こんな筈じゃなかったのに、なっちまった今日この頃、内閣総理大臣のイスと大臣たちのイス、のこりものに吹くかぜは厳しく、なぜか、シラケ鳥が飛んでラー。
世は、江戸時代に、戻ったような、まさか、ぺりーが来航して大砲を鳴らした。江戸の民衆は花火とまちがい、ドロドロ集まって来た。玉屋っと、
「タマヤー」と威勢のいい声が空に響いた。
火事と喧嘩は江戸の華(はな)と粋な江戸弁に憧れて西の国からやって来た。江戸は大火が多かったから切った木を隅田川にひたして木場のモク材やさんが栄えた。
江戸っ子は気が短い、宵越しの金は持たないとその日の稼ぎは酒になって蒸発した。
今更通用しない死んだふり。一句ができそうな島国日本。
今日も国内が揺れている。総裁選で誰が次期総理大臣になるのか忙しそうだ。結局、ご年配の石破さんになった。
先日、総裁選を見て居ると「のこりものに吹くかぜ?」を見た。
50年前、史上最低の学力を引っ提げて、大都会東京に西の国から、12時間も汽車にゆられてやってきた。57歳の時、小脳出血で病院に担ぎ込まれた。還暦になって病院から解放され実戦で自からの力で回復を試みた。
商売の現場に戻った初日は、華々しいデビューで店内で倒れた。だから言ったでしょう、一滴でも酒を飲むなって。
救急車はすぐ来てくれたが病院が決まらず担架に乗せられ銀座のさらし者になった。
数日後、再び世間の洗礼をあびた。「身体障害者の誰さん」と言われた。ハット気づいた、私は身体障害者なんだと気づかされた。私に降りかかる現実をすべて受け付けようとした。
新総理になられた石破さん、67歳だという。67年の歩みは株価にも現れる。ふつう、御祝儀相場で株価は上がるが、株価が下がった。
たいしたものだ。株価まで上下するんだもの。
おこがましいが、生き方に光と影があるとしたら、新総理、石破さんは無口で、お友達が寄ってこない存在の影を生きるタイプだろう。
政治家は、光と影を巧(たくみ)に使って、時には歌舞伎役者のように見栄をきる。
みかねて、不器用な石破さんをカバーするかのように、石破さんの奥様がこまめに、支援者に、ご挨拶されていた。とても奇麗なお人だ。
石破さんのお言葉に、初めて会ったその日から、こんなきれいな人がいると感想を漏らしておられた。あらためて内助の功を知ることになる。
もしかして、評判はよくないが生きるのに不器用な人かもしれない、言い換えれば世渡りが下手なんだろう。
私は実姉と40年間ほど銀座で商売をやらしていただいた。水を売り歩いていないが水商売を商いとしていた。
1ケ月もてば3ケ月もてば5ケ月と、1年もてば3年もてば5年はもつと、いつ潰れるかと思いながら年月が過ぎた。35年目で共の姉を亡くした。
途中、私が大病で、妻の内助の功をお借りして切り抜け40年目で銀座から去った。
石破さんたちが、総裁になられた記念に集合写真を撮ろうとしたとき、その中を照れくさそうに通り過ぎた一人の政治家がいた。石破離れの空虚なシラケ鳥が飛んだ。
石破さんは過去何回か総裁選で冷や飯を食った。今回は、のこりものに吹く かぜ?が吹き新総理になられた。
総裁選に落ちて、子供っぽくすねる人。好青年だった方が政治の荒波,縁に流され、ただの青年になった人。当落に関係ない人達。さまざまな人間模様を見せて頂いた。
いっぽう、野党は自民党のアラを探して批判だけをする。それで役目を果たした時代は過ぎたような気がする。そんな野党はうんざりだ。理想国家の為に国民も我慢も出来よう。改革は己を改革することだ。
私も74歳の高齢者になったのか、野党の方々は、無理やり肩肘(かたひじ)を張っているかのように見える、健康思考か貫禄がない。
かつての自民のドンもお歳を召され次世代に譲った。私も和歌山県出身。ドンの颯爽(さっそう)と挨拶回りしていた若い彼を知っていた。
老いも避けられなく政界から去った。
新聞によりますと、2024,9.24,に掲載された石破総理含めて20名の新閣僚の顔ぶれが掲載されていた。
4,5名の顔ぶれは知っていたが、残りの方々はまったく白紙である。
寄木細工じゃないが、パズルのように知らないお顔が掲載されていた。
1963年、ジョン・F・ケネディがアメリカのダラスで暗殺された。私も30年ほど前、現場に行ったが複雑なアメリカ世界を感じた。
Ask what you can do for your country.
(国が諸君に何をしてくれるかを問うな。 諸君が国に対して何をできるかを問え) 1961年、彼の就任演説における呼びかけだという。
ケネディアメリカ大統領を知らない青年も、日本は混在している。
日本の食料需給率は30%、石油は中東からタンカーでマラッカ海峡、問題の南シナ海を通過して日本に運ばれている。。
新米が収穫時期の9月、お米を買うにも生産地区のスーパーにもなかった。現代版「米騒動」だ。
私が二十歳の時、1973年に石油ショックで「紙がなくなる」と噂され、皆がトイレットペーパーの買い占めでトイレットペーパーが町に、なくなった。
そんなことはない喫茶店のトイレに天高く積まれていた。
思い出す、資源のない日本が石油、お米が止まればまたたくの間にパニックがおこる。
こんな古―い話を聞きたくもないだろうが1分ほどお時間をいただきたい。私はまだ生まれていなかった時代に、日本が石油をアメリカに止められ困り果てて戦争を起したその頃、中東に石油が発見されていない時代に日本はアメリカから石油をストップされた。
アジアのスマトラ島に石油をとれたらしく日本は南方に進出した。アメリカは日本が大陸に進出をした兵隊さんをすべて引き上げろと言われたが日本は拒否をした。
日本は石油の備蓄がある内にアメリカと真珠湾攻撃をさきがけに宣戦布告した。戦いが始まる前、相手国に最後通告をしなければならないのに、日本大使館は、誰かの送別会のために事務員もすべて出ていた。
事務になれていない人が戻り日本からの暗号の解読とタイピングに遅れて1時間20分も遅れ真珠湾攻撃後の50分遅れでアメリカに最後通告が届いた。
アメリカは側は、「パールハーバーを忘れるな」の掛け声で一致団結して日本を向かってきた。
誰もが大国と戦争しても負けることを知っていたのに短期決戦で突入した。石油も食料も自国で取れなければ長旅はできん。
現在も石油が止められたら日本はオール電化で、日本人はサバイバルで生き残れるだろうか。
「腹が空いたら戦は出来ん」という言葉もあるように、食料を止められ終戦となったと聞いた。
1945年、第二次世界大戦が終わって百年、年内に第三次世界大戦が起きるかもしれない世界情勢。
こんな日本の若者がいた。早く降伏すれば平和な世界がおとずれる。と発言なさっていた。
それを全面否定はできないが、若者が正しいことを言われているのだろう。しかし、写真で見た残虐な場面、機銃で何百人も殺されてゆく映像を見て、人間様がおこなっていた。
機銃を持った兵隊さんの影響を考慮して、独裁者は別の方法を考え出したのがガス室で大量抹殺することだ。
今は、日本では事件現場でブルーシートを覆っている、昔は、そのようなことが見なかった。
戦後、アメリカの核の傘で日本は守られたことは確かだ。アメリカも日本を盾にしてアジア進出を考えていたのに、日本を守ってやっているのに日本も金を出せと言っている。
地政学リスクも日本をとりまく世界は厳しい。領海侵犯は昔からやられているが、領空侵犯は最近だ。
領空侵犯は国際法でうちおとされても、文句は言えないという。
石破さんも日米地位協定の改定を言われているが日米地位協定がどんな条約なのか私たちが知っておく必要性があると思う。
夫婦別姓の制度を取ってないのが日本だけのようだ。給食費の無料化とか国内問題も山積してしているが、世界が、あくまで平和でなければならない。今は亡き安部総理が世界各国を訪問して、各国首脳とコミュニケーションをとって政治に活かした。前岸田総理もしかり。石破総理もそうであっていただきたい。
国民は便利なスマホに夢中だ。私もお世話になっている。人が傍にいても、亀の甲羅状態。
地震、洪水にあわれて、すべて無くした輪島塗の方が言われていた。「人生には意味がある」と。
石破さんの先評判はパットしないが民主主義国日本の舵取りを、石破内閣に期待したい。
世は、江戸時代に、戻ったような、まさか、ぺりーが来航して大砲を鳴らした。江戸の民衆は花火とまちがい、ドロドロ集まって来た。玉屋っと、
「タマヤー」と威勢のいい声が空に響いた。
火事と喧嘩は江戸の華(はな)と粋な江戸弁に憧れて西の国からやって来た。江戸は大火が多かったから切った木を隅田川にひたして木場のモク材やさんが栄えた。
江戸っ子は気が短い、宵越しの金は持たないとその日の稼ぎは酒になって蒸発した。
今更通用しない死んだふり。一句ができそうな島国日本。
今日も国内が揺れている。総裁選で誰が次期総理大臣になるのか忙しそうだ。結局、ご年配の石破さんになった。
先日、総裁選を見て居ると「のこりものに吹くかぜ?」を見た。
50年前、史上最低の学力を引っ提げて、大都会東京に西の国から、12時間も汽車にゆられてやってきた。57歳の時、小脳出血で病院に担ぎ込まれた。還暦になって病院から解放され実戦で自からの力で回復を試みた。
商売の現場に戻った初日は、華々しいデビューで店内で倒れた。だから言ったでしょう、一滴でも酒を飲むなって。
救急車はすぐ来てくれたが病院が決まらず担架に乗せられ銀座のさらし者になった。
数日後、再び世間の洗礼をあびた。「身体障害者の誰さん」と言われた。ハット気づいた、私は身体障害者なんだと気づかされた。私に降りかかる現実をすべて受け付けようとした。
新総理になられた石破さん、67歳だという。67年の歩みは株価にも現れる。ふつう、御祝儀相場で株価は上がるが、株価が下がった。
たいしたものだ。株価まで上下するんだもの。
おこがましいが、生き方に光と影があるとしたら、新総理、石破さんは無口で、お友達が寄ってこない存在の影を生きるタイプだろう。
政治家は、光と影を巧(たくみ)に使って、時には歌舞伎役者のように見栄をきる。
みかねて、不器用な石破さんをカバーするかのように、石破さんの奥様がこまめに、支援者に、ご挨拶されていた。とても奇麗なお人だ。
石破さんのお言葉に、初めて会ったその日から、こんなきれいな人がいると感想を漏らしておられた。あらためて内助の功を知ることになる。
もしかして、評判はよくないが生きるのに不器用な人かもしれない、言い換えれば世渡りが下手なんだろう。
私は実姉と40年間ほど銀座で商売をやらしていただいた。水を売り歩いていないが水商売を商いとしていた。
1ケ月もてば3ケ月もてば5ケ月と、1年もてば3年もてば5年はもつと、いつ潰れるかと思いながら年月が過ぎた。35年目で共の姉を亡くした。
途中、私が大病で、妻の内助の功をお借りして切り抜け40年目で銀座から去った。
石破さんたちが、総裁になられた記念に集合写真を撮ろうとしたとき、その中を照れくさそうに通り過ぎた一人の政治家がいた。石破離れの空虚なシラケ鳥が飛んだ。
石破さんは過去何回か総裁選で冷や飯を食った。今回は、のこりものに吹く かぜ?が吹き新総理になられた。
総裁選に落ちて、子供っぽくすねる人。好青年だった方が政治の荒波,縁に流され、ただの青年になった人。当落に関係ない人達。さまざまな人間模様を見せて頂いた。
いっぽう、野党は自民党のアラを探して批判だけをする。それで役目を果たした時代は過ぎたような気がする。そんな野党はうんざりだ。理想国家の為に国民も我慢も出来よう。改革は己を改革することだ。
私も74歳の高齢者になったのか、野党の方々は、無理やり肩肘(かたひじ)を張っているかのように見える、健康思考か貫禄がない。
かつての自民のドンもお歳を召され次世代に譲った。私も和歌山県出身。ドンの颯爽(さっそう)と挨拶回りしていた若い彼を知っていた。
老いも避けられなく政界から去った。
新聞によりますと、2024,9.24,に掲載された石破総理含めて20名の新閣僚の顔ぶれが掲載されていた。
4,5名の顔ぶれは知っていたが、残りの方々はまったく白紙である。
寄木細工じゃないが、パズルのように知らないお顔が掲載されていた。
1963年、ジョン・F・ケネディがアメリカのダラスで暗殺された。私も30年ほど前、現場に行ったが複雑なアメリカ世界を感じた。
Ask what you can do for your country.
(国が諸君に何をしてくれるかを問うな。 諸君が国に対して何をできるかを問え) 1961年、彼の就任演説における呼びかけだという。
ケネディアメリカ大統領を知らない青年も、日本は混在している。
日本の食料需給率は30%、石油は中東からタンカーでマラッカ海峡、問題の南シナ海を通過して日本に運ばれている。。
新米が収穫時期の9月、お米を買うにも生産地区のスーパーにもなかった。現代版「米騒動」だ。
私が二十歳の時、1973年に石油ショックで「紙がなくなる」と噂され、皆がトイレットペーパーの買い占めでトイレットペーパーが町に、なくなった。
そんなことはない喫茶店のトイレに天高く積まれていた。
思い出す、資源のない日本が石油、お米が止まればまたたくの間にパニックがおこる。
こんな古―い話を聞きたくもないだろうが1分ほどお時間をいただきたい。私はまだ生まれていなかった時代に、日本が石油をアメリカに止められ困り果てて戦争を起したその頃、中東に石油が発見されていない時代に日本はアメリカから石油をストップされた。
アジアのスマトラ島に石油をとれたらしく日本は南方に進出した。アメリカは日本が大陸に進出をした兵隊さんをすべて引き上げろと言われたが日本は拒否をした。
日本は石油の備蓄がある内にアメリカと真珠湾攻撃をさきがけに宣戦布告した。戦いが始まる前、相手国に最後通告をしなければならないのに、日本大使館は、誰かの送別会のために事務員もすべて出ていた。
事務になれていない人が戻り日本からの暗号の解読とタイピングに遅れて1時間20分も遅れ真珠湾攻撃後の50分遅れでアメリカに最後通告が届いた。
アメリカは側は、「パールハーバーを忘れるな」の掛け声で一致団結して日本を向かってきた。
誰もが大国と戦争しても負けることを知っていたのに短期決戦で突入した。石油も食料も自国で取れなければ長旅はできん。
現在も石油が止められたら日本はオール電化で、日本人はサバイバルで生き残れるだろうか。
「腹が空いたら戦は出来ん」という言葉もあるように、食料を止められ終戦となったと聞いた。
1945年、第二次世界大戦が終わって百年、年内に第三次世界大戦が起きるかもしれない世界情勢。
こんな日本の若者がいた。早く降伏すれば平和な世界がおとずれる。と発言なさっていた。
それを全面否定はできないが、若者が正しいことを言われているのだろう。しかし、写真で見た残虐な場面、機銃で何百人も殺されてゆく映像を見て、人間様がおこなっていた。
機銃を持った兵隊さんの影響を考慮して、独裁者は別の方法を考え出したのがガス室で大量抹殺することだ。
今は、日本では事件現場でブルーシートを覆っている、昔は、そのようなことが見なかった。
戦後、アメリカの核の傘で日本は守られたことは確かだ。アメリカも日本を盾にしてアジア進出を考えていたのに、日本を守ってやっているのに日本も金を出せと言っている。
地政学リスクも日本をとりまく世界は厳しい。領海侵犯は昔からやられているが、領空侵犯は最近だ。
領空侵犯は国際法でうちおとされても、文句は言えないという。
石破さんも日米地位協定の改定を言われているが日米地位協定がどんな条約なのか私たちが知っておく必要性があると思う。
夫婦別姓の制度を取ってないのが日本だけのようだ。給食費の無料化とか国内問題も山積してしているが、世界が、あくまで平和でなければならない。今は亡き安部総理が世界各国を訪問して、各国首脳とコミュニケーションをとって政治に活かした。前岸田総理もしかり。石破総理もそうであっていただきたい。
国民は便利なスマホに夢中だ。私もお世話になっている。人が傍にいても、亀の甲羅状態。
地震、洪水にあわれて、すべて無くした輪島塗の方が言われていた。「人生には意味がある」と。
石破さんの先評判はパットしないが民主主義国日本の舵取りを、石破内閣に期待したい。