ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

水戸の西を探索

2019-01-19 16:59:53 | 自転車
今日は水戸の西のほうを探索してみた。

中根寺
妙徳寺
常陸の湯


水戸IC出口付近にある中根寺。
以前から自動車で通るときに気になっていたがなかなか尋ねる機会がなかった。
中根寺は,行って初めて知ったのだが,剣豪和田平助が自刃したところらしい。
お寺のホームページによると、摩利支天尊は、水戸義公時代の新田宮流抜刀の開祖である剣豪 和田平助正勝の護持佛にして、天和3年9月11日(1683年)59歳で自刃した地であり、そのときに所持していた摩利支天尊をお祀りしているとある。

とあるHPによると
平助には金五郎という期待の息子がいた。
かなり期待していたらしく,かなり厳しく接したらしい。
平助は、息子の金五郎に対し苛烈な剣の修業を施し、四六時中油断させず、闇の中より討ちかかったり、熟睡中を狙って討ち込んだりしたという。
金五郎はこれらの試練に耐えたが、父の練磨はますます激しさを増し、ついに耐えきれず疾を起こして急逝したという。
まるで,漫画巨人の星の星一徹のようではありませんか。
この息子が亡くなったことで、平助は我を忘れ常軌を逸するようになり,日ごと狂気が募り、人を危めたり、悪事が目に余るようになったとのこと。
そして,
天和3年9月11日、藩主から放逐を受ける。
水戸藩では、一旦追放したものの、彼の非凡な剣技は誠に惜しいものがあると考え、急ぎ使者を出して追わせたが、すでに自害した後だった。時に平助59歳。
この話しには別の話もあるらしい。
使者を自分に対する追っ手と勘違いして捕まったら打首になる,打ち首にされるくらいならと自害したという話しだ。
この平助だが,光圀公とは親しい間柄だったらしい。

さて,妙徳寺は、常陸国最初の法華道場だ。
なぜか。
これもとあるHPによると,
この地は日蓮上人の有力な信徒であった波木井実氏の領地だった。
この頃,日蓮上人は佐渡での無理に加えて身延山中での厳しい生活が身にこたえて、具合が悪くなっていた。
そこで,かねてより聞いていた隠井の湯に入って病気を治そうと思い、身延山を下り,馬に乗り常陸の国を目指して進んだ。
しかし,
武蔵の国池上(池上宗仲の邸。東京都大田区)までたどりついたとき、亡くなった。
波木井実氏は妙徳寺を創建したり、隠井の湯を整備して、体の弱い人を救ったりしました。
隠井の湯は後に常陸の湯と呼ばれ水戸にある鉱泉として有名になったとのこと。

むかし,ここには,鉱泉宿があったらしいが,今はない。
いまや石碑のみが残っているだけだ。
かなり昔に廃業したようだった。とあるHPによると,茨城唯一の混浴だったそうだ。
石碑の近くに,小さな神社があり,温泉の成分表が掲示されていた。