122 min Italy, USA
Il portiere di notte. aka. The Night Porter (1974)
Directed and screenplay by Liliana Cavani based on a story by Barbara Alberti. Cinematography by Alfio Contini, costume Design by Piero Tosi. Performed by Dirk Bogarde (Maximilian Theo Aldorfer), Charlotte Rampling (Lucia Atherton), Philippe Leroy (Klaus).
原題は「夜勤のボーイ」。字義どおり、主人公は質素なホテルの夜間勤務のフロント係であると同時に、「夜を持ち運んでいる者」という意味もひそかにとりだすことができる。かつてナチスの士官として勤務した強制収容所で、ユダヤの少女に倒錯した嗜虐的な性愛関係を強いたという過去が背景にある。
話は暗い。十数年をへて偶然再会した両者は、抵抗をこころみながらもそのいびつな欲望関係を再現してしまう。欧州にとって政治的にも倫理的にもはげしく嫌悪を催させる、禁忌の多い設定であったことはまちがいない。個人的にも、もう一度見ろといわれたらかなりためらう。ただ、あきらかに才能を感じさせる作品であることもたしかだった。その意味で、単純に切り捨てることはできない。
細部も確実に作りこまれている。たとえば、ひときわうらぶれた感じを出していたのが、主人公がフロント係の制服の下にいつも着ているヴェスト。一流のホテルであれば、制服のなかに私服を着込むことはないだろう。前をボタンでとめるようになっているいかにも中年じみた「チョッキ」で、それがこのホテルとこの男の貧相な現在を伝えてくる。ある種の職業的威厳に近いものをにじませる主人公の動作と、その衣服とが薄ら寒い、垢じみた対照をなすことになる。一連の陰の多い画面づくりは成功している。ボガートはたしかに名優だろう。誠実な名士の役をいくつもこなしてきた役者なのに、ここでは近寄りたくないほどの気持ちの悪さで、卑屈であると同時にサディストである。薄暗いホテルのフロントがゆっくりと映されるところからすでに、宿命的にしみついたかびの臭いが漂ってきそうだった。
世評にまつわる点を二つ指摘しておきたい。一つは俳優、ことにシャーロット・ランプリグングについて。この俳優はきちんと評価されるべきひとだったと思う。みごとな演技を達成している。この役を演じたことで、個人としてあたかも背徳的な人間性を帯びているかのような烙印を押した当時の世論には疑問を感じる。いまであればもうすこし違っていたかもしれないけれど、いずれにせよ政治的な禁忌のコードを承知したうえでなお演技として圧倒的で、役柄にもとめられる容姿ももうしぶんなかった。いっぽうでダーク・ボガートには、ランプリングに対するような非難はむけられなかったのでは。倒錯的という点で同程度の水準にある役、というよりさらに問題の多い役を演じたにもかかわらず、この俳優の社会的な評価がすでに確立されていたこと――あるいは服を脱がなかったこと――がランプリングへの集中的な非難につながるとすれば不当と思う。
もう一つは作品そのものの位置づけについて。この作品がこうまで際物として非難され、しばしばヴィスコンティはゆるされてきたのはなぜ? ヴィスコンティがひきおこした一種のスキャンダルは、「烙印」になってはいなかった。かれは芸術家としてまっとうに遇され、カヴァーニは必ずしもそうとはいえない。もちろんこの作品に問題は多い。プロモーションに使われた写真もあまりに扇情的すぎたし、ほかの作品での評価も影響しているだろう。いっぽうでヴィスコンティが複数の作品で達成した「芸術性」は揺らぐものではない。だがそれでもなお、個々の作品は、作家の社会的文脈から切り離して独自に評価される権利がある。
メモリータグ■衣装のセンスと判断力は一流だった。ひどいところは文句なくひどく、洗練されるべきところはみごとに洗練されていた。誰かと思ったらピエロ・トージ。さすが……。