相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

チマタの話 (連載―第567号)

2024年07月27日 | 経験・体験
8才の頃、画用紙に海を描き、地平線のかなたに、白い帆のヨットを浮かべ、はるか遠くの、よその国を想像した。
 もう50年ほど前だろうか、よその国、アメリカに行った。銀座で姉のおかげで、40年余り店をやってこられた。まさか、アメリカに来ようとは夢にも思わなかった。テネシ-州を中心に古き南部を旅した。ケンタッキー州では禁酒法のなごりか、道を挟んでバーボンを飲める、飲めない処もあった。田舎は店も早く閉店する。
  メンフィスのプレスリーの白い豪邸にも行った。(グレースランド)
ある方から買ったようだ。意外と天井が低く、お墓も敷地内にあった。
 ニューオーリンズではジャズを聴き、ジャンバラヤを食べた。ミシシッピーの川面に写る夕陽をホテルの窓からみた。急にホームシックになった。
 ニューヨークでは、人は空を飛んでいた。地下鉄も乗り、逆流性胃炎にもなった。やっぱり私は田舎者だ。
 移民の国アメリカは、中南米の方、アフリカ、インド系の方も多い。最近は、中国の方もビザの要らない方法で流入しているらしい。
  アメリカの流入が厳しくなれば、日本にも来るだろう。もう来ているらしい。
移民も難民も同じだ。
私など中国人に間違われる。タクシーの運転手も多国籍だ。
 民主党のバイデン大統領と共和党のトランプ前大統領とのアメリカ大統領選挙。
バイデン氏は ソーシャルメディアに投稿した手紙で、自分が選挙戦から退き、大統領としての職務に専心することが「党と国の利益にとって最善」だと、撤退理由を述べた。
「偉大な撤退」として、バイデン氏を賞賛させていただきたい。
  バイデン氏の後任にハリス副大統領が候補になった。ご両親はインドとジャマイカの方で、アメリカに移住してきた両親のもと、カリフォルニア州オークランドに生まれた。
 民主党の推薦で正式に大統領選の候補となったハマス氏。
一つ気になっているがオバマ元大統領がハリス氏の推選を表明されていないことだ。
 世界が注視しているアメリカ大統領選、11月に行われる。相手候補になられる前アメリカ大統領のトランプ氏も暗殺未遂で紙一重の違いで生死をわけた。
  トランプ氏があの一件で張り詰めた心の糸がおかしくなったように見えるが、支援者の前で弱みを見せられないだろうが私の考えすぎだろうか。
 世界の人口は、1950年には約25億人だった。 1950年から2000年までの50年間で、60億人に達し。
その後も世界人口は伸び続け、2022年11月には80億人を突破しました。
2050年には98億人に達する見通しだ。2080年代半ばに103億人でピークを迎え、今世紀末には102億人に落ち着くと予測されています。
 1951年私が生まれて、現在まで、世界の人口は、4倍に増えた。住みずらいと思ったら、空気が薄くなったのかも。
  トランプ氏のアメリカ第1主義では、アメリカも太刀打ち出来なくなる。
メキシコ間の壁を高くしても、移民は減らない。移民は自国で生きられないから移民をする。仕事もないから闇に手をだす。これは、メキシコの問題と目を閉ざす。
 欧州でも中東でも行き場を無くしている、一国だけが門を閉して解決出来る問題ではなく地球的な問題だ。
 かつての「ホロコースト」のように、また戦争することで一時的に解決するのだろう。
援助は、単なる貧しい者に物を与える概念を根本的に援助を見直す時が来ている。
 インドと言えば、ガンジー氏を思い出す。イギリスに留学して南アフリカで弁護士になり、インドに帰り、インドの独立をイギリスからかちとった。
 ガンジー氏が留学を終え、南アフリカに向かう汽車の中ではじめて、差別を味わった。座席の切符は一等車だったのにホームに叩きだされ、貨物車に乗せられた。
 「不暴力、不服従」の運動が有名で、イギリス人に、どんなに暴力をふるわれても、インドの独立のために不暴力、不服従を守っていた。
日本では、大正時代の日中戦争のころだった。
 令和になって、世界も変わったのか、イギリスの首相がインド系の「スナク首相」になった。
 私の聞き間違いだろうか、あんなにイギリス人から暴力を受けていたのに時代はかわった。
 バイデン氏が大統領選から撤退して、もう、トランプ氏に決まったと思ったがハリス氏の登場で、トランプ
氏が消えた。
 あれ、もしかしてハリス氏がアメリカ大統領になるのだろうと思った。
最初は、マスメディアもハリス氏を持ち上げるが、急に急降下する。
それも世の常だ。必ず敵があらわれる。しかし、今回は、ハリス氏陣営の味方の気がする。
  国連も第二次世界大戦に勝った国が創った国際機関。私もニューヨークのビルも行ったが古くて使いづらいようだ。新しく建てて大国・小国の差別のないコミュニティの場を創れば、
もう未来の若者にまかせればいい新しいアイディアに期待したい。
 日本では、団塊の世代(昭和22年~昭和24年生まれの方)の多数の高齢者問題とパイロットやトラック・タクシー運転手などの人手不足
で四苦八苦している。人手不足にはAIも役立っている。
 未来の世界を占うアメリカ大統領選挙、チマタの話。
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今日は何の日 (連載―第566号)

2024年07月22日 | 経験・体験
妻の運転でリハビリに行く、車に座ると必ず今日は何の日と知らされる。へ~そう! と感心をする。
 今日7月20日はアポロ11号は1969年7月20日、月面着陸に成功。 月に人類が最初に降り立ったアームストロング船長は「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と言葉を残した。
  大阪の幼馴染が東京に来るから、今夜は二人で吞み明かそうと予定していたら友は、その日に帰った。明日、早朝から会議だという。
 新幹線、大阪~東京間が3時間に短縮され余裕が出来たのに、50年前には私が青春の頃、東京・大阪間11時間はかかって上京した。
8時間の時間の余裕が出来た筈、世は、益々忙しい。
 リニア新幹線も時速500キロで名古屋まで40分と聞く、大阪まで開通の頃には大阪まで1時間に行けるようだ。

  もう60年前から、リニアと噂されているのに、今だ進まない。9割がトンネルだそうだが、やっぱり富士山が車窓から見えないのが断念だ。
 世界が私のものであったら、青空も月灯りも見たい。
資源のない日本は早さと安全性の技術の進歩で飯を食っている。ある国会議員がなぜ、日本は、2,3番ではイケないのかと発言しておられた。1番でないと日本は世界では通用しない
たとえば、列車で、世界中で一番に速く安全な信頼性のある日本の新幹線の技術を導入したいだろう。パクリでは安全な信頼性を得られない。
  へ~そう!と感じたこと。

 7月第3月曜日の国民の祝日。1876年に明治天皇が東北、北海道巡幸から汽船明治丸で横浜に帰航した日にちなんで。2003年からハッピーマンデーの実施で現在の日程になった。「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う」という趣旨で1996(平成8)年から制定された。この日を契機に夏の行楽シーズンがはじまる。
 昨日、誰かが国歌の内容を解説していたが、日本は「国民が末永く安泰でいられますよう願う」とか、ある国は「過去の恨みを国民が忘れないように詠った」内容もあるようだ。
  生まれていないから仕方がないが「オブラート」を知らないという。
 イントロがなくなり、いきなり歌からうたいだす。
 作詞家:阿久悠 ってペンネームだと思うのだが、悪友だとは、遊び心があるよね。
 アイドルは、歌が上手いとアイドルではないという。
 7月20日は、日本でマクドナルドがオ―プンした日。
 「今日は何の日」結婚記念日と誕生日は忘れない方が身のためだ。

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新札5千円の肖像・津田梅子 (連載―第565号)

2024年07月17日 | 経験・体験
新5千円札のお顔は津田梅子さんだと云うが、あの津田塾大学を創ったお人だ。
佐倉藩だった農学者の津田仙さんの二女として江戸で生まれた。
 日本も江戸の幕末から明治維新になり、明治政府も欧米先進国との遅れを取り戻すのに人を海外に留学させた。彼女も6歳で女性初めて渡米した。
渡航費用も留学費用、生活費も国の負担のようだった。幼い6歳で日本語も忘れるほど、アメリカでの暮らしが長く、梅子はアメリカの人たちに好かれた。
 時は明治維新、江戸時代に先進各国と結んだ不平等条約の改定を主目的で欧米先進国を岩倉使節団が、視察の旅に旅立ったが津田梅子もメンバーのお一人となって渡米した。
私を振り返ると、信じられない体験だ。画用紙に舟を浮かべ、海は広いな大きいな行ってみたいなよその国・・・♪
 アメリカで洗礼も受け、帰国しても、新渡戸稲造を知り、立教大学、学習院、青山学院などとのつながりもあったようだ。
 明治時代の日本は、侍の世は終わりを告げたがまだまだ、封建制度で保守的な世で女性の地位は低い。
 
  大正時代に入り、大正デモクラシーがおこり、板垣退助などの自由民権運動がおこり、ようやく、昭和になって徐々に女性も選挙権を獲得するようになっていった。
 津田梅子は、女性の地位向上こそが日本の発展につながると信じ、女性の女子英学塾(現:津田塾大学)の創設するなど女性の高等教育に尽力した。
  女子英学塾は、それまでの良妻賢母主義的な女子教育と違い、進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となった。
 津田梅子は帰国して、すっかり、忘れた日本語のおかげで苦労もしたようだ。お茶の水女子大でも働くチャンスもあったが逃した。
  伊藤博文も岩倉使節団の一員だった。伊藤博文の奥さんと娘さんに英会話や米国のマナーなど半年にわたって家庭教師の経験もあった。
 津田梅子は、女性の米国留学に便宜をはかり、また、日本における活動に支援の輪が広がった。
当時、アメリカに5人の留学生の中で、帰国後も津田の働きを手伝う人もいたようだ。
  津田梅子の女性の地位向上のための信念と津田塾大学の創立に
アメリカからの賛同してくれる支援
も受け新校舎の建設にこぎけた。
 大正時代の関東大震災にも遭遇した。昭和4年に脳出血のため64歳でお亡くなりになった。
津田梅子さんは明治、大正、昭和を生き抜いた。
新渡戸稲造の次の肖像で津田梅子さんが、新5千円札の顔となった。現在のキャッシュレスの世で、使う機会があまりないと思うが津田梅子さんを知ることができた。育ちも裕福なご家庭で育ったのだろうが、何をするために生まれて来たのか、幼いころから見つめていたのだろう。
時代のせいにはしなかった。

追伸
新札の顔が変わった、北里柴三郎と津田梅子さんを知ったがお二人とも留学のための、渡航費用、留学費用、生活費用は当時の政府がだしたが、それが国民の血税であったことを忘れていなかった。
 私も、昭和、平成、令和とまだまだ続くようだが、便利さも生きていくの
に必要だし、みんな頑張っている。時には、不便も体験したら何かが見えるかも。不便に飢えている贅沢な者より。

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新千円札の顔・北里柴三郎 (連載―第564号)

2024年07月15日 | 経験・体験
時は江戸時代、ペリーが浦賀に来航した幕末。1852年肥後国(熊本県)に北里柴三郎が生まれた。
北里家は源氏の流れを組む名門武家の出で侍になって、国を人を守りたかったが、映画ラストサムライでも見たが、長い侍の時代は終わった。
江戸時代、日本は先進国と結んだ不平等条約の改定を目標に、明治に入って欧米の先進国を2年もかけて視察の旅に出た。
日本と先進国との格段の遅れを知ることから明治維新が始まった。
  北里柴三郎は、医者にだけはなりたくなかったが、オランダ人の教師マンスフェㇽトに巡り合って、医学の道に入った。
医者も侍も人の命を守ることは同じだ。納得したのだろうか、ただ、その世界を知らなかったのかも。医者になりたくても成れない人もいる。
彼の才能と地道な努力と研究心は人の心を揺さぶったのかドイツに行く機会を得た。
北里柴三郎は、ドイツに留学して、破傷風菌の研究に大きな花を咲かせてくれたコッホとの出会い。
  フランスの生化学者・細菌学者は「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉で知られる「近代細菌学の開祖」とされる。パスツールを知った。
私は、医学のことは全くのチンプンカンプンで信用しない方がいいと思いますがご了承下さい。
幼い頃、傷口には道端に生えているよごみを潰して塗れば血止めと消毒にいいとお婆ちゃんに言われていたので、不思議と治った。
治療は経験的な方法でやってきた。
コッホ、パスツールは、病気の原因として「細菌」という微生物の存在を初めて明らかにした。
  北里柴三郎は細菌に着目した。
中世ヨーロッパで大流行した「ペスト」別名:黒死病の菌を発見したのも北里柴三郎という。
ペストに感染すると、2日ないし7日で発熱し、皮膚に黒柴色の斑点や腫瘍ができることから「黒死病」と呼ばれ恐れられた。
私は、30年ほど前、傷口から菌が入ったのだろう。膿胸という肺の周りに膿が溜まる病気になり激痛で1ケ月、入院し抗生物質の投与で完治した。
ワクチンのような予防医学でなくて、北里柴三郎は積極的な治療医学だ。血清治療を発見したのも北里柴三郎だ。
 北里柴三郎は伝染病予防と治療に貢献したことで知られていますが、医の基本は予防にあるという信念がありました。
傷口から、菌が入って来たら、本来、人間の持っている抗体が働き菌を攻撃する。北里が根本の菌の正体を見つけて人工的に培養して抗体をつくり人体に投与すると、本来持っている抗体と人工の抗体で菌を退治するようじゃがピストルを両手で2拳銃で菌を退治することになる。
北里柴三郎は「ノーベル賞」頂いても不思議ではないが時代が時代のような気がする。

 破傷風の抗血清開発など、細菌学の分野で多大な功績を上げ、各国からの誘いもあったが北里柴三郎は帰国した。
こんな時代に帰国しなくてもいいだろうが彼の留学費用は国が出しているだろうからそうもいかいようだ。
帰国すれば、妬む者もいる。官僚主義で邪魔する者もいよう。いつの世も仕方ない。
そんな時に助け船をだしてくれたのが慶応義塾大学をつくった福沢諭吉であった。
彼が伝染病の研究の場と研究所の建設に力を貸してくれた。

  北里柴三郎ご自身のご努力で幾多の苦難を乗り越えて来たのだろうが、出会いによって世界も広がったのも確かだ。
出会いを活かせるか活かせられないか人によってまちまちだ。
各人、生い立ちもあるだろう。
みんな同じではないから、面接試験もある。
こんなとき、己をさらけ出して、まな板の鯉になったら、何かが安心して見えてくこともある。ここから、スタートラインだ。
私の経験だが、嫌われて、己に気づいたこともあった。やれやれ!

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天動説と地動説       (連載―第564号

2024年07月06日 | 経験・体験
目ん玉は黒いし、髪の色は黒いし、鼻はそんなに高くないし、短足だし、このハゲー。 ア!私だ。
40年前、アメリカでは、よく中国人に間違われた。ニューヨークでもサンフランシスコでもチャイナタウンがあった。仕方がない、日本人は少ない。当時、アメリカ人から見ればアジア人と言えば中国人かインディアンだったのだろう。
たばこを買うのもパスポートを見せていた。アメリカ南部に行ったが差別を受けることはなかった。黒人と言えば差別用語らしいが黒人にお世話になった。
 私は、史上最低の学力で55年前、和歌山の山奥からSLに乗って東京に来た。大阪の梅田の駅から12時間、汽車の床に新聞紙を敷いて上を見れば丸いドームの天井に茶色いのランプがぶらっ下がっていた。夜行列車だからトンネルに入ってもいちいち窓を閉めることがなかった。
静岡辺りをくると、ほのかな日の光が海岸をうっすら照らしていた。
ここは、宇宙なのか、海岸が別世界のように見えた。
駅のホームでは弁当売りのおじさんが首に紐を掛けて弁当とお茶を売っていた。弁当~お茶!
夜露に濡れた汽車の窓を開け、おじさーん弁当、お茶くださーい。
  よこはまーしんばしーとうきょうと街の臭いは、日本茶の香りがした。
 トトロのようなおとぎ話のようだが
いつの間にか、私も年は老いた。
まだ、100年も経っていないのに世の移り変わりがはやい。
♪新しい朝がきた、希望の朝が・・・
ラジオ体操の始まりの歌だ。
ラジオ体操も早朝から、うるさいとクレームがあって中止になったとか、子供の頃、ノートとえんぴつを貰うのに楽しみだったのに。しかたないか、公園から子供らの元気な声が、聞こえなくなった。公園は単なるお飾りだ。世は責任を取るのを恐れて、すべて中止となった。
 何を信用していいのか、信用するのが悪いと言われればその通りだが、信用することで生きて来た人にとって信用、信頼は命だ。
騙されて、激怒する人が、人を騙して、喜んでいる。お年寄りを大切にしなければならないのに、父さんそれは詐欺ですよ、子供に教えられる。子供の方が世間を知っている。
世界は長―い間、資本主義で王様、天、皇帝だとかが国を治めて来た。皆で同じところに住み、食事も同じで共同生活で、予め決められた量の仕事が出来れば無駄も省けるとロシアで社会主義が始まった。
   レーニンが革命で資本家を潰し、社会主義の世にレールを敷いた。
レーニンの後継者らしき、ヨシフ・スターリンが現れ、粛清という名の大量虐殺による恐怖で、国民はもちろん部下たちも支配してきた独裁者だ。幼い頃は神学校に通ったことがあったそうだが、極度の変身だ。1937年から1938年までの間に、68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた。
中国の毛沢東がロシアをまねて共産主義の理想の国を作ろうとした。土地もすべて国が管理してみんなで共同生活をして、生産で儲かったものをみんなで平等に分担する理想社会を夢見た。
 資本主義はお金を持っている資本家は労働者を低賃金で長時間働かせ、より多くの利益を得ようとする、そこに、貧富の差ができる。
人間だもの、よく働く者もいれば、怠け者もいる。それでいて給料も同じだったら文句も出よう。
 ロシアの隣国、中国の孫文は1911年、辛亥革命で清を滅ぼし中華民国をつくった。中国のはじまりだ。
時は、大正時代。日清戦争で日本が勝ち、清から、台湾と多額の賠償金を頂いた。アヘン戦争、アロー戦争などでもイギリス、フランス、ロシア、ドイツ、日本などが中国の領土をむしり取った。あの時の恨みを覚えているのだろう。
 日本はハルピン(中国の北東部)で細菌兵器の実験で人間を木の(マルタ)として扱い。時には、人間の心臓、胃、腸などの臓器をホルマリンに保存していた。と元日本兵の証言だ。犠牲者は、3000人とも云う。七三一部隊が知られている。
日本が仕掛けた満州事変で日中戦争となり、日本は第二次世界大戦に負け、日本軍は中国から引き揚げた。
中国は孔子や過去には立派な先人もいただろうに、先人の教えをすべてを消し去ることで次の世が成り立つのだろう。
 中国何千年の歴史と聞いているが、日本の一時代なのだろう。
   三国時代の諸葛亮(孔明)の名言で「学ぶことで才能は開花する、志がなければ、学問の完成がはない」と言われている。
中国の世界地図はどのように描かれているのか知らないが、日本列島―沖縄―尖閣諸島―台湾―フィリピンー東シナ海とに囲まれて太平洋に自由に出入りしたいが出来ない。ロシアの不凍港を求めての南下政策を思い出す。
日本も石油を積んだタンカーや食料を積んだ貨物船がこのコースを行き来している。日本はこのコースの一角が崩れると日本は無くなるだろうか。戦争もあるのか。
 尖閣諸島の海底に石油資源が豊富に埋蔵しているとわかると急に中国の領土だと言い出した。
日本はニヤニヤヘラヘラと鈍感な政治家が日本の国を治めている。ボンボン政治だ。
情報によりますと中国も不動産不況で景気が良くないと聞く、日本人と同じ顔かたちなのに学ぶ事を知らない。だって、中国が世界の中心で世界がまわっている。天動説の国だ。
 日本は明治維新で、目だめたのだろう岩倉使節団が2年間も欧米に視察に行き、学ぶことを知った。
日本は、地動説なのだ。
市場経済で中国のGDPもアメリカに次ぎアジアのナンバーワンになった。一帯一路で陸のシルクロード、海のシルクロードを提唱しているが国際ルールを無視してるようでは繋がらない。
 「日本を火の海にするとか」「靖国神社に落書きしたり、立ち小便をしたり」好き放題だ。学ぶことはないのだろうか、今が楽しければいいという風潮が世を蔓延している。いつ気づくのか、長続きしないことを。
イタリアでも49歳以上の高齢者が半数を占めている。移民者が多くてイタリア人が外に移住していると聞く。中国の人もビザの要らない手法でアメリカに移住しているようだが、そのうち日本に富裕層が大量に移民してくるかも。
世界の各国は移民で成り立つ国が出来つつあるのだろうが、お年寄りを大事にする社会であってほしい。
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