こまったものだ。せっかく眠りについたのにラジオをONしたばっかりに聞き入って眠れなくなった。
「胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて とてもやりきれない このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか・・・」
ご存知でしょうか、故,サトウハチロウさんの作詞で、故,加藤和彦さん作曲でザ・フォーク・クルセダーズが歌われていた。私の青春時代の歌だ。
寒い!トイレのカレンダーを見た、もう11月も過ぎようとしている。この分だと来月は12月、もう正月だ。ボケーとしていると一年が速い。
「悲しくてやりきれない」という題名の曲だ。だと思ったこの曲の詩はご年配のサトウハチロウさんの書かれた詩だ。
縁側に座って空をながめていたら、「ご隠居さんの生き仏」に妻がお茶を差し入れてくれた。見上げる雲が北から南に流れていた、明日は晴れそうだ。
義父は今年お亡くなりになって義母もお歳だし、田舎からお餅が今年は送ってこないから、今年からお餅をついて田舎の義母に送ってやらないと。
昭和44年のころは、もち米を蒸かして家族総出で餅をついた。あんころ餅、をつくってホクホク出来立てを食べた。今年初めて、我が家で餅つきをする予定だ。
うどんは孫に足で踏んでもらって、こしのある美味しーいうどんをつくった。
明日は孫の七五三だ。40年使い続けている100円のハサミで妻に髪を切ってもらい風呂で我が身を清めるつもりだ。
隣国の元首と目線も合わさず両手で握手していた。作り笑顔が似合っていたのに今日に限って、胸を張り、ブスくれた態度で元首にあっていた。
後日、一国第一主義の元首と会う時も、あなたご自慢のブスくれた態度で、両手で握手すればいい。相手は意外と意外と小心者かも。
体重が重い、貫禄があって、一国を表現するのに言葉は要らない。
外交は駆け引きだ。相手が営業マン元首で高圧であったら、逆らうことは禁物だ。平こらするのも禁物だ。外交の見せ所だ。
颯爽(さっそう)とつくり笑顔で、片手で握手をされたら、1億国民の重さを感じない、とても、とても大事な場面だ。
当選者の過半数割れは、自明の結果。特に女性の評判の悪い、今更、おなかに戻すことも出来ない。
総理になった、その日から評判が良くない。なんであの人がなったよ。似合わない眼鏡がガラッと印象を変えた。寒い処の生まれだそうだが外交には不愛想で、つくり笑顔は合っていない、ブスくれ外交で突っ走れ。
隣国では選挙がなく、国の一部の人が国の地方の役人を選んでいる。首にするのも選挙で選ばれていないから、勝手に首にしたり、粛清される。
お国も会社経営と同じだ。成績が悪いと左遷されたり首になる。
だから、社長にバレない様に良いことばかり報告する。社長はこれでいいものだと更に推し進める。
歴史は記憶と想像の世界だ。評判は最初は悪い方が良い、評判が善ければ落されるだけ。
戦争で石ころのように一個の命を扱われているが、石ころを産んだ覚えはないが石蹴りごっこだ。戦争の様相も昔とガラッと変化しているようだ。
今回の投票率は良くないらしいが若者たちの投票所に行ってくれたようで何かかわった。国会議事堂の本会議場の景色も変わったようだ。今まで本会議場の座席の真ん中以上の座席が与党(自民党・公明党)が占めていたのに。
昔、選挙権利を獲得するのに、明治時代、自由民権運動の指導者として、板垣退助が「国会を創った男」として国会議事堂の中に銅像があるようだが1882年、45歳のときに、岐阜で演説中に刺客に襲われますが、そのときに「吾死するとも自由は死せん」と発言しました。 これが後に「板垣死すとも自由は死せず」と伝わった。
維新の立役者である、薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)の出身者が権力を独占するなか、国民の政治参加を求めた「自由民権運動」を主導し、国会の開設に尽力した板垣退助の功績は高く評価され、国会議事堂の広間には、大隈重信(おおくましげのぶ)や伊藤博文(いとうひろぶみ)と並んで銅像が建てられているそうだ。
中学生の頃習った。日本の総選挙は衆議院の任期は4年で衆議院が解散されたら、また総選挙が行われる。定数は465名で、うち289人が小選挙区選出議員、176人が比例代表選出議員です。
参議院の任期は6年で3年ごとに半数が入れ替わる。参議院は解散がない。参議院議員の定数は248人で、うち100人が比例代表選出議員、148人が選挙区選出議員です。
選挙区選挙で落選しても比例区で復活当選する議員もある。
これはどうかと思うが地元では評判が良くないだろうと思っても定数の制限もあるし落選できない議員の救済だろう。
同じ党でも定員がいっぱいで他の党で立候補する人も出てくる。
右を見れば大国同士の冷戦縄張り戦、左を見れば国民を外貨扱いの商業銭、下を見れば複雑な操つられ恨みの戦い。戦場いに行く子供を持つ親は、張り裂けそうだろう。
何が善いのか悪いのか、電車の中で全員が猫背で下を向いていた。私も悪いと思って、暇だから下を向き寝てるふりをした。
田舎から都会に出た時、食堂で一人で恥ずかしくて食べられなかった。その時の気持ちと同じかな。
私と違って、都会人はSNSで情報をキャッチしている。時間を有効に使っている。
電車で寝ているのは、わたしだけだろう、「胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて とてもやりきれない このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか・・・」