江戸時代に欧米諸国と結んだ不平等条約の改定交渉に明治時代に入り、岩倉具視全権大使ら木戸孝允(参議)、大久保利通(大蔵卿)、伊藤博文(工部大輔)、そして武雄出身の山口尚芳の5名と共に首脳陣や留学生ら107名ほどが欧米に派遣された。
不平等条約を結ばされたということは、当時の日本が未発達で欧米先進国と遅れをとっていて、対等な立場を取れなかったことが条約を結ばされたのだろう。井伊直弼が日本がアメリカとの戦争を避けるため、やむを得ず不平等条約を結んだとも言われているが、後に、彼が批判され暗殺された。
不平等条約って
1, 外国人が日本で罪を犯しても日本の法律で裁くことができなかった。
2, 日本市場で100円していた。これに外国が20円の関税を掛ければ、日本の商品価格は120円となり、外国商品価格は100円あなたならどちらを買いますか?
3,片務的な最恵国約款があるらしいがこの点、私も知ったばかりであるシラン。こんなものだと思う。間違いだと思うがゴメン。A国と結んだ約款が、結んでないS国にもA国が認めればS国にも同じ待遇の約款が適応される。
それにしても日本は不利な条約だ。
欧米先進国との近代化の遅れを感じ取った一行は帰国後、富国強兵の国策を行った。
おそらく、2年間、明治政府を託された、太政大臣「三条実美」をはじめ、西郷隆盛・板垣退助・大隈重信、江藤新平ら「留守政府」と呼ばれた人達でした。よくぞあの時期に、薩長(鹿児島)・長州(山口)を中心に2年余り、日本を留守できたものだ。
昨日、総裁選挙で次期総理に石破茂さんが選出された。9名も総裁候補が出れば消える人、影が薄くなる人、様々だ。欲を出し過ぎると敵は多くなるし、警戒する。「天命を待つ」と飄々と感謝の心の隙間を開けとけば運が自ずと入ってくる。そんなに時は甘くないだろうな。
140年ほど前、下野の国(しもつけのくに:栃木県)の華厳の滝近くの足尾で銅山が発見された。
銅山が発見されれば、そこで働く多くの人が集まり、家も出来、道路・鉄道も出来、学校も出来、多くの人々が住む社会が出来る。
富国強兵の国策が優先され、日本は銅を輸出して外貨を稼ぎ、銅の副産物もとれた。
これまで、日本はお蚕さま(かいこ)おかげで絹織物を輸出した。唯一外貨を稼いでいた。
しかし、光があれば、影もできる。
影は、時間をおいて気が付く、こんな筈ではなかった。
精錬所で燃やす煙に酸性の亜硫酸ガスが発生した。掘り出された銅の鉱石を製錬された廃棄物を渡良瀬川に流された。
現在は,清水処理され安全のようだが。当時は自然破壊と人間に害をあたえたようだが。
山の木々は伐採され、燃料に、坑道を支える木に、人々が住む家、トロッコ・鉄道の枕木に、山ははげ山となった。山がハゲ―となれば、砂防堰堤ダムを作らないと山が崩れる。
これが、日本初の公害となった。
鉱業優先、村民軽視の国策とね。
富国強兵をして、国を強くしなければ植民地になりかねない。
「山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」・・・富国強兵の国策の光と影は車の両車輪となっている。
文明とは被害者を生み、環境を破壊するものとなってはならない。と誰かがいわれていた昔むかしのお話。
銅山から出た排水の沈殿湖をつくり、石灰で中和をして、上水(うわ水)だけを渡良瀬川に流した。
足尾銅山は1973年に閉山となった。そこで働らいていた人々は光と影を知るだろう。山に植樹するが
山の土が元に戻るのも、樹木が成長するのも時がかかる。閉山して51年を迎えるが、明治・大正・昭和・平成・令和、その後も人間は環境破壊・人間破壊に懲りていないようだ。
さて、原子力発電所の海への放水問題が起きた。処理水を汚染水とした国が、100隻も日本近海で魚を取っているという。魚は日本産とはならないようだ。
この世は光と影、影が出来るから、光が生まれるのか光が出来るから影が出来るのか、こんな筈ではなかったのに。
今日も朝の光を浴び、陽は沈む。
不平等条約を結ばされたということは、当時の日本が未発達で欧米先進国と遅れをとっていて、対等な立場を取れなかったことが条約を結ばされたのだろう。井伊直弼が日本がアメリカとの戦争を避けるため、やむを得ず不平等条約を結んだとも言われているが、後に、彼が批判され暗殺された。
不平等条約って
1, 外国人が日本で罪を犯しても日本の法律で裁くことができなかった。
2, 日本市場で100円していた。これに外国が20円の関税を掛ければ、日本の商品価格は120円となり、外国商品価格は100円あなたならどちらを買いますか?
3,片務的な最恵国約款があるらしいがこの点、私も知ったばかりであるシラン。こんなものだと思う。間違いだと思うがゴメン。A国と結んだ約款が、結んでないS国にもA国が認めればS国にも同じ待遇の約款が適応される。
それにしても日本は不利な条約だ。
欧米先進国との近代化の遅れを感じ取った一行は帰国後、富国強兵の国策を行った。
おそらく、2年間、明治政府を託された、太政大臣「三条実美」をはじめ、西郷隆盛・板垣退助・大隈重信、江藤新平ら「留守政府」と呼ばれた人達でした。よくぞあの時期に、薩長(鹿児島)・長州(山口)を中心に2年余り、日本を留守できたものだ。
昨日、総裁選挙で次期総理に石破茂さんが選出された。9名も総裁候補が出れば消える人、影が薄くなる人、様々だ。欲を出し過ぎると敵は多くなるし、警戒する。「天命を待つ」と飄々と感謝の心の隙間を開けとけば運が自ずと入ってくる。そんなに時は甘くないだろうな。
140年ほど前、下野の国(しもつけのくに:栃木県)の華厳の滝近くの足尾で銅山が発見された。
銅山が発見されれば、そこで働く多くの人が集まり、家も出来、道路・鉄道も出来、学校も出来、多くの人々が住む社会が出来る。
富国強兵の国策が優先され、日本は銅を輸出して外貨を稼ぎ、銅の副産物もとれた。
これまで、日本はお蚕さま(かいこ)おかげで絹織物を輸出した。唯一外貨を稼いでいた。
しかし、光があれば、影もできる。
影は、時間をおいて気が付く、こんな筈ではなかった。
精錬所で燃やす煙に酸性の亜硫酸ガスが発生した。掘り出された銅の鉱石を製錬された廃棄物を渡良瀬川に流された。
現在は,清水処理され安全のようだが。当時は自然破壊と人間に害をあたえたようだが。
山の木々は伐採され、燃料に、坑道を支える木に、人々が住む家、トロッコ・鉄道の枕木に、山ははげ山となった。山がハゲ―となれば、砂防堰堤ダムを作らないと山が崩れる。
これが、日本初の公害となった。
鉱業優先、村民軽視の国策とね。
富国強兵をして、国を強くしなければ植民地になりかねない。
「山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」・・・富国強兵の国策の光と影は車の両車輪となっている。
文明とは被害者を生み、環境を破壊するものとなってはならない。と誰かがいわれていた昔むかしのお話。
銅山から出た排水の沈殿湖をつくり、石灰で中和をして、上水(うわ水)だけを渡良瀬川に流した。
足尾銅山は1973年に閉山となった。そこで働らいていた人々は光と影を知るだろう。山に植樹するが
山の土が元に戻るのも、樹木が成長するのも時がかかる。閉山して51年を迎えるが、明治・大正・昭和・平成・令和、その後も人間は環境破壊・人間破壊に懲りていないようだ。
さて、原子力発電所の海への放水問題が起きた。処理水を汚染水とした国が、100隻も日本近海で魚を取っているという。魚は日本産とはならないようだ。
この世は光と影、影が出来るから、光が生まれるのか光が出来るから影が出来るのか、こんな筈ではなかったのに。
今日も朝の光を浴び、陽は沈む。