goo blog サービス終了のお知らせ 

思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

るろうに剣心

2013年07月26日 | もののあはれ
 今日もしたたかに酔っているが。昨日の内容は、まあ酷いと思いながら書いていたと独白しておく。
 ああ。説明が悪いな。と思った。まあいい。


 現時点21時30か。リアルタイムの気持ちを重視してメモしておくが、現時点ではおもしろくない。
 
 TVは本当に見なくなった。
 一応新聞を見るときに番組表は見ているので、ほお、るろうに剣心って実写版が作られていたのか、と少しだけ心を躍らせていた朝は、すでに遠い昔である。

 まったく関係ない話をするが、丸山真男という人がいたらしい。うちの先生が本を出したが、彼について書いていた。謹呈でもらった本を今年に入ってようやく読んだが、よくわからなかった。
 さらに関係ないかもしれないが、ウチには無駄に本がある。略するが、丸山真男の本があったのでトイレに入っているときをメインに読んでいる。最近。

 少し思った。
 どうやら日本人は当時からしょせんそういう性質があったんだなぁと思った。
 そういう性質というのは、なんというか、なんというか。
 現代風に言えば厨二病か。

 先日というか、それこそ昨日、なんだろう、何で見たのかさえ覚えていないが、TVのゲストが「今で言う厨二病といいますか」みたいな発言をしていたが、なんというか。ああ。BSで気になった東郷平八郎か。日露戦争の話だが、そのゲストの女がそんなことを言っていた。
 正直、アニメから始まった言葉・・・現実から乖離した現実逃避としての次元から発生した表現方法で、現実的に現実で苦しんで悩んだリアルな時代に対して、「厨二病ですね」発言とか、おまえが一番歴史を、ひいては日本人をなめてないかとか思うわけであるが。なんだろう。

 という。
 日本人って基本的に現実逃避する性質があるのかなぁというような思いを、丸山真男のその本を読んでいて思ったわけだ。

 さて剣心に戻る。

 正直、漫画アニメの好きな自分としては、原作から20年以上経ったにしても、今更といわれようが、実写で作成されたということ自体が、はっきりいって嬉しい。
 ジャンプで連載されていた当時は、すでにジャンプを読まなくなっていた時期でもあるので、また、今で言う多分ふじょしに人気があったという雰囲気で、嫌いだった。
 映画版のシリアスな雰囲気に呑まれて、原作漫画をそろえた結果、しょせん格闘漫画かと気落ちしたが、それでも基本的にはおもしろいと思っていた。

 ああ、酔っている。

 まだ21時45分。

 最近はTVを見ないし、映画も、まったく。
 現代風な作りだな。どうにも展開が、なんともいえない。
 うえに、キャストに重みが足りない。
 どうだろう。単に江口洋介があまり好きじゃないからだろうか。
 多分、マトリックスに始まる(旧い例しか出せないのが恥ずかしいことでもあるが)魅せる殺陣が、リアルを激しくはずしたイメージの世界でのイメージでしかなく、結果、リアリティが薄れてしまっていく。
 ただ、このリアリティは、あまり時代劇が好きでなかったとしても、当時・・・1990年以前の時代劇に馴染みのある年代の自分にとって、2000年以降に作成される時代劇にリアリティが見出せないというだけの話で、2000年代の時代劇しかみたことのない年代にとっては、とくに気にならないことなのだろうが。

 ああ。
 ああ。
 
 とにかく画面が締まらない。
 重くない。

 別に話の内容を重くしろといっているわけではない。
 とにかく、画面が締まらない。決まらない。

 たぶん役者が下手なんだと思う。結局のところ。
 めんどうなのでここで終わる。現時点22時前。
 よほどのことがないかぎり、追記はしないだろうな。

 追記。
 まさか書くとは思わなかったが、最後、武田云々がつかまるシーンで思い出した。
 あれ、仁風閣だわ。(いや、もしかしたら違うかも)
 が、そういえば鳥取市がロケ地になるという話を以前見た覚えがある。
 ということを思い出したので追記しておく。

 なお詳細は省くが、三洋跡地、歴史的建造物を保持する運動があったらしい。知人Fに言わせれば古い建物を保存するだけ金の無駄だという、一般常識的考えはわからなくもないが、だとしても、一度壊してしまえば二度とはもとに戻すことのない歴史的経緯を消滅させてしまうという行為がどうしても人間の愚行にしかおもえない自分としては、市による買取とか、ほっと胸をなでおろす。
 難しい問題だ。

 町おこしは各種手法があるだろうが、歴史を感じさせる方法をとるのは、一つ、楽な方法ではないのだろうかと素人ながら思うのだが、しょせん浅知恵か?

 

12国記(新作はまだ読んでいない)

2013年07月25日 | もののあはれ
 かなり酔っていると最初に書いておく。
 いや、めちゃくちゃ酔っているかも。

 この状態で順序良く文章を書いていると、言いたかったことを書く前に酔いが冷めて、「なに、どうでもいいことを書こうとしてたんだろ、書く必要ないや」とか思うと思うので、酔っている間に書こうと思えば、とにかく思ったことを一番最初に書くのがいい。というわけで。

 CSがどうにも映らない。せっかく夢幻導師とか、どんな話だったか見てみたいなぁとか思っていたところなのに、映らない。雨ふってもないのに、大雨大雪のためとか。ぶつぶつ。

 で、録画してあった12国記のアニメをみている。進行形。
 めんどくさいので適当に説明するが、ショウコウが天の罰云々の話をするところがあるが、ようやくショウコウの気持ちが理解できるようになってしまったというのか、なんというのか。
 ショウコウの気持ちとか、めっちゃ2次元的なありがちな悪役キャラみたいにしか考えていなかったが、真面目に、まともに、リアルに考えて、ショウコウみたいなやつって、実際いるんじゃないかと、思ってしまった。
 悲しいかな。
 現実にありえそうなことでも、舞台がファンタジーだから、こんなことありえないとか思う。とか。

 ああ、めちゃくちゃ酔ってるからだが。


 素直に、
 伝記とかなら、本当にいた人物だし、本当にあったことだと思って、実はまったくの嘘でもほんとにあったことだと勝手に思い込んでしまう。逆に、本当にあったことでも、たとえばジャンルがSFとかファンタジーとか、そもそもありえない世界観という設定の中で描かれたとしたら、本当のことでもウソだと思ってみてしまう。
 とか。
 少なくとも、自分がそうだ。素直なやつだ。

 つーか、まじか、30分以上、CS受信できませんが続いている。セミがうるさくないているというのに。
 なんだこれ。
 せっかく久しぶりに、ほんと久しぶりにTVをつけた気がするが、契約料だけ払って、なんとなく損しているCSを、ほんと、久しぶりにTVつけてみようとしたのに、これなんだ。
 光TVのほうがいいのか。

 

12国記の新刊

2013年07月15日 | もののあはれ
 以下は単なる回顧だ。

 先日、バイクの一年点検でレッドバロンに行った。
 待ち時間は例年どおり北ジャスで過ごした。イオンというのが正当なのだが、どうしても北ジャスと言ってしまう。

 さて、
 本屋で12国記が平積みにされていた。
 絵柄も違って、発行元が新潮文庫になっていたので、もしかしたら新作が出たのかなと思った。
 しかし、見慣れたタイトルしか見えなかったのでその場を去った。

 さきほどアマゾンを見ていたら、おすすめに12国記の新作が載っていた。
 ああ、やっぱり。
 というよりも、どうしてあの日、もう少しつっこんで考えなかったのか。
 発行元変更⇒平積みのコンボは明らかに新作発売のフラグだろ。あのとき、たまたま新作が目に入らなかっただけとか、たまたま売り切れていたとか、ともかく違和感の解消をもとめて帰宅後に調べてみるのが筋ではないか? 普通。と、先日の自分の行動にキレているところだ。

 調べたところ、去年ぐらいから新作書き下ろしを前提に新潮文庫が全シリーズを出しているようだ。
 
 ともかく、上述の憤慨はこうやって内容を書いているときにふつふつとこみ上げてきたものであって、アマゾンで新作情報を目にしたときは、うほっ、まじかよ! 速攻で買いに行かねば。めっちゃwktk

 内容説明を見たところ「?」と思ったので気になってレビューを見たところ、外伝的な一冊だという。なので、すぐに買いに行って、すぐに読もう、という気がうせてしまった。もちろんいずれ買うのは買うが。

 そのレビューの中で12年ぶりの新作と書いてあった。
 12年か。
 アルスラーン戦記の(未だに読んでいない)10巻でさえ空白は7年であるのに、12年。
 中学生が普通に余裕で社会人になっている。
 このギャップは、大学生3,4年生がいい中年になっているよりもはるかに、衝撃的な違いではないかと思う。
 まあ、置いておこう。

 以下はますますくだらない回顧である。12国記自体の回顧は後日、新作を読んだあとにしたい。

 そもそも12国記に触れたのは、大学時代。しかもどうやら4年生のときだ。
 ゼミで定期的に読書会をしていたのだが、こともあろうに、この場に『魔性の子』を持ち出した後輩がいた。
 なお、読書会が終わるとみんながハケて2,3人が残り、先生も酒を飲み始めるのだが、ここで「つらかった」と吐露した先生の姿をなんとなく覚えている(いや記憶違いか。もしかしたら後日、こんな読書会あったよね的な会話の中だったかもしれない)。当時はとりとめてよく分からなかったが、どうなのだろう。読書会の存在意義を考えるに、取り扱うにはジャンルの違う内容だったのか、あるいは後輩のレジメがダメだったのか。

 自分としては、これはおもしろいと思った。というよりも、めっちゃストライクではないか。いわゆる異世界ファンタジー、ここではないどこか。自分には他にすることがあるのではないか。早い話が現実逃避。
 同期の人から12国記シリーズのことを聞いて、最初は借りて読んだと思う。
 本棚にある「月の影影の海」講談社文庫を見ると、2000年1月1版となっている。上記のことは2000年以前の話なので、どうやら借りて読んだものと考えられる(あるいは万が一、そうではないのかもしれないと一応記録しておく。理由は自分が院まで進んだため、後輩が3年生ではなく4年生のときの話だった場合、2000年1月が過去として成立するため。ただ、シリーズ物であることは同期の人に教えてもらったような記憶があるのでその場合はやはり・・・あまりに大昔すぎる)
 最近、漫画ですら買うのがなんとなく気がひける。ましてライトノベルとか、恥ずかしくて買えない。
 当時はまだまだ、一応買っても恥ずかしくは思わなかったが、少女マンガは買いづらかった。
 講談社で発売されて良かったと思っている。挿絵がないのが寂しかったが。

 思った以上に無駄な内容になってしまった。1時間近くかかっているのでここでやめる。
 

○一夢庵風流記 追記

2013年07月10日 | もののあはれ
 読み終わった。
 よくよく考えると、久しぶりに読んだ長編作品になる。先日の李陵・山月記は短編集であるし、今年に入って読んだロードス島戦記(1~5)は、長編といえば長編だが、ちょっと意味が違ってくる。

 先日ブログにて「子供だましに思えてしまう」と書いた。読み終わった現在、これを訂正するつもりはない。ただし先日に比べて受け取った「おもしろさ」は変化していた。

 長々と読み進めることで作品にのめりこんでいく。
 のめりこむことによって、ようやく感じてくるおもしろさがあるわけで。
 本を読むとはそういうもんだ、といったことを久しぶりに思い出した。

 ただ、はっきりとさせておいたほうがいいだろう。前田慶次郎の物語がおもしろかったわけではなく、前田慶次郎を熱心に物語化した作者の情熱に心を動かされたのだと思う。
 いやいや、もちろん慶次の物語はおもしろい。おもしろいが、冷めた目で見ると「子供だまし」になってしまう。この「子供だまし」な物語展開が延々と続いていくのを、しかし最後まで読み続けてしまったのはなぜか。
 「子供だまし」ではないリアルな作者の熱い思いを感じたから、なのだろう。多分。

 なお、漫画が終わってしまった寂しさを紛らわすために原作を手に取った、と思っていたが、どうやら違うみたいだ。

 読売新聞社発行の23版(1991年5月)とある。
 漫画『花の慶次』は'90~’93である。
 93年になって23版を買った、というのもありえるが、さてどうだろう。中古ならともかく新品を買ったわけだから。

 いずれにしろ、素直に漫画のほうがおもしろいと思った。

 2度目に読んだときは、多分途中でやめている気がする。そんな気がする。
 3度目の現在、漫画の内容すらも覚えていないが、それでもやはり、漫画のほうがおもしろいと思っている。
 何かが違うのだ。どうしても。

 大昔、バカボンドがまだ10巻も出てない頃だろうか。あまりのおもしろさに早く続きが知りたくて原作を読もうと思った。
「おもしろくないと思うよ」
 と、T先輩が忠告してくれた。
 正しくもあり、間違いでもあった。

★設定整理 弐 近衛について

2013年07月09日 | (FE)創作日記
 前置きを略す。言い訳を書き始めたら長くなる。
 ただ一つ
 自分だったらこうする。
 という方向性で進めようと思った。

 さて、ゲームをプレイしていた当初、辻褄があってないところが多い気がした。
 なんともいい加減なつくりであるのか。
 旦那が誰でも青い髪のレスターは容量等の問題にしても、アルテナの存在は今でも納得できない。ゲイボルグを持っていることから考えればどういうことかわかるだろ、みたいな。
 しかし大人の事情と一言で済ませるには少々安直にすぎる。もちろんそういった理由が最大級の理由だとは思う。類似的に言うならば、おもしろいなら多少辻褄があってなくても問題ないだろ。しょせんゲームだ、みたいな。
 きん肉マンやらキャプテン翼やらJOJOやら男塾やら、辻褄のあっていないところが、それはそれで友達同士の話のタネになる。
 しかし気になるものは気になる。
 と、話が長くなりそうなので一旦中略。本筋に戻す。

 序章にある一文。
「ヴェルトマー家の若き当主アルヴィス卿は、国王を守る近衛軍指揮官の立場から政治には関与せず」

 公国の領主が自領の統治をほっぽりだして、王領として王軍もあるだろう国王の近衛として始終王都にいるのは、何かおかしくないか。
 と単純に思った。

 ただしフリージ家のレプトールが王国の宰相として始終王都にいるのはおかしいと思わない。
 自領の統治をほっぽり出してというところは問題ではない。
 問題は近衛である。

○近衛とは。
 君主を警護する君主直属の軍人または軍団。

 近衛になるのはエリートである。という意味だけでゲーム利用している気がする。
 本来ならここで詳しく調べまくる必要があるのだろうが、根気がない。だから駄目である。

 まず近衛の構成員は何であるのか。普通にエリートの集まりと考えれば、王国内の優秀な騎士になるのだろう。王家バーハラ他6公国(エッダのことはよくわからないが)から選ばれた騎士を束ねるのがアルヴィスとなるわけだ。
 と言うのは納得できる(ならば例えば、シグルドが近衛の一員になっていないのは何故だ。とか言いたくなるが)
 なので問題は、上記のように近衛隊があるとして、ではバーハラの軍隊は何? バーハラの軍隊は何を守るの? である。いやしかし、この表現は微妙にずれているか。

 ゲーム的にロートリッターはヴェルトマー当主の軍隊である。かっちょいい名称をわざわざつけたロートリッターとか、そういうゲーム的なところを離れても、ヴェルトマー公国の軍隊はヴェルトマー当主のものだろう。
 ではヴァイスリッター、バーハラの軍隊はどうなのか。ヴェルトマーの例にならうならば、当然国王=バーハラ家の軍隊である。
 国王にはすでに直属の軍隊がある。にも関わらず近衛を必要とするのはどういうことなのか。

 近衛「軍」の指揮官という立場は、それなりに凄そうだ。エリート集団の軍隊の指揮官である。
 しかしFEにおける近衛が国王を守護する軍隊ではない集団=護衛兵でしかないとすれば、アルヴィスはたんにシークレットサービスのボスでしかなく、一軍の将軍とどちらが、ファンタジーのイメージとして凄いと思うのか。

 それでも一応、こうやって順序立てて(?)考えることで当初の疑問を解消することは出来る。
 バーハラ王家の軍隊は存在するが、しかし、グランベル王国として、エリート騎士を集めたエリート軍隊としての近衛隊がある。
 いわゆるイメージ的に、こういった時代では、自領といえどもあるいは反乱があるかもしれないし、他6公爵家についてはなおさら、という場合に絶対的な忠誠をもって国王に尽くす軍隊としての近衛隊と考えることができる。
 が、このアルヴィスが後々簒奪行為をしたわけで、というところがおもしろい点なのかもしれないが。

 なお、王国内でエリート軍人の集団である近衛の指揮官であることと、王国の宰相であることと、どちらがかっちょいいのだろうか。
 昔の気持ちを忘れた自分は、宰相のほうが格上だろと思うわけだが。

★設定整理(大陸史を読んで①)

2013年07月05日 | (FE)創作日記
 1 ユン河西にグラン王国
230 共和制
310 領土拡大、盛栄の時代
440 大司教ガレに暗黒神が降臨。ロプト教団
447 12魔将の乱 グラン共和国滅亡
448 ガレ帝位に。ロプト帝国成立
449 大粛清 犠牲者十万以上
452 ミレトスの嘆き 暗黒神へのいけにえとして子供が火に投じられる。
453 エッダの虐殺 犠牲者数万人。
535 皇族マイラ(皇帝の弟)の反乱
611 自由解放軍
632 ダーナ砦の奇跡 12聖戦士誕生。633年から聖戦開始。
648 ロプト帝国滅亡 グランベル7公国周辺5王国
649 グランベル王国成立。
757 イザーク遠征

 伝説という言葉のイメージに騙されてしまいがちだが、ロプト帝国の支配から解放された「おおむかし」は、1000年前とかではなく、ほんの100年である。
 身近な例として、江戸から明治へと時代が大きく変わった大政奉還が150年前である。直接に挙げるなら1913年。何があったか。
 ・・・
 第一次世界大戦勃発が1914年なので近いか。

 人の一生をファンタジーのイメージで言うならば、20歳ぐらいで子供が生まれて60歳ぐらいで大往生だろうか。
 1953年まで生きた彼(一代目)は、ファンタジー的なイメージで言うならば、孫(3代目)に実体験をもとにした昔話をしただろう。そうやって子供の頃に、自分とは縁もゆかりもない遠い世界の話を聞いて育った3代目は、ある程度の年齢に達すると、「ああ、じいちゃんはあの時代を生きていたんだなぁ」と思うこともあるだろう。この3代目が1993年に大往生をとげたとき、孫である5代目に子供ができた。
 1913年の出来事を直接に知っている初代を直接知る人物がこの世からいなくなったとき、生まれた子供(6代目)が2013年にて20歳である。

 以前も書いたことだが、自分にとっては1969年頃の学生運動や、あるいは三島由紀夫の割腹自刃よりも、織田信長や真田雪村のほうがよっぽど身近である。
 どちらも自分の生まれる前の話である。両者に400年もの時間差があるのだとしても、一括して「自分の生まれる前の話」と言えてしまうところがある。

 この感覚で言えば、2代目からしてすでにグラン暦648年は「生まれる前の出来事」になるわけだが。しかし、当時を生きた人物と同時代的共有を得ている。たとえば、グランベル王国を興した聖者へイムの国で過ごしているわけである。ヘイムを上述にある一代目で考えれば3代目までは同時代的共有があったといえる(強引だが)。

 何が言いたかったのか。
 特にはない。
 ただ、ゲームをしている当時、たかだか100年前を伝説というのが、どうにもイメージにそぐわなかった。

 なお、30歳で子供が誕生する設定で1913年に30歳だとすると、1943年当時に生まれた3代目は初代に面識がない。1973年に生まれる4代目は、同じく2代目と面識がなく、2003年に5代目が誕生する。
 2013年当時、5代目は10歳でまだまだ子供である。なお上述の例では5代目が40歳である。

 こうやってわざわざ付け足して、さらに何が言いたかったのか。
 100年前って、けっこう大昔なのかな、と。

一夢庵風流記

2013年07月03日 | もののあはれ
 2度ほど読んだことがあるので、99%の確率で3回目であるが、今のところ3分の1程度。直江兼続がでたところである。

 本来なら全部読んでからここで書くべきなのだが、諸事情によりフライングをする。
 なお、全部読んだあと、追記という形で改めて感想を書きたい。

 さて、諸事情とはアニメにある。
 7月期の一つに慶次と兼続のアニメがはじまったが・・・

 ・・・の部分を正確に書かないとダメだろう。

 さて。
 どういった表現を最初に出すべきなのか。


 昭和かぶれが無理に現代的に描いた結果の演出はひどく滑稽である。
 か?

 ちょっと自分でも酷評だと思うが、それは見るまで期待感があったわけだからだろう。
 ともかく、しかたないにしても、いやしかし。
 蒼天の拳以上に絵が崩れている。まあ、金と手間がかかるんだろうが、アニメ絵にまったく迫力がない。
 それから蒼天航路の二番煎じ的な演出に障りがある。
 とってつけ感満載だから気になるのか、それとも普通に気になるのか、どちらなのかは判断できないが、蒼天航路のときは気にならなかった変な演出が話を軽くしている。まあ、蒼天の拳もどちらかというとギャグ的であまり重さがなかったが、ただでさえアニメ絵に迫力がないのに、ちゃかすような(ちゃかしているわけではないのだろうが、結果的に見た感じちゃかしたような)演出が相乗効果で話を軽くしている。
 多分数年を経ないと見る気にならないだろう。
 これは自分の考えだが、三国志と日本の戦国時代は同じものとして考えてはならないと思う。
 まあ、今勝手に自分の頭の中で納得してしまったが、東洋的な三国志にロック音楽? 的な雰囲気を演出として描写した蒼天航路は斬新だったと思う。が、それとまったく同じ演出をしているのは、単に二番煎じだからつまらないのか、日本の戦国をロック音楽で云々。これは別の話だな。


 さて、一夢庵風流記に戻るが、仕事で嫌なことがあって悪酔いしているせいかもしれないが、どうにも子供だましに思えてしまう。
 短くまとめるが、例えば大谷ギョウ部の秀吉の女好きの話だが、慶次が舌をまいたようには自分は考えられない。難しい話である。とりあつかいが難しい。
 話を知っているから今更感慨がないだけ、とも言えるが、発想の転換的な凄さを表現したかったのだとしたら、しかし自分の中におけるセンゴクイメージで大谷ギョウ部の言ったことはその通りだと思う。いやたしかにハッとするのかもしれないが、しかし今更ありがちな話である。というこの今更という部分が問題で、こういう歴史物が大昔から書いてきたハットするようなエピソードとか、今では誰もが「凄い」と思って使いまくるので現代では当たり前になっている、というような。

 ああ。酔いにまかせて適当に書いている。
 追記は別項を立てて書くことにしよう。文字数が多いうえに中身がまとまっていないものは将来的に見直すときに大変無駄である。

 さて。
 一夢庵風流記が大変子供だましにおもえてしまう。現実的に現実的な社会を知ってしまった自分としては、むかしの素直な気持ちのままに読めない。「おまえ甘いよ」という気持ちがふつふつとわく。
 ようは、甘い考えで書いているんじゃないの? という気持ちが今期の直江のアニメにも思えた。