相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

エロ将軍、徳川家斉  (連載―第560号)

2024年06月15日 | 経験・体験
関ケ原天下分け目の戦いに勝った徳川家康が1603年に江戸幕府を開いた。
 江戸時代265年の徳川の世であった。徳川15代の慶喜まで長期にわたり続いた。
 家康が鬼門(キモン)とされる日光に我が身を置いて徳川の、世の安泰を願って今も祈っていらっしゃる。
(鬼門はよくない方角と聞く。アナタ出先はその方角ではありますんが?いいんだよ、方角を変えてるから)
  こんな将軍様もいた徳川家斉である。
特定されるだけで16人の妻妾を持ち、53人の子女(男子2人・女子27人)を儲けた。
 タブーなことだが、妾(めかけ)はニゴウさんのことで、イチゴウさんは妻をいう。この妾の字は今は死語になっている。
 この時代はよかったのか、何処かの隠居さんが妾と向島の、神楽坂の料亭で、と言った話は、今はご法度だ。故・田中角栄も神楽坂に妾が居て、国会の合間に妾と会っていたという話を聞いた。
  家斉をエロ将軍とかオットセイ将軍とか色々な呼び名で呼ばれてますが、安心して下さい。全部本当です。【家斉】

 家斉(いえなり)は、11代将軍の世は在位50年も続いた。
お城には大奥というところが別格にあり、多くの女中が働いていたようだが、それはそれは、将軍の夢薗だ。
そのころの平均寿命は、30~40歳というから、15歳で将軍様なった家斉は若さ爆発だ。
子供が成人になるまで、ほとんどがなくなるので、お世継ぎ問題もでてくる。当時の医療事情も関係しているのだろう。
  
 世継ぎができないとお家断絶でお取り壊しだ。家斉は悪い言葉だが一種のスペアの観念だったの?
 16人の妻妾に53人の子供を儲けたとあるが、一人でも大変なのに婚姻関係も何処の大名に嫁がせるか、祝い事も多々あるだろう。
 諸大名の不満も出ることもあろう。政治どころでないようだ。幸い、なにもしなかったからよかったようだ。
 景気は束縛を嫌う、自由経済がよろしかろう。

  吉田松陰はこんな言葉を残している。
「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」

 つまり、天下は天皇のもので、将軍は天皇から委託され世を治めるもので、将軍は天下を私物にしてはいけない。
儲けた子女の多さは、歴代15代徳川将軍の中でも圧倒的に一番である。私は、和歌山出身で
家康の10男、徳川将軍吉宗が将軍になった。
私は、生まれていなかった。世が世であれば、将軍様になっていたかも? 
 種馬じゃあるまいし妻は多いほうがよい。非難喝采!
ホルモンが多い人は、仕事ものりにのって比例するという。もしかして、徳川家斉は、仕事も人の3倍もこなしていたかも知れない。


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