相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

新しい人間、古い人間      (連載―436)

2022年10月06日 | 経験・体験
私は1951年生まれだから、見
た目でも古い人間を担当してい
る。
 産まれたばかりの赤ちゃんを
古い人間とは言わない。
ホカホカの新しい人間だ。

 誰もが新しい人間から古い人
間に変化する。
 私が新しい人間から、古い人
間に変わったのは還暦の60歳の
頃だと思う。

「歴史の年表」を見なかったら、
意地でも新しい人間で通したが、
それを見てしまった。

 歴史は年小の頃から大が付く
くらい苦手で面白くなかった。
おまけに、妻にも子供にもバ
カにされるほど算数が苦手だ。

 歴史は年代を覚えればいいん
だろう、簡単だ。ところが、項目
が多すぎる。

 だけど大丈夫何も知らなくて
も生きて来た。

57歳の時、脳溢血で倒れ、昔
だとハイ・ソレまーでよ!
のところ、歩だけ手はいないんだけれどあの世から拒まれた。

 歩くことも字も書けなかった
が、まだ、幸いに耳が聞こえたの
でウオークマンを手にいれて、

動画で説明してくれる歴史を録
音して寝ていてもイヤホンで聞
いた。2年後のある日突然、
歴史が繋がった。

信じられないが石器時代か
ら昭和時代まで知ってみたいことから録音してわからんことは繰り返し聞いた。

  天才はわすれたころにやっ
 て来る。?

  新しい人は今の生活だけを考えればいい。古い人は昔の生活だけを考えればいい。

  新しい人間は知らないのが当たり前。
古い人間は昔はよかった
と知っていて当たり前。

  わだわだ、新しい人間に昔
 はこうだったと恨みつらみを引き継ぐ必要があろうか。

戦争にかりたてられる招集令状から他国に逃れる人たちを見てると新しい時代に変わったと古い人間は思った。
良く、自由に国外に脱出できたものだ。私も脱出組かな、とやかく言えないと思う。
  人の弱みを知って金儲けをする新古人も現れる。
   ヨーロッパの遠い世界の戦いは新しい人間、古い人間の狭間で動物の縄張り争いのようで、パスカルの「人間は考える葦」ではなかったのか。
   
 フランスの哲学者パスカルの
言った言葉だ。
そういえば葦(あし)は茎が硬くて4,5メートルもある先は麦に似ていた。
田んぼに水を引く「貯水池に派生していた。
「人間は考える葦である」どういうことか各自調べてください。
 戦争も無人ドローンで大型のものから手のひらにのる小型のものまでAI(人工知能)をつければ戦争そのものが違っている。
 
企業も技術の進歩で売り上げを伸ばさなければならんし、人はAIのお陰で考えることもなく、他のものに時間をまわせる。
 AIの進歩で顔認証も可能で、すべての人間はAIにコントロールされるだろう。
 「ポツンと一軒家」の番組をよく見ているが、私もAIの届かない暮らしを将来考えている。
 便利、便利、便利と考えるのも便利。誰もが下向きに便利に使われている。
 便利が忙しい。
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