相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

北条時宗 (連載―531号)

2024年02月09日 | 経験・体験
北鎌倉の円覚寺では鎌倉時代に元寇で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の戦士が、分け隔てなく供養されている。

 北鎌倉の円覚寺は、作家;開口健(かいこうけん)が永眠しておられるお寺だ。亡くなられて久しいがまたお目にかかった気分だ。

 鎌倉幕府第五代執権(将軍の補佐をし、幕府政治のすべてをきりもりをする最高位の役職)の北条時頼の子の北条時宗は、17歳の時に第八代執権職になつた。
  鎌倉幕府も将軍との確執で北条時宗も鎌倉を離れられなかった。
 そんな時に、モンゴル(元軍)と高麗軍が二度にわたって日本に攻めてきた。
チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンが朝鮮の高麗を征服して、モンゴルも中国との南宋と戦っており、火薬の原料の硫黄(いおう・火山があったので硫黄がとれた)が日本からに輸入していることもあり、日本を征服の必要性もあった。

チンギス・ハン国による、中世のロシア諸公国の間接支配のことを「タタールのくびき」と言われて1480年ころから約250年間、ロシアを支配した。「タタール」はヨーロッパからモンゴル人を指す。「くびき」は牛がよそ見しないように首に木をあてがえばいうことを聞く。
つくづく、日本が島国でよかった。そうでないと誰もが殺されていた。私もこの世に存在していないかもしれない。
さて、日本に行くのも馬に跨って海の上を走ることも出来なく、朝鮮に約900隻の船を造らせ、2万8000人の軍勢を乗せて、対馬(つしま)と壱岐(いき)に上陸して、日本人を虐殺して博多湾に攻めよせてきた。
日本の武士は「エえーイ!
我こそは、どこどこの何ベえ」と28000回も名のる筈もなく大軍に果敢に対処した。

  はじめて、外国の軍と戦う武士は、多くの軍兵が向かってきます。
一日中、苦しい戦いがつづき、夜になって敵は船で引き上げた後には、大勢の武士が倒れ、老人、子供、女たちは逃げまどい、神社や仏閣も焼かれていました。
ところが、その夜、北九州には強、風雨が吹き荒れ、海も大荒です。
夜が明けると、敵軍船が一隻もなく消えていました。
北九州に大軍で侵攻してきたが、神風の助けによって撃退した。
多くの死者も出したが、元軍は引き上げたが、再来襲にために日本軍はそなえた。
 案の定、次の年にフビライ・ハンは5人の使者を送ってきたが、全員処刑した。再び使者を送ってきたがこれまた処刑した。
通常この場合使者は一人残して敵地に返すもんだが、最初から上から目線で使者を送って来たので時宗は頭に来たようで全員殺してしまった
敵は、とうとう14万の大軍を東路軍と江南軍の二つの分かれて、襲い掛かってきました。
6月はじめに博多湾に4万の東路軍だ。
一人たりとも上陸させるなと鎌倉を離れることも出来ない北条時宗は博多に使者を送り、九州の武士を励ましました。
また、神社や寺に勝利を祈らせました。九州の武士は自分たちで築いた石垣に踏みとどまり、勇気あるものは小船を海に漕ぎ出して、敵の船にのりこみ、火を放って、7月の中ごろには、東路軍の船を博多湾から追い払ってしまいました。

7月のおわりに、江南軍の残り10万の兵が肥前の国(佐賀県)鷹島付近に現れ、数千の船を見た武士、漁師、農民も腰を抜かしました。

またもや、強風と雨が吹き荒れ海も狂ったように波打った。嵐が静まって、元軍の船が一隻も見当たらなかった。
    この時の元軍のおよそ4000隻の船のうち3000隻が海底に消えた。     
14万人いた兵士が3,4万になって高麗にたどりついた。10万人の兵士が海の藻屑となってさ迷っていた。予想外の光景だろう。

またもや、日本軍は勝った。
元軍の侵略から逃れた。北条時宗は、この時の戦死者を供養するために北鎌倉に円覚寺を創建した。

 これですべては終わりではなく、日本兵に対する報酬である。鎌倉幕府も財政難と、いっていらねられない。
   武士も乳飲み子抱えている人も、一杯やる予定の人もさまざまだ。命がけで戦い生き残った人のご褒美を待っているが鎌倉幕府も資金繰りが苦しい。昔だと敵の領地を武士にわけあたえることができた。今回は、敵の侵略を防いだが領地がおよびでないし、あ!賠償金もおそらくとれないだろうし困ったものだ。
 神社、仏閣に祈禱料もあるだろうし、農民にも石垣を積むにしても人手もかかっている。
 勝った、勝ったは、喜ばしいが3年後には北条時宗は亡くなられたようだ。鎌倉幕府も衰退していった。
   私も、この世に72年間、理屈では解決できないことの助けによって生かされてきた。あれ~とね!
どこの国が敵軍を供養する国が居ようか平和ボケと言われようが日本に生まれてよかった。島国でよかった。日本人の思いが神風を吹かせたのだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 千 利休 (連載―530号) | トップ |  人生って 不思議なものです... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経験・体験」カテゴリの最新記事