What Do You Think about the War Responsibility of Emperor Hirohito?
53 min Japan / Yutaka Tsuchiya
『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか? 96.8.15靖国篇』 (1997)
監督:土屋豊
1996年8月15日、靖国神社に参拝した人びとへのインタヴューを主体に、戦没者追悼式や戦争当時の記録映像などの挿入映像を加えて構成されたヴィデオ・ドキュメンタリー。作品としてのねらいが明確で、記録的意義も高い。「新宿篇」もあるらしい。年月をおいておなじ試みをおこなうといった連続性を期待したい。
映像は、ふつうの撮影画面に加えて、その画面をテレビで再生している状態を再度撮影したリプレイ・シューティング(ダブルフレームシューティング)などから構成されており、この変化が、内容への距離感や批評性を演出して効果を挙げていた。ざらついたヴィデオ感にはクローネンバーグなどをへた世代の感覚を感じる。
おもな質問は「当時、天皇はどういう存在だったか」「天皇の戦争責任についてどう思うか」「いまの天皇制をどう思うか」。インタヴュアーは制作者の土屋さん自身と、もう一人の女性が担当している。
回答者は全員、お年を召したかたがたである。これは参拝者の年齢構成を反映しているとかんがえていいのだろう。インタヴューにこたえている18人のなかで、昭和天皇に戦争責任があると事実上明言したひとは1人しかいない。「謝ってほしかった」と述べた女性である。8月15日に靖国神社に参拝する人びとは、当時の天皇への批判を口にすることはまずないらしいことが伝わるが、それ以上に、口にすることが「できない」という印象のほうが重くにじんできた。内的抑圧などとつるりと定義してすませることのできない、ひどく重いなにかが、その奥にうずくまってみえた。
わたしにとって、いちばん印象にのこったのはそこである。それは歴史の傷というのか、ある国土と膨大な数の人びとがくぐり抜けた社会的苦痛、永久に引き裂かれた時代の傷のようなものである。それが誰によって始められたのか、なぜ始まったのかは別の問いになる。けれど、直視することができないほど暗く、深く、重く、二度と消えない巨大な傷を、このひとたちは自己の内部にわかちもっている。このインタビューは、ごく限定された問いへの反応をつうじて、ことばの奥に巣食う、より深刻なものを透かしていた。
内容概略
▼挿入映像▼
5人の閣僚が靖国に参拝したというテレビニュース
▽インタビュー1男性高齢者
元志願兵。「当時、天皇は神だった。日本は食糧がなかったから満州を開発した。昭和天皇に戦争責任はない。大臣や上のひとが御前会議で決定した」
▽2男性高齢者
「天皇は絶対の存在だった。日本は縦社会だからしかたがない」
天皇の責任は?「そっとしないと後ろから、という……。オウムだってそう。中東もそうでしょう。アラーの神は絶対でしょう」
▽3女性高齢者
「天皇は絶対の存在でした。でも神ではないですね。天皇は国の象徴。天皇陛下がいらっしゃらなければ日本はだめになる」
▼挿入映像▼
大本営発表12月8日の開戦発表映像
捕虜をしらべる日本兵の映像
教育勅語を読む戦時の子供の映像
▽4男性高齢者
「大学の友人は半分以上学徒動員されて死んだ。神としてここにまつられているのは当然。天皇は絶対的だったし、自分たちが国を守ることは義務で当然だとうけとめていた」
天皇の戦争責任は?(直接の返答なし)「象徴としての天皇はみとめたい。戦争の責任は? 日本はそういう政策をとらなければやっていけないという教育をうけてきたから、そういうものだと思っている。いまも在位していることに違和感はない」
▼挿入映像▼
戦没者追悼会の天皇夫妻の映像
▽5男性高齢者
「天皇は国の象徴。平和のために努力をされていると思っていた。戦争責任についてはむずかしい。国民全部が責任を負わなければならない。天皇は、むかしは一般人とは会えなかった。神様のようだった。いまは民主的、人間の代表」
▽6男性高齢者
「あれを侵略戦争とは思わない。自衛のたたかい。米英が日本に石油を禁じた。だからやむをえず進出した。若干侵略の意味もあったと思うけれど、でもそうは思っていない。天皇の戦争責任は…」(報道受付をすませてほしいと靖国の宮司がわって入る。インタビュー中断)
▼挿入映像▼
追悼会の橋本首相の式辞
▽7男性高齢者
「当時のひとは命をかけて戦ってたの。閣僚が参拝するのだって堂々とやればいいんだ」
▼挿入映像▼
天皇陛下万歳と叫ぶ当時の映像
▽8男性高齢者
「ソ連は自分につごうのいいことしかやらない。今日も天皇制を廃止しろとか町で言ってたけど、あいつらなんかソ連にいけばいい。参拝について内政干渉をするのは頭にくる。それをつっぱねない政治家もおかしい。天皇の戦争責任はない。(当時のひとは)国のために(戦争に)いったんだ。いまは自分のためばっかり。自分は毎年参拝している。さきに逝った者にすまないと思って来ている。あたりまえだ。いまも皇室がつづいていることについては? 日本はそれでいいんじゃないか」
▼挿入映像▼
皇太子の結婚式パレードの映像
敗戦の昭和天皇の詔をきいて平伏するひとびとの映像
▽9女性高齢者
「まえの夫がレイテで玉砕した。骨もない。位牌だけ。再婚した相手もシベリア抑留を経験していたが、靖国にくるというといい顔をしない。それに魂がここにあるとも思えないので、靖国にはあまりこなかった」(つづく)
▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像
(つづき)「自分は娘時代、ずっと戦争中だった。天皇は絶対の存在だった。でも天皇は敗戦後、記者会見で、広島について「しかたがない」といった。天皇陛下のためというので召集令状がきて、どこへでも行かなければいけなかったのに」(つづく)
▼挿入映像▼
追悼式の現天皇夫妻の映像
(つづき)「あれは負け戦だった。子供がうまれて一週間目に夫は招集されていった。軍に入るのに誰も付き添いがきてはいけないといわれて行けなかった。二度と会えなかった」(つづく)
▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像。昭和天皇の追悼式の映像
(つづき)「昭和天皇は黙って亡くなった。戦争のあと事実をあきらかにすべきだったし、謝まってほしかった」
▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像。「おことば」を読む天皇
▽10男性高齢者
「当時、(国民は)昭和天皇をもりたてて戦争に勝ちたい一心でやっていたのではないか。いまは、いっしょに陛下と苦労したなと思っていて、憎しみなどはぜんぜん感じない。子供のころから、ずっといっしょにきた」
▽11男性高齢者
「天皇は神様で、命令は絶対だった。いまはこの時代だからそんなことはいってられないけど。いまは?尊敬くらいだけど。参拝は、亡くなった友人に会いにくるため。二度とああいう戦争をしないように。ぜったいにやってはいけないことだ」
▽12男性高齢者
「天皇陛下はごりっぱなかたで、そのかたのためなら、いつどこで戦死しても悔いるところはないというのが当時の兵隊でしょう。戦争責任についてはむずかしい質問で、言えない。裁判などの歴史でぜんぶあきらかにしてあるから。それ以上のことはなにもいえない」
▽13男性高齢者
「天皇は当時、神様みたい。いまも、昔ほどではないけど。戦争責任はないと思う。象徴だから。責任があるとしたら軍」
▽14男性高齢者
「当時は陛下のために命をささげるのが常套。なんとも思わなかった。戦争も国のために戦うということ。(いまの自分の参拝は)戦友のことを考えるため。戦争責任は陛下にはない。当時の世相だった」
▽15男性高齢者
「戦没者は神様として祀られている。国のために赤紙でひっぱられたのだから当然。天皇についてはぜんぜん反対はない。飾り物だった。気の毒。責任はないと思う。あれは軍部が左右した。天皇制はいまもつづいているが、戦後そうなったのはよかったのじゃないか。マッカーサーのおかげでしょう」
▼挿入映像▼
戦争中の爆撃の映像、戦場の映像
追悼式での昭和天皇の「おことば」が音声で流れる
追悼式での平成天皇の「おことば」が重なる
▽16女性高齢者
「戦病死した弟が祀られている。軍からは死亡の知らせもなく、偶然、知人からの情報で知った。軍に問い合わせたら、しばらくして戦病死とわかった。当時、自分の命は惜しくないと自分も思っていた。天皇については尊敬していたし、国民を守っているとみんな思っていた。りっぱなかたで、お慕いしている。弟が戦って死んでいった、その悔しさの相手はアメリカです」
▽17、18男性高齢者2名
「戦争は軍の決定。天皇はぜったい反対だった。自分が靖国に参るのは当然、戦犯が祀られたということで具合がわるくなったけれど、ここにくるのは戦友のため。戦争は外国から圧迫されたから。当時、中国にいたのは日本軍だけじゃない。イギリスやフランスだってまえからいた。日本は負けたからなんと言われてもしょうがないけど、ほかだって侵略してきた。われわれだけ侵略というのはおかしい。南京虐殺だってそう。日本から強制連行したかだってわからない。現地のひとたちはそれで商売していた。パンパンだった」(つづく)
(途中、インタビューに答えている映像をテレビ再生した画面に切り替わる。個々の画面のサイズはちいさくなる)。
(つづき)「いまの天皇制については、べつにそれでいいと思う。ずっとつづいてきたし。日本もそれでつづいてきたんだし。なくなったら、共産主義とかになっても知らないよ」
▼挿入映像▼
テレビのひとつに映された追悼会の映像がかさなる
ノイズ処理をほどこしたテレビの映像がかさなる
作品終了
53 min Japan / Yutaka Tsuchiya
『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか? 96.8.15靖国篇』 (1997)
監督:土屋豊
1996年8月15日、靖国神社に参拝した人びとへのインタヴューを主体に、戦没者追悼式や戦争当時の記録映像などの挿入映像を加えて構成されたヴィデオ・ドキュメンタリー。作品としてのねらいが明確で、記録的意義も高い。「新宿篇」もあるらしい。年月をおいておなじ試みをおこなうといった連続性を期待したい。
映像は、ふつうの撮影画面に加えて、その画面をテレビで再生している状態を再度撮影したリプレイ・シューティング(ダブルフレームシューティング)などから構成されており、この変化が、内容への距離感や批評性を演出して効果を挙げていた。ざらついたヴィデオ感にはクローネンバーグなどをへた世代の感覚を感じる。
おもな質問は「当時、天皇はどういう存在だったか」「天皇の戦争責任についてどう思うか」「いまの天皇制をどう思うか」。インタヴュアーは制作者の土屋さん自身と、もう一人の女性が担当している。
回答者は全員、お年を召したかたがたである。これは参拝者の年齢構成を反映しているとかんがえていいのだろう。インタヴューにこたえている18人のなかで、昭和天皇に戦争責任があると事実上明言したひとは1人しかいない。「謝ってほしかった」と述べた女性である。8月15日に靖国神社に参拝する人びとは、当時の天皇への批判を口にすることはまずないらしいことが伝わるが、それ以上に、口にすることが「できない」という印象のほうが重くにじんできた。内的抑圧などとつるりと定義してすませることのできない、ひどく重いなにかが、その奥にうずくまってみえた。
わたしにとって、いちばん印象にのこったのはそこである。それは歴史の傷というのか、ある国土と膨大な数の人びとがくぐり抜けた社会的苦痛、永久に引き裂かれた時代の傷のようなものである。それが誰によって始められたのか、なぜ始まったのかは別の問いになる。けれど、直視することができないほど暗く、深く、重く、二度と消えない巨大な傷を、このひとたちは自己の内部にわかちもっている。このインタビューは、ごく限定された問いへの反応をつうじて、ことばの奥に巣食う、より深刻なものを透かしていた。
内容概略
▼挿入映像▼
5人の閣僚が靖国に参拝したというテレビニュース
▽インタビュー1男性高齢者
元志願兵。「当時、天皇は神だった。日本は食糧がなかったから満州を開発した。昭和天皇に戦争責任はない。大臣や上のひとが御前会議で決定した」
▽2男性高齢者
「天皇は絶対の存在だった。日本は縦社会だからしかたがない」
天皇の責任は?「そっとしないと後ろから、という……。オウムだってそう。中東もそうでしょう。アラーの神は絶対でしょう」
▽3女性高齢者
「天皇は絶対の存在でした。でも神ではないですね。天皇は国の象徴。天皇陛下がいらっしゃらなければ日本はだめになる」
▼挿入映像▼
大本営発表12月8日の開戦発表映像
捕虜をしらべる日本兵の映像
教育勅語を読む戦時の子供の映像
▽4男性高齢者
「大学の友人は半分以上学徒動員されて死んだ。神としてここにまつられているのは当然。天皇は絶対的だったし、自分たちが国を守ることは義務で当然だとうけとめていた」
天皇の戦争責任は?(直接の返答なし)「象徴としての天皇はみとめたい。戦争の責任は? 日本はそういう政策をとらなければやっていけないという教育をうけてきたから、そういうものだと思っている。いまも在位していることに違和感はない」
▼挿入映像▼
戦没者追悼会の天皇夫妻の映像
▽5男性高齢者
「天皇は国の象徴。平和のために努力をされていると思っていた。戦争責任についてはむずかしい。国民全部が責任を負わなければならない。天皇は、むかしは一般人とは会えなかった。神様のようだった。いまは民主的、人間の代表」
▽6男性高齢者
「あれを侵略戦争とは思わない。自衛のたたかい。米英が日本に石油を禁じた。だからやむをえず進出した。若干侵略の意味もあったと思うけれど、でもそうは思っていない。天皇の戦争責任は…」(報道受付をすませてほしいと靖国の宮司がわって入る。インタビュー中断)
▼挿入映像▼
追悼会の橋本首相の式辞
▽7男性高齢者
「当時のひとは命をかけて戦ってたの。閣僚が参拝するのだって堂々とやればいいんだ」
▼挿入映像▼
天皇陛下万歳と叫ぶ当時の映像
▽8男性高齢者
「ソ連は自分につごうのいいことしかやらない。今日も天皇制を廃止しろとか町で言ってたけど、あいつらなんかソ連にいけばいい。参拝について内政干渉をするのは頭にくる。それをつっぱねない政治家もおかしい。天皇の戦争責任はない。(当時のひとは)国のために(戦争に)いったんだ。いまは自分のためばっかり。自分は毎年参拝している。さきに逝った者にすまないと思って来ている。あたりまえだ。いまも皇室がつづいていることについては? 日本はそれでいいんじゃないか」
▼挿入映像▼
皇太子の結婚式パレードの映像
敗戦の昭和天皇の詔をきいて平伏するひとびとの映像
▽9女性高齢者
「まえの夫がレイテで玉砕した。骨もない。位牌だけ。再婚した相手もシベリア抑留を経験していたが、靖国にくるというといい顔をしない。それに魂がここにあるとも思えないので、靖国にはあまりこなかった」(つづく)
▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像
(つづき)「自分は娘時代、ずっと戦争中だった。天皇は絶対の存在だった。でも天皇は敗戦後、記者会見で、広島について「しかたがない」といった。天皇陛下のためというので召集令状がきて、どこへでも行かなければいけなかったのに」(つづく)
▼挿入映像▼
追悼式の現天皇夫妻の映像
(つづき)「あれは負け戦だった。子供がうまれて一週間目に夫は招集されていった。軍に入るのに誰も付き添いがきてはいけないといわれて行けなかった。二度と会えなかった」(つづく)
▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像。昭和天皇の追悼式の映像
(つづき)「昭和天皇は黙って亡くなった。戦争のあと事実をあきらかにすべきだったし、謝まってほしかった」
▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像。「おことば」を読む天皇
▽10男性高齢者
「当時、(国民は)昭和天皇をもりたてて戦争に勝ちたい一心でやっていたのではないか。いまは、いっしょに陛下と苦労したなと思っていて、憎しみなどはぜんぜん感じない。子供のころから、ずっといっしょにきた」
▽11男性高齢者
「天皇は神様で、命令は絶対だった。いまはこの時代だからそんなことはいってられないけど。いまは?尊敬くらいだけど。参拝は、亡くなった友人に会いにくるため。二度とああいう戦争をしないように。ぜったいにやってはいけないことだ」
▽12男性高齢者
「天皇陛下はごりっぱなかたで、そのかたのためなら、いつどこで戦死しても悔いるところはないというのが当時の兵隊でしょう。戦争責任についてはむずかしい質問で、言えない。裁判などの歴史でぜんぶあきらかにしてあるから。それ以上のことはなにもいえない」
▽13男性高齢者
「天皇は当時、神様みたい。いまも、昔ほどではないけど。戦争責任はないと思う。象徴だから。責任があるとしたら軍」
▽14男性高齢者
「当時は陛下のために命をささげるのが常套。なんとも思わなかった。戦争も国のために戦うということ。(いまの自分の参拝は)戦友のことを考えるため。戦争責任は陛下にはない。当時の世相だった」
▽15男性高齢者
「戦没者は神様として祀られている。国のために赤紙でひっぱられたのだから当然。天皇についてはぜんぜん反対はない。飾り物だった。気の毒。責任はないと思う。あれは軍部が左右した。天皇制はいまもつづいているが、戦後そうなったのはよかったのじゃないか。マッカーサーのおかげでしょう」
▼挿入映像▼
戦争中の爆撃の映像、戦場の映像
追悼式での昭和天皇の「おことば」が音声で流れる
追悼式での平成天皇の「おことば」が重なる
▽16女性高齢者
「戦病死した弟が祀られている。軍からは死亡の知らせもなく、偶然、知人からの情報で知った。軍に問い合わせたら、しばらくして戦病死とわかった。当時、自分の命は惜しくないと自分も思っていた。天皇については尊敬していたし、国民を守っているとみんな思っていた。りっぱなかたで、お慕いしている。弟が戦って死んでいった、その悔しさの相手はアメリカです」
▽17、18男性高齢者2名
「戦争は軍の決定。天皇はぜったい反対だった。自分が靖国に参るのは当然、戦犯が祀られたということで具合がわるくなったけれど、ここにくるのは戦友のため。戦争は外国から圧迫されたから。当時、中国にいたのは日本軍だけじゃない。イギリスやフランスだってまえからいた。日本は負けたからなんと言われてもしょうがないけど、ほかだって侵略してきた。われわれだけ侵略というのはおかしい。南京虐殺だってそう。日本から強制連行したかだってわからない。現地のひとたちはそれで商売していた。パンパンだった」(つづく)
(途中、インタビューに答えている映像をテレビ再生した画面に切り替わる。個々の画面のサイズはちいさくなる)。
(つづき)「いまの天皇制については、べつにそれでいいと思う。ずっとつづいてきたし。日本もそれでつづいてきたんだし。なくなったら、共産主義とかになっても知らないよ」
▼挿入映像▼
テレビのひとつに映された追悼会の映像がかさなる
ノイズ処理をほどこしたテレビの映像がかさなる
作品終了