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うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0413. ワイルド・バンチ (1969)

2013年08月16日 | 1960s

ワイルド・バンチ / サム・ペキンパー
145 min USA

The Wild Bunch (1969)
Directed by Sam Peckinpah. Story by Walon Green and Roy N. Sickner. Screenplay by Walon Green and Sam Peckinpah. Cinematography by Lucien Ballard. Film Editing by Louis Lombardo. Music by Jerry Fielding. Performed by William Holden (Pike Bishop), Ernest Borgnine (Dutch Engstrom), Warren Oates (Lyle Gorch), and Robert Ryan (Deke Thornton).

最初と最後の銃撃戦の場面は、ペキンパー自身の「代表作」でもあるだろう。血が噴き上がるなまなましさ、ほとんど嗜虐的な酷さ、スローモーションをおりまぜたあのリズム感、群像的なショットの混ぜかた。ある表現がその斬新さのために新しい基準を創り出し、のちの作品群はそれ以前の定型に戻れなくなるという現象がある。おそらくここはその例のひとつ。その影響関係をひとつひとつ実証的に示すことは難しいので、ふつうは言及の集積――ディスクール――に頼ることになるのだけれど。

一般的には「公開当時の衝撃」を追体験することはしばしば難しい。その功績が革新的であればあるほど、こぞって模倣され、最後は陳腐なきまりごとになるまで消費されつくしてしまうからだ。コルビュジエがそうであったように、当初は独創的なデザインほど最後は見飽きたものになるという逆説が、のちの鑑賞者にとっては壁になる。けれどそれほどの創作物は、熱く語り伝えられてもきた。たとえば『2001年宇宙の旅』の映像詩、『気狂いピエロ』で登場人物がカメラに向かってしゃべる異化の瞬間、『ブレードランナー』の廃れた未来都市、『プライヴェート・ライアン』の凄絶なノルマンディー上陸など・など・など。そしてたぶんペキンパーの銃撃戦も。

そのどれにも、模倣しえない部分がかならずある――パターンだけでは把握しつくせない個性が、しばしば細部にこもっているのだ。『ワイルド・バンチ』の冒頭場面でいえば、子供たちが蟻にサソリを襲わせて愉快そうに眺めているシーケンスなどはそうかもしれない。カットをなじませるのが難しかったようだけれど、いい演出だった。この作品はかわいくて、けなげで、残忍な子供たちが画面の隅でよくえがけている。

そのペキンパーも、子供の体が銃撃にちぎれて飛び散るようなカットはいれていない。それは政治的な配慮というより、この映像作家の性格だったようにみえる。撮影に協力したメキシコの村人たちにもおおきく感情移入したに違いなく、全員を写すために場面を不必要に長くしてしまったとしか思えないほほえましい個所もあった。脚本や原案にはペキンパーのほかに2人がクレジットされているけれど、映像の演出ににじむこうした傾向から監督自身の志向を透かし見ることはまちがいではないだろう。一見ためらいなくみえる残酷さや皮肉と、いっぽうで濃厚な「情」の組み合わせが、この作品に奥行きを作り出している。それは屈指の犯罪者であるパイクを追跡しながら、内心でそのパイクに憧れるソーントンの描写に強くあらわれていた。とはいえうっかり「ペキンパーさんは優しいひとだから」などとご本人に言おうものなら、たちまち酒瓶が飛んできそうですが。

文脈を伝達するうえでカットのつなぎかたには分かりにくいところがある。冒頭のタイトルデザインはうるさい。書き下ろしの音楽は雑音のようにひどい。でも、ちいさなことです。なお作中の時代設定は1913年だそう。



メモリータグ■メキシコの犬は極限まで痩せている。これも(ひそかに)ほかの作品に影響をあたえたカットかもしれない。






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