楽しきかな第二の人生

黒衣おじさん&看板おばさんと愛犬福太郎の物語。

彼岸花が満開の弘教寺へ

2014年09月22日 | ウオーキング

今回のウオークは、彼岸花が満開の弘教寺(グギョウジ)とその周辺を散策するコースです。

主催は、黒衣おじさんが所属するクラブではなく、別のウオーキングクラブでしたが、彼岸花が満開に咲く弘教寺に行くということだったので参加してきました。

常総線水海道駅で下車し一行と合流。 

本日の参加者は85名、歩行距離は13km。ウオーミングアップを念入りにして出発です。

 

 

弘教寺に到着。

特別に住職さんから由緒について説明がありました。 

それによると 「弘教寺は、応永21年(室町時代) 嘆誉良肇(たんよりょうじょう)上人によって創建。第10代照誉了学(しょうよりょうがく)上人の代に、徳川家から、本堂、鐘楼などに莫大な寄進がなされた。千姫は、仏門に入ったときより当寺を菩提寺と定めており本堂左手奥の千姫墓所には、遺言に従い遺骨の一部が納められている。千姫姿絵や紫竜石硯など千姫ゆかりの品や遺品が伝えられている。」とのことでした。

 

 

千姫の直筆と言われている扁額。内部は日光東照宮と同じ極彩色で装飾され、徳川家「葵のご紋」も施されています。

その千姫は、波乱に満ちた一生を送っています。千姫は、徳川家康の孫で、7歳の時、豊臣秀頼の妻となります。しかし大阪夏の陣で豊臣家は徳川家に敗れ、淀君と夫の秀頼は自害。千姫は、家康の命によって救出されます。その後、本多忠時と再婚しますが夫と死別し江戸城に戻ります。失意の中、落飾(仏門に入る)して天樹院と称し70歳の天寿を全うするまで江戸城ですごし波乱に満ちた生涯を閉じています。

 

 

弘教寺の境内を埋め尽くす彼岸花(曼珠沙華)。

 

 

彼岸花は、お墓に咲く花というイメージが強く不気味がられますが、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)(彼岸花の別名)」は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味で、おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ている」と言うことで、縁起の良い花なんですね。

 

満開の彼岸花に見送られ弘教寺を後に。

 

初秋の一日、85人の仲間と13キロを完歩し、爽やかな気持ちで岐路に。

 

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