相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

江戸時代がなかったら載(連載― (連載―487)

2023年08月21日 | 経験・体験
江戸時代の265年がなかったら、明治・大正時代がなかった。
 明治・大正時代がなかったら、昭和の戦争もなかったし、広島・長崎に原子爆弾も落とされることもなかった。
昭和の東京大空襲の時、10万人も犠牲になったことも知らなかった。へー!そうだったの。
 ついでに、昭和時代がなかったら、私の80パーセントは昔だ。残された20パーセントも昔のような気がする。

  昭和時代がなかったら、そんなバカな、私が存在しないことになる。
昭和時代がなかったら、平成も令和もないことになる。 
古(いにしえ)の人間と言われようが時代はつながっている。

徳川家康が湿地帯で荒れ果てた地に江戸の町を築き、徳川の太平の世を265年。鎖国もあり、ペリーの来航もあり、ペリーが沖縄に行っている7ケ月で、
三田の山を削って江戸湾を埋め立て砲台をつくった。砲台はペリーの外国船を追い払うためか。  

結局、ぺりーが再寄航で横浜と函館を開国した。
初代徳川家康から幕末の第15代将軍徳川慶喜は、京都で鳥羽伏見の戦いに新政府軍に敗れ、船で江戸城に逃げて来た。
もう戦いは嫌じゃとお寺に籠り。勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の幕末三舟に新政府軍の西郷隆盛と交渉を支持した。

高橋泥舟は慶喜の警護のため離れることは出来なく義弟の山岡鉄舟に委ねて慶喜が山岡に指名した。  
(山岡鉄舟は高橋泥舟の妹と結婚しているから二人は義兄弟だ)

勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟は剣の達人で西郷隆盛は初対面でもあるが山岡鉄舟にやられる覚悟をした。

 西郷隆盛の無血開城の条件は1、江戸城の即時明け渡 2、徳川の家臣は江戸城から離れた所に移住 3、兵器の引き渡し 4、軍艦の引き渡し 5、慶喜の引渡し の条件が示された。

5番目の慶喜の引き渡しは難題だろう。
この条件が受け入れなければ江戸の総攻撃だ。江戸は恐らく血の海となるだろう。

 西郷隆盛の訓にこんなことがある。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは艱難(かんなん)を共にして国家の大業はなし得られぬなり」   ※艱難(困難に出あって苦しみ悩むこと)

旧幕府軍は大国の力を借りても断固として新政府軍と戦うべしと江戸っ子の気持ちだろう。西国出の私の想像だ。(田舎侍)
「大国の力」も日本が油断をし、ちょっとの隙間を見せると植民地にされる。

あなたならどうする?
 
  江戸の幕末から明治時代の人、渋沢栄一。2024年の1万円の肖像として登場する。

明石町の聖路加に友人のお見舞いに行った。とても奇麗な院内でイエスさまがいた。入院患者は皆クリスチャンと思っていたが友人が仏教徒だったのでその限りではないようだ。

 この病院で渋沢栄一さんのお名前を知った。
日本の資本主義の父と呼ばれている。

 資本主義は社会主義と対比されるが、会社が如何に利潤をあげ、銀行などから金を借入、株式を発行して広く運転資金を募り、設備投資をして、大きくしていくのが一つの形態だ。

株式会社、有限会社、財団法人、合資会社と形態は様々だ。
兜町の証券取引所で全世界の株式の上下を管理している。
それを見て投資家が資金を投資している。

銀行の親分は、日本銀行で市中銀行に貸し出す金利を管理している。

 渋沢栄一さんは、フランス万国博覧会を見聞もし先進国の視察も行い。日本に「論語と算盤」を提唱した。

算盤(そろばん)、私の出身の村で寺子屋じゃないけど公民館におじさんがデッカイそろばんを担いできて子供たちに教えていた。
私は、10級から始め4級はとった覚えがあった。大阪に丁稚奉公に出される見込みはなかったが、たし算引き算を知った。

世の中は広い。珠算7段の女性とスーパーにクラブの買い物に行った。今、いくらと尋ねたら、即返ってきた。

論語は、中国の思想家、孔子の教えを弟子たちがまとめた書物で、人間がどうしていきてゆくかという道徳観など書かれた書物だ。
例えば、損得勘定で商売をして、利潤を生むのは当然のことだが、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。

道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。(渋沢栄一)

「損をして得を取る」とよく商売する前に教えられた。人に信頼されることが先決で、得は後からついてくる。(私)
「ある人に嫌われていたことを知って自分の本音をしる」(私)

東京市水道の鉄管に渋沢が「品質や価格においても外国製に利がある」と海外製品を導入を主張したことで、国内の保守派の反感を買ったためとされ渋沢が暴漢に襲われた。
「罪を許したい」と語り、貧窮し困っていることを聞いて、人を介して資金を援助した。(渋沢栄一)

 2024年の5000円札の肖像として新戸部稲造が登場する。
新戸部稲造は北海道大学の前身の札幌農学校の第二期卒業生だ。
「青年よ大志を抱け」と言われたクラーク博士は新渡戸と入れ違いでアメリカに帰った。内村鑑三(宗教家)と同期だ。敬謙なクリスチャンの奥様とは。初国際結婚だった。奥様とアメリカに帰り、「太平洋の橋」になりたいとアメリカに渡った。

 キリスト教に対する日本の精神文化は武士道であると主張した。新渡戸稲造は「武士道」を書き奥様は流暢な英訳だった。奥様も日本人を知っていたからだろう。

私も、聖書を読んだこともない。日本では宗教はタブーというから話もしない。日本人の道徳の基礎となっている武士道があり、日本人がもつ美しい習慣や、思想の源泉が武士道にあることを発見し1899年にアメリカで発刊。広く世界に知らせた。

 江戸時代265年、明治時代44年、大正時代15年、昭和時代64年、平成時代31年、令和時代5年・・・・・と明治から現在の令和を合わせても江戸時代には満たない。
100歳時代と言われても後100年生きたとして、それでも満たない。
長ければ、いいとは限らないが徳川家康さまも、我が身を鬼門に置いても徳川を守ろうとした。

今も自殺者がいらっしゃるというが頼むから思いとどまってほしい。私も、うつ病の診断されたことすら今は知らない。

自殺者が一番多い年頃は、50歳から59歳と統計にあるという。私のように65歳から歴史を学び始めてやっと人間様を知った。それも歴史は単なる判断の情報の一つにすぎず70歳からもう一山来そうな雰囲気だ。
 スペイン語でラテン音楽をステージで歌うのが山のような気がする。

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