「久しぶりだね。宇宙人になってもう何年 過ぎた?」 耳も宇宙人らしくバカでかく。昔の友はA型で、ボケは,もちろん友だった。
「君は変わっていないね」変わっていないと言われた私は地球人。
「変わったさ」町のウインドウにうつされる我が身を見て、嫌になることがある。この前までは水谷豊と思っていたのにこのザマ―だ。
「奥様は、宇宙人」と話しかけても無反応だ。宇宙弁は話せない。
UFOらしき円盤に乗って来たらしいが、スピードが速そうだ。
「ところで、先の奥様はどうしたのかね?」 「そうなんだよ、病気になって、アッと天国に行っちまって」 あんなに、大柄で元気な人だったのに、人って、普段、どこが悪い、ここが悪いと医者通いの人ほど長生きする。「君は、宇宙を飛び回って、命をまっとうしている」
4月に、生まれ故郷に帰る予定だがUFOに乗せてもらってもいいが速すぎる。
私も、地球上では高齢者の部類に色分けされ、57歳の時に脳溢血で倒れ、後遺症が残っているので、時間をかけて帰ろうと思っている。
「君も駅弁とお茶でも食べながら行かないかね」 「折角のお誘いでありがたいが、UFOの管理も大変なので」と低調に断れた。
一人で行く予定だ。妻と子供は仕事があるから声を掛けないつもりだ
昨日、テレビをみていたら、筋萎縮症の方が東京から宇都宮を経由して、日光の杉並木を歩いて日光までのドキュメントをみた。難病を抱え、命をまっとうする旅を続けている。
私の田舎も、のぞみとあれば6時間で行けるが、鈍行で行けば15時間はかかる。
交通博物館に展示しているSL(蒸気機関車)に乗っていたと話すと、多少若い人は驚く。
60年ほど前、大坂の梅田駅を深夜発てば翌日お昼前には東京に着いた。途中、ホームで駅弁とお茶を売るおじさんの声が楽しみだった。汽車の窓を開け「おじさーん弁当とお茶くださーい」
鉄道唱歌:(汽笛一声新橋を、はや我汽車は離れたり、愛宕の山に入りのこる、月を旅路の友として)
なぜか、学校で口ずさんでいた。
「まだ、生きてんの」
60年前に死んだ。同級生のカワユイ女の子に言われた。
トラックと橋の手すりに挟まれて亡くなった、色白で天使のような少女。
「私も70は過ぎたわ」
妻はひとり、子供は3人。今は妻と二人暮らしだ。
「まだ、生きてんの!と言われても
君は早すぎた」
田舎も町も人も変化がはやい。 気がつけば幼いころの田舎は、子供らのハシャグ声も聞こえなく家は波うっていた。
急ぐ旅でもなし、東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場をまわりたいが足が不自由しているので東海道線を鈍行で旅に出ようと足を鍛えている、どうなることやら。
塵(ちり)の存在なのだろう。
大谷翔平さんと私とは、私が塵の存在だ。「今日だけは、憧れはやめよう。」「私の契約金は、新しい戦力に使ってほしい。そのために、契約金の支払いは事後でかまわない」
と世界に大谷翔平の価値観を示してくれた出来事だ。
そんな契約金に見合うものが別途から入るのだろうが常に彼は初心にかえるバネを鍛えている。
謙虚だ!
彼と比べるのも、おこがましいが、憧れだ。
「東海道線鈍行の旅」は大谷翔平さんに少しでも近づける旅であってほしい。
「君は変わっていないね」変わっていないと言われた私は地球人。
「変わったさ」町のウインドウにうつされる我が身を見て、嫌になることがある。この前までは水谷豊と思っていたのにこのザマ―だ。
「奥様は、宇宙人」と話しかけても無反応だ。宇宙弁は話せない。
UFOらしき円盤に乗って来たらしいが、スピードが速そうだ。
「ところで、先の奥様はどうしたのかね?」 「そうなんだよ、病気になって、アッと天国に行っちまって」 あんなに、大柄で元気な人だったのに、人って、普段、どこが悪い、ここが悪いと医者通いの人ほど長生きする。「君は、宇宙を飛び回って、命をまっとうしている」
4月に、生まれ故郷に帰る予定だがUFOに乗せてもらってもいいが速すぎる。
私も、地球上では高齢者の部類に色分けされ、57歳の時に脳溢血で倒れ、後遺症が残っているので、時間をかけて帰ろうと思っている。
「君も駅弁とお茶でも食べながら行かないかね」 「折角のお誘いでありがたいが、UFOの管理も大変なので」と低調に断れた。
一人で行く予定だ。妻と子供は仕事があるから声を掛けないつもりだ
昨日、テレビをみていたら、筋萎縮症の方が東京から宇都宮を経由して、日光の杉並木を歩いて日光までのドキュメントをみた。難病を抱え、命をまっとうする旅を続けている。
私の田舎も、のぞみとあれば6時間で行けるが、鈍行で行けば15時間はかかる。
交通博物館に展示しているSL(蒸気機関車)に乗っていたと話すと、多少若い人は驚く。
60年ほど前、大坂の梅田駅を深夜発てば翌日お昼前には東京に着いた。途中、ホームで駅弁とお茶を売るおじさんの声が楽しみだった。汽車の窓を開け「おじさーん弁当とお茶くださーい」
鉄道唱歌:(汽笛一声新橋を、はや我汽車は離れたり、愛宕の山に入りのこる、月を旅路の友として)
なぜか、学校で口ずさんでいた。
「まだ、生きてんの」
60年前に死んだ。同級生のカワユイ女の子に言われた。
トラックと橋の手すりに挟まれて亡くなった、色白で天使のような少女。
「私も70は過ぎたわ」
妻はひとり、子供は3人。今は妻と二人暮らしだ。
「まだ、生きてんの!と言われても
君は早すぎた」
田舎も町も人も変化がはやい。 気がつけば幼いころの田舎は、子供らのハシャグ声も聞こえなく家は波うっていた。
急ぐ旅でもなし、東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場をまわりたいが足が不自由しているので東海道線を鈍行で旅に出ようと足を鍛えている、どうなることやら。
塵(ちり)の存在なのだろう。
大谷翔平さんと私とは、私が塵の存在だ。「今日だけは、憧れはやめよう。」「私の契約金は、新しい戦力に使ってほしい。そのために、契約金の支払いは事後でかまわない」
と世界に大谷翔平の価値観を示してくれた出来事だ。
そんな契約金に見合うものが別途から入るのだろうが常に彼は初心にかえるバネを鍛えている。
謙虚だ!
彼と比べるのも、おこがましいが、憧れだ。
「東海道線鈍行の旅」は大谷翔平さんに少しでも近づける旅であってほしい。
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