相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

妻よ、子供よ、孫よ、 (連載―392)

2022年04月29日 | 経験・体験
今は知能指数などと恐ろしいテストはしないだろうが、私の幼いころ2回ほど経験した覚えがある。悲惨だった。

単純なテストのようだったが単純ほど難しいことを私の場合は弱かった。これで複雑だと、もう想像したくもない。

この世に及んで同じテストをされたら、妻よ、子供よ、孫よ、私よ、の順になるだろう。

深夜、ぬくもりの寝床を出るのが辛い。いつも問答する。早く結論を出さないとトイレで四苦八苦する。

ラジオのスイッチを入れるとふと子供の頃を思い出す。いつも流れてくるニュースが怖かった。

学校の小さな講堂に暗幕をして、なにかワクワクして始まりを待ったのだが、学校の映画鑑賞と言えば、母が雨に濡れて無理がたたり病気になり死んで逝く暗―い内容ばかり。

映画が終わった。
涙を友達に見せられなくて苦労した。
後で、映画の感想文も書かされた。

田舎は永遠にあると思ったが父よ母よおばあちゃんには、もう会えない。

トイレの帰りに、机に向かったが何を書こうとしたのか、なぜ、座っているのかも定かでない。

ボケているとお思いでしょうがラジオが明け方の明星の頃には必ず一つ感動の話題が飛び込んでくる。

「早起きは一文の得」と聞いているが、

調べたところによりますと、一文(いちもん)のお金は、江戸時代中後期において、金一両は六五〇〇文に相当。 金一両は現代で約75,000円。一文は、75,000円÷6,500文=11.53846…≒12円.らしい。
「一文の得にもならん」と使われることもある。

寝るのも体力がいるのか私も若いころはよく寝られた。

1年365文の得なのか今朝も得をした。

田舎から枕一つで都会に出て来て、私に10人も家族が増えた。
ラッキーにも助けられ今も生きている。

この世にいろんな神様仏様があることは聞いている。

妻よ、子供よ、孫よ、私を慕ってくれる人は愛されるが、私に反抗的な人は愛されない。
これじゃ失格よ。

私の身内に失格を絵にかいた人がいた。
強く生きないと弱さを見せられないのだろう。

弱音(よわね)を吐き出せば楽になれるのになあ。

今もいろんな事故が報じられ死人も出しているが、私の妻よ、子供よ、孫よ、と思えば事故は起きなかったのかもしれない。

私も失格だろう。私の都合の良いことは愛されるが、都合の悪いことは愛されない。

私には「愛」という言葉は私の皮膚に馴染んで無いような気がする。

今から英会話でも習って、授業料は払えないから、脳の活性化で独学してみるか。
難しい日本語を話すことは出来るんだから何とかなりそうだ。

500年前、コロンブスがアメリカ大陸に到達したのだが英会話も習ってまた、コロンブスが見たアメリカに行ってみようっと。

妻よ、子供よ、孫よ、😪だろうが、起こして明星を見せてあげたい。
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愛国心 (連載―390)

2022年04月15日 | 経験・体験
「勝ってくるど」と勇ましく、誓って国を出たからにゃ、てがら起てずに居られよか。

 私も新しい人間と思っていたら、すぐ古い人間になっちまったみたい。誰もこんな戦争時代の歌など知らないだろう。

モンペを穿いた婦人会鉢巻姿の怖いおばさん方や両親や親族に送られては生きて帰れない。

 田舎の近くの家の仏前の上に落下サン部隊で戦死した3人の子供の遺影写真を祀ってあった。
子供の頃いつも気になっていたが南方で戦死したようだが写真のお顔は若い青年だった。
 
毎日のように、ロシアとクロアチアの情勢が他人事のように報じられている。
メディアもコロナから戦争情報から忙しそうだ。

 昨日も日本海で日本とアメリカ合同演習に対抗してか、ロシアの潜水艦からミサイルの発射訓練の映像を映していたが真近な脅威となった。

オホーツクもロシアの軍需基地もあり、最近はヘリコプターで根室の周辺を領空侵犯してくるらしい。

 日本側はスクランブルをかけて戦闘機を領空をでるようにするんだが、ヘリだと日本側が危険らしい。
子供が出張で札幌に行っていたが4月に帰って来たので一安心だ。

核戦争になったら東京も狙われる恐れも出てくる。
最近、山を買う人が多いらしいが疎開でもするのか。

 愛国心持ってますかと尋ねられても一応日本人ですから持っていますよ。と応えたが他国が侵攻して日本人をお一人でも殺めたら、愛国心を試されるだろう。

人間の血は防御だ。動物であれば縄張りと同じような気がする。

 高市国会議員がのべておられましたが、バイデンアメリカ大統領がアフガニスタンからアメリカ軍を撤退したのはアフガニスタンが自ら自国の守る意思がないと撤退の理由を述べたらしいのだが、

ただ一つの理由かもしれないが日本にしても同じことを言われても今更反論できないだろう。

 ウクライナの東部地区は、100年程前に、銅鉄
の人スターリン旧ソ連大統領がウクライナの東部に石炭の炭鉱を見つけそこを鉱業の都市にするため、いままで肥沃だった穀物のたくさん収穫できた

その土地を国が取り上げたため東部地区の人々が多く餓死して死んだと言う。

ロシアに対する恨みも残って当たり前。

この事を聞いた時、社会主義スターリンの真似をして、別の大国が真似をしてこれまた多くの餓死者を生んだ。とっさに思った。

 なにしろ、行ったことはないが寒いようだ。

燃料も食料もなく凍傷にかかっては戦う気力もないだろう。
空から爆弾が飛んできて今死ぬも知れない。

 逃げ出せば殺されるし世界は愛国心を振りかざす。

津波で冷たい海水に浸かればもういいかと生きるのを諦めるだろう。
ふとそんなことを思った。

電子戦の前にどうでもいいや、なるようになるさと思うだろうな。
情けない。

 母の会などとあるようだが携帯にわが子に連絡しても通じないと嘆く母親もいたが、

もしかしたら死んでいるわが子に通じる筈がない。

両方の親のお気持を察する。

 日本は誰もが平和ボケしているとか言っているが
平和は日本人だから築づかれていることを誇りであり。
ボケは余分である。

 平和な世は永遠に続くとは、思わないし。

子供が安泰に生きられる世を願いたい。その努力もしたい。

かつて、国を思い青年が神風特攻隊で敵艦に体あたりしたと聞く、

人間魚雷で外から扉を閉まられたら中から開けられないと聞く。沈むお棺だ。

そんな人間魚雷に乗せられ敵艦に体あたりする。と聞くと信じられない。
 
愛国心がなかったら国はできないだろうし戦争は起きないだろうと思う。
 みんなどう思う。

 地球儀の見方も反対に、斜めから、いろんな角度からみたら、また浮かぶこともある。

70歳年寄りのジジィの遺言と思ってください。
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戦争って、なに(連載―389)

2022年04月13日 | 経験・体験
私は戦後から6年後に生まれ。戦争に行ったことはないが。
毎日のように、ロシアとウクライナの報道がされている。

 あくまでも、私の想像の域でしかない。
 今から60年前に旧ソ連がキューバに核ミサイル基地をつくっていることが衛星写真でみつけた。アメリカはカリブ海を海上封鎖して米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した。
その当時、ケネディ大統領とフルシチョフ大統領だったと思うが一度は覚悟を決めた。
核で死ぬと。

 大国が核実験のたびに、子供は放射能の雨が降ると警戒した。

1メガトンの核が3階建ての中学校の校舎が吹っ飛ぶらしいと聞いた。その時、核の怖さと放射能の怖さを知った。

 ウクライナの市民が家も車も吹き飛んだが命が残っていれば何もいらないと答えていた。

 軍人も市民も明日の命もわからない。
 殺さなければ殺される。
みんな敵に見えるのかな。
戦地に居れば恨みもあれば理屈では考えられない恐怖心で引き金を引くだろう。
目に弾を受けて、一瞬で死んだことも知らないだろう。

 見え見えのフェイクニュースでも戦況はフェイクばかりだ。

 めちゃめちゃ勝っているのに毎日のように空襲があってもおかしいと言ったら非国民だろう。

 21世紀になっても、戦争だと言っている人と運動会にでも参加気分の人もいておかしくない。

海の向こうの出来事と今更、歴史から説明しても当事者でないと理解できないだろう。

近頃の人は年に関係なく、何も知らない。
言っている本人も何も知らなかったが高齢者になって歴史を知ってきたら、物事の流れがわかってきた。

コサックに手を出したな。これはまずい。とピンときた。

昔、ナチスが攻めて来て戦って勝った。ウクライナのナチ化と恐れていたが、

昔、コサックがドイツ軍として戦ったこともあったからだろう。

 ガリレオガリレイが地動説を説く100年前にノストラダムスが予言していた。

旧ソ連の始まりと崩壊を予言していた。

1999年世紀末滅亡説。未来を予言できますかと言われたら、わからないと云うほかない。

ある銀座のママが話してた。
何もかも消えてなくなればいいのに。
その気持わかるよ。みんな一緒に消えてなくなるのは賛成だ。
みんな一緒ならね。

 ノストラ ダムスも世紀末滅亡するとは言ってないらしいが、
滅亡すると言った方がインパクトがある。

私も世紀末に滅亡はこないだろうが何かが起こるような気がする。
今日も72歳の女性が行方不明と放送があった。
ちなみに私は71歳になろうとしている。滅亡は嫌だかみんなと一緒ならね
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聖徳太子(連載―387)

2022年04月09日 | 経験・体験
世の中は、年齢に関係なく
ろくでなしの集まりだ。もちろん、私もその代表だ。

歴史は諸説があろうから歴史学者にまかせよう。

今から、1400年前の若き聖徳太子という方が冠位十二階、とか十七条憲法をつくって我が国、すなわち古代倭国(日本)の基礎をつくった。

アジアの端っこの小国で彼の言っていることは今の私をも感動させてくれた。なぜか、涙がでる。
当たり前のことなんだが背筋が伸びる。

人間って1400年過ぎても欲は同じことのようだ。

現代人は30歳はおじいさんになる、という。若くないそうだ。

恐れ入りますが、私の場合34歳からものごとが両サイドから見ることができ、一番、エネルギッシュだった。

もう、30歳は過ぎているのかある若者の考え方をかっていたのだが、ある物事の見方に今の見方しか見てない考えをした。こんなこともあり得るんだろうと思ったが、
別の若者がそれを修正した。

彼の見方は、ある国のリーダーがサングラスをして紺のスーツで登場した時の流行遅れとコメントが笑っていた。

流行遅れを言いたいのだがその国の国民にとっては流行は止まっている。

人はズレをいかにとらえられるかによって理解される。

古いも新しいも無いとその時知った。
古いと言われれば新しい変化をしろうとしない。
新しいといわれれば、過ぎ去ったことを知らない。

人は変化を嫌う。ぼんぷなのだろうか。私は「ぼんくら」だ。

589年に隋が中国大陸を統一した。
あの暴君の煬帝(ようだい)は万里の長城を修復したり,黄河と長江を南北を結ぶ大運河の事業で有名だが、朝鮮の高句麗に遠征し勢力下に置こうとしたが失敗に終わった。

600年の第一回遣隋使派遣は
散々な目に合い馬鹿にされたが

若き聖徳太子が奮起して、先進国、隋を参考に冠位十二階、とか十七条憲法を制定して対外的に国家として恥ずかしくないものにした。

607年 第二回は、『日本書紀』に記載されており、小野妹子(男)が国書を持って派遣されたと記されている。(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。

それを受け取った煬帝は、天子は煬帝一人と怒った。
高句麗への遠征もあり日本との争いをさけた。

聖徳太子も十七条憲法の制定。冠位十二階の制定にしろ、「改革」と言えば反対も起きるが
国書のことにしてもタイミングを見ていたのだろう。
聖徳太子のしたたかさを垣間見える。
聖徳太子は49歳で亡くなられたが私より31歳も若いとは信じがたい。私とは比較にならないだろうに。

国を治めるには天皇の言うことを聞いて
役人は賄賂に惑わされることもなく朝は早く、夕は遅くまで国民のために仕事をする。

冠位は縁故とかに左右されなく適材適所に能力によって配置されるべきと定めた。

後に、煬帝の国書をもって、日本に派遣された者が日本の礼にならって4回礼をみせ、日本が先進国の仲間にはいったこととなった。
よく煬帝も認めてくれた。
十七条憲法は貴族や官僚など政治に関わる人々に道徳や心がけを説いたものです。

「話せばわかる」「問答無用と」と暗殺された事件が起きたが、どんな話があったのだろうと聞きたいものだ。

後に、明治政府の基本的な政策を示した五箇条の御誓文は

「政治を行う際に多くの意見を求めること、政治に関して、全てのことを会議で話し合って決めていくこと和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す……。

十七条憲法の第一条を参考に第一条、和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す……。
「やわらぎをもってたうとしとなしさがふことなきをむねとなす……。」

訳文「和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。
人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。
それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。

しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。」

とても世界に類のないすばらしいことを謳っているが、

相手に話さなくてもわかっているだろうというのはもう通用しないかもしれない。
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不思議だ (連載―386)

2022年04月07日 | 経験・体験
歴史って年号を覚えるのに苦労するから嫌いになるんだ。
 私も苦手でわからん世界だった。
何からはじめようとも考えず 例えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3人の鳴かぬら・・・ホトトギス。3人の性格から知った。

朝、親鳥が巣から飛び立つとき、一刻も早く子供に食べさせようと外敵も考えず巣から直接飛び立つ、

だが巣に戻る時は巣がわからないように戻る。

この習性を知った織田信長は巣の在りかを知った。

 これは面白い観察の知恵というものか。
 
湯島天神に行った時、受験生らしき子がお札に願いを込めて合格祈願していた。

ここは菅原道真公に関連したお寺さんだ。

菅原道真は学問の神様のようで難しい試験でも一発で合格したらしく、今で言うなら、東大の教授の試験をパスするという優秀なお方だった。

優秀なお方ほど不器用なところもあり、

四国に左遷させられたり九州の太宰府に左遷させられ都に戻ることもなく一生を過ごした。

 歴史を学び出して1年も経たない内に、人と人がつながり、時の流れも考えの変化も見えてくる。 不思議だ。

私は和歌山出身だが、なんで田舎侍が徳川御三家と呼ばれるようになったのか、
徳川家康を知らないと死んでも知らなかった。

それがどうしたと言われても損得はないが、そういうことだったのよ。
 
人と人がつながれば時代も自然とつながる。不思議だよ。

 私は脳溢血で立つことも出来なかったが一つのことを諦めないで続けたおがげで少しは歩けるように自然となった。
不思議だ。
 
リハビリテーション病院にいくことはないだろうからもう一つ不思議なこと話しするね。

 ベットに寝ているとお隣の部屋から言語の先生が患者さんに
粘り強く訓練していた。
アーアーと言葉にならない声が聞こえる。

もう先生も止めればいいのにしつこくやっていた。
今日もだよ。今日もだよ。
今日もだよ。
私の耳も慣れたらしく聞こえなくなった。
ある日、突然、言葉として聞こえるようになった。
不思議だ。

 患者を褒めるんじゃなく先生に感動した。
患者の努力もあろうが先生の諦めない努力に拍手を送りたかった。

その日から徐々に言葉として聞こえるようになった。
不思議だ。
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