そのまま、今のまま20代を語りたいのだ。
 できるわけがない。

 さて。
 最近ようやく理解したわけだが、自分はコミュ障に含まれることになるのだろう。
 もちろんあくまでも、揶揄なり嫌味なりで使用されるレベルである。
 順序だてて説明を、
 できれば苦もないわけだが、なんというのか。

 学生時、一人でいいと思っていた。
 今でも同じように思う。が、学生時と違うのは、やっぱり友達がいないことなのだろう。
 一人でいたいときは一人でいればいいし、なんだかなと思うときは友達に電話して遊びいくわ、と押しかけることができていた。それが今はできない。これはコミュ障の話ではないが。
 今、そういう知り合いを作ろうとしなかった結果にある一つの人生として、この結果を分析するに、上述。
 言い換えれば、自分の意見を押し通すということをしなかったわけだ。
 と、これ以上これについて詳しく書くと、今時点、仕事のことで腹が立つような気がするのでやめる。

 有能であっても自分をセールスできないのであれば、無能でしかない。
 早い話がそうであるのだが、そもそもの自分を有能であると思っているところに問題もある。
 周りが無能だらけであれば、無能な自分も有能に思えてくるが、セールスできないのであれば、結果無能。
 そういう現状にあるのが嫌なのだろうということだ。
 略。

 ただ、社会人としての目を養えたおかげで、いろいろなものが「現実的に」見えてくる。
 それこそ、信長の野望なり、信長や幸村をゲームキャラ的にしか見えなかったのが、実際の人間として考えさせられるということで、しかしこれは逆に、キャラとしてしか表現しないような作品・・・ま、早い話が大河ドラマなど、そういうのを見るとむかっぱらが立ってくるわけで、しかしこれは個人の趣味だ。とも思う。
 うそを許せる人間と、うそを許せない人間と。
 自分は後者に入るというのはつい最近書いた気がする。

 ローマ人の物語を、とうとう最終巻になってしまったが、図書館で借りてきた本で、大正時代の編年体の本を云々。
 の中で、絵画のなんたら論争があって、誰々杢太郎と誰々と武者小路実篤の言い合いが載っていた。
 めんどくさかったので適当にしか読んでいなかったが、自分の中では、誰々について論評した杢太郎に武者小路が喧嘩を売った、みたいな。

 現代的なよくある、売れれば正義みたいな、とりあえずおもしろければいいだろ、みたいな、著名人の喧嘩を載せることで読者を楽しませる、というような意味合いなのかな、しかしそういったあおりぐあいが当時もあったのかな、とか思ったわけで、これについてどうなのか調べようとネットを検索したら、この問題は結構いろいろ論文がでているほど、まじめに語られていると知った。

 いやしかし、あの武者小路はあきらかに喧嘩腰でやりすぎ感がある。流し読みしてる限りは杢太郎のいうことおかしいだろ的に見えてしまうが、それは2体1で民主的に負けてしまっているからそう見えるだけなのかもしれないが、まあ、しかし杢太郎は嫌み的な長々とした説明を続けて、相手をあおっている感があるので、しかしやはりどっちもどっちなのだろう。
 なお、理論的に説明しようとしていた杢太郎を応援したいが、現代的に著名な武者小路におまえおかしいといわれてしまっているので、権威の前では自分もひれ伏すのみである。

 最後にローマ人の物語について。
 コンスタンてぃあぬす? テオドシウスでローマ人の帝国が終わったという内容には納得がいく。
 ただ、塩野の作品だけでは、というか、そもそも文学作品であって歴史教科書ではないので妥当ではない文句になるが、いろいろと書いていないことがあるなと思った。政治の中身について、どうにも記述が薄い。
 とはいえ、とりあえず軍政と税制があれば、古代の、中世の、政治内容については、それで済むのかもしれないとも思った。別段どっかの閣僚が憲法無視して法律つくったとか、そういうのはどうでもいい話なのかもしれない。歴史を概要したら。
 問題は、実際の有事が起こった際の法律であって、その危険性をはらんだそれ以前の法律は、それこそ歴史学でくわしく語られる場所でしか表記されないのだろう。
 だから、ローマ帝国とはどんなものなのか、その概略を知るには、少々長いが気楽によめるローマ人の物語が有益である。

 言っていることは支離滅裂している気もするが、というか支離滅裂ではなく、なに? 言いたいことをいっているだけ、ということか。

 しかし上述、いろいろな、自分の思う愚痴を吐き散らしているという意味では統一的であると思う。
 すべてはそういうものだ。
 統一的であることを、そのまとまりの部分がわからないから、ばらばらに考えてしまう。

 

<CD>RISE/SPEED

2015年09月25日 | 雑文日記
 ほんの少し部屋を片付けたわけだが、ほんと、掃除はめんどくさい。
 ともかく。
 たばこを吸わなくなってすでに3年が経つのか。
 PS2のソフトケースを拭いてると、雑巾が普通に黄色くなる。そもそもケースなんて拭こうと思ったことがないわけで、改めて並べ直すに、実に、50本近いPS2のゲームソフトがあった。シリーズ物が大半にしても、なかなかに圧巻である。か?


 同じようにCDケースも拭いていたが、タイトル作を見つけた。
 Wikiでは、98年4月29日発売。SPEED人気絶頂期に発売されて初回出荷枚数が300万枚とある。
 どうやら手元にあるのは初回限定版のようだが、まあ、そんなことはどうでもいい。

 聞き直すに、当時、それなりによく聞いた気がする。まあ、当時はとにかく音楽は、よく聞いた。逆に言えば、今はまったく聞かないということになるわけだが、貧乏学生でわざわざ10万近く(いや10万は言い過ぎだな)使ってアンプからスピーカーからウーハーまで(このスピーカーとウーハーは今でも使っている)そろえたぐらいだから、これらを無駄にしないように、音楽を聞いていた。

 ただ、当時も思ったはずだが、たいしていい曲が入っているわけではない。ホワイト何とかとぐらでゅえーしょんぐらいか。まあ、音楽の趣味は人それぞれなので、あえて何も言わないが、今現在せっかちになっているので、聞き流し程度にイントロぐらいを回していたが、SPEEDって、グループとしてのコンセプト、というのか、曲に統一感、ではなく、SPEEDらしさ、という音楽性はなかったのかな、と思った。
 
 そもそも大学に入ったその年か、もしくは次の年だったか、夕方のキャンバスでどこからかいい感じの曲が流れてきていた。学際前だったのか、そうではないのか。ま、うろ覚えだが、これが数日続いた。
 ボディーアンドソウルである。
 ダンスサークルでもあったのか。それとも誰か、自治会が流していただけなのか。正直謎である。

 未だにメタル好きで、当時はそれ以外の音楽にほとんど興味を示さなかったわけだが、また、いまだにアイドル嫌いなわけだが、当時はそもそもアイドルと銘打って売り出されることがなかったわけだが、安室が結婚してTRFもくだくだで、MAXは活動していたか。小室ファミリーが勢いづいて、モー娘。はまだいない。
 そんな頃だ。
 フィンガー5は自分の生まれる前だが、そんな感じの、いわゆるアイドルの低年齢化の先駆けともいえる雰囲気に、ちょいとのまれてしまったのだろうと思う。
 あえて書いておけば、ロリコンという類の話だが、体裁を整えるのであれば、しまぶくろの奏でる高音の声質に惹かれてのことだと思う。

 なお、家にあるCDで女性ボーカリストは、リンドバーグ、グローブ、それとこれ、のみである。ああ、浜崎あゆみは、あくまでも友達のだ。
 ま、だからといって男のばかり、というのも変な話だ。さっきのゲームと同じくシリーズもの・・・同じ歌い手のものばかりだから、自分のもっている女性ボーカリストのCDは少ない、というのは論理的に言えない。
 なお、あえて羅列するが、エックス、ルナシー、グレイ、TMレボ、ハロウィン、いんぺりある、すとらとヴぁりあす、アングラ、ぐらいになるのか。持っているのは。なので、全体的に考えて、たいして持っていない。
 あ、忘れていた。SHOW-YAがあった。それにジュディマリも(笑) それからジッタジンジンか。

 と思い出したのは、最近買ったCDあるかいなと思い出そうとした結果である。
 まあ、どうでもいい話か。

 そんなことを書きたかったのでキーボードをとったわけだが、まあ、満足した。
 なお、今は、同じく見つけ出したグレイのピュアソウルを、こちらはしっかりと聞いている最中だ。
 CDケースをみただけでは、こんなん買ったのか? まったく見おぼえないな、とおもったわけだが、1曲目のイントロを聞いた瞬間に、ああ、これよく聞いたなと思い出せた。

 なお、上述、メタル云々の立場としては、グレイはロックでしかなく、もちろんエックスがメタルかどうかの話になるが、そんなことはどうでもよく、とりあえずグレイは、自分にとってエックスにはるかに及ばない。
 もちろんルナシーもエックスに及ばないが、メタル的な意味では、グレイよりもルナシーの方がエックスに近い。たとえグレイにエックスがなんらかの形でかかわったにしても。だ。
 そういった意味で、音楽的にはルナシーよりもグレイのほうがはるかに優れていると思う。ルナシーには悪いが。

 ああ、ラルクアンシエルも持ってるな。
 

最近のまとめ(2015年9月16日)

2015年09月16日 | 雑文日記
 大変酔っている。大変酔っている。
 腹ただしい。

 しじみニンニクのせいで酒の量が増えたと思ったのは去年のことだが、以来、そのまま酒を飲んでいる。
 酒を飲めば悲しいかな、眠い。悲しい? 悲しい。

 あっという間に時間が過ぎるのは、素直に酒を飲んだせいだと思う。それによって早い時間に寝てしまうから。
 だからこれを回避したくてもんどりうっているわけだが、そもそも酒をやめない限り、すべてが無駄な努力なのだろう。

 というようなことを最近強く思う。
 なぜなら、このまえ、「ああ、8月も半ばをすぎたなあ」と思ったばかりなのに、今日何月何日?

 おそらく、というかそれ以外考えられないが、酒とゲームであっという間に時間が過ぎ去っている。
 と、これについてさらに書いても、ただの重複もしくはくどい愚痴でしかないので、記録として残す程度にする。

 まあ、特段テーマを定めていないので、無理にいろいろ書いてもしょうがないとは思うが、
 まあ、今見ているアニメのことでもつらつらと述べて、今、酔っている、今、を楽しめたら、と思う。

 さて。新たに酒をついできたら、まあ、まだまともにまっすぐ歩けるなと思った。
 まあ、まっすぐ歩けないほど酔ったことはないので、いかに頭がグルングるん回ろうと。

 で。
●うしおととら。
 書いたっけ? 詳しく知らないが全39話? 作者選。らしい。
 けずるところはけずる。泣く泣くけずる。ということだが、ほんと、もったいないと思う。半面、今のところ、1話完結でそれでもなんとかやっているな、と感心する。
 が、こういう感心してしまうような作り方をせざるをえないというのは、今後、さらなる作品をつくるときに「あんだけ端折ってもおもしろかったし、まだまだ端折れるっしょ。クールビズだぜ」みたいな。そういう風潮につながっていくのだろう。無意識にしても。
 それがいいのか悪いのか。自分に判断できない。

 なお、これは前にも書いたと思うが、うしおととらは、うしおのひーろー的物語である。
 マッチ売りの少女みたいな悲しい話を助け出すヒーロー。という帯話は、とにかく印象的に残っている。
 帯話=単行本カバーの4コマ漫画的なものだが、同時代の帯ギュのも、おもしろい。
●プリズン
 数行で終わるだろうが、こういうくだらないの大好きだ。
 ほんとおわらいがそれほど好きではない知人Fは、これのどこがおもしろいのと聞くが、また、コメントでもよく見るが、そういう意味で、お笑いが好きかどうか、という前提が必要なのだろうと思った。
 ギャグマンガというジャンルとして。
●ゲート
 これはまだ書いていないか。それとも書いたか。
 とりあえずいろいろな部分が写実的(リアル)に描写されているのに、魔物? 化け物の絵は小学生レベルだと思った。まあ、数話すると化け物でてこないので問題ないのだが、当初、これは自分にとってはおもしろいかも、と思わされただけに、なんだかな、と思う。
 がっかりするまではいかないまでも、たとえば、深夜アニメを見始めたころの、ブラックスミスみたいなものと比べれば、やっぱりただのオタ性もしくはぶひー感を感じてしまう。その意味でいろいろ考えさせられる。
●下ネタ。
 くっだらないものとして、しかし自分の好みのはんちゅ外であれば絶対みないわけでと言い訳。
 それなりにおもしろいのは、しかし、コメント付き動画で見るからだろう。11話をうっかりコメントなしでみてしまったが、正直おもしろさ半減。こういうのはつっこみをみんなで共有するのがいいと激しく思った
 コメント付き動画は、自分みたいなぼっちには最高であると書いておく。

 他。見ていない。数分アニメのビキニなんとか見ているが、まあ、数分アニメだから見ていられるというのは、ただぼーっと4コマまんがを見るようなものだろう。
 ああいう感じのもの(4コマ漫画的)は、なんだかんだ好きなんだろう。上記下ネタ含めて。
 それこそ以前きめんぐみを全巻そろえたぐらいに・・・って、いつそろえていつ売り払ったのかは忘れてしまったが。

パソコン新調

2015年04月19日 | 雑文日記
 最近なにもかもめんどくさくなってきている。あまりいい状態ではないようだ。
 
 さて。
 PCが壊れた。たぶん2008年に買ったものだ。
 具体的には、Cドライブが動かなくなった。
 データ復旧するのも無理でしょうとパソコン工房の店主に言われた。
 モーター音すらしないとか。

 はあ。

 今年中にWindows10が出るので、それを待ってPC新調と考えていただけに、まさか、HDDクラッシュするとは考えなかった。ほとんど、というかまったくもって、ほとんど。データを残していなかった。
 甘かった。

 残っているのは、DROPBOXで共有体制にあった小説関係の、最近のデータだ。これについては本当に、DropBoxを教えてくれた友人FYに感謝してやまない。
 ここ1,2年の主な、文書関係のデータは、ほぼすべて救われている。

 また、上記、10を目指してのデータ整理をゆっくりしていこうとしていて、ID、PASS関係もメモしていたが、その最終記録日のデータは消えてしまったが、まあ、2014年2月時点でのID、PASSは残っていたので、こうやってすぐにここでブログが書けたりする。

 が、それまでだ。
 ほかは全滅。
 覚えている間に羅列しておこうか。こんなところでさらしても恥ずかしいだけかもしれないが、一番の悲しみは、

 地味にエロ画像だろう。
 違う話になるのかもしれないが、昨今はわざわざDLLしなくても簡単にいつでも画像なり動画なりを見られるようになっている。違法・グレーゾーンの話はおいといて、それこそ20年近く前の、Windows98で初めてPCを買ったあと、ピーガーガージージーのモデム音に続く、ちょっとしたアイコラ画像を表示するためだけなのに、かなりの電話代の怖さを思い出せば、それこそ戦後における21世紀にアトムが動き回っているほどの科学技術の発展はあるのかもしれない。
 だとしても、著作権問題等、気づかぬうちに消えてしまうネット上のデータに安穏としているわけにもいかず、大切なものはやはりしっかり懐にしまえ、という考えでいえば、保存した得ろ画像は大切なのだ。
 それらすべてが失われた。

 ああ、酒によっている。

 えろは偉大だ。しかししょうがない。まあ、しょうがない。

 次に思いつくのは、なんだろう。音楽か。ああエロはもう忘れよう。
 音楽関係は、それほど、いや、まあ、一部辛いか。
 メディアプレイヤーから聞くCDからのDLL系はすべてそれこそCDをもっているので問題ない。せいぜい再度取り込まないとならない面倒くささだろうか。
 そうではない部分として、MusicMakerで作成したギター練習用の3曲の、ドラムとベースを打ち込んだデータが消えたことがめんどくさいことになるのか。さらに、それにあわせて演奏したギター練習の記録が消えてしまったことか。
 まあ、ギターの成長具合を示すデータがなくなったことについては、喩えとするなら、得ろ画像を失った気持ちの10%ぐらいの悲しみだろうか。
 それほど辛いわけではない。
 めんどうなのが、もう一度ドラムとベース音を作る必要があるということで、まあ、ここ数日は忙しくてとても暇がないが、いずれ・・・いずれも暇がありそうとはおもえないが、一応、暇なときに打ち込めば、復活できるという意味ではそれほど問題ない。
 気にするほどのことではない。

 覚えていない文書関係。
 DropBoxと、メモリースティックで残していない文書関係で、何があったのか。
 覚えていない。記憶にある限り、せいぜいゲームの記録だろう。CK2と信長創造PK,それから三国志12PKのプレイメモを書いていたが、それが残っているのか、上述フォルダに入れなかったので消えてしまったのか。まあ、消えたとしてもそこまで落ち込むものでもない。得ろ画像に比べれば18%ぐらいの悲しみか。

 グレーゾーン。
 ゲームのエミュレーター。
 ん、知らないね、そんなこと。

 ゲーム。
 PCゲームとしてSteamは問題ないようだ。新しいPCですよ、更新してくださいみたいな状況で終わったようだ。
 あとは三国志12PKが気になるが、インストールするのがめんどうなのでまた後日。
 そういえば最近DSかなにかで出た、クロスブラッドじゃない、題名忘れた、あの3部作。
 友達に貸したままだな。データが消えたということか。
 ん、わかりにくい説明か。

 題名忘れたあれのセーブデータがなくなったということか。まあ、それこそ問題はない。

 ほかに。
 ギター関係では、フェンダーアンプのソフト、およびG3のソフトか。ともに、めんどうではあるが、すぐに回復できる。

 となると、ほかに何が残るのか。
 ないのかな? あとはネットのお気に入りHPアドレスぐらいか。
(ああ、読み直してここで書いておこう。RPGつクールVX?だっけかのデータが消えたな。あれが確かRUBYを使ってのプログラミングだったが、地味にこのブログの最初の使用は、そのまんまRubyのプログラミングでのいろいろな製作日記だったわけで。なんというのか、今、CK2攻略とかでぐぐると、このページがひっかかる。上位にかかるわけだが、それなりの内容があるわけでもなくなんとも恥ずかしいが、ここで雑文日記を書き始めるまでの、放置されたこのブログは、RPGツクールのプログラミング関係でぐぐると、地味に上位にINされていた。内容がないので恥ずかしかったのだが。そういう思い出の話)


 メール関係。Gooメールの有料化にともなう、データの移動があって、それがどうなっているのか。しかしそもそもぴょんぴょんの本メールを使わないので、Outlookなりをもう一度設定するのがめんどくさい。説明不足だな。まあいい。

 ほかは。
 とくになし。
 ネットゲームもほとんどしていない。リネージュも、まあ、もうINしないだろう。
 スペックがよくなったので幻想神域を少しプレイしてみたいが、まあ、プレイしたいならプレイすればいい。めんどくさくなければ。

 さて。書き忘れた。
 Widows7 CPUインテルコア5の3.2g、メモリ8G ビデオカードはGT740
 でいいのか?
 これまで使っていたのはどうだったっけ? 忘れた。
 まあ、それよりかははるかにいいのだろう。たぶん。

 値段は9万前。
 なお、最近ディスプレイを買って2つ使用にしていた。

 今回は選択肢があった。10までのもう少し待つという意味で、HDDだけ新調してVistで使い続けるか、結果のごとく新調するか。
 まあ、データ復旧が無理という話から、新調することに決めたわけだが、これまた、
 パソ工房で作ってもらうか、エディオンにいくか悩んだわけだ。まあ、どちらでもいいわけだが、結果的にはやっぱり動揺していたのだろう。すぐにほしいとおもったので作ってもらうことにした。しかしこうやって今思うに、9万は、まあ、金額としては高いかもしれないがPC買うのであれば15万ぐらい払ってもよかったのかもしれない。
 予算10万ぐらいということで作ってもらったのだが、せっかくならもう少し悩めばよかった。別段お金に困っているわけではないので。



 なお、壊れた状況を記しておく。
 いつもどおり朝、スリープ状態のPCをつけたらなんとかなんとかany key?という文字が出た。何も考えずに強制リセットから起動すると普通に動いたので使っていた。
 その後昼飯を食べるためにスリープして帰宅後つけると、同じ文字列がでたが、今度は強制リセットからの電源ONでも同じだった。
 ほかのPCから検索したところ、HDDを認識していないか、ということで最悪HDDが壊れたのではないかと思って、実際そうだった。
 

ネットの広告表示。

2014年04月18日 | 雑文日記
 で気づいた。

 まあ、よくいくあにめみるところだが、

 右側の広告表示が気になっていた。なんでコレなんだろう。

 ある日からギターの広告になっていた。
 そしてふと気づくと、タイヤの広告になっていた。

 ギターはまだ分かる。よくギター関連でネットサーフィンするから。
 しかしタイヤは何故だ?
 タイヤでネットサーフィンしたっけ? したかな?
 してないと思うんだよね。

 ブリジストンで検索した覚えはないし、17インチの適正価格を、やはり検索した覚えはない。
 質問系のHP(グーとかの)も、タイヤでウロチョロした覚えがない。

 もちろん、もしかしたら、すっかり忘れているだけで、なにか「タイヤ」で検索したのかもしれないが、自分の行動原理、最近の動向等からして、まるっきり記憶にない。

 確かに、4月に入って、3月末に注文した夏タイヤの交換をした。
 で、そのことを、以前からWordでつけている日記に記録した。
 前タイヤの注文時、39000円って見えたから相応のお金を下ろしてオートバックスに行くと、実は一本が39000円だったと・・・。

 ネットでタイヤの検索はしていない。
 なのになぜ、ネット上の広告にタイヤの情報が出ているのか。
 おのずと応えは出てくるのだろうか。
 使っているのはマイクロソフトのIMEだが。

ブログを読み返す

2014年02月19日 | 雑文日記
 酔っているからではなく、単純に記憶力の低下によって、こうやってブログを書くたびに、実は以前にまったく同じことを書いたのではないか? と不安に思ってしまうことが多々ある。

 今後、同じことを書かないように、という建前のもと、初回H24.7月~H24.12月までのブログを読み返した。
 何度も書いている同じようなことをメモしておいて、今後書かないようにするために。


 さて。
 自分に甘いと言われるだろうが、読み返していると、ほんと、おもしろい。
 まあ、H24年分は、それなりに真面目に書いていたからなのかもしれないが、文章も思った以上に酷い訳ではない。(酷い範囲ではある)

 しかしどうしてここまでおもしろいのか。

 自分の興味のあることが書かれているからだろう。
 自分の好む文章のリズムで書かれているからだろう。

 しかしこれが他人の目に映ったときにどうなるのか。
 
 一番の危惧は、文章が校正されていないところだろう。とはいえ、そもそもからして文章が下手なわけだから、いやいや、せめて1度読み返せばすぐにわかるような妙な部分を、めんどくさいからそのまま残したりしているのは、他者に失礼だと思う。

 が、内容がおもしろければ多少文章悪くても気にしねえや、と、突き詰めると自分が書いている文章だから甘く見ているわけだが、と、くどいが、自分にとってはおもしろい。

 自分にとっておもしろい。
 というのはせめてもの救いだ。自分にさえおもしろくもないくそったれた文章を読まされるのは、もはやなんとも、腹をかっさばいて十字に切り刻んで介錯願いたい。

 しかしそれでもやっぱり気になる。他人にとってはどうなのか。
 この点だけは、・・・どうしようもなく悲しい。

 昨日は「俺ガイル」をまたまた見ていたが、材木屋がうらやましく思えた。