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海住山寺の参詣を終えて国道163号線を右折すれば、30分程で我が家に帰れるのですが、まだ時間はあるし今日はあと二個寺お参りの予定です。
加茂の街並みを抜けて恭仁(くに)大橋を渡りました。
川の流れは木津川ですが伊賀盆地を源流とする木津川は、昔から「いずみがわ」とも呼ばれ百人一首にも詠まれています。
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
中納言兼輔
この歌の解釈は現在風に云うと、まだ会った事のない女性に「貴方が恋しいです…いつかどこかでお会いしたのような気がしますが…」などと云いながら、愛の告白をする歌だそうですが、天平美人はどんな風に感じたのでしょうか。
このあたり一帯は瓶原(みかのはら)と呼ばれ、通ってきた道筋に「恭仁京跡」(くにのみやこ)があります。
聖武天皇はこの地に離宮を造営して、しばしば通われたようです。
以前にも記しましたが飛鳥ー平城京-恭仁京ー紫香楽宮と、大和から近江にかけてほぼ直線に離宮などが造営された遺跡が残っています。
加茂の街並みを抜けて恭仁(くに)大橋を渡りました。
川の流れは木津川ですが伊賀盆地を源流とする木津川は、昔から「いずみがわ」とも呼ばれ百人一首にも詠まれています。
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
中納言兼輔
この歌の解釈は現在風に云うと、まだ会った事のない女性に「貴方が恋しいです…いつかどこかでお会いしたのような気がしますが…」などと云いながら、愛の告白をする歌だそうですが、天平美人はどんな風に感じたのでしょうか。
このあたり一帯は瓶原(みかのはら)と呼ばれ、通ってきた道筋に「恭仁京跡」(くにのみやこ)があります。
聖武天皇はこの地に離宮を造営して、しばしば通われたようです。
以前にも記しましたが飛鳥ー平城京-恭仁京ー紫香楽宮と、大和から近江にかけてほぼ直線に離宮などが造営された遺跡が残っています。