相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

一休宗純より (連載―514号)

2023年11月29日 | 経験・体験
とんち話で有名な一休さんは、本当にいたの?
それが、いたんだって。
 およそ、600年以上、昔の京都に生まれ、お父さんは、後小松天皇というから、とても身分の高い人だそうだ。室町時代の禅のお坊さんだ。
 それでいて、権力が大嫌いで、持ち前の頭の良さで、権力者をやりこめます。
 遊郭にも通い、肉も食い、酒も飲み、型破りのお坊さんだったそうだが、自殺も2度ほど図り、己をみつめ真面目なお坊さんだった。

  京都にくねくね曲がった七曲がりの松の木の傍に立て看板をした。この松の木を真っすぐ見たものには100万円を与える。 一休
 と立てかけた。 人々は何とかして100万をゲットしようと、この松の木を真っすぐ見ようと遠くからみたり、はしごを使って屋根の上からみたり、試みるのだがどうしても曲がった松の木を真っすぐ見ることが出来ません。
 さて、皆様に質問でーす。

 正見と言ってな、曲がった松の木は曲がった松だな。と見るのがまっすぐな見方。曲がった松を何とか真っすぐ見ようとするのが曲がった見方なんだ。 へ~
―雑学―
木が曲がる理由は何です
木は、中心部分に行くほど密度が高くなっているため、外皮に近いほど水分を吸収/放出しやすい特性を持っています。 そのため雨に濡れたり空気中の水分を吸うと、外皮側と中心部分の膨張率の差から、反りが生まれてしまうのです。 逆に乾燥が進むと、製材時よりも外皮側の水分が中心側より早く抜けてしまい、同様に反りが生まれます。
木はどの方向に縮みますか?
方向によって異なる割合
針葉樹、広葉樹を問わず、どんな樹種も板目(接線)方向が最も大きく収縮し、ついで柾目(半径)方向が大きく、長さ(繊維)方向にはほとんど収縮しません。
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ガリレオ・ガリレイって誰? (連載ー512号)

2023年11月24日 | 経験・体験
地球は動かず、太陽や他の星(水星、火星、木星、金星、土星)が、
地球を中心に回っている。「天動説」
は古代の昔から定説とされてきた。

 私の幼い頃、どういう訳か、天体望遠鏡が流行って、月のデコボコしたクレーターが見ることが出来、月がま近に見えた。
 ガリレオのトレードマークの手作りの長い望遠鏡もオランダの眼鏡職人から教わったそうだ。

あるとき、教会のランプが揺れているのをみていて、大きくゆれても、小さくゆれても、揺れる時間が同じことに気がつきました。家に帰りさっそく実験にとりかかりました。

 同じ長さのひもを,なん本も天井からつるし小石を結び付けて、なん回もなん回もゆらしてみました。
自分の手首の脈で、時間をはかり、どのふりこも、ゆれかたが小さくなっていきますが、左右にゆれる時間は、ゆれかたが大きい時も小さい時も、かわりありません。
これは、「ふりこの等時性」という重大な発見でした。

 ガリレオの前にコペルニクスは「地動説」を唱えて原稿を1530年ごろには出来上がったが、ローマ法王の目が厳しく、天地を逆さまにする学説を唱えるのを、ためらって、1543年70歳でなくなった。

    
  当時、望遠鏡もなく、宇宙は神がつくられ、地球が中心で他の星が地球をまわっている「天動説」、そして、月は丸くクレーターもない。というのが定説だった。

 ガリレオは1564年、イタリアのピサに生まれ、望遠鏡も手作りで、いつも空を眺めていた。
 ガリレオは「地動説」を唱え、つまり、太陽の周りを地球その他の星がまわっている。地動説で既存のキリスト教とは逆説だった。

 ガリレオの「地動説」は宗教裁判にかけられ、ガリレオの絞り出す声で「それでも、地球はまわっている・・・」と力説した。

  ガリレオは、「思いこみ」を徹底的に嫌い、いつも「なぜだろう」と自分の頭で考え確かめました。
習慣や通説に従えば、どんなに楽でしょうに。
 
 宗教裁判の後、制約の多い環境の中、不自由なからだにも本を書き「科学する心」を後世につたえています。
 ガリレオは「近代物理学の父」と呼ばれたが科学は数なりという言葉がうまれたのも理論も観察と数であらわされるようだ。
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地球はまるいよ        (連載ー511号)

2023年11月21日 | 経験・体験
私が生まれた時から、地球がまるいと聞いている。30年前だろうか流星群が見えると聞くから、子供を連れ布団を持って、筑波に行った。

子供には明日、学校を休んでいいからと深夜まで星をみていた。寒いから温かいおでんを買って筑波の暗闇を探して布団をしいた。ぼそぼそ周りから話声が聞こえるのできっと流れ星を見に来たのだろう。

 白い煙を吐きながら流星があっちもこっちに見えた。

  宇宙は明るく輝き宇宙船から宇宙飛行士、毛利さんが手を振ってくれた。地球のまるを感じながら夜空をみていた。

地球は卵のようにまるいというからまるいんだろう。
 もし、引力がなかったら木につかまっていないと、滑り落ちる角度だ。
   
地球が円盤形であったら、一番端は、日光の華厳の滝のようで、滝壺に真っ逆さま。水は雨となって循環するのだろう。

アメリカ大陸はコロンブスが発見したというが死ぬまでインド(India)と思っていたようだ。

 そうか、それでアメリカの先住民のことをインディアンとよばれたのだな。
 後になって、スペインの探偵家アメリゴが新大陸と認めた。それでアメリカと命名した。アメリカの先住民がIndiaだったから、ここはIndiaとコロンブスは勘違いしたのだろう。
 その頃に戻って、地球の東周りがポルトガルで西周りがスペインと東西にわかれた。
西周りの方が、当時、アメリカ大陸も太平洋も発見されていなかったので、地球がまるいと黄金の国ジパングも近くだ。間違ってインドに行ったとしても風の向きも北にとれば、ジパングに行ける。

アメリカ大陸もひろい海原の太平洋が無かったら西周りの方がいいのだが、ヨーロッパから、西周りは命がけのようだ。
 「出来そうなことでも、実際やってみなければ、やれないと同じ」とコロンブスは西周りを決断した。

ず~と古い人の考えること、現在の人が考えることそんなに、変わっていない気がする。科学や技術は、とてつもなく進歩しているのに。
ところで、アメリカ大陸も太平洋の海原もなかったら、地球も月の大きさだ。西に真っすぐ進めば元の場所に戻る。
ああ~地球がまるくてよかった。

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与謝野晶子 (連載―510号)

2023年11月16日 | 経験・体験
昭和39年は、第1回目東京オリンピックが、東京で開かれた。オリンピック景気と日本では景気がよかった。

 白と赤のお揃いのベレザーを着て、国立競技場を一糸乱れず行進する
日本選手。正面に来ると、右手をかかげてハツラツと行進する光景は私の目に焼き付いている。

 私は、田舎育ちで、その当時、女性と並んで歩いていると不良と白い目でみられた。

   明治37年と言えば、日露戦争の当時、与謝野晶子が「みだれ髪」を世に出した。晶子が、不倫の末、与謝野鉄幹と結ばれた。
 今の世でさえも、週刊誌のネタに大きく取り上げられるのに、恋は女は強い。なんとかなるだろう!

 「君、死にたもうことなかれ」
24歳の弟を戦争に向かう、姉の気持ちを詩に発表した。
全文を紹介しよう。
  ああ、おとうとよ、君を泣く
  君、死にたもうことなかれ
  末に生まれし君なれば
  親のなさけはまさりしも
  親は刀をにぎらせて
  人を殺せとおしえしや
  人を殺して死ねよとて
  24までを育てしや
   
(つづく)
堺の町のあきびとの
  旧家をほこるあるじにて
  親の名をつぐ君なれば
  君、死にたもうことなかれ
  旅順の城はほろぶとも
  ほろびすとても、何ことぞ
  ・・・・・・・・

何を言いたいか理解できるだろう。
日本は大国のソ連(ロシア)と戦った。あの乃木神社にお祭りしている乃木将軍が旅順にある敵の陣地のある丘を征服に日本兵が何万人も犠牲になり、弾も使い果たした。
 旅順が、どこに?

  ロシアはロシア革命で社会主義国家にと変わろうとしていた。国内はクーデターで、アメリカの仲介で日本が大国ロシアに勝利した。
こんなうわさも聞いた。日比谷公園で日本戦勝記念日が行われていた。日本はロシアに勝ったのだから、多額の賠償金と領地を頂くべきとも声があったようだ。

 晶子は堺の名高いお菓子問屋の長女として生まれた。
「明星」の創始者、与謝野鉄幹との赤裸々な愛の表現は世を驚かせたが、非難もすごかった。


  時は過ぎ、「明星」も廃刊となり、晶子は気分転換で鉄幹をヨーロッパに連れ出すのだがその旅費もくめんした。

  栄枯盛衰、誰しもあるだろう。
昭和24年、64歳でなくなられたが、いつの世も与謝野晶子はなんとかしたに違いない。

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一休さんとひとやすみ         (連載ー509号)

2023年11月15日 | 経験・体験
へーそう!一休さんは、お坊さんだったんだ。とんち話でユーモラスにまんが、アニメで有名な一休さん。
 お坊さんの、立派なお名前が、あったのじゃ、その名は、「一休宗純」という。
 今から、600年ほど前の、室町時代の禅宗のお坊さんだと。
20歳の頃、師匠を亡くし、自殺をはかったことのある。という。ご自分を見つめるまじめなお坊さんだったようである。また、50歳の頃にも自殺を図ったらしいが、それだけ真面目だったのだ。

   晩年は、目のご不自由な50歳年下の女性と同棲したとか聞くと、私にしてみれば、22歳のギャルと同棲することになるがうらめしや。
酒も肉もたばこも、遊郭にも出入りするホストクラブでも遊んでいるお坊さんを想像する。

 座禅をしたことはないが、壁に向かって悟りの境地をひらこうとする   
禅宗は、栄西、道元によって、もたわされたそうだが、お名前はきいたことがある。そういえば、北鎌倉に知人のお墓がある。静かだ!
 私は、六本木の交差点の近くにあるお墓がいいと思う。若い時、ウォッカをのんで酔っ払って墓石を抱いてと寝た。

  座禅は、目を開いて行うものだと、聞いたが、私は、目を閉じれば、イビキをかいて寝てしまうらしいので妻さんには映画に誘われない。

どうすれば、大仏のように目を半開きでご自分の鼻の頭をみれば瞑想しているようにみえる。

昔も今もかわりがないと思うが、その頃のお坊さんは位の高い貴族や武士の権力にまけて、修行や布教よりも自分の出世を望むようにようになりお坊さんもいろいろある。
中にはお坊さんになるつもりもなかった人もいる。レールから外れる方もいる。

 私の叔父さんが、お坊さんの偉い方のようで、村の和尚さんがビビっていた。この世界でも上下があるんだことに気づいた。
 偉くもなれば、大企業にも顔が利くようで、兄の就職にも便宜がはかれたようである。

修行僧で有名なお寺に観光で行った時、今でいえば、パワハラとか問題になるが、若い僧は先輩僧にきびしく叱られていた。
 おまけに裸足で厳しい寒さだ。そんなことがあって、修行を積むのだろう。理不尽なことも言われて、人の前で恥をかかされて、嫌な気分を味わう。

  お坊さんも甘い汁もつらい汁も知って、人間和尚となる。
 どの世界でも一握りの人が人間和尚として、他人から気づかされるのか、「悟り」は己がどこで気づくかだ。
 
大谷翔平さんか、日本の全小学校にグローブを寄贈すると言うお話。今日だけは、「あこがれ」はやめよ。
年収が何百億と世間の話題になっているが原点に戻すバネが鍛えられていればいいが、外野はうるさい。

 「一休とんち話」は、江戸時代に、はじめにつくりだされたものですが、たとえ笑い話のつくり話でも、人の道の教えがいくつも秘められている。
 
  「一休」というのは恩師、華曳(かそう)からいただいた名前のようだ。
一休って、「ひとやすみ」とも読める。
木の枝から1枚1枚葉が落ちるのをみるような時間もなかろうご時世、名前が売れれば売れるほど忙しいだろう。
ある作家が言われていた。「売れている時は、人が集まるが、パタンと来なくなる。今じゃ、使い捨ての身」とぶつぶつ世迷言をいっていた。

 アタリキしゃりき!一休(ひとやすみ)、一休。

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