相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

おとぎ話 (連載―536号)

2024年02月25日 | 経験・体験
お父さんの田舎は、おとぎの国のようなところだ。
 海を初めて見たのが小学生の遠足だ。広―い広―い海、塩辛―い海水、こんなに塩辛ーいと台所の塩をいくらふりかけても足りない。こんなに海が大きいと、よその国には行けない。
関所は、なかったが、村ごとにガキ大将の砦(とりで)があった。
 大人の自転車を横乗りして、冒険というか海を見に行った。砦を何箇所か通過するのに御代官様にお菓子の手土産が必要だった。
港には、貨物船が横づけされており、忙しく大人が行きかっていた。赤色と青色が目に残っている。
この船に乗れば、よその国に行ける、塩の香りも漂っている。
帰りは、途中、食堂に寄って、キャベツとメリケン粉(小麦粉)だけのお好み焼きを食べた。ソースが美味しかった。帰りの関所はスムーズに帰れた。

 天気予報は、雲の動きを見て、雲が北から南に流れれば晴れだし、南から北に流れれば雨模様だ。
  山仕事で下刈カマで腕を5センチほど切り、骨も見えていた。
こともあろうに、医者は、麻酔もしないで釣り針のようなふとい針を何箇所かに刺して縫っていた。救急だから仕方なかったのか大人はとても見ていられなく処置室を後にした。
痛さを我慢していると麻痺するのか痛さも麻痺する。

 え~“! まだ生きてんの?
60年前、事故で亡くなった同級生の女の子に言われそうだ。急にそんなこといわれても、まだ、若いつもりでイル。カってな、こと言われても人間には寿命ってあってな勝手に決められない。
君は事故で60年間も知らないが、生きていれば、税務署の調査の日も、ローンの返済の日も乗り越えて来た。
「ポツンと一軒家」ではないが山奥で暮らせたらと思うが熊さんも猪さんと共存する知恵も必要だ。まして、冬場の暮らしを見ていないから、極地の営みの厳しさに判断を渋っている。

彼岸花はどうして田の畔(あぜ)に咲いている? いい香りのする花とは思わないが根が臭い。だから、モグラから米を守っている。幼い頃、提灯(ちようちん) で遊んでいたが、お墓にも咲いていた。
   井原西鶴は、知らない。私には、才覚はないのか、江戸時代、紀ノ國中津村に生れ、15歳の頃に大坂に出て、俳諧師を目出した。

鎖国が始まった元禄文化で時代で松尾芭蕉も登場する。
井原西鶴と言えば「好色一代男」女性好きの男の物語。江戸庶民の風情を詠った「浮世草子、人形浄瑠璃、俳句」の作品を残している。

西鶴は、好色物以外にも、 『日本永代蔵』 や 『世間胸算用』 といった作品も有名だ。やっぱり庶民文化はいいよなあ。中津村の誰も知らないおとぎの人の話。
 残っいるよ、井原西鶴生誕の地は、私のおとぎの人だ。
おとぎの国、中津村は、今は、市町村合併で「日高川町」に変わっている。

 おとぎの話と言えば、中津村を流れる日高川がある。日高川をしばらく下り、道成寺のお寺さんがある。  
昔むかし、あるところに、それはそれは可愛い清姫がいた。その清姫が岩手県の若いイケメンのお坊さん、安珍に一目惚れをした。
安珍は修行の身であり、迫りくる清姫から逃れるため若い清姫に噓をつく。(那智権現大社にお参りした帰りに清姫の元に来るから)

こともあろうに安珍は帰り道を変更して帰路についた。(おのれ安珍うらぎったな)、安珍は日高川を下り、道成寺の釣鐘の中に隠れるも、恐ろしい蛇になって追ってきた清姫に焼き殺される。という平安時代のおとぎの話。
その後、清姫は入水自殺したとか諸説あるがおとぎ話だから定かでない。

 宝塚出身の音楽の先生の影響でシャンソン歌手なった。故、日高なみ 「ろくでなし」の歌が、似合う人だ。宝塚は、大人数でダンスを揃えて見せる。当時、「すみれの花咲くころ」の歌はよく使われていた。
おとぎの時代、東京銀座の銀巴里でシャンソンを聞いた。津軽なまりで歌う人、日本人のフランス人らしき方が歌う人、クラシックの発生でシャンソンを歌われる人もいた。丸山明弘さんの歌も聞いた。
表現は自由で私のようなド素人がとやかくいう資格はないが、お一人、お一人の「間」が違って聞こえた。
宝塚での大人数のダンスと合わせるのが無理だろう。と感じたが、さすが、プロフェッショナル選曲も歌い方も変えた。
誰かが、言われていた。「歌は詩のように、詩は歌のように」

「感情を歌に入り込みすぎないように」 これは私のおとぎ話だろうか。
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勝 海舟        (連載―535号)

2024年02月22日 | 経験・体験
「海から来る敵は、海でふせがなければなりません。そのためには軍艦が必要です。軍艦が必要です。
軍艦をつくる費用は、外国との貿易で利益をあげれば・・・・・」

 勝海舟の父は旗本で、旗本の中でも低い身分であまり、裕福な家庭ではなかったようだ。
その点、私と同じだ。違いを見つけているのだが、勝さんは都会育ち、私は山奥育ち。肉体は田畑山、村の駐在所の巡査に柔道を習って鍛えているから私の方が勝っているようだ。
脳みそは根本的に違うし鍛えていないから勝さんが勝ちのようだ。
しかし、勝さんは剣道場で厳しい修行に耐え、真剣勝負の世界で鍛えられているし、その過程において人を見る目がやしなわれたのだろう。幼い頃、犬にも噛まれあまりの傷口の大きさに医者もタジタジ、父親は刀を抜いて「さあ、医者なら肝っ玉を据えて傷口をぬうのだ。麟太郎(勝さんの子供の頃の名前)、我慢しろよ。痛いなどと一言でもいってみろ、その首をたたっきってしまうぞ」 麟太郎は、父親の深い愛情を感じたろう。
長崎で蘭学を学び、航海術を学び艦長になれる知識も得とくした。  
この辺は、私と境遇は違う。貧乏旗本といえど、国家公務員だ。長崎で学べるのだからエリートだ。
この蘭学修行中に辞書「ドゥーフ・ハルマ」を1年かけて2部筆写した有名な話がある。1部は自分のために、1部は売って金を作るためであった。
私と比較するとはなにごとと切腹もんだろう。
安土桃山時代に石見銀山に銀が発見され、織田信長と豊臣秀吉が唯一日本で銀が採掘されたが乱堀で、銀がとれなくなった。当時の銀は、世界通貨だった。
日本には他に石油が取れるわけもないし、世界は日本離れで、日本を放っておいてくれた。
そんなタイミングで江戸時代になって、鎖国がはじまった。
そのかわり鎖国で日本は、イギリスの産業革命をはじめ技術の進歩に日本は大きく取り残された。

1860年、勝海舟は咸臨丸(かんりんまる)の艦長とし日米修好通商条約を結ぶ使節のために、日本人による初の太平洋横断に成功したのです。
 この条約は孝明天皇からは条約調印の勅許が得られないまま、1858年6月19日、大老井伊直弼(いいなおすけ)が締結しました。このことが原因かはわからないが、井伊直弼は、1860年、桜田門外で暗殺された。
勝海舟は「戊辰戦争」においては幕府軍の軍事総裁となり、新政府軍の西郷隆盛との交渉で「江戸城無血開城」を実現させた。
江戸の町が戦火に焼かれることを防ぎました。
西洋の列強の覇権国が日本の内乱をひそかに期待していた。
勝海舟も西郷隆盛も日本の未来を見据えていたからだろう。

「海から来る敵は、海でふせがなければなりません。そのためには軍艦が必要です。軍艦が必要です。」
アメリカの近代社会をその目で見てきた勝海舟は、軍艦奉行に昇進し、倒れかけた幕府の中で海軍創設に尽力した。
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ある会社のカレンダー (連載―534号)

2024年02月18日 | 経験・体験
「ニャンとすてきな一日だ」
日めくりカレンダーは今もあるのか
日本の旗は簡単に書ける。白地にうめぼしの紅色をまん丸に書けば出来上がる。
 遠くから見てもめだつ。昔、聞いたところによりますと、ある国が日の丸を譲ってほしいと言う。
飛行機の機体に丸い赤をえがけば、遠くからで自国機とわかるからだそうだ。
 アメリカの国旗をTシャツにデザインして描けば街中でも着れる。日の丸をデザインしなくてもTシャツに描いて街中をかっ歩すれば人は変なめつきだ。
   昔、日めくりは、一日の長さがながい時に重宝した。
お風呂を沸かすのも井戸から水をバケツに汲み、お風呂に入れた。新聞紙をお年寄りのしわのように丸め、小枝を上にかぶせ、牧に火が移れば、しばらく火の見て、いい湯加減になれば完了だ。もちろん五右衛門風呂だ。
 サツマイモがあれば灰に中に入れ、
焼く。
兄弟喧嘩がはじまった。今日は誰が風呂を沸かす番だ。日めくりに、〇をしている。一日一日が家の仕事の日程だ。
おばあちゃん、「お米が蔵にいっぱいあるのになんで白いご飯を食べさせてくれない」と喧嘩をした。
だって、クラスで二人だよお粥を弁当に持って来るのは。
8人家族で3食ごはんを食べると、すぐお米が無くなってしまう。だから、おばあちゃんが正しいと大人になって気づいた。
 紀州は平たんの土が少なく、お米がそんなに取れない。
紀州茶粥が有名だ。大きな鍋に水を溢れんばかりに入れ、水が沸騰したら、茶袋に番茶を入れ、間もなく、お米を1合半を入れる。お米が半熟で火を止め余熱で炊き上げる。これでサラサラした茶粥が出来上がる。
 きな粉のおにぎりとすっぱい沢庵があれば最高だ。伊勢の方が言っていた、昔、伊勢の一部が紀州藩だったころ茶粥を考えたのは三重県人だよと教えてくれた。
山の上までみかんの木を植えてぽかぽか甘いみかんがとれた。梅干しの木も山に白い花を咲かせていた。柿も名産だ。柿の葉寿司は奈良県の名産だ。東京駅でも紀勢本線の車中でも売っている。
妻の実家の栃木に田植えの手伝いに行ったが、広い田んぼに驚いた。  
こんなに広くって手植えでどうしてくれよう。と思ったら機械の登場だ。機械の担当者は冷暖房の運転席で、私はコーナーの担当者で機械が植えられないところを補植担当者だ。
私は山育ち、妻は田んぼ育ち、ふたりあわせて田舎もん。

 一日は長かった。一か月は、一年の長さに感じた。
 息子に、もらったカレンダーに、世界がひろがった。
  (抜粋して書かせていただきました)
1月:日本は辰年
   イランでは鯨年     祝っていた
アラビアではワニ年
2月:日本では風邪をひく人が多かったが南極では1年を通して風邪をひく人はいない。

3月:アマゾン川は
       逆流していた。
5月:オーストラリアでは    
       菊の花をお母さんに
送っていた
7月:日本では七夕。
ブラジルでもTANABATA
        ただし、冬。
12月:来年日本は2025年
        エチオピアは2016年
ネパールは2082年
なんでか? 

私たち住んでいる地球はデカいのだろう。北半球・南半球は、季節が反対だ。北極は白夜で、日が沈まない。南極は、黒夜で日が沈むが白い雪と氷の世界うっすらあかるいそうだ。
地球が自転しているから、日の出からはじまれば、日暮れからはじまるところもある。時差によって違ってくる。
 同じ地球上に住んでいるのに暮らす場所が違うと自然環境も人の性格も違っている。
   12月は、それぞれの国の暦法で世界が共通ではない。日本は西暦で、ヨーロッパと同じだ。
私も来年は2025年と世界も同一だと思っていた。子供に教わってよかった。気づかされて気づく。
私の大半が日本昔話だ。「昔は、よかった」と口ぐせのように嫌われそうだ。
昭和、平成、令和と明治、大正、昭和。平成生まれの私の子供も36歳。食糧危機は来ないだろうが、河川敷を散歩していたら、よごみを見つけた。よごみ餅に入れて食べられるが、実際どうゆうレシピで食べるのか知らないという。

   来年日本は2025年
ネパールは?2082年だそうだ。
過去には「太陽暦」だったが、ビクラム歴1961年の新年(西暦1904年)。「太陽暦のビクラム暦」をネパールの公式の暦とした。
暦の起年は紀元前57年だから、日本が西暦で2025年だと、2025+57=2082年となる。
 エチオピア暦の起年は2009年だから日本が西暦2025年だと2016年。
 昔から、西暦で慣れているから、ユダヤ暦、イスラム歴、中国歴、ユリウス暦、アイヌ暦・・・・・などがあるようだが統一してもらいたいものだ。
お湯で湯がき、手もみして、日に干し、食べる時はお湯に戻せばいいし、よごみ餅をつくる時はもち米と一緒に蒸かせばいいと思う、もち米とよごみを木根でつけば、餅は、よごみ色に染まり、よごみ餅になる。私の幼いころの記憶をたどればそうだ。
キノコ類は全く仕分できないが、奇麗で美味しそうな毒キノコがあるらしいが見分けがつかないから怖い。

子供からのカレンダーの送りものにまた、世界に思いを馳せた。
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安珍・清姫物語         (連載―533号)    

2024年02月14日 | 経験・体験
むかし、紀ノ國(和歌山県)のある宿屋に、それはそれは奇麗な娘(清姫)がいた。
毎年、奥州(岩手県)白川からくる若い山伏(お坊さん)(安珍)にひとめ惚れでもしたのだろう。今年も、那智大社に参詣の為、清姫の宿(紀州牟妻群の真砂、庄司清重の家)に宿泊する。
安珍も若いイケメンだ。器量のいい清姫に、将来は妻として白川に連れて行こうと言ったもんで、若い清姫は信じていた。
 確か、昔は、お坊さんは一生独身であり続けなければならない。今は変わって、結婚もok、肉も魚もokのようだ。
安珍は、例年のように、清姫の宿に泊まった。
その夜は長旅で疲れて、早く眠りについていた安珍が、芳ばしい香りと衣擦れの音で、目をさました。
 ほのかな灯りに目をこらすと、清姫が枕元に座っていた。「清姫さま、どうなさいました」「安珍さまに、あいとうて、お傍にいとうて」幼い清姫は、膝に手を置いたまま。
 安珍は子供をあやすように「こんなところに、おいでになってはいけません」  清姫は座ったまま。
安珍は「私は仏に仕える身、妻はもらえないのです」 清姫は「いやいや」と首をふる。
そのしぐさは愛らしく、誘惑にも負けそうだが、とうとう嘘をついた。
「那智大社に参詣を済ませたら、きっと帰りにこの宿に戻ますよ」清姫は、やっとうなずいた。「きっとですよ、きっと」
 翌日、安珍は那智大社に旅立、いつまでも清姫は、見送った。
ここまでは、結婚の大問題を残したが物語をハッピーエンドで終わりだ。

ところが、来る日も来る日も首をながくして、安珍の帰りを待っていたが清姫が心配して街道を通る山伏たちに尋ねた。「もしもし、これこれこういう姿の若いお坊さんをみかけなかったですか」「おお、そのお坊さんなら覚えているが、もう、とっくに通られましたよ」
   安珍は、清姫と約束したことは覚えているが、記憶になく、別ルートで白川への帰途に向かった。
 清姫の顔色が変わった。
「ええ!それでは約束を破って」
「裏切られた」
 清姫は、キリキリと唇を嚙み、目が血走り、安珍を追った。
髪を振り乱し、着物の裾をつかんで、一心不乱に走った。その姿に道行く人々は「恐ろしや、その姿はこの世の者とは思われぬ」
安珍を追って走り続ける清姫の草履は擦り切れ、足から血が流れた。
 「あ、あのお姿は・・・安珍さま、安珍さまぁ」
あの可愛い清姫は、鬼女のような狂騒で追ってくる。
「わ、わしは、安珍ではない、人違いじゃ」
 安珍は、逃げて逃げてひたすら逃げて、日高川のほとりに着いた。

 渡し舟を見つけて「船頭、私は鬼女に追われている至急、舟を出しておくれ」舟は安珍をのせて日高川を下った。まもなく、安珍の乗った舟をみつけて、清姫も追おうとしたが、清姫が半身蛇になっているので、船頭は誰一人といなく、逃げ出した。
 清姫は蛇になって安珍の舟を追った。「おのれ!安珍め」
安珍は、日高川を下り、河口近くの岸におり、逃げ場を探した。
「あった!」ながーい階段の向こうに神社の鳥居を見つけた。   
「和尚さん、私は恐ろしい鬼女に追われている。いっときでいいから私をかくまってほしい」
 清姫は、すっかり蛇になって、神社の階段を上った。他の僧たちも驚き、和尚様は釣鐘を下し、その中に安珍をかくまった。
 「おのれ、安珍は、どこにいった」
すごい形相で清姫は安珍を寺中さがした。すると、釣鐘から草履の紐がでていた。「安珍め、こんなとこに隠れていた、見つけたぞー」
 清姫蛇は、釣鐘をとりまき、口から火をふいて安珍を焼き殺した。
   器量のいい清姫が、恐ろしい蛇になるとは誰が想像しょう。男も女も恋の恨みはこわい。
 その後、清姫は入水自殺をなすったと聞いたが、悲しいね。
 釣鐘はないが、釣鐘饅頭はイケルね! そうだ、その神社は「道成寺」
でした。一時は和尚様の絵巻説法で話題になり、面白かった。
歌舞伎でも娘道成寺や日高川の題目で演じられていた。演技者は必ず道成寺にお参りに来るようだ。
平安時代にも日高川があった。私の幼い頃、筏(いかだ)も流れていた。
1000年前のむかし、むかしのお話でした。

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 人生って 不思議なものですね         (連載‐532号)

2024年02月11日 | 経験・体験
小澤征爾さんの、訃報に、心からご冥福をお祈りいたします。
お顔の表情と体の動きが、オーケストラと一体となって、まるで、自ら、楽器を演奏しているかのように、音を表現しておられた。命のリレーなんだろう。

 シャンソン歌手、日高なみと40年も、銀座6丁目でシャンソンの店をお手伝いをさせていただいた。
 最期は、2回目の脳梗塞でお亡くなりになった。幼い頃から芸事が好きで、宝塚出身の先生の影響でシャンソンとのであいで歌手になった。
一曲の譜面を持って、シャンソンの登龍門のオーディションにでかけて、銀巴里のオーナーの直々の審査に合格して、その日から唄へと言われ、その日は同じ歌を歌ったようだ。
 当時、銀巴里では、丸山明弘さん、フランス人と間違えた故高野圭吾さん、津軽なまりでシャンソンを唄っておられた故工藤 勉さん、の指の先まで表現して唄っておられた感激は今も生だ。
美空ひばりさんの旅姿、マドロス姿に日高なみも影響された。
一人で、田舎村から大都会に出てきて銀座で働き、ある作家と恋もしたが作家のレールを外させなかった。
思いどうりにならないのが人生、歌に人生をかけた。強さを保つには、けっして弱みを見せなかった。
本音は、音楽バカで、その世界しか知らなかった。世間知らずの弱虫だった。
私も、史上最低の学力を武器に東京に来たが、ある会社の現場で働いていたが、日高なみにスカウトされ、生きるチャンスを得た。
人生って不思議なもので、よくこんな言葉を生んだね。
 日高なみを、忍んで新たに、再アップロードさせていただきました。
聞いてやってください。

           そうだいかずあき
            相 台 万 朗
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