相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

大病で「商売やめた!」(連載―354)

2022年01月08日 | 経験・体験

大病で「商売やめた!」(連載―354)

銀座のシャンソニエ「銀巴里」にはよく行った。

最初は10才の頃だろうか日本のフランスでフランス人にあった。

 丸山明宏(今は美輪明宏)という名でシャンソンを歌われていた。彼は長崎生まれで10歳の頃、原爆にあわれたらしい彼の涙を初めて見た。三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した衝撃的な事件をもみた。

 銀巴里もなくなり、6丁目に「マヴィ」というシャンソニエができた。かつて、銀巴里で歌っていた日高なみの城のようだ。

 なかにし礼、柴田錬三郎、安岡章太郎、遠藤周作、開高健、岡本太郎さんはフランス語が話されるのでシャンソンをお歌いになった、驚き中曽根康弘さんも来ては歌われていた。文豪らが中心に銀座をかっ歩し、大人の世界を見せてくれた。</

池上彰と美輪明宏の対談で長崎の原爆の体験談で話しておられたことに、すごい体験をなすっていることに驚いた。

そのほんの一部を書いてみた。

 原爆が落ちる前に長崎駅前で小被弾が落ち、人だかりができていた。なんだろうとのどいてみたら血まみれになった首なしの赤ちゃんが横たおっていた、それを見た母親はその場から逃れるようにやれやれと思って背負っていた我が子を降ろしたら首がなかった。

その場にいた警官が「なんばしおったか」咄嗟に「死ぬだらならん」と叫んだか知らないが母親の顎をつかまえて、口にこぶしを突っ込んだそうだが。(舌をかもうとしたのだろう)

原爆が落ちる前から悲劇がすでに繰り返されていた。

この世には忘れていいことと。この世には忘れてならないことがある。とも言われていた。

 こんな一枚の写真があったとお気づきだろうか。兄が死んだ弟を背負って火葬される順番の待っている。

シャンソンはフランスの歌謡曲だ。日本では宝塚によって持ち込まれたらしいが。

シャンソンは清く正しく美しくの世界に娼婦の歌をうたう日高なみ、土方の歌をうたう丸山明宏、津軽なまりで歌う工藤勉、岸洋子のシャンソンは異様だったようだ。

日高なみも高校の宝塚の先生に影響された。

コメント
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