相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

仏教、ぶっきょう、インド、India (連載―504号)

2023年10月29日 | 経験・体験
今から、2500年前、インドの北部の釈迦国に、あまり大きくもない国に王子が生まれた。

ヒマラヤのふもとで、農民たちが牛にスキをつけて土を掘り起こしていました。土の中から小さな虫がでてきた。どこからか鳥が飛んできて、その虫を飲み込んだ。それを見た王様の家来が鉄砲で鳥を撃ち殺した。王様は家来を褒めた。    
その様子を見ていた王子は、折角、冬眠からでてきたばかりの虫が、鳥に食べられた。鳥は鉄砲で撃たれた。

 王子は生きているものどうし、どうして、あんなことをするのか、心優しい王子の名前はシッダッタと言い、後のお釈迦さまです。

誰か、グループバンドで「ガンダーラ」という曲を歌っていた。それがインドの北部の地名だ。

「どなたか、この子を生きかえらせてください。と町をさ迷っている母親がいた。
私はその子を生きかえらせることが出来る。誰かに、ケシの実をもらってきなさい。ただし、一度も死人をだしたことのない家のものでなければならない。釈迦(シャカ)は母親に言った。

 見つかりましたか? 町中のどこの家を訪ねても死人をだしたことのない家などどこにも見つかりません。

この話は、私が病院から退院して最初に知ったお釈迦様と子供を亡くした母親の会話でした。
もう8年前のことで、いまだ、私の身に染みた貴重なお話です。

遠い昔、祖母の手をとり、脈拍を、トントンと打つ音が指先に感じていた。次第に遠ざかっていく脈拍、微かにトンと感じたと思うと暫くして、トン、
最後に     トンと気付いた脈拍。


 生と死の境におしこまれ、真空の世界を知った。

その亡き祖母から教わったお経は耳から自然におぼえていた。

私の母が病院の集中治療室にいた、お医者様のお顔を見てわかった。田舎の実家に帰り、陽も沈み薄暗くなっていた。

山の上のお堂に、一人で、祖母から教わったお経をたよりに上った。
ローソクに火を灯し、無心で明るくなるまでお経を唱えた。


 実家に帰り、兄が母を病院から連れて帰り、寝かせていた。ところが、母の優しさなのか、鼻と口に綿の詰め物をしていたので、母の優しいお顔が別人のように見えた。

まだ、火葬ではない時、お墓までの列でなかで、不思議なことが起きた。亡き母が透明人間のように私にかさなった。まばたきのごとく。気持ち悪いとお思いでしょうが、そんな不思議な体験をした。

 亡くなった子供を抱えて。町をさ迷っていた母親の悲しみを癒すことはできないが、私は、にわかお釈迦様になった気持ちで声をかけていた。

   「母親よ!泣くことはない。子供はあなたと生きているかもしれない」と呼びかけた。

日本の弥生時代のころ、中国の秦の始皇帝が諸国を制圧して、中国を統一して秦を建国した。 
中国は常に北からの侵略に恐れていた。 万里の長城も始皇帝が補強したようだ。
モンゴルの騎馬民族だけでも一苦労なのに、次から次へと匈奴や突厥の荒くれ民族にも対処しなければならないだろうし、その上、中国を統一するのに疲れたのか、始皇帝は旅先で亡くなった。49歳の短命に終わった。

 始皇帝は大きな権力を手に入れたが、永遠の命だけは、手にいれられなさそうだ。すべての者に,永遠の命を得る方法を尋ねた。
 結局、占い師らの助言で、水銀を常備薬として服用していた。結果はおわかりだ。
 教訓! 自己中は、短命だ。少しでも弱みを見せると周りは、これとばかりに、潰しに攻めてくる。

 死んでも、敵を警戒してか墓の中には兵馬俑の軍隊、生贄(いけにえ)の人々、絶えることのない水銀の川とかぎりなし。

   パワハラは駄目だけど、厳しい教えは私には必要だった。
 厳しい亡き姉のおかげで人を物事を教えてくれた。姉の弱みは、やさしさだった。

 人間は、生と死の狭間を知って欲の本来をさとるのか、バンジージャンプもさとりのきっかけになるかもしれない。

 死んだ我が子を抱いて町をさ迷っている母親。お金と権力を持った皇帝も永遠の命はお金では買えなかった。
煩悩(欲など)があって、経済が荒むと人間様の心も荒む。

 山に食べる物がなければ、熊の家族も山から降りてくる。食べないと寒い冬を越すために冬眠もできない。人間、熊社会も住みずらい。
どうするんだろう。

 私のようなような煩悩だらけの人間は、お釈迦の仏教は葬式のためのものだろうと思った。「人間は自分のことばかり考えてはいけません」ということぐらい、こころがけしだいで、自分のさとりとすることができる。

といいが。
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ディズニー (人物・連載―501)

2023年10月21日 | 経験・体験
銀座で店をやっていて、仕事も終え、ラーメンを食べようと、暗い狭い路地裏の先にラーメンの看板が見えた、すいませんあなたが最後尾のお客様ですかと尋ねたが、近視の私は、うなずいた様子だったのでその方の後に並んだ。

随分、色黒で毛深く猫背なお人だ。気がつけばいなくなっていた。あれは、ネズミだよ。誰かが教えてくれた。銀座のネズミは太っていてでかい。

 休みの日のこと、電車で親子の会話を聞いていたら。

パパー、ディズニーランドに連れていってよ。嫌だよ!ネズミがいるんだろう。ミッキーマウスだよ。お前ネー、マウスはネズミのことだよ。 

だって、ミッキーマウスは可愛いいスターだよ。ダンスも歌もうまい。そんなに見たいのだったら町の暗い路地裏に行けばあえる。

 あの臭いあの独特な透明な液をだして、きれいな提灯(ちょうちん)のような赤い花がお墓に咲いている。
昔は、人が亡くなられたら火葬をしないで土の中に埋葬していた。

今はほとんどが火葬で、法律で火葬しなければならないと決まっていないようだがどこか一部ではまだ土葬が残っているようだ。
 あの明るい赤の彼岸花を口にすれば、苦い。とてもとても食べられるしろものでもない。だから、山の獣たちの墓あらしを防ぐためにお墓に咲いていた。

  ディズニーは、絵の勉強を始め絵が動けば子供たちに夢をあたえられると、
そのためには新聞配達をしたり、さまざまな仕事もし苦い経験もしたようだが、映画の夢は諦めることはなかった。

私も絵を描かれればディズニーの弟子にもなれたのにと夢があった。

 あのドブネズミに帽子をかぶせ、靴を履かせダンスも歌もうたわせるともなれば、どんな声がいいのか、話す声も高い音質でいいのか、悩みも満載だ。

  お墓の骸骨をおこして、窮屈なところから出て頂いて背伸びをして脂肪分を多くとっていただいて、動きをよくしていただいて恋をする。

デートは勿論、ロマンティックなお墓でと、ドブネズミと骸骨にダンスもおつなものだ。

火葬は熱いから水槽と水葬が寒いから温泉葬と絵には夢がはじき飛ぶ。ディズニーは65歳で亡くなられている。ディズニーの夢は、私にも大きな夢を与えてくれた。



 漫画映画は子供だけだと思っていたが世界中の人に夢を与えてくれた偉大な開拓者だ。

 ある日、ディズニーが大切にしていたイチゴ畑をリスに食い荒らされた。するとディズニーは、
「イチゴは市場でかってくればいい。でも、リスは市場にでかけるわけにはいかないんだよ」

 昨今の熊の出現で、必死に戦っている動物と人間様、一時的に終わればいいがどしたものかディズニーに問いたい。
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ガンジー (人物・連載―500)

2023年10月19日 | 経験・体験
モハンダス・カラムチャンド・ガンジーと呼ぶという。随分、ながい名だ。ガンジーと昔から呼んでいたので戒名のように聞こえる。
 インドの人はマハトマ・ガンジーと呼んでいるようだ。マハトマは、インド語で「偉大な魂」と呼ぶらしい。
 
 ガンジーはインドで裕福な家庭に生まれ、カースト制度のヴァイシャに属していた。
 
   インドは、カースト制度で親が代々、大工であれば、子供も大工になるようだ。職業の選択はできない。

 インドがITがすごく盛んなのは、今までなかった職業なので、どのカーストにも当てはまらない。だから、若者がITを選択する。
いまや、ますます、IT社会に転化している。放送もITの音声に、ところどころなっている。アナウンサーもかわるんだね。話はそれましたが。  

 ガンジーは、イギリスのロンドンに留学をして弁護士の資格を取り、インドに帰ることもなく南アフリカにむかった。

向かう汽車は、1等車の切符を買い、1等車の座席に座っていた。
しばらくして、白人の車掌が来て、君は貨車に乗り移りなさいと言われ、1等車を追い出され次の駅のプラットホームに放り出されました。
その時の屈辱が社会の第一歩だった。

 イギリスに留学出来て、1等車に乗ることもできた。社会の差別を知った、ガンジーの弁護士になる社会の教育だったのだろう。

まして、南アフリカはその当時、アパルトヘイトといって白人と非白人の人種隔離政策だった。ガンジーも黄色人種で当然、差別もされたのだろう。
20年以上もインドを離れ国を見て来た。

 インドはイギリスの植民地でイギリスからの独立を願うガンジーは、非暴力不服従というかつてなかった方法で独立運動を展開した。

町のあちこちでイギリスの軍人に市民が殴られてもいるが無抵抗だ。

昔、欧州で命令で軍人が大量に人を機銃で殺傷していたがあまりの惨さにガス室に変えたとか話を聞いた。

 命令とは言え、人も人間、無抵抗な人間を殴るとは、徐々に人間をとりもどしたのだろう。ガンジーの独立運動へと展開した。

イギリスが第一次世界大戦にインドが手を貸してくれたら、戦後は独立させてやろうと約束したのに約束を守らなかった。
約束は相手がまもるものなのだろう。世界は時たま、したたかだ。
1947年、ようやくインドは独立した。

 しかし、インドは、ヒンズー教とイスラム教二分にわかれ、インドとパキスタンにわかれた。
あくまで、インドは一つの国となるべきだと主張したが、
ガンジーは、若者のピストルに倒れた。悲しいことに、暴力がガンジーの命を奪った。
 インドの独立とガンジーの命と引き換えだった。
 
  昨年、イギリスの首相にインド系のリシ・スーナクがなった。
両親はともにインド系で、東アフリカからイギリスに移り住んだ。スーナク氏は、南アジア系イギリス人初の首相となる。宗教はヒンドゥー教を信じている。

 時代も変われば、過去の歴史も忘れさせ、まさか、インド系の首相になるとは、ガンジーも草葉の陰で驚いているかも。
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ノーベル賞 (人物・連載―499)

2023年10月17日 | 経験・体験
 えー!私がノーベル賞に選ばれた。という連絡もなく平凡な日暮し生活。
 その年の物理学、化学、生理、医学、経済学で大切な発明や発見をした人、優れた文学を文学を書いた人、世界の平和に尽くした人に贈られる。2023年度には、日本人が選ばれなかったようだ。

 ノーベルは1833年、スウェーデの
ストックホルムで生まれた。父は優秀な建築家であったが、機雷をつくり成功した。

機雷は、戦争で敵の船を沈める武器で、奥様はよく思ってもいなかった。機雷は戦争に使われる武器だと知っていた。いずれ、平和になり会社は倒産した。

 ノーベルは詩人になることも考えていたが、父親の影響だろう。火薬を発明しダイナマイトを考案してトンネルや石炭の掘削に寄与した。

 ダイナマイトと聞くと幼い頃、映画で観た観たトンネルの発破に使われ、人が何日もかけ掘っていた岩盤を吹き飛ばしトンネルを敏速に掘り進めた。

   火薬であれば爆弾にもりようされ
戦争にも大いに利用された。ノーベルは莫大な金を残したが戦争に使われていることに心をいためて、ノーベル賞をのこした。
 私の、げすな考えだがダイナマイトの発明で莫大な金ってどのくらいだったのだろう。その利子でノーベル賞の賞金にあてられた。

 「戦争と平和」という本もあるようだが、広島長崎に落された原子爆弾もアインシュタインの発明した、原子物理学の相対性理論が原爆製造の役に立つとは思わなかった。いずれ、誰かが発明するだろう。ヒトラーかアメリカか日本かも未来はわからない。

   故祖母から、教わった宗教は平和のためにと考えていたが、ある国では生きるために戦うためにあるというのか、解釈で取り方もまちまちだ。
 もう夏の終わりの頃、あるところの葉花火大会にでかけた。あるご年配の方の話を耳にした。「本来の花火ではないと話しておられた。意見はべつにして、人はまちまちだ。
 
 アルフレート・ノーベルの意思はとてもすばらしいことで、私など真似はできないが、真に人類の進歩に役立てていくには、さらに人類には。大きな知恵がなければならないようだ。
   
   日本は多神教らしいが、神が一神教で聖地も同じところと、知ったのが4,5年のことだ。バカだとお思いでしょうが、ばかです。
欧州では、ある宗教がひろまらないように、別の宗教が周りを固めて阻止をする。まるで戦いだ。それで、宗教戦争と呼ぶのか。

 山を征服する。とは、私と逆説だ。山の神様と考えている。
 最近は、熊が山から降りてきている。
熊、出没にご注意! 人間、出没にご注意!とならなければいいが、人間も熊も居場所がなくなる。
 昨日、孫の運動会に出かけた。秋晴れで天候にも恵まれ子供たちの楽しい声を聞きながら、戦争で悲鳴をあげている子供たちだけでも、この場所に招待したかった。

  今、偶然、テレビをみていたら、ベネチアのある教会で子供たちを見ていたら、死ぬまで自分を生んでくれた両親に会いたいと願っている子供たちがいた。
 
 大人は、懲りないが、子供を守るのは大人だ。
子供心に思った。大人に育てるのが子供だ。そんな生意気な子供だった。
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どうしてだろう (人・連載―498)

2023年10月14日 | 経験・体験
針に糸を通しなさいと言われれば、近視の私だが時間を頂ければ通すことができる。今は、糸通しの便利な小物を使えば簡単に通せる。
 ところが、両手、両足がなかったら、どうして、針に糸を通すのだろうと暫く考えても思いつかない。

 私に教えてくれたのが中村久子さんだった。しかし、教えられても無理だ。
 幼い頃、中村久子さんは、ご病気で手と足を切断されてご不自由な身であった。

母親は娘に、古着の着物を解(ほど)くようにと、つきつぎ難題を出すが、手を緩(ゆる)めない。父親は見守っていた。

近所の同じ年ごろの娘さんにお人形を作って渡したが唾液が臭くて汚いと突き返された。

 生活に困窮して、娘をリアカーに乗せられ見世物小屋に売った。見世物小屋ではダルマ娘と口で針に糸を通したり、口で筆をかんで字を書いたりと珍しかったのだろう各地に巡業した。
ダルマさんがころんだ。と歌があったが、ひどいネーミングだ。
 
うわさはかけめぐり、講演も頼まれ全国をまわった。見世物小屋もやめ、大勢の人の前で針に糸を通したり字を書いてみたり、話もし、相応のギャラも頂いた。
 おごりたかぶって、人前で自慢そうに話しているのは、見世物小屋があったからと、彼女は、見世物小屋に戻った。

 1955年、アメリカから、ヘレン・ケラーさんが日本に来られた時、彼女のことを知った、私より立派な人と彼女を抱きしめた。ヘレンは「目も耳も口もご不自由」なのに。


「日本の目の不自由なみなさん、目の見える人が幸せで、見えない人が不幸せということはありません。
人間に大切なものは「心」です。
「心があれば、人間はどんなことでもできる」とヘレンの言葉だ。

 義足も出来、結婚もし子供も授かった。中村久子さんはたくましい。針に糸を通せるか物事の結末はすぐには出ない、未来をきながく待とう。

 私は、57歳の時、脳溢血で倒れた。本来ならこの世の者とはいかなかったのだろう、幸い生きた。私を生かせていただいたお医者様が亡くなられていた。それも、子供の嫁から聞いた。

   中村久子さんには厳しすぎる母親がいて、見守る父親がいた。
ヘレン・ケラーには諦めないご両親と家庭教師のサリバンがいた。

誰もが、器用な不器用なご両親がいる。微かな物音、微かなしぐさに誰が気づくか、子供であったり、親であったり、自己中では読み取れない。
気付くアンテナが、忙しくその時修理中だったり、くやしいね。

最後に、中村久子さんの言葉を列記させていただいた。
その自信こそ傲慢であり、
その自信こそ慢心の正体なのだ。

苦あればこそ、また滋味ゆたかな人生を静かに省みつつ味わっている。
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