ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

水戸歴史探訪サイクリング~東照宮

2012-10-08 18:08:11 | 自転車
水戸駅の北側に、東照宮がある。
北口から坂を上る。
坂の名前は、銀杏坂。
坂の右側に銀杏の巨木がある。歩道橋のところだ。
誰も立ち止まろうとはしないが、これは太平洋戦争末期に水戸が空襲を受け、焼け野原となった時に残った銀杏だ。水戸の街に歴史を感じさせる木造建物が残っていないのは、そのときの空襲のためだ。
空襲後の状況が立て看板の写真からうかがえる。
東照宮は、坂の左側にある。歩道橋を過ぎてビルを過ぎて左手すぐに大きな鳥居が現れる。
赤い幟旗が左右に何本も掲げてある。
寂れた感じの商店街を歩くと右手奥ちょっと小高いところが東照宮だ。
東照宮といえば、日光東照宮が有名だが、徳川家ゆかりの地にはそれぞれ東照宮がある。
ここに祀られているのは、家康大権現である。
この東照宮も火災で焼け落ちてしまい
現在はコンクリート造りである。
歴史的なものはないかと探してみると、倉庫風だがなかが覗ける建物がある。
中には安神車が展示されている。
幕末期に、徳川斉昭公が造らせた戦車だ。
戦車といっても、牛に曳かせるものだ。実用性はない。実戦に投入されたことはない。
幕末期に外国人が日本に攻めてきたら打ち払うという攘夷論。
現実に、戦闘力を考えたなら、かなり無謀であったことがわかる。
斉昭公も、実は表向きは攘夷論を唱えながらも、開国やむなしとと考えであったらしい。
日本は手強いぞということをわからせてから開国しないと外国人の思うようにされてしまうということであったのだろう。
銀杏

東照宮

安神車
この中に兵が入り、中から鉄砲で撃つ。

水戸歴史探訪サイクリング~チャリで巡る

2012-10-07 08:16:30 | 自転車
地元にいながら水戸の史跡巡りはあまりしていなかった。
なぜかと考えたのだが、自動車で巡るのが面倒くさいからだ。
田舎は自動車が普及している。
田舎では、大人になれば1人一台クルマを持つ。
贅沢だと思うが、公共交通機関が発達していないので、生活のアシはクルマしかないからだ。
クルマを乗ってしまうと歩かなくなる。
どこへ行くにもクルマで行く。
そうなると、クルマで行きにくい場所には行かなくなる。
こんかい、自転車で史跡巡りをして、クルマで行きにくい場所があるのだと感じた。
例えば、路地、小道がそうだ。
昔ながらの街だと幅が狭いことが多い。クルマできつい。
歩きだと、距離があるため、史跡巡りをしようという気にならない。
自転車だと街中ならクルマよりも機動性がある。
自転車を乗るようになって、史跡巡りにピッタリな乗り物だと気づいた。
で、どんなチャリにするかだが、街中の史跡巡りにはロードバイクは向いていない感じがしている。
ロードバイクの速度域が速すぎるのだ。のんびり、ぶらぶらという感じがしない。ロードバイクだと風を切って走らないといけない。そうでないと、バイクに申し訳ない気がしてくる。走ってしまうのだ。
史跡巡りだと、歩く時間が多くなる。
あちらこちらと歩かないと史跡を感じることが出来ない。
クリートがついていると歩きづらい。バイクから降りて歩くきもちになりにくい。どうも経験的にロードバイクは向いていない感じがしている。
ただし、遠距離ツーリング的要素のある旅は別です。
で、街中探索ならロードバイク以外の自転車なら何でもいいという気がしている。
意外とレンタルのママチャリなんかはいいかもしれない。
高価なチャリと違って盗難の危険もなく、お気軽だからだ。
ちなみに、私は街中探索のときは折りたたみ小径車を使用している。
小径車。
ポタリングにいい。
自転車が速く走ろうと急かさない。
まったりと景色など味わいながら走ることができる。
というわけで、これから歴史探索サイクリングは小径車を相棒にすることに決めた。




水戸歴史探訪サイクリング~水戸黄門神社

2012-10-07 07:59:54 | 旅行
水戸駅から徒歩3分ほど、自転車なら1分の距離に、水戸光圀公生誕の地がある。
神社という名称だが、祠堂であり、小さい。
光圀公は父頼房公の命によって水にされるはずだったが家臣の三木が引き取って自分の子としてこっそりと育てたという。ここは三木家の屋敷跡。
神社の裏の台地は水戸城ニノ丸。城のすぐ下の屋敷で、光圀公は幼年時代を過ごしたわけだ。
後に、光圀公はこの地のことを思い出し、歌を残した。その歌碑がある。
歌を読み、光圀公の心を感じるのもよい。
あまりに小さい神社なので、過大な期待は禁物だが、一度は訪れてもよいでしょう。