相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

次の世代に何を (連載―第573号)

2024年09月08日 | 経験・体験
イントロで何の曲か、わかったのに、イントロ無の曲がふえてきた。人間様に「戦争」を知らない世代の人も増えて来た。
 脳の処理スピードも過去の人間より速い。半導体で世界をリードしている台湾は日本、アメリカ、ヨーロッパにも半導体の工場を分散している。危機管理なのだろう。
 半導体はスマホ、自動車、冷蔵庫、ドーローンなどのあらゆる電化製品の製造には、なくてはならない。

  私は、半導体の知識はなかったが、にわか知識で知った。
半導体というから、電気が通す金属と通さない物を交互にすることによって半導体が作れる。
On・Offを速く切り変えることによって計算を素早くする。
更に、速くするには、チップを増やすことにある。その増やす技術とコンパクトにする制作する技術が台湾が優れている。
 これまでは電流であったものが、光に変えることで、計算処理能力が何百もスピードを速くする技術を日本が研究している。
日本人の無限の能力に感服する。ものづくり日本のきめ細やかな知識の積み上げにあるんだろう。
 日本人は猿まねと揶揄(やゆ)されるが、それは小さなヒントにすぎないようだ。
この研究が成功すれば日本が世界をリードするのだろう。
PCの処理能力も百倍も速くなると私の処理能力がついて行けないようだ。AIの脳も人間様の脳を劣化させるようだ。
 フリーズドライ食品の登場でお湯をかければハンバーグ、かつ丼、カレーなどなど料理ができるという。
かつて、お湯をかけて3分とインスタント・カップラーメンが出来上がり、即席で食べられた。
未来の食卓は、お湯さえ沸かせれば、いとも簡単に料理ができる。
 医学の世界でもAI診断で医師不足も解消されるだろう。
 料理学校も医学の学校もすべて必要性もなくなり、社会構造も変わるだろう。
ある会社の名前を聞けば何を扱う会社と分かったが、別業種に変わった。過去の会社のネーミングを大切に守りたかったのだろう。  
人間も、二重構造に分けられ
便利を快適に利用する人と便利を作り出す能力の人とに分けられる。
今や、スマホがなければ、生活が成り立たない。
一人でレストランに入ってスマホが相手してくれる。
ある、お二人の顔をスマホで写真を撮り、何パーセント似ているか?おもしろい。10分後の天気予報を、列車時刻を、お店の混み時間、あらゆる情報が指で簡単にGETできる。
現在人は時間の余裕もなければ、ハプニングを楽しむ時間もないようだ。自転車に前後に子供を乗せて走っているお母さんの姿に関心する。
見上げれば、都会の空には東西南北の目印がない。
 祖父の死によって、栃木に来ている。お葬式の手配に、孫が祖父の家に養子に入っていた孫が葬儀の手配に苦労していた。
  祭壇に置かれる生花の序列の順番で苦労していた。
義父の歩み、義父の家の歴史の知識は、孫には白紙だ。
 どこから嫁に来て 、家から出た人で別姓になったとか複雑だ。
もう誰とはわからない方は上段にしなさいと。ある方のアドバイスに従うようだった。
祖父から孫への世代交代には、あまりのキャップの大きさを感じた。
 こんな筈じゃなかったが、義父は死んじまった。
 こんな筈じゃなかったが、人に歴史あり、世にも歴史あり、人と世がしっかり結びついてる。
ラジオを聴いていた。「日曜日は頑張らない」今日は休もう。
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今年は昭和百年に (連載―第572号)

2024年09月07日 | 経験・体験
今年は、令和6年、私は昭和26年生まれのジイジだ。計算では昭和時代64年+平成時代30年+令和時代6年、計算では今年が昭和百年になるところだろう。
 思い起こせば、和歌山の山奥から史上最低の学力を意識しながら、太志を抱いて日比谷図書館の2階の自習室に入った。
シーンと静まり返った部屋に足音も発てずに、皆は厚い本を読んでいた。
この状態では太刀打ち出来そうもなくて、地下の食堂でカレーライスを食べて4畳半の暗いアパートの部屋に帰った。
 翌日、厚い漫画の本に無地の表紙をして、再び日比谷図書館にいぞんだ。
 厚い本は、隣の方の間にドカンと置き秀才を装い漫画を読んでいた。
都会にも慣れて来た。お茶ノ水駅からの下りの坂道には山の上のホテル、偶然、近くに修学旅行で枕投げをした旅館を見つけた。
更に、車の排気ガスで霞んで見えたが兄が通っている大学、明治大学が聳え立っていた。
 都会で生きてゆくのも大変だが田舎には仕事もない。
 新宿の喫茶店にバイトもしたが、飲み物もケーキの種類も多数を覚えるのにも女性に冷やかされながら覚えた。
  引っ越しのバイトはチップが¥5000の日も\10000の日も別に頂きいいバイトだった。
スーパーのバイトで、ウルトラマン役ではなく、悪役を演じた。ウルトラマンに倒され寝ていると子供たちも正義の味方で、寝ていた私に向かってくる。
子供らの純粋な心を大切にしょうと寝ていた、痛いバイトだった。
 高輪の泉岳寺で行われた子供らの学力増進のため開かれた教室に、私はテスト用紙を配布するバイトだった。
 チラッと見たが難しく、とてもとても解ける問題ではなかった。都会の子供たちの実力を知った。
そう思えば、お茶水で修学旅行で枕投げをした思い出の旅館でも布団上げのバントもした。
 バイトもアルバイトニュースの雑誌を見て働いた。学校もいき、辛うじて就職もした。
妻とは、たまたま、授業がない時にバイト先で知った。授業があったら妻とは永遠にご縁がなかった。
妻も70歳、今も飽きもせず私の妻である。私に飽きもせずが現状だ。
税理士になるつもりが、評判のよくない水商売を姉と銀座で40年ほどやってこられた。最初は会社の経理課で5年間勤めて、妻に内緒で転職して、夜の世界に飛び込んだ。いつか、妻にバレる時が来たが、今され戻れないし、税理士になって、他人の計算をするより、自分の計算をした方が賢明と、もう手遅れだが納得させた。
 中学生の頃、段ボールでドラムセットをつくり、遊んでいたが、それが役に立ち、毎夜人件費をつかって、お客様に聞いていただいていたが、人件費を浮かせる方法は自分がやるしかない。
最初はドラムからベース、バンジョー、司会までやることになった。
銀座という場所もあってか、すべての知識はお客様から得た。
最初、カントリーというからゴルフと勘違いした。
本場、アメリカに行って音楽を聴いたが英語で歌っていたのでチンプンカンプンであった。かつて、水と油の関係のフランスの曲を聴いていた。油が水に溶けたころ、私はすっかりミュージシャンになっていた。
  姉は歌手で、私はマネージャーらしきこともした。
 サイパンまでは行ったがアメリカ本土に来ようとは思わなかったが、お客様を引き連れて何度も来させていただいた。
 姉が脳梗塞になり、郷里のコンサートを頼まれ命がけで取り組んだ。その後、姉は亡くなった。
私もまもなく、小脳出血で入院して今もリハビリ中です。
驚いたことに私の執刀医が亡くなられていた。私の命を助け、それはないよ! とも思ったが、順番どおりに逝かないことも実感した。

 昨日、義父が亡くなられた。
不思議だ、ここが栃木なのに40年前に亡くなった私の両親の写真があった。西の国、和歌山の両親との出会いだ。
 無口の義父だったが、「人に歴史あり」と感じさせてくれた、義父との最期だった。
あの時、君は若かった。娘の妻とは50年も経つ。義父の人生、娘の人生、私の人生、それぞれに重荷を背負っているに違いない。
義父の本棚を見ることはなかったが、へ~分厚い本がならんであった。
義父を形成している一部なんだろう。義母の了解を得て、故義父の形見に一冊を頂くことにした。「風のとおる道」と、表紙に義父が書いた筆字があった。
 鎌倉幕府の成立はいいくに作ろうと1192年と覚えさせられた。源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された年だ。
 その前に、後鳥羽天皇から守護・地頭の設置権限を手に入れた、実質的に源頼朝を中心とする支配体制が確立し、武家政権の確立したと言える1185年が鎌倉幕府のの成立といえる。
歴史は時代とともに書き換えられる時がきている。元々の歴史と変化の歴史の誤差が私の知恵となっている。
歴史など、必要ないとする現在の風潮だが、歴史の押しつけは感心しないが未来の判断材料の参考に私はなっている。
 養子の孫が葬主だったが、年代の差があってか深みを感じない葬儀だったが、孫らしく若者の葬儀だった。
義父の自宅の玄関に貼ってあった「人の世は、起きて半畳、寝て一畳、一日食べても二合半ほど」
小学1年で亡くなる人もいれば、93歳で亡くなる人もいる。
近所で最近あった出来事に、バイクの腹に響く低音のエンジンの音が騒音と受けとめる人。
野球の練習だろう、子供が壁にボールをぶつける音が心臓の鼓動に刺激を受ける人もいる。
気候変動も5年ほど前から益々、活発になり、豪雨、竜巻、強風と毎年、生き埋めの犠牲になっている。年々被害が増している。
  自然を営みとする人々は天変地異に年々悩まされる。
このところのお米不足、米騒動お米不足と言ってもお米の生産地でもお米不足だ。
米作りで従事してらっしゃる、平均年齢は69歳となるほとんど高齢者だ。米農家の年間所得は平均1万円だとも聞いた。
誰かが5年後は、どんな世になっていると予想していたが私もわからない。喰いダメできえば、喰いダメするようだ。
地球の人口も1950年から2000年の50年間25億人から50億人と増えている。更に、今年で100億人になろうとしている。
日本は人口減少と聞くが世界の人口は増えている。
  経験したことがない。命を守る行動を。今度はどんな表現をされるのだろう。予報士も苦労なさっている。
予報もつかない。
ケ・セ・ラ・セラ(なるようになるさ)
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ブスと美人 (連載―第571号)

2024年08月23日 | 経験・体験
 街を歩いていると、女性も男性もみんな美形だ。
一人か三人かブスにお目にかかってもいいのだが、行き交う人にブスにお目にかからない。
ブスとは差別用語か私はわかっていない。もし、お気に障ったらお許しください。
ブスが美人にイジメられる話は遠い昔に聞いた。兄が美少年だったから、無言に比較された。兄は美少年どころか勉強も出来た。村祭りには化粧して馬に跨り主役だった。私とは明らかに「月とすっぽん」だったから劣等感もなかった。
 女性のお腹から、男と女が産まれるから不思議だ。神様も酔っぱらって、付け忘れることだってあるだろう。
40年ほど前、男性専用の酒場に連れていかれた。男性が化粧して、目線も女性になっていた。店内は、たばこの煙と淀んだ空気が蔓延していた。
私は一応、男性だったので、その世界を異常に感じた。
 最近は、男性も化粧して、ピアスも附けている。不思議だピアスを附けると女性の感覚の見方もでき話題も豊富になった。
いずれにしても、男女の区別もなくなっている。ハイ!疑問です?ニューハーフがトイレと風呂はどっちに利用するのだろう。
 40年ほど前、サンフランシスコに行った時、男性お二人が手をつなぎ寄り添って歩いていた。ガイドの話ではこの一帯がそうだと言われた。その当時、日本では考えられなかった。

「美しさは、生きる力」と豪語している方もいるが、まさしくそのとおりだ。
美しかったら、自信もできる。写真も撮られよう、大勢の人前にも
さらされ美しさを表現できる。
エ~! 何歳だって。
 ブスに会いたい。確か、眉毛が太く左右バランスが取れてなく、目はタレ目で、鼻は空を向き、唇がマンボウのように腫れぼったく。ア!元の顔が忘れた戻せない。
  私の子供を連れ姉の家に行った。姉が出かけて来るねと子供に別れを告げたが子供は別人と思ったのか無反応だった。
確かに厚化粧で姉は別人になっていた。縦約25センチ、横20センチのキャンパスに絵を描いていた。つまり、顔に絵を描くように化粧をした。
 そもそも、ブスと美人は男の見方で、ほかに才女を見つけた。
オリンピックもこの前までパリで行われていた。エッフェル塔が聳え立ちセーヌ川が流れていた。エディット・ピアフ、アズナブールのシャンソンが聞こえる。
 思い出す、狭い路地裏に4、5人入れば満席で頭をかがめて飲んでいた。ママはパリでレストランを経営していたパリジャンらしい。話題豊富な才女だ。フランスの料理もあかぬけていた。G街といわれたところだ。
 子供のころ、放射能の雨に濡れて、このハゲ―になった我が身のうえ。巷ではブスも才女も消え失せ美人が残った。
美人はいいよなーほんとうにいいよなー! 生きる活力。違った、
生きる力だ。
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思い通りにいかないね (連載―第570号)

2024年08月21日 | 言葉
私の目標が和歌山に帰り、両 親、兄弟の墓参りする。そして、 亡き兄のお葬式に行けなかった のでお参りすることであった。 私は身体障害者らしいので、反 対されることを予想して密かに 一人で実行しょうと予定を組み バスも予約した。 ところが、次男にそれがバレ6 月の予定がすべてキャンセルさ せられ、8月に次男の5歳の孫と 共にワゴン車で行くことになっ た。つまり、次男が連れて行って くえるという。
  子供は、スマホで宿泊先を簡 単に予約した。和歌山では高野山 のお寺さんに泊まる、奈良では一 般の旅館をである。 私は田舎のお墓に、子供は高野 山と奈良に行きたいと言う希望 だ。2 泊3日の旅。
さて、40年ぶりに帰る郷、 何もかも変わっていることだろ う。 大阪から一本道を南下して紀の 川を渡り、和歌山城を崇め紀三井 寺、海南、湯浅を経て御坊まで、 それから道成寺への旅だと思っ たら、海と山の陸の孤島と42号 国道の一本道だと思った。
 今は大阪から高速道路が出 来て短時間で御坊に着く、御坊 IC で下車すれば15分ほどで道成 寺に着く。
故郷の墓にお参りして私の目 的を済ませ、日高川をさかのぼり 龍神村(龍神温泉)から高野龍神 スカイライン((371)を走り高 野山に着く、 この日は高野山も宿坊に泊まる 予定。 翌日は、高野山を(371)下 り、橋本から24号を北に上り、 天理、奈良(若草山)へと向かう 天理で法隆寺、奈良では奈良公園 の鹿・東大寺・春日大社など観光 して、夜は奈良に宿泊の予定です。
 この企画は別にYouTubeでア ップロードさせて頂きました。機 会があったら、見てやってくださ い。
8月のある日、妻が私のちっぽ けな部屋に来て、これから実家に 帰るという。別に夫婦仲は悪くは ないと思うのだが、それは、私の 見方だけだが、何でと尋ねた。 義父が入院したという。お風呂 で気を失い、幸い孫に助けられ救 急車で運ばれたいう。93歳で、 この暑さだ熱中症になったのだろう。
とにかく、急いで栃木に帰った。 病院の面会は15時から19時 の間の30分、一日2人だと聞く。 私と妻とは次の日になった。
 翌日、面会でき意識はあった。 私は和歌山に行きを中止を決め た。 2年前から夢にまで見た故郷 は、遠くになった。南海トラフ地 震の注意報も出ている、台風も来 ている。日本列島も私の心も揺れ にゆれている。   
私は覚悟は決めているが、子供 と孫は私の責任だ。親子3代の旅 はいつか実現しよう。
73年も人間やっていると思 い通りに行かないことで、アレー、 アレ、アレーと波乱万丈の人生、 良いことも悪いことも、どこかで 清算される。
 
 地球が爆発したかのような 交通事故、人に嫌われて、ハット 気づいた己。まさか・・・ 思い通りに行かないね。
煙草も酒も運転も禁止され、残 すは津軽海峡、シチリンで炙ったイカ・土佐の高知のはりまや橋・ 佐賀の黒縁眼鏡をかけた無口な 友。西郷郷隆 の鹿児島にも行って みたい。
道成寺の「安珍清姫物語」、安珍 清姫と、ただ一人の物語と思って いたが、安珍という僧と清姫の若 い娘の悲恋のお話だった。
私の歴史感を強要するつもりは ないが、旅に一味くわわった。 これも、アップロードさせていた だきました。
 歴史は年号を暗記するもの だと思っていたが、その時々の人の考えの変化を知ったことで面白さが倍増した。
誰かが云っていた、日光東昭宮の「見ざる 聞かざる 言わざる」の3猿が平和ボケと言われようが日本が平和な世を長く保ったような気がする。
澄み切った青空の下で、夜空
の満天の星の下で戦闘機が飛び交っている。この対象的なことが宇宙のシワザなのか。

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怖い話  安珍清姫物語 (連載―第569号)

2024年08月13日 | 経験・体験
舞台は和歌山県の日高川と道成寺に纏わるお話、安珍清姫物語。永遠の課題、男と女の恋物語。いや、悲恋の物語であった。
能、歌舞伎、浄瑠璃の演目で『道成寺』が登場する。
蛇に指をさすと腐ると、だから、友人にその指を切ってもらう呪(まじない)をしてもらった。大人になって人を指さすものではないと教えられた。幼かったら、誰かに指を切ってもらう呪(まじない)をしてもらったようだ。
女の「嫉妬心」を蛇のたとえに、女を怒らせたら怖いと、だから、おんなの心をもてあそんではいけないと、教えられていた。
説法では、人にはまごころで接しなさいと教えられた。


「毎年、奥州(福島県白河市)から安珍という若い僧(山伏)が
熊野那智の滝権現の神様に1泊の予定でお参りに来る。
今年も若くてハンサムなお坊さんの安珍がお父さんが経営する宿、清姫の宿に来た。
清姫はひとめぼれして、若いお坊さんを好きになり、深夜、女だてらに夜ばいをかけて安珍に迫る。
清姫さまはこんなところにお出でになってはいけません。清姫は安珍の部屋を出ようともしません。
昔は、お坊さんは結婚は許されなかったが、安珍は、仕方なく、清姫を部屋から出そうと清姫に嘘をついた。
「明日、那智の神様にお参りした後は、必ず、清姫の待つ宿に戻りますから」と純粋な清姫に嘘をついた。「必ずですよ」
 
 翌日、清姫が待つても、待っても安珍が戻りません。
「もし、お尋ねしますが、背の高い色白で若いお坊さんを見かけなかったと清姫が峠を通る人に尋ね歩いた」
「そんな若いお坊さんなら、もうとっくに通り過ぎましたよ」

  まさか安珍さまは清姫との約束をやぶり、宿を素通りしたのか、清姫は安珍さまの後を必死に追った。
日高川に着くころ、遠くに安珍さまを見つけた。「安珍さま!安珍さま!」と叫んでも安珍は知らぬ顔。
安珍は、舟頭達に若い女に追われているから、決して舟に乗せないように言っておいた。「おのれ安珍!」 清姫は川に入り安珍を追った。
清姫は半身大蛇となっていることも気をつかず口から炎を吐き、竜となって必死に安珍を追った。安珍は遠くに見える道成寺を発見、舟を降り駆け足でその寺に向かった。

 長―い階段を上り本堂に着き、住職に相談した。私は恐ろしい女に追われている、どこか私をかくまって欲しいと頼んだ。
思案の末、住職と僧たちは、釣鐘を下し、その中に安珍を隠した。
恐ろしい竜と化した清姫は寺中探したが安珍が見つからず、ふと釣鐘から、わらじの紐がはみ出ているのをみつけた。
おのれ安珍、釣鐘をぐるぐるに巻、口から炎を吐き恐ろしいこの世のものとは思えない恐相で安珍を焼き殺した。
寺の住職や鼓童は恐怖のあまり震え上がった。
その後、清姫は日高川に戻り入水自殺したという伝えです。
  
道成寺に釣鐘がないのは?清姫に焼かれたから、ピンポーン。
一時は、京都から新しい釣鐘を持ってきたが、釣鐘の音が清姫の呪の音と近隣の方に不評だったとか、道成寺には今も釣鐘がない。

道成寺のみやげ売り場に、あずきアンがたっぷり釣鐘饅頭が売っている。

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