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相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

民営化 (連載―第608号)

2025年03月26日 | 言葉
この分野は、大の苦手でチンプンカンプンだ。科学や物理を理解出来れば時を忘れ没頭する学問のようだが、残念だが私には、その能力を持ち合わせていない。
 ここに登場するのは、ノーベルとアインシュタインだ。
 ノーベルは1833年スウェーデンのストックホルムで生まれた。ノーベルは自然界には存在しない元素ノーベリウムはノーベルの名をとって名付けられた。環境がそうさせたのか、彼の父はバルト海を通りロシアのサンクトペテルブルグに渡り機雷の工場の経営していた。
  1854年、ロシアとイギリス、フランス、トルコの連合軍とクリミア戦争が勃発し3年ほど機雷の注文がロシアからあったが、ロシアが戦争に負け、バッタリ注文がなくなり、父の会社は他人に渡ってしまった。
 アメリカに渡ったノーベルはダイナマイトの実験に成功して特許を各国に申請して権利を得た。ダイナマイトを発明し、トンネルの発破に使われ、幼い頃、黒部ダム建設でよく見た。戦争にも使われ莫大な金を儲け、すべての財産を基金にして、その利子のお金を、物理学、化学、生理・医学、で大切な発明をした人、すぐれた文学を書いた人、世界平和に尽くした人にノーベル賞を贈ることにする。と遺言に残した。
  ちなみに、2024年のノーベル平和賞に核兵器廃絶を訴えた「日本被団協」に贈られた。
世界が核兵器の恐怖にさらされているタイミングでノーベル賞に選ばれた。会長はスウェーデンまで出かけて世界に訴えた。
 ノーベルの最期は心蔵が悪くなり、62歳(1896年)の生涯を閉じた。
皮肉にもニトログリセリンはダイナマイトの原料で、心蔵病の方はニトロを携帯してたようだ。
 
 
  アインシュタインは、ユダヤ人だったので、第二次世界大戦、ドイツ・ナチ党ヒットラーによるポーランド南部のアウシュビッツでユダヤ人の大虐殺の難を逃れ、アメリカに逃げた方が善いと、いち早くアメリカに妻と渡った。
 アインシュタインは相対性理論で原子爆弾を発明した。原子爆弾の生みの親だ。
 ドイツかアメリカか微妙な時にアメリカが広島、長崎に原子爆弾を投下した。もし、ヒットラーが先だったらどうなったろう。
 アインシュタイは帝国ホテル
に案内された時「私には贅沢すぎる部屋だ。もっと質素な部屋にしてください」と案内人に。
  発明、発見は人間の知恵が必要だし、発明、発見されたものを人類の進歩に役立てていくには、更に、大きな知恵がなければならないだろう。
 日本は、非核三原則(核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない)を堅持している。が世界情勢があわゆい。
 現在は政治も政治家も働く人も民営化、いつかは倒産期は到来するだろう。
 世界は国土の広大な国、小さな国。人口の多い国、少ない国、減少する国。大国の民営化で歪ができる。自己中では地球が狭いようだ。
私は、神から授かった命を二度、失いかけたがお返しする時がいつかくるだろう。
 自己中の民営化、無駄も民営化のごく一部だ。
 車のハンドルに遊びがあるからスムーズに進む、なかったら角ばって転落するかもしれない。
 車の両車輪のようにバランスとって歩みたいものだ。
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天地人 (連載―第607号)

2025年03月21日 | 言葉
うわさでは、人生百歳時代と言われるが、そうすると、私の余命30年もあるけいさんだ。
 いち・じゅう・ひゃく・せん・まん・おく・ちょう・・・
と鑑定番組では、お金の単位で途中、じゅうまん・ひゃくまん・せんまんと刻まれている。
 50年ほど前、大都会東京に来た時、サラリーマンを務めながら、貯金が百万円溜ったらと
目標の夢があった。今は夢が見知らぬところに消えてしまった。
ある人は何兆円も貯金があるという。ちょう金持ちだ。
今の世は「ちょう」の位に
に変化した。
1兆円を毎日100万円使ったとしても約2739年暮らせるくらいのお金だそうだ。
1,000,000 ÷ 365 = 約2739年。
その後、何年も経つとお金の単位が「兆」が次の位の「京」に変わるのも時間の問題だ。
30年前に、ある方のご子息が亡くなられ、お通夜に見知らぬ人が来てご子息にお金をかしてあるから、今日中に返してほしいという。
私は直観的に嘘だと思った。裁判で真相を争うことにした方がいいと感じたが、喪主のお方が争いごとはこの場で避けたいと申し、ご子息のご香典としたい。とおっしゃるので私はその場をおさめた。
天地を知った。もちろん天はその人であり、地は私だ。裁きは閻魔様に委ねた。
 閻魔様っているの? 私も知らない。25年前、川幅が広くて向こう岸まで距離があった。川の中州まで浅瀬を歩いて行けた。9歳の体重43キロ、ゴールデン愛犬のリードを引っ張って中州まで行き休んだ。
中州から向こう岸までそんなに距離がなかった。しかし、水中を覗くと小石がちらばり深みだった。さあ、渡ろうと愛犬のリードを引っ張ったがビクとも動かない。泳ぎは上手のだが、そんなに逆らうのならと引き帰ることにした。きずいたら病院のベットの上だったとさ。後で聞いたら、その川は天と地の境の三途の川(サンズのかわ)だそうだ。天国とこの世を結ぶ道が3通りあるって、❶根っから悪人は、深い流れの急なところ❷少し悪人は浅瀬を❸善人は橋を。これを三途の川と聞いた。
渡る前に、賽の河原でバーべキュウ、渡れば閻魔様の裁きがあるようだ。
世界を騒がしている暗殺されそうになった人、暗殺された人
人と人の巡り合わせ、天の道、地の道、忖度の道と現世にも3つの道がある。
南アフリカに生まれ、カナダに移民して、アメリカに移民して、アメリカに生まれないと大統領にはなれない。
移民しなければ食っていけない人々もいる。火星でも移民できればいいのに。

世界の人口は、1950年で25億人だった。2022年には80億人を突破したそうだ。それ以降、伸び率は鈍化している。
中国とインドの人口の推移が問題だ。
貧富の拡大、温暖化、森が失われ農地が不足、水と食べ物の不足、危うい世界、インドのモディ首相が言われておられた、戦争をしている場合ではないと。  
自国独り占めでなく、分かち合って、共に生きなくてはならない。天地地球が存続する限り。
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アアフリカの子供らに教わった 「教育は罪」 (連載―第597号フリカの子供らに教わった 「教育は罪」 (連載―第597号

2025年01月12日 | 言葉
アフリカと聞いて何を想像しますか?と尋ねられたら、砂漠、象さん、ピラミッド、奴隷、難民、金、ダイヤモンド、エジプト、じゅうたん、ランプ、ミイラ・・・などが思い浮かべる。
 船底にギュウギュウ詰めにされた人間、トイレもなく水もなく死ねば海に投げ捨てられる奴隷船。
今から、500年前、スペイン王の命令で世界周航を試みたポルトガル人の航海者マゼラン。 マゼラン海峡を発見し世界周航に成功したが、彼自身セブ島で殺されが一行は1522年スペインに帰った。
  イギリスの産業革命も落ち着き、マルコポールの「東方見聞録」に影響されたのか大航海時代へとシフトした。インドやインドネシアの香辛料が欲しくてアジアに向かった。
当時、中東にはオスマン帝国がいたので、アジアに行くにはアフリカを
遠く回るしかなかった。そこで途中人々はアフリカに資源を発見した。
金・ダイヤモンド・石油資源が豊富にあるアフリカを見つけた。私もアフリカは未知の世界だ。
さぞかし、国も憂い国民も贅沢な暮らしなのだろう。と想像した。ところが、子供たちのために寄付しろというのだろう。真逆だ。
恵まれた時代のお金は何処に消えたのが。暗黒の大陸と呼ばれるから見えないのかも知れない。
 金・ダイヤモンドよりも奴隷商人が儲かるとなると自分の手を汚さないで現地の黒人に奴隷を集めさせて一人当たりいくらで売買する。奴隷貿易だ。
世界にはいくらでも奴隷を必要としている。大農場で家畜のように遅くまで働かせても文句を言えば殺されるとなれば黙々と働くしかない。場主は商品を売ったお金の一部をアフリカの黒人に武器を渡し、黒人は武器で社会を人を取り締まり奴隷を集める。非常に考えたシステムだ。
   「教育とは罪」と子供たちは答えたようだが、罪と答えるしか答えはないようだ。
その子供たちはもう生きていないだろうが今のアフリカの子供たちに尋ねても同じ返答かも知れない。
 ミイラが腐って臭いほどよく効くらしい。そこに目付けた、ある欧州の女王が大量のミイラを仕入れて大儲けした。薬としてヨーロッパの人々に服用させた。
金、ダイヤモンド、奴隷貿易とアジアの香辛料もそうかも知れない。あらゆるものを金にした。北欧のバイキングの血筋なのだろう。農耕民族の私には想像もつかない。ところで、香辛料は肉などの腐敗防止に使われているようだ。
   世界のいたるところで女性、子供たちが犠牲になっている。アフリカでも何百万の女性、子供たちが犠牲になられている。
 ガンジーが英国で留学を終え、弁護士の資格を取って仕事で南アフリカに汽車で出かけた。1等車のキップを買って1等車の車中からホームに放り出された。
南アフリカ共和国のアパルトヘイトの白人と黒人の差別を経験した。
ガンジーは後に白人の英国から祖国インドを独立させた人になった。
エジプトもアフリカだ。ピラミッドもツタンカーメンもある。日本の学者も採掘にも協力しておられる。
アフリカの人口は国連が2024年7月に発表した人口推計によると、アフリカでは、1950年に2億2,778億人だった人口は増加を続けており、2024年に15億1,514万人に達している。
日本の企業はアフリカまで手が回らないようだ。
アフリカで一番裕福な国はどこですか? かつて、奴隷貿易でアフリカ黒人奴隷を船に積み下ろした港があった。ナイジェリアのようだ。
日本も米国にミサイルを輸出するようになった。かつて航空機さえも作らせなかった米国。水面下で日本は戦後にもどりつつある。国も人々も気づかないうちに変貌する。
 ひろーいサハラ砂漠もエチオピアからは20万年前のホモ・サピエンスの化石が発見され世界遺産の南アフリカ人類化石遺産群は人類の発祥の地とよばれている。
 かつて人類は、どれだけ罪を犯して来たのか子供らに教わった。
 アフリカの子供たちに教えたい。「教育とは罪」ではなくて、「教育とは優しさ」であればいいと思った。

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のこりものに吹く かぜ (連載―第578号)

2024年10月07日 | 言葉
こんな筈じゃなかったのに、なっちまった今日この頃、内閣総理大臣のイスと大臣たちのイス、のこりものに吹くかぜは厳しく、なぜか、シラケ鳥が飛んでラー。
世は、江戸時代に、戻ったような、まさか、ぺりーが来航して大砲を鳴らした。江戸の民衆は花火とまちがい、ドロドロ集まって来た。玉屋っと、
「タマヤー」と威勢のいい声が空に響いた。
火事と喧嘩は江戸の華(はな)と粋な江戸弁に憧れて西の国からやって来た。江戸は大火が多かったから切った木を隅田川にひたして木場のモク材やさんが栄えた。
江戸っ子は気が短い、宵越しの金は持たないとその日の稼ぎは酒になって蒸発した。
今更通用しない死んだふり。一句ができそうな島国日本。
 今日も国内が揺れている。総裁選で誰が次期総理大臣になるのか忙しそうだ。結局、ご年配の石破さんになった。
先日、総裁選を見て居ると「のこりものに吹くかぜ?」を見た。
50年前、史上最低の学力を引っ提げて、大都会東京に西の国から、12時間も汽車にゆられてやってきた。57歳の時、小脳出血で病院に担ぎ込まれた。還暦になって病院から解放され実戦で自からの力で回復を試みた。
 商売の現場に戻った初日は、華々しいデビューで店内で倒れた。だから言ったでしょう、一滴でも酒を飲むなって。
救急車はすぐ来てくれたが病院が決まらず担架に乗せられ銀座のさらし者になった。
数日後、再び世間の洗礼をあびた。「身体障害者の誰さん」と言われた。ハット気づいた、私は身体障害者なんだと気づかされた。私に降りかかる現実をすべて受け付けようとした。
新総理になられた石破さん、67歳だという。67年の歩みは株価にも現れる。ふつう、御祝儀相場で株価は上がるが、株価が下がった。
たいしたものだ。株価まで上下するんだもの。
 おこがましいが、生き方に光と影があるとしたら、新総理、石破さんは無口で、お友達が寄ってこない存在の影を生きるタイプだろう。
 政治家は、光と影を巧(たくみ)に使って、時には歌舞伎役者のように見栄をきる。
 みかねて、不器用な石破さんをカバーするかのように、石破さんの奥様がこまめに、支援者に、ご挨拶されていた。とても奇麗なお人だ。
石破さんのお言葉に、初めて会ったその日から、こんなきれいな人がいると感想を漏らしておられた。あらためて内助の功を知ることになる。
 もしかして、評判はよくないが生きるのに不器用な人かもしれない、言い換えれば世渡りが下手なんだろう。
 私は実姉と40年間ほど銀座で商売をやらしていただいた。水を売り歩いていないが水商売を商いとしていた。
1ケ月もてば3ケ月もてば5ケ月と、1年もてば3年もてば5年はもつと、いつ潰れるかと思いながら年月が過ぎた。35年目で共の姉を亡くした。
途中、私が大病で、妻の内助の功をお借りして切り抜け40年目で銀座から去った。
 石破さんたちが、総裁になられた記念に集合写真を撮ろうとしたとき、その中を照れくさそうに通り過ぎた一人の政治家がいた。石破離れの空虚なシラケ鳥が飛んだ。

  石破さんは過去何回か総裁選で冷や飯を食った。今回は、のこりものに吹く かぜ?が吹き新総理になられた。
総裁選に落ちて、子供っぽくすねる人。好青年だった方が政治の荒波,縁に流され、ただの青年になった人。当落に関係ない人達。さまざまな人間模様を見せて頂いた。
いっぽう、野党は自民党のアラを探して批判だけをする。それで役目を果たした時代は過ぎたような気がする。そんな野党はうんざりだ。理想国家の為に国民も我慢も出来よう。改革は己を改革することだ。
私も74歳の高齢者になったのか、野党の方々は、無理やり肩肘(かたひじ)を張っているかのように見える、健康思考か貫禄がない。
かつての自民のドンもお歳を召され次世代に譲った。私も和歌山県出身。ドンの颯爽(さっそう)と挨拶回りしていた若い彼を知っていた。
老いも避けられなく政界から去った。
新聞によりますと、2024,9.24,に掲載された石破総理含めて20名の新閣僚の顔ぶれが掲載されていた。
4,5名の顔ぶれは知っていたが、残りの方々はまったく白紙である。
寄木細工じゃないが、パズルのように知らないお顔が掲載されていた。
1963年、ジョン・F・ケネディがアメリカのダラスで暗殺された。私も30年ほど前、現場に行ったが複雑なアメリカ世界を感じた。
Ask what you can do for your country.
(国が諸君に何をしてくれるかを問うな。 諸君が国に対して何をできるかを問え) 1961年、彼の就任演説における呼びかけだという。
ケネディアメリカ大統領を知らない青年も、日本は混在している。
日本の食料需給率は30%、石油は中東からタンカーでマラッカ海峡、問題の南シナ海を通過して日本に運ばれている。。
新米が収穫時期の9月、お米を買うにも生産地区のスーパーにもなかった。現代版「米騒動」だ。
 私が二十歳の時、1973年に石油ショックで「紙がなくなる」と噂され、皆がトイレットペーパーの買い占めでトイレットペーパーが町に、なくなった。
そんなことはない喫茶店のトイレに天高く積まれていた。
思い出す、資源のない日本が石油、お米が止まればまたたくの間にパニックがおこる。
 こんな古―い話を聞きたくもないだろうが1分ほどお時間をいただきたい。私はまだ生まれていなかった時代に、日本が石油をアメリカに止められ困り果てて戦争を起したその頃、中東に石油が発見されていない時代に日本はアメリカから石油をストップされた。
アジアのスマトラ島に石油をとれたらしく日本は南方に進出した。アメリカは日本が大陸に進出をした兵隊さんをすべて引き上げろと言われたが日本は拒否をした。
   日本は石油の備蓄がある内にアメリカと真珠湾攻撃をさきがけに宣戦布告した。戦いが始まる前、相手国に最後通告をしなければならないのに、日本大使館は、誰かの送別会のために事務員もすべて出ていた。
事務になれていない人が戻り日本からの暗号の解読とタイピングに遅れて1時間20分も遅れ真珠湾攻撃後の50分遅れでアメリカに最後通告が届いた。
アメリカは側は、「パールハーバーを忘れるな」の掛け声で一致団結して日本を向かってきた。
誰もが大国と戦争しても負けることを知っていたのに短期決戦で突入した。石油も食料も自国で取れなければ長旅はできん。

   現在も石油が止められたら日本はオール電化で、日本人はサバイバルで生き残れるだろうか。
「腹が空いたら戦は出来ん」という言葉もあるように、食料を止められ終戦となったと聞いた。
1945年、第二次世界大戦が終わって百年、年内に第三次世界大戦が起きるかもしれない世界情勢。
こんな日本の若者がいた。早く降伏すれば平和な世界がおとずれる。と発言なさっていた。
それを全面否定はできないが、若者が正しいことを言われているのだろう。しかし、写真で見た残虐な場面、機銃で何百人も殺されてゆく映像を見て、人間様がおこなっていた。
機銃を持った兵隊さんの影響を考慮して、独裁者は別の方法を考え出したのがガス室で大量抹殺することだ。
今は、日本では事件現場でブルーシートを覆っている、昔は、そのようなことが見なかった。
戦後、アメリカの核の傘で日本は守られたことは確かだ。アメリカも日本を盾にしてアジア進出を考えていたのに、日本を守ってやっているのに日本も金を出せと言っている。
地政学リスクも日本をとりまく世界は厳しい。領海侵犯は昔からやられているが、領空侵犯は最近だ。
領空侵犯は国際法でうちおとされても、文句は言えないという。
 石破さんも日米地位協定の改定を言われているが日米地位協定がどんな条約なのか私たちが知っておく必要性があると思う。
夫婦別姓の制度を取ってないのが日本だけのようだ。給食費の無料化とか国内問題も山積してしているが、世界が、あくまで平和でなければならない。今は亡き安部総理が世界各国を訪問して、各国首脳とコミュニケーションをとって政治に活かした。前岸田総理もしかり。石破総理もそうであっていただきたい。

 国民は便利なスマホに夢中だ。私もお世話になっている。人が傍にいても、亀の甲羅状態。
地震、洪水にあわれて、すべて無くした輪島塗の方が言われていた。「人生には意味がある」と。

石破さんの先評判はパットしないが民主主義国日本の舵取りを、石破内閣に期待したい。

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思い通りにいかないね (連載―第570号)

2024年08月21日 | 言葉
私の目標が和歌山に帰り、両 親、兄弟の墓参りする。そして、 亡き兄のお葬式に行けなかった のでお参りすることであった。 私は身体障害者らしいので、反 対されることを予想して密かに 一人で実行しょうと予定を組み バスも予約した。 ところが、次男にそれがバレ6 月の予定がすべてキャンセルさ せられ、8月に次男の5歳の孫と 共にワゴン車で行くことになっ た。つまり、次男が連れて行って くえるという。
  子供は、スマホで宿泊先を簡 単に予約した。和歌山では高野山 のお寺さんに泊まる、奈良では一 般の旅館をである。 私は田舎のお墓に、子供は高野 山と奈良に行きたいと言う希望 だ。2 泊3日の旅。
さて、40年ぶりに帰る郷、 何もかも変わっていることだろ う。 大阪から一本道を南下して紀の 川を渡り、和歌山城を崇め紀三井 寺、海南、湯浅を経て御坊まで、 それから道成寺への旅だと思っ たら、海と山の陸の孤島と42号 国道の一本道だと思った。
 今は大阪から高速道路が出 来て短時間で御坊に着く、御坊 IC で下車すれば15分ほどで道成 寺に着く。
故郷の墓にお参りして私の目 的を済ませ、日高川をさかのぼり 龍神村(龍神温泉)から高野龍神 スカイライン((371)を走り高 野山に着く、 この日は高野山も宿坊に泊まる 予定。 翌日は、高野山を(371)下 り、橋本から24号を北に上り、 天理、奈良(若草山)へと向かう 天理で法隆寺、奈良では奈良公園 の鹿・東大寺・春日大社など観光 して、夜は奈良に宿泊の予定です。
 この企画は別にYouTubeでア ップロードさせて頂きました。機 会があったら、見てやってくださ い。
8月のある日、妻が私のちっぽ けな部屋に来て、これから実家に 帰るという。別に夫婦仲は悪くは ないと思うのだが、それは、私の 見方だけだが、何でと尋ねた。 義父が入院したという。お風呂 で気を失い、幸い孫に助けられ救 急車で運ばれたいう。93歳で、 この暑さだ熱中症になったのだろう。
とにかく、急いで栃木に帰った。 病院の面会は15時から19時 の間の30分、一日2人だと聞く。 私と妻とは次の日になった。
 翌日、面会でき意識はあった。 私は和歌山に行きを中止を決め た。 2年前から夢にまで見た故郷 は、遠くになった。南海トラフ地 震の注意報も出ている、台風も来 ている。日本列島も私の心も揺れ にゆれている。   
私は覚悟は決めているが、子供 と孫は私の責任だ。親子3代の旅 はいつか実現しよう。
73年も人間やっていると思 い通りに行かないことで、アレー、 アレ、アレーと波乱万丈の人生、 良いことも悪いことも、どこかで 清算される。
 
 地球が爆発したかのような 交通事故、人に嫌われて、ハット 気づいた己。まさか・・・ 思い通りに行かないね。
煙草も酒も運転も禁止され、残 すは津軽海峡、シチリンで炙ったイカ・土佐の高知のはりまや橋・ 佐賀の黒縁眼鏡をかけた無口な 友。西郷郷隆 の鹿児島にも行って みたい。
道成寺の「安珍清姫物語」、安珍 清姫と、ただ一人の物語と思って いたが、安珍という僧と清姫の若 い娘の悲恋のお話だった。
私の歴史感を強要するつもりは ないが、旅に一味くわわった。 これも、アップロードさせていた だきました。
 歴史は年号を暗記するもの だと思っていたが、その時々の人の考えの変化を知ったことで面白さが倍増した。
誰かが云っていた、日光東昭宮の「見ざる 聞かざる 言わざる」の3猿が平和ボケと言われようが日本が平和な世を長く保ったような気がする。
澄み切った青空の下で、夜空
の満天の星の下で戦闘機が飛び交っている。この対象的なことが宇宙のシワザなのか。

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